第22話 祈る手
「ていうか休みの日に進路の話するうちらめっちゃ真面目じゃない?」
「高校生の鑑だね」
ああだこうだと言っているうちに時間は過ぎていく。高校や街中より静かな環境がそうさせるのだろうか。
トイレを借りようと階下におりたところで智子に出くわした。
「あ、結花ちゃん、冷やし中華って好きかしら」
「冷やし中華? 好きですけど……」
「よかった。出来上がったらまた呼ぶからね」
あ、これお昼をご馳走になる流れだと結花は思った。しまった。お昼ご飯のこと、考えてなかった。
しかし今から断って沙紀と外に食べにいくのも返って悪いなぁと思い、素直に礼を言う。
「お昼、冷やし中華だって。智子さんが言ってた」
「そっか、もうそんな時間か」
沙紀はそれを聞くや否や立ち上がる。
「ちょっと手伝ってくる」
「じゃあ私も」
「お客さんだからいいよ。手伝いもちょっとだけ。ばあちゃん今足痛めてるの」
ああ、やっぱり。湿布のにおいがしたなと思い出す。まるで昨日のことみたい。
沙紀が降りて、友達の部屋に一人。
不思議な時間だ。窓にかかったレースのカーテンが舞い上がる。扇風機の風が涼しい。
ほどなくして昼食となった。
呼ばれてついたテーブルの向かい側に沙紀の祖父が座っていた。
「祖父の
ガラガラ声の丁寧な挨拶に結花の背筋が伸びる。
「こちらこそ、沙紀さんと仲良くさせてもらってます」
70近いのだろうか、若々しい智子さんと逆に、日焼けした白髪頭に眼鏡をかけて気難しそうだ。公園で聞いた話ではこの人が沙紀の父に
それも4年くらい昔の話で、そのときはこの人ももう少し
「さあさ、堅苦しいのはいいから食べて!」
智子さんが麦茶を置いていく。
冷やし中華は美味しかった。トマト、わかめ、きゅうり、かにかま、ツナをマヨネーズで和えたものまでトッピングされていてお腹が満たされる。ごまだれがほどよく絡み、麺がするすると喉を通っていく。
錦糸卵が綺麗だったので褒めると、智子さんはとても喜んだ。自分でやると「卵焼き細く切ってみました」という感じでなかなか上手くいかない。経験を重ねればできるだろうか。皺が目立つ智子の手がなんだか輝いて見えた。
完食!
すっかり満腹になってウエストがきつい。空になった皿を邦一さんが結花の皿まで下げてくれたのが意外だった。
「ばあちゃん、私やるから」
食後、沙紀が智子さんを手伝いに台所に立つ。沙紀の祖父と二人で座っているのは少し気まずい。と思ったら向こうもそうだったらしくテレビをつけた。ちょうどニュースをやっている。
「何か観たい番組はあるかな?」
「あ、なんでも大丈夫です」
明日の天気を告げるアナウンサーの声と、台所で沙紀と智子さんが何やら話す声だけが聞こえる。窓の外から蝉の声。結花と沙紀の祖父との間にだけ沈黙があった。
「……沙紀は」
「はい」
「沙紀は学校ではどんな様子かな?」
台所から沙紀が顔を出し、「ちょっと、面談みたいなことしないでよー」と
「沙紀と、仲良くしてくれてありがとう」
節くれだった手でリモコンを握る邦一は心なしか嬉しそうに見えた。
昼食が終わって「気になる新刊の発売日だから本屋に行きたい」と沙紀が言い出した。結花もいつもの駅前と違う街でウィンドウショッピングしたい気持ちがあったのでおいとますることにする。
邦一さんは食後、日課の昼寝をしていて見送りには出てこなかった。昼寝しないと疲れが取れないらしい。光も毎日昼寝している。年を取ると行動が小さい子みたいになるのは不思議な感じがした。
智子さんだけが足を気遣いながら門のところまで出てきて、「また来てね!」と手を振ってくれた。
角を曲がる直前、ちらっと見たときもまだ手を振っていた。
沙紀と仲良くしてくれてありがとう。
友達を連れてきてくれて嬉しい。
これからもよろしくね。
その手は、沙紀の幸せを祈っているかのようだった。
バスが来るまで時間があった。ベンチは暑く、タオルを敷いて座った。街路樹の影はあまり届かず、結花は日傘をさしたまま座った。沙紀は座らずにバスが来ないか見たり、樹をじっと見つめていて、何かと思ったら上へと登っていく蟻を目で追っているようだった。
ここで思い切って言うことにした。
「私、真衣と仲直りしようと思うってこないだ言ったけど」
「言ったね」
「真衣忙しいから、とりあえずLINEで時間とってもらえるようお願いして……そっから何話せばいいか考えてるとこ」
時刻表を何気ない様子で眺めていた沙紀がこっちを見る。黒い、リスのような瞳。
「謝って、改めて前みたいに、ううん前以上に仲良くなりたいことは伝えるつもり。だけど根本には私と真衣の家庭環境の違いもあるし、いろいろ難しいなって思ってて……私があの時『真衣よりの方が大変だな』って思って見下した、っていうか、真衣がそう、思って」
言葉が途切れた。
ああ、私、まだ自分を取り繕うとしている。友達に自分の非を認めたくないんだ。私のせいではないと言ってもらいたい。だから「私は悪くないんだけど真衣がそう受け取ったから」という言い方をしようとした。これは印象操作だ。
テストだから、と問題そっちのけで気持ちに蓋をし続けて、いざ相談しようと開けてみたらこの調子だ。全然成長してない。
本当にそれでいいの?
当事者でない沙紀に対してこんな調子で、真衣にちゃんと話せるの?
沙紀は何もかも見透かしたようにこちらを見ている。責めているわけではないとわかっている。気持ちが読まれているように感じるのは、私がそんなふうに勝手に思ってるだけ。読まれてはまずいことがある、その事実から私は目を逸らしてはいけない。
「……ううんやっぱあのとき私『自分のがマシだな』って思ったのは事実だ。そこ、謝らなきゃいけないんだ」
はぁ、とため息。汗をタオルで拭く。苦しいのは夏の暑さのせいだけじゃない。
「ごめん、相談しようと思ってたんだけどまとまってないや」
「そうだね……なんていうかな」
沙紀も言葉を探しているようで、手持ち無沙汰な私はリュックの紐の長さを調整し始める。
「お互いの環境はもう私たちがどうこう言って変えられるものじゃないよね」
沙紀が言うと重みがある。彼女の通ってきた道は、亡くした母は、もう取り返しがつかない。家族の形は完全に変わってしまった。
「そうだね」
なるべく明るく返そうとしたのに声が暗くなってしまった。
「私は結花にそのまま私の話を受け入れてもらってよかった。ただ、真衣はちょっと忙しくて、いっぱいいっぱいになってた。多分今もそう。心の余裕がないと思う」
「うん……そうだね」
そのいっぱいいっぱいの状態の真衣に、追い討ちをかけたのは私だ。あの噴水広場で放った言葉は戻らない。
「もしかしたら、さらに喧嘩になるかもしれない」
沙紀の言葉にぎゅっと手を握る。はっきり言われて実感した。
一番恐れているのはそれだ。
今、詩織がいうところの「仮面夫婦」状態でも、4人でいるお昼はあたりさわりのない話ができる。真衣がトップクラスに行ってしまったらそれもかなわない。かといって、彼女と話をして、こじれてもう二度と口も聞かないことだって考えられる。
仲直りしようと話し出したら、もうきっと仮面はつけられない。
「それでも、さ」
手に触れた感触があった。
ぎゅっと握った結花の手に、沙紀の手が触れていた。伝わる熱で、固く握った手が、そして心がほぐれていく気がした。視線を上げると、真剣な眼差しの、少し日に焼けた沙紀の顔があった。
「それでも、思うこと全部、ぐちゃぐちゃでも話すといいよ。最適解なんてないよきっと。反論してくるだろうけど、真剣に聞いて、応えていくしかないよ」
手がそっと離れる。
「……本当はいっぱいいっぱいになってるときほど、支え合いたいよね。友達なんだからさ」と照れ臭そうにやや早口で言って、沙紀は軽く笑った。
「そうだね。私、真剣にぶつかってみるよ」
苦しくても、動かなければ得られないものがある。
「あ、バスが来た」
沙紀が指差す陽炎の向こうに、黄緑色の車体。じりじりと暑い中、バスの輪郭が徐々にはっきりしてきた。
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