第6話 ヒミツを明かす
「沙紀!」
高校近くの最寄り駅。青信号で歩き出した一団の中に、見覚えのあるショートカットの小柄な女子がいた。
登校途中に見かけたのは幸いだった。今なら他のクラスメイトに見られずに渡せる。
「これ、ありがとう」
むき出しだとよくないなと思って、母のタンスにあったポチ袋に千円札を包んできた。沙紀は一瞬きょとん、として、それからポチ袋の中身を察したらしく「ああ!」と言った。
「そんなに急がなくてもよかったのに」
「いや、でもお金大事だから」
沙紀は微笑む。横に並び、二人は歩き始める。
「今朝は雨じゃなくてよかったね」と言いながら、他愛もない話題を交わす。
「昨日オムツ持ってたよね?」なんて聞いてこなかった。真衣だったら「結花テンパリすぎ!もーこの世の終わりみたいな顔してたよ!」って笑いながら茶化してきただろう。詩織は「おじさん、睨まなくてもいいのにねー」とフォローしてきてくれただろう。
でも、家のことを話してどんな反応されるかわからない。
こわい。
「今日体育あるけど、この空模様なら外かもねー」と沙紀。
「そだね、体育館蒸し暑くてやだったからまだよかったー」と相づちをうつ。
「ま、私運動神経よくないし、正直ほかの教科と変えたいくらいだけどさー」
しばらく話して、沙紀はあえて聞かないでいてくれるのだ、と気づいた。大人しくやることがゆっくりの沙紀。リスのようなつぶらな瞳で、いつも相手をよく見て言葉をくれる。
……受け入れて、くれるかな。
口を開くのには勇気がいった。小学校のときの近所の目。心ない言葉の記憶が、耳元で繰り返される。
でも困っている時にお金を貸してくれて、今もこうやって無理に根掘り葉掘り聞かないで、親切に接してくれた友達に、隠し事をしている自分の心が、恥ずかしくなった。
なぜか光の満面の笑みが脳裏をかすめた。
「ねーね!」
やんちゃで、いたずらばかりで振り回されるけどまっすぐ飛び込んでくる、私の弟。
ねーね、がんばるよ。
「あの、さ」
高校が見えてきた。急かされるように言葉を続ける。
「昨日びっくりしたでしょ、あのオムツ。実はさ、私一人っ子の普通の家族みたいに話してきたんだけど……」
沙紀は黙っている。こっちを見ているのだろうか。
結花は顔が見れない。道の先を行く人のかかとに目が釘付けだ。反応が怖い。怖いけど……言ってしまえ!
「お父さん、私が小さい時に死んじゃってさ。それから母子家庭で、中学のときにお母さん再婚したの。家には20代の新しい父親と、2歳の弟がいるの。あのオムツ、弟のなんだ」
一息に言った。変な汗が出てきた。
「……引いた?」
「弟のオムツ買ってたなんてエラいじゃん」
「えっ」
ほめ……られた?
驚いて横を見ると沙紀はいつもの微笑みを浮かべている。
「写真ある?よかったら見せて」
「あ、うん」
光が大きな口を開けてごはんを食べようとしている元気いっぱいの写真。昨夜撮ったばかり。
「光、って言うんだ、
「かわいいね、ふふっ、大きな口開けてる」
その途端、結花はどんな顔をしたらいいか分からなくなった。目の前にとんでもなく広い花畑が開けたような衝撃。胸がふわふわする。あったかい不思議な感触。
結花の生活環境を変えて、いたずらばかりして……でも、確かに光はかわいい。
今朝にぎった小さいぷよぷよした手が思い返される。
「そう……なんですかわいいんです私の弟」
「なんで急に敬語」
沙紀が笑う。
なんだろうこれ、にやにやしちゃう。照れてるのかな私。
「いやーお母さん、デキ婚でさ、いい歳して恥ずかしいんだけど」
あ、やば、言わなくていい事まで。
受け入れてもらえたからと調子に乗ってしまった。
「別によくない?ご飯美味しそうに食べてるから幸せなんでしょ」
「……今余計な事言っちゃったって思ったんですけど、
「だからなんで敬語、そしてフルネーム……あ、あとさ」
今度は沙紀が何やら言い淀んでいる。珍しい。私は大人しく言葉を待った。
高校の門が迫っている。時間が止まればいいのに。
そこでようやく、沙紀が口を開いた。
「亡くなったお父さんは、優しかった?」
「お父さん?」
聞かれるなら母子家庭か今の家庭についてだろうと思ったのに意表をつかれた。
「えと、私は覚えてないけど、お母さんはいい人だったって言ってたよ」
「そう……ならよかった」
沙紀は、ふぁあ……と1つ大きなあくびをした。
「どしたの?寝不足?」
「昨日買った本が面白くて」
そういえば。昨日会ったあの改札口近くに本屋があった。解散してからしばらく経ってるのに沙紀に会ったのは、本屋に寄ってたからなんだ。本好きの沙紀は図書室にもよく行くし、話題になってる本はいつの間にか持ってたりする。ハードカバーはかっこう値段するから、親御さんも本好きなんだろうかと思っているが直接聞いたことはない。
靴箱が見える。ああ、もっと話したいなぁ。
流行りのスイーツや学校の先生のことばかりじゃなくて、沙紀がどうしてすんなり受け入れてくれたのか、普段何考えてるのか、もっと知りたい。
「結花ー! 沙紀ー!」
そこに手をぶんぶん振りながら詩織がこちらに向かってきた。
「言いづらかったのに、話してくれてありがとう。うちも色々あるんだ。私が話したい時話すね」
沙紀が早口でしゃべる。
「あ、うん!ありがと!」
「よかったー朝から会えて!ねぇ沙紀、古文の訳やってる?」
詩織はゆるいウェーブのかかった茶髪をふりふり、ちょっとぽっちゃりした体もふりふりしながら今日もご機嫌だ。
「やってるよ。代わりってわけじゃないけど、後で明日の英語の訳見せて」
「いいよぉー」
「あ、私も見たい」
詩織は英語が得意で、英語だけは予習も異様に早い。結花も途中までやったものの、引っかかるところがあって後回しにしていた。詩織の訳はとても綺麗で難しい文法もすとんと頭に入る。結花は安心した。
わいわいと話しながら教室に入る。気持ちが軽くなったからか教室まで明るく見える。あちこちに固まって話しているクラスメイトの間を縫って、窓際、前から2番目の自分の席に座る。とりあえずペンケースを出す。カバンを探って、ミニタオルを持ってきていることを確かめる。
にまにまと顔が緩む。
うれしい。
「エラいじゃん」
「かわいいね」
「幸せなんでしょ」
受け入れて、もらえた。
私の家族を、私のことを。
褒められるなんて思ってなかった。下手したら引かれると思った。でもそんなことなかった。
うれしい!
沙紀とも打ち解けられてよかった。もしかしてもっと仲良くなれるのかな。
詩織も、話を聞いてくれるかな。真衣も。
――瞬間、背中にぞくりと寒気を感じた。
結花は振り向いた。廊下側の後ろの席、そこは毎朝早く登校している真衣の場所だ。
真衣がこちらを見ていた。その視線。
結花は、どこかの本で読んだ「氷のように冷たい視線」というワンフレーズを思い出した。
普段から軽いノリで、明るい真衣が、見たこともない表情をしている。あれは。
――私、睨まれてる?
急に真衣の視線が途切れた。
廊下を通ってきた担任に気を取られたようだ。皆がざわざわしながら自分の席に戻る。担任が教壇に立つ。日直の号令で起立し、一同に礼を促す。
結花は「えっなんで睨まれてるの?」「なんかしたっけ」と、疑問符でいっぱいの頭を下げた。
さっきまでのうきうきとした気分はどこかに消え去っていた。
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