第7話 推しとパンケーキ

「進路考えてるの?」


学校で、街中で。世間は学生たちに問いかけてくる。塾の広告、どう生きるべきか説いたベストセラー小説。


まだ何者でもいたくない。何も考えずに楽しく過ごしていたい。もちろん現実はそんなわけにはいかず、受験の時は刻々と迫ってくる。


なにか選ばなきゃ。


けれど溢れる情報がまわりを取り巻く中、どれを選択すればいいのかわからない。

「昔は皆が観るテレビ番組ってだいたい決まってたのよ。次の日学校で盛り上がるドラマとか音楽番組とか。せいぜい1時間観ればいい方だったけど今はネット動画もあるし、チェックするの大変よねー」

母は好きなドラマの見逃し配信があるからとパソコンでビール片手に動画配信サービスの検索をしている。日曜日の夜21時すぎ。


「だから6秒動画とか流行ってるんだよ。時間をかけずにたくさん観れるから」

「もう仕事みたいね。ま、いろんな形がある分こうして私も録画してないドラマ観れるわけだけど。……あー!ビールが染みるわー!染み渡るわー!」


今日は光の寝かしつけが成功したらしく、「祝!杯!だー!」と勢いよく飲んで母はご機嫌だ。


俊樹は本を片手にコーヒーを飲んでいて、結花は空になったコップを持って台所に降りてきたところだった。母から登録の仕方を聞かれて教えて、コップをシンクに持っていく。


「結花ちゃん、そのままでいいよ」

コップを置いたコン、という音で顔を上げた俊樹が言う。

「や、洗い物溜まってるの好きじゃないから洗う」

「えらいなぁ」

その言葉を聞きつけて、イヤホンしているはずの母が反応する。

「そうでしょうー!私の娘だもの!!」

晴香はるかさんもえらい!!」

「えへへ」


なんだかまだ新婚気分らしいうちの両親。

飛び交うハートが目に見えるようだ。

コップを洗いながらやれやれ、と結花は思った。


いいなぁ、大人は。

母は大手商社、俊樹は小さい広告会社に勤めている。これから光が成人するまで働きながら子育てする道筋が見えている。結花は何も決めていない。


「はいはい、ごちそうさまー」

言い残して自室に戻る。ケータイにLINEの新着メッセージ。

「もうマジ祐樹くんカッコよすぎー!」

誰から着たか、すぐにわかる。詩織だ。若手アイドルグループの推しの画像や動画を、時々送ってくるのだ。音楽番組に出演することは金曜日はしゃぎながら話していた。


結花はどちらかというとドラマに出る実力派俳優の方が好きで、「これ、私の推しをあなたも好きになってね、ってことなのかな……?」と高一の春頃は対応に困っていたが、どうやらそういうことではないらしい。むしろ「結花まで好きになられたらライバルが増えて困る」とまで言う。


じゃあなんで画像や動画を送ってくるのかというと、そこは「私明日テンション上がってるけどそこはこういう場面を観ちゃったからよろしくね」という意味合いが強いらしい。よく分からないけど楽しそうだからいいか、と結花は思う。


「0:52のサビ前の振りがやばい。もはや存在が犯罪。ファンを殺しにかかってる」

メッセージの数秒後、床を悶え転がるうさぎのイラストスタンプが続く。


とりあえず該当部分だけ観ると、確かにカメラ目線で艶めかしく指を動かす様は観ている者をドキッとさせる色気があった。しかし犯罪だの殺すだの、ファンの愛を語るには物騒な言葉だ。普段ほわほわとしている詩織とのギャップがおかしい。


「とりあえず生きてまた学校で会おう」と返信しておいた。いいね! のイラストスタンプ。


彼女が語るのを聞いているのはとても楽しい。それは詩織の目がキラキラしているからだ。気にしている体重のこと、数学の成績のことを語るより、祐樹という手の届かない一個人への愛を語る時、詩織の熱量を感じる。圧倒されるほどだ。


そんなものを見つけられたら。その上進路に直結すればもちろんいいんだけれど。


「とにかく今は目の前の予習かぁ……」


明日は数学の小テストがある。苦手なのでとても嫌だ。あんまり悪い点数だと再テストになる。


真衣なら楽勝なんだろうなぁ。春の実力テスト、学年5位だったって言ってたっけ。


真衣のことを思い出すとすぐ暗い気分になる。睨まれたのは金曜日の朝。昼は「今日学食なの」と言い残してさっさと移動し、放課後は職員室に呼び出しとのことで、結花はいつもの駅チカまで3人で帰って解散した。そのとき詩織にも家族のことを言って、沙紀のとき以上にすんなり受け入れてもらった。


「祐樹くんも母子家庭なんだって~。父親がいない分、家のことを2人でやってきて、だから仲がいいし母を尊敬してるって、いい子だよねぇ。あ、でも今は若いお父さんと2歳の弟がいるんだ!いいねー!祐樹くんも小さい子好きって言ってたよー!」


途中から論点がズレているような気がするけど、とにかく結花は詩織の推しに感謝したのだった。


家のことを言ったら、気分がすっとした。友達に嘘をついて過ごしてきたのはよくなかったんだな、と改めて思った。精神的に楽になったし、トイレで鏡を見ると表情が明るくなったようにさえ思う。

こうなったら真衣にも言ってしまおうか、と思っているのだけれど。


職員室への呼び出しのことも、先に帰ってていいことも、席が近い詩織が聞いていた。結花はその日、真衣とろくにしゃべりもしなかった。


土日もあの視線が気になっていたけど、週末、真衣は塾でLINEグループになかなか顔を出さない。流行りものが好きでお金を惜しまない真衣は、派手な印象はある一方、結花たちグループの誰よりもテストの点数が高く、真面目な一面もある。


そんな真衣に、睨まれるようなこと……なんかしたかなぁ。


椅子にもたれて前後に揺れてみたが、思い当たることはない。


気にはなるけど、本人と話をしないと何とも言えないか。


気分転換のため大きく伸びをして、結花は勉強の続きを始めた。


月曜日のお昼休み。

4限目の数学の小テストはそこそこの点数だった再テストを免れてホッとする。

隣同士の沙紀、詩織の机をくっつけて、周りに断って椅子を借り、いつもの4人組でお弁当を囲んだ。真衣はいつも通りのように見える。


「ねぇ、今週どっかで帰りに新しい喫茶店行かない?こないだ見かけたんだ」


務めて明るい声で言う。いつも真衣が誘ってきて、皆がついて行くパターンが多いので、今度はこちらから誘ってみた。詩織が「どんなお店?」と聞いてきたので昨日検索したページを見せる。


「なにこれ!?パンケーキ超ふわふわじゃんおいしそー!」

甘いもの好きの詩織と、

「1,350円はちょっと高すぎない?……あ、でも飲み物頼むならシェアしていいって書いてあるね。えっトッピングに抹茶ソース、あんこも選べるの?」

どちらかというと和菓子が好きだという沙紀が声をあげた。ケータイに表情されているのは、周りにフルーツと生クリームで縁取られたパンケーキだ。カラフルな色彩が食欲をそそる。真衣の反応もいいのでは、と思ってチョイスしたのだ。

ところが。


「ごめん、私パス」

真衣はあっさりパスした。


「今週、レナのアルバム出るからお小遣いとっておきたいんだよね。あとこれから塾の時間増えそうだからしばらく放課後付き合えないかも」


レナは音楽チャート入りの常連、18歳の歌姫だ。映画やドラマの主題歌にもよく曲が使われている。詩織ほどの熱量はないものの、真衣はアルバムが出る度購入していることは結花も知っていた。ただ、それを理由にお金を出し渋ったことは1度もない。沙紀も「そうなんだ」と言いつつ不思議そうな表情を浮かべていた。


真衣は「ごめんだけどアルバム楽しみだからさー」とにこやかに話しているのに、よくよく見ると目が笑っていない。結花が見ているのに気づき、真衣はお弁当に視線を落とした。――やはり、避けられているのだろうか。


「そっかぁー残念!」詩織ががっかりしている。

「3人で行ってきたらいいじゃん」と軽く流し、真衣は目を伏せる。


なかなか2人になる機会がないまま――それから1週間過ぎた。真衣とは正門で別れるようになり、3人で帰ることにも慣れた。


パンケーキは「オープン記念の期間限定でトッピング追加1つ無料」の特典があったので結局3人で土曜日行くことにした。


パンケーキの日はあいにくの雨。朝から外が暗い。

まあ梅雨だししょうがないかぁーと思いつつもどよんとした気持ちになる。朝から光に味噌汁をぶちまけられパジャマにかかってどよん。服を選ぶ時も窓の外の雨音でどよん。

詩織、沙紀と駅前に集合して、あちこちで服や雑貨を見てもまだ少し憂鬱だった。


だけど、そんな気持ちもお店についてお目当てのパンケーキが来るまでだった。

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