第3話 暴走列車が走りだす
忘れもしない、3年前の春。当時、結花は中学2年生になったばかりだった。
「紹介したい人がいます」と母に言われて、あの頃住んでた古いマンションに俊樹が訪れたのが始まりだった。
「はじめまして、山内俊樹といいます。あの、結花さんのお母さんと、お付き合いさせてもらってます」
居間に日が差す日曜日の午後。緊張して待っていた結花の前に現れたのは、どう見ても20代の若者だった。
「えっ若っ」
いやいや、お母さんいくつだったっけ、私を産んだのが27って言ってなかった?こないだアラフォーにはキツいわーってなんかのとき言ってなかったっけ。
「あとね、もう1つお知らせがあります」
結花の隣に母が座る。体ごと結花に向けて、まっすぐ目を見つめてくる。
嫌な予感がした。
こうやって座る時、母は大事な決め事をしているのだ。塾の講習とか、引越しとか、転職とか。
しかも「相談があって」と切り出される時も、もう母の中で結論は決まっていて、その計画に否応なく結花は巻き込まれてきたのだ。
今回は……何?
「結花に弟か妹ができます」
「えっ」
「赤ちゃんができました。先週シンパクが確認できたの!産みます!」
「えっえっ何シンパクって」
「結花ちゃん、僕頼りないけど頑張るから、お母さんと結婚させてください!!」
「え―――!?」
心の準備が追いつかないんですけど。今日は「お付き合いしてますよろしくね」くらいだと思ってたんだけど。しかも若いし2人ともなんか浮かれてるし……赤ちゃん!?
惚けていると、2人はどんどんたたみかけてきた。
「そんでね、もう来年には産まれるし家買おうと思うのよここ4人家族には狭いし」
「実はもう土地も見つけてるんだ、ここから2駅遠くなるんだけど住宅メーカーにいる知り合いが、二階建てのモデルハウスをすぐ入居するならちょっと安くしてくれるって」
「引越しは安くなるから平日に有給とるから」
「あっ、僕家事できる人だから!結花ちゃん、来年は受験生でしょ?その頃は赤ちゃん産まれて色々と生活変わるけどなるべくストレスにならないようサポートするからね!」
幸せ暴走列車二両連結と化した母&新しく父になる人。
結花はその日の夜、子供の時以来の知恵熱を出した。体が丈夫なことだけが取り柄なのに。
熱でぼうっとする頭で検索をかけたら、母の言ってた「シンパク」は心拍のことだとわかった。心臓の音が確認できたので妊娠報告をした、ということらしい。
「説明が足りない……」
あと理解する時間とか、心の準備とか、もろもろ足りてない気がする……。
とりあえずわかったのは、新しい父親も母と同じく、思い立ったら一直線行動あるのみの人だということ。
結花はもう幸せ暴走列車の1番後ろに連結されていて、彼らの行く方向についていくことしかできないということ。
時間は容赦なく進む。
振り回される生活は、一昨年の日曜日の午後から今に続いている。
心配も不安もあったけど、俊樹は本当に家のことをやってくれて、それまで帰りの遅い母の代わりに家事をしてきた結花としてはとても助かった。でも一昨年知り合ったばかりの若い男の人が家の中にいるのに慣れたとは到底言えない。
母は産休育休をとって職場復帰し、出産前以上にバリバリ働いている。昔から仕事一筋でかっこいい母。でも「光くん!ママって言えたね!もっかい言ってごらん!ほら!まーま!」ととろけそうな笑顔でしゃがんで光に一生懸命話しかけてる声は甘ったるく「私の憧れてたアラフォーはどこへ……」いう気分になる。あの甘さは若干ぽっちゃり体型の詩織がよく飲んでる激甘ミルクティーと同じ土俵に立てるんじゃないだろうか。
そして、光。
産まれたばかりはどこもかしこもふにゃふにゃで触るのも怖いくらいだった弟は、まだ2年しか経ってないというのに、もうどこもかしこもむっちむちだ。
美術の教科書で観たことある、ヨーロッパの絵画で女神のまわりでラッパ吹いたり花びらをまき散らたりしてる天使そのままの容姿をしている。よく食べてお尻むっちり、お腹ぽっこり。
肌はすべすべで、毛穴ひとつ見当たらない。
こちらは受験と家庭環境が激変したおかげで一時期肌がすごく荒れたというのに姉の悩みなどどこ吹く風だ。
見た目は可愛いんだ、見た目は。
でも、ときどき怪獣になるんだよなぁ。
夕食(ハンバーグはけっこうおいしかった)を食べて、シャワーを浴びて、代わり映えのしない下の上くらいの顔とにらめっこ。おでこのニキビが気になるけど潰すのは我慢。ずっと見てても綺麗になるわけではないのでほどほどで切り上げる。
さて2階に上がるかと学校のバッグを持ったところで。
2階から、不審な音がした。
階段のベビーゲートが開いている。
結花は勢いよく階段をかけあがった。自室のドアが開いている。部屋の電気をつける。
そこには光がいた。
きょとんとした顔でこちらを見つめ、「ねーね!」と笑う。
床に転がったケータイ。
そして光が今口から離したそれは――ケータイの充電器。
「こらっ!!」
慌てて取り上げる。充電器の端子が濡れて、コードがところどころ潰れている。
「えっえっ嘘でしょ」
とっさに肩にかけたタオル、その乾いた部分で端子を拭く。ケータイを差し込む。
いつもならヴン、と微かな音と振動がして充電のマークが画面隅に映るのに、なんの変化もない。
やられた。
光は怒られたとわかったらしく、ふぇーん!と泣いている……真似をしている。よく見ると涙が出ていない。
何をしたかわかっていないのだ。
充電器をダメにされたのはこれで2回目。最初は1階で使ってる時で、ベビーゲートもあるし階段はまだ上れないだろうとタカをくくっていたのに。
結花は光をにらみつけた。
「光!何したかわかってんの!?ダメでしょ!!」
小さな怪獣は目を見開き、眉毛が8の字になり、下唇をつきだし、
「ゔあああー!!!」
今度こそ本格的に泣き出したのだった。
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