第37話 家族のかたち

 デザートを食べながら話を聞いた。手短に落ち着いて話してくれたのは俊樹の方だった。

 三人目はいないこと。

 光が三歳児検診で言葉の遅れを指摘され、療育という子供の発達を支援する施設に通わせることを考えていること。

 実は晴香と俊樹の二人で、そういう施設をあちこち見学していたこと。

 療育施設のスタッフが保育園まで送迎してくれて、活動は午前中だから結花の生活には支障がないこと。

晴香はまだ機嫌が悪く、口数が少ないながらも時折フォローを入れていた。

大体の候補が決まり、申請を出す段階で結花に相談したこと。四者面談が終わるまで待っていたこと。

 思いもよらない話に、結花は「へえ」「そうなんだ」ばかり言っていた。

「で、あんたはどう思う?」

 コーヒーを飲み終えた母に聞かれて、面食らった。

「え?」

「光が療育に行くの」

「もう行くの決まってるんでしょ? なんでそんなこと聞くの」

 大人はいつだって勝手に決めているじゃないか、と内心思う。すねるような気持ちがあった。

「光のためには、行かせるべきだと思う。だけどそれをあんたがどう思うかってのはまた別の話よ。できれば結花にも納得して、前向きに見守ってもらいたいっていうか。強制しているわけじゃないけど、応援してもらいたい、かな」

「応援……」

 母の目が、少し潤んでいるのに結花は気づいた。さっきまで自信満々だったのにずるいと思う。

 まだ事情を聞いたばかりで実感できないけど、両親の結婚を聞いた時とは違う想いを自分の胸のうちに感じる。あの時は自分しか見えていなかった。今は母の表情に、奥にひそむ不安を感じられた。なぜだか「自分でも力になれる」と確信した。

 結花はできる限り、母を安心させられるよう笑顔を浮かべた。

「うん、応援するよ。光の……可愛い弟のためなら」

「ありがと」

 母はにこりと笑い、「そろそろ出ましょ」と伝票を片手に立ち上がる。


「光にはこれから話すんだ。まだ意味がわからないだろうけど、環境が変わるともしかしたら夜泣きをしたり、甘えたり、かんしゃくを起こすかもしれない。受け止めきれないときに、優しく見守ってくれたら嬉しいな」

「うん、そうする」

 支払いを待つ間に俊樹が言ってきた。

 若い父親は家に来た時より、もっと大きくなった気がした。



 あっという間に夜になる。結花は布団にくるまり、目をつぶる。考えることが、今夜も多い。

 あんなに心配していた四者面談もあっという間だった。

 

 成績のことを光のせいにされたくはなかった。今思い出しても悔しい。もっと勉強しなきゃな、と思う。それから自分を囲む壁のことを思った。

 真衣とのこと、沙紀のこと、母とのこと。世間から隔離されていると思っていたのに、皆なにかしら壁はあって、囲まれた中でどうにか戦って、生きている。ふりまわされるだけじゃなくて、今結花はどんどん大きくなって、生き抜く力をつけているところで、きっと大人になる頃にはそこらへんからうじゃうじゃと、同じように悩み考えている人たちが出てきて、今度は社会という枠組みの中で生きることになる。

 

――私には私の考えしかわからないから、世界の中心でどん底にいるように思っていたけど、そうじゃなかった。壁があるからと言い訳してきちんと向き合っていなかったのは私自身だった。

 だって私は真衣のことだってよくわかっていなかった。お金に不自由していなくて、頭がよくて、うらやんでばかりで真衣の気持ちを置き去りにしてた。だから衝突した。仲直りできたけど、でもこれが大人だったら? 

 真衣とは、同じ学校の同じクラスに通っているからまだ仲直りできたんじゃないだろうか。教室の中、毎日顔を合わせて、どうしても気になって。仲直りしたいという気持ちはもちろんあった。

 だけど真衣だって違うクラスに行く。大人になったら、そのまま離れてしまう人もいるかもしれない。もう二度と口を聞かない人だって。

 そもそも実の父親とだって、死に別れてしまった。

 自分で頭に浮かべた「死」のイメージにぞくっとする。どうしてだか、これまでの人生で一番、父親の死を実感した瞬間だった。小さい頃亡くなって、母と二人で生きることに気を取られて、四人家族になった。それについていくのに必死だったけど、ある日自分のせいがぷつんと途切れることもあるんだと思うと結花は恐ろしくなった。

 修復可能な関係だって、死んだらそれまでだ。

 唐突に松崎君の顔が浮かんだ。浮かれてばかりだけど、彼との1年後はどうなっているのか想像もつかない。

 

 母も、俊樹も、光も、京香も。自分を含めて誰も彼もいつ終わりが来るのかわからない。怖いと思う反面、今ある絆が急に光り輝く尊いものに思える。


 感情の落ち着くところがないまま、結花はいつの間にか眠っていた。

 自分の背丈よりもっともっと大きな白い壁に四方を囲まれている夢を見た。じわりじわりと狭まってくるそれは怖かったけど、「外が見たい」と思って叩く。叩き続ける。びくともしない。両手を壁につく。汗が流れる。

「ねーね!」

 振り向くと、光がいた。

「光」

 弟は大きなお腹の上に、にこにこと笑顔を浮かべている。

「……うわっ!?」

 急に壁が倒れた。一面が崩れるとまるでそれが鍵であったかのように、四方の壁はガラガラと崩れた。勢いあまって地面に四つん這いになる。

「あいたた……」

「なにやってんの、結花」

 手が差し伸べられた。

 見上げると真衣が微笑んでいた。

「ほら」

「ありがとう」

 真衣の白い手を握って、結花は立ち上がる。いつの間にか光はいなくて、瞬きの間に周囲の景色が変わる。あの神社の境内に。

 セミがうるさい。だけど、あそこで仲直りできてよかった。


 目が覚めたとき、結花の頭はすっきりしていた。

 頬にはうっすら涙を流した跡があった。



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