第35話 打ち上げ
一時間後。
「四者面談、お疲れ様ー!!」
そのまま帰るのかと思いきや、結花たち三人はあれよあれよという間に駅前のイタリアンレストランに入っていた。正確には晴香に引っ張ってこられた。
当の本人は「雑誌で紹介されてて、来てみたかったのよね」とニコニコしている。午前中を希望したのって、まさかこっちの方がメインだったんじゃないの、と結花はひとりごちた。でも店の雰囲気が良く、面談の後のごほうびのようで悪い気はしなかった。暖色系の明かり、赤茶色の壁には絵画、本棚に外国語の本。まるで外国に来たみたいだ。さっきまでの教室の固い雰囲気とは違う。
ランチセットで各々好きなパスタを選ぶ。お冷がすっきりした味で、見るとガラス製のピッチャーにはレモンが沈んでいた。こういうお冷もあるのか、と結花は小さな発見をする。一つ大人になった気分。見上げれば音もなくシーリングファンがゆっくりと回っていた。
注文を済ませた後、俊樹の携帯が鳴った。「あ、ごめん仕事先からだ」と彼は席を立ち、母と二人になる。
「結花、今日言い足りなかったことない?」
母は真剣な顔だが、結花は思わず笑ってしまった。
「ないよ、それより昨日はお母さんが席外して今日は俊樹さんがいなくなって……なに、このシステム。親による二者面談みたいな。昨日のトイレもわざとだったりしないよね?」
「何言ってんのわざとじゃないわよ。そんな演出してないわよ」
母は口をとがらせる。でも「確かにタイミングいいわね」と目が笑っていた。
「言い足りなかったことはないけどさ、なんかごめんね。もっとしっかり考えておけばよかった」
まだ将来何をやりたいかも決まっていないですけど、と前置きして地元の大学とか、聞いたことがある大学名を挙げてみたところ、担任に「学部にもよるけど、今の成績だと正直厳しいです」とバッサリ言われたのだ。
「いいのよ、そんなもんよ。あの先生、去年はトップクラス見てたらしいから厳しいんでしょ」
母は平然とお冷を飲む。
「そうなの?」と結花は驚く。どこから情報をつかんでいたのだろう。仕事と家の往復しかしていないようでいて、母の情報網は侮れない。
しかしそうなると、自分のクラスからトップクラスに行く生徒がいて、その友達がこんな調子では一瞬顔をしかめたのにも納得がいく気がした。
「でも、光のことまで言われると思わなかった」
成績のことより、むしろ最後の方で言われたことが結花は引っかかっていた。
担任は一通り成績や大学の話をした後、おもむろに俊樹の方を見て言った。
「今3歳の子供さんがいるんですよね。走り回ったりして元気でしょう」
なんでここで光のことを言われるんだろう、と結花は晴香と目配せをした。なんだか雲行きが怪しいぞ。
俊樹はなんの疑いもなくニコニコして、「そうなんです、すっごく元気なんです。結花ちゃんもよくお世話してくれて助かっています。優しいですよね」とこちらが恥ずかしくなるほど親バカを発揮した。義理の娘にまで親バカ発揮しなくてもいいのだけれどと少し照れくさくなったとき、担任が咳払いを一つした。
「それはいいですね。――にぎやかで勉強できない環境ってことはないですか?」
その問いかけは、ざっくりと結花の心を裂いた。確かに、光がいる我が家は騒がしい。まとわりつかれて、持ち物を壊されることもある。だけど。
「そんなことないです!」
自分でもびっくりするほどの声が出て、結花は驚いた。両親と担任の注目を集めてすぐに小さくなる。
「……勉強できてないとしたら、私の問題だと思います。弟のせいってことは、ないです」
少しの間、沈黙が下りる。
「そろそろ時間ですね。次の方が待っているんじゃないです?」
晴香が助け舟を出し、担任はやや早口で、「帰宅部ならもっと勉強に時間をあてて二学期はがんばりましょう。この夏休み中、塾に模試だけ受けにいくのも雰囲気が味わえていいと思います」と言って、面談は終わった。
「光のことまで持ち出すことないのに」
結花はむくれる。勉強しなきゃいけないのも、将来のことを考えなきゃいけないのもわかる。だけど光に会ったこともない担任に、あんなふうに言われなきゃならないなんて。
「ヤングケアラーもニュースになってるからね」
どきりとした。結花もニュースで見たことがある。小さな兄弟の世話や介護に追われて教育が満足に受けられない、結花と同じくらいの年の子たち。勉強に打ち込めなかったり、部活動ができなかったりするという。イメージ映像が流れる中、インタビューされた実際のヤングケアラーの音声が流れて、内容もさることながら疲れた調子の声に胸が痛んだことがあった。それでよく覚えている。
「私、自分のことあんなふうに思ってないよ」
「知ってる」
母は流したが、結花は自分で言った言葉に傷ついた。気を付けようと思ったのに、また私は見下しているんじゃないか。
「先生だって心配して聞いたのよ、家の中のことは外からじゃ見えないから」
「うん……」
いつだったか、祖母に言われたことを思い出す。「最近は再婚相手から虐待を受ける子供もいるから」と言っていた。その手の話はいつもニュースの中で聞く。
でも、結花がそうじゃないか、と周りの人から思われるくらい、実はもっとありうることなんだろうか。綺麗で、お金に不自由していなくて強いと思っていた真衣でさえあんなに苦しい想いをしていた。
急に、「自分は恵まれている」と感じた。安心できる家があって、楽しいばかりじゃないけれど友達だっている。彼氏もいる。
見下した分、何かそういう子たちに、できることがないか、それで罪が償えないか。いや、こんな気持ちで何かしてあげようなんて、そういう子たちに失礼なんじゃないか。でも、何もしないより、思惑はどうあれ動いてあげた方がいいんじゃないか。
――落ち着け私、急いで進路を決めようとして、都合のいいように道筋を立てようとしてない?
ただ目の前のものに飛びつこうとしてない?
あれこれ考えて下を向いているうちに、二人分のサラダとスープが運ばれてきた。
ああそうだランチだった、と思い出す。
「結花、あんたはあんたなんだから。光がいようが成績がどうだろうが、やりたいことやっていいし、やりたくないことはやらなければいいのよ」
「お母さんはいつも自信があっていいなぁ」
つい、こぼしてしまう。こんなに言い切るような自信のあるものを結花は持っていない。すぐに流されるし影響を受ける。
「お父さんが死んだ時からね」
「え?」
「お父さんが死んでから、もちろん悲しかったけど、本当に人間っていつ死ぬかわからないなって思ったのよ。皆悔いのないように生きなさいって言葉では言うけどね、実際やろうとしたら、もう日々の選択一つ一つを自分に真剣に聞くから大変。ただ、自分で選んだら自分で責任とれるからね。私が自信を持っているように見えるなら、その結果なんでしょうね」
晴香は結花をまっすぐ見つめる。結花は目まいのような感覚に襲われた。急に母が知らない人のように見えたのだ。家族ではない、ただ40年以上生きてきた一人の人間に。
父のこともそんな風に考えたことがなかった。結花にとって父はずっと父だった。母が感じたように、父にも一人の人間としての人生があった。
「でも、全く自分の立場を考えないわけにはいかないでしょ? 受験もお金がかかるし……」
具体的にいくらか知らないけど、入学金だって学費だってかかるだろう。
母は「あんたのためならどうにかするから」と間髪入れずに言い切った。
「ただ、勉強しろってうるさく言いたくはないけど、成績が上がれば選択肢は増えるからね。自分で道を狭めたくないなら努力しなさい」
「はぁい」
母はスープが冷めるから、とそれだけ先に食べ始めた。俊樹はまだ戻らない。
思い切って聞いてみることにした。
「お母さんは、周りとの壁って感じたことある?」
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