第18話 沙紀の家
「ここで降りるよ」と言われた駅は、高校の最寄り駅よりも賑やかな街にあった。降りてすぐ、大型ショッピングモールが目につく。
「便利そうだね」
「そう?あんまり寄り道しないから」
沙紀の家は、そこからバスに乗って15分。バスに乗ると外の様子はどんどん変わり、住宅街が広がっていた。
規則正しく並ぶ街路樹。ひび割れた道路には補修工事の後がある。新しい住宅もあるにはあるが、ほとんどが古い家のようだ。今通り過ぎたお家なんかまだまだ住めそうなのに空き家みたいだった。ここを沙紀はいつも通って来るんだ。
「ねぇ、朝何時に出てるの」
「朝は6時には出てるかな」
「はやっ」
「ラッシュ避けたいし。うち皆早起きなんだよね」
「そうなんだ……すごいね」
「でも部活動やってる人達のが早いよ。7時にはもう走ってたりするじゃん」
「あ、そっか」
「私は駅着いたらだいぶゆっくり来るし」
私の知らない世界だ、と結花は思う。今から行く家で沙紀は起きて、あの賑やかな駅から高校の最寄り駅に向かうのだ。
違う人生を送ってきた2人が、高校で出会う。それは奇跡のようにも思えた。
高1の4月、まだ入学して初日は皆がそれぞれ様子を伺っているような感じで、詩織と真衣は同じ中学ということからなんとなく一緒にいるみたいだった。
沙紀は物静かで大人しい。それでも席が近かったことからお昼を一緒に食べるようになり、少しずつ話をするようになった。
光は1歳でまだまだ手がかかり、両親も寝不足になりがちで今よりもっと家のことをしていたと思う。そのときはまだ家が普通じゃないことを言えなくて、でも沙紀とは学校の話だけしておけばよかったから気が楽だった。
沙紀と結花、真衣と詩織で行動していたのが、授業で4人組を作る機会があり、物怖じしない詩織が話しかけてきてから4人ずっと一緒に過ごしている。
今思えば、沙紀から自分の家族の話を聞くことはなかった。家族構成がどうなのか、どんな人達なのか。それが今日わかるんだ。
どきどきする。
バス停の通りをしばらく歩き、角を曲がったところ。2人は一際大きな家の横を通った。
白い土壁に灰色の屋根がついた塀伝いにしばらく進むと、古い一軒家の大きな門の前に出る。
「すごいね、ここ」
ドラマの代々続くお金持ちの家みたい。門の上には監視カメラがついている。セキュリティも万全らしい。こんなところにはどんな人が住むのかな、と思っていると沙紀が立ち止まったからびっくりした。
「ここ、私んち」
木の表札は2個あった。1つは立派な字で「
さわき?北川じゃなくて?
戸惑う私を沙紀が促す。
「入って」
入ると、本当にドラマの世界だった。まず建ってるのが1軒じゃなくて、真正面の母屋の他に左右に建物がある。小石が敷き詰められ、飛び石が三方向に別れて建物に続いている。道の脇にはあちこち松が植えられて、結花はテレビで見た日本庭園を思い出した。旅館とか、料亭とか、そんな感じの庭だ。
「立派なおうち……」
「古いだけだよ。母屋はそんなに広くないし。右の小屋はばあちゃんが書道教室に使ってる。先生なんだ。左は車庫。もう車もないけど」
へー、と言いながら母屋へと歩く。きょろきょろしていると、玄関へ出てきた人物に気づくのが遅れた。
「いらっしゃい、あなたが結花ちゃんね」
初老、と言っていいくらいの女性が立っていた。見た目からして、沙紀の祖母だろう。こんな外観の家だからてっきり着物の人が出てくるかと思ったけどTシャツにゆったりしたパンツ姿だった。首元に黒いゴムに見覚えがある。テレビショッピングで見かけた磁気のネックレスだ。
母も肩こりがすると言うけれどあれを着けるほどではない。年齢の差を感じた。
一息吸い込み、結花は背筋を伸ばす。
「初めまして、
深々とお辞儀をする。
「あらまぁ、ご丁寧に。私は沙紀の祖母の
沙紀の祖母が優しく微笑んだ。
手土産も結花のことも気に入ってもらえたようだ。
「私、母子家庭だからだらしないって思われたくないのよ。こういうマナーはいくつになっても役立つから身につけておきなさい」と教えこんでくれた母に心の中でハイタッチ。
うざい、めんどくさいと思う時もあったけど確かに「あそこは片親だから」とあれこれ言ってくる人はいたし、母子家庭でなくなった今でも、礼儀作法を身につけていてよかったと、こういう時感じる。
「さ、荷物置いてお菓子買ってきなさい」
智子さんは靴箱の上に手をついて、置いてあった封筒を差し出し、沙紀が受け取る。てっきり上がって沙紀の部屋に向かうと思っていた。
「ごめんなさいね、事前に準備しておけばよかったんだけど、沙紀が『一緒にわいわい言いながら買うのもやりたい』って言い出して。なんせうちにお友達が来るの初めてだから」
「あ、いえそんな」
ちょっと意外だっただけで全然構わない。
「じいちゃんは?」
じいちゃん、の響きに新鮮な驚き。素っ気ないけど自然体。沙紀は家族のこと、こんなふうに呼ぶんだ。
「将棋仲間のところ。あとで帰ってくるでしょ。あの人の分は、今田屋の水羊羹買ってきてくれればいいから。私もそれでいいわ、2つね。あなたたちの分は今田屋でもいいしアニバーサリーでもいいし。ついでに途中で冷たいものでも飲んできなさいな、結花ちゃんも」
怒涛の勢いで智子さんはしゃべった。明るくて身振り手振りが入る。
「お金持ってきてます」「いいから」としばらくやり取りしたが、結果的に結花が折れる形になった。
その後、「あら私ったら!行く前にちょっと飲んでいきなさい」と台所に足を引きずるように消えたかと思うと小さいガラスのコップに麦茶を入れて出してくれた。渡された時に湿布の匂いがした。足に貼っているのかもしれない。
麦茶は冷たくて、乾いた喉に染み渡っていった。
外に出ると、さっきより太陽が高く上り、じんわり汗が出てきた。そうだったと思い出し、折りたたみの日傘を広げる。
「沙紀も入る?」
「ん」と短い返事をして沙紀が隣に並んだ。
暑いからか人通りが少ない。蝉の声だけが元気。街路樹の上を見渡しても姿はないのにどこで鳴いているんだろうと結花はいつも思う。
「暑いね」「ねー」と言い合ってから、沙紀は困ったような笑顔を浮かべた。
「ごめん、普通こういうとき事前に準備するもんだよね。ばあちゃんも気にしてたんだけどさ、最近足を痛めててここんとこ引きこもってんだ。だから結花と一緒にお菓子選びたいから2人で買いに行くって言っちゃった」
智子さんの、靴箱についた手が頭をよぎった。「いいよ全然、気にしないで」
「まあ結花と一緒に近所に買い物行きたかったのもホントだけどね。こんな機会めったにないっしょ」
くしゃっと笑う。猫みたい。普段クールな分、沙紀の屈託ない笑顔には目を惹き付ける力がある。
「そうだね」
小中学生ならわりと皆近所だけど、高校にもなると途端に住む場所がバラける。友達の家を訪ねるのは高校生になってから初めてだ。
「今田屋さんは何がおすすめなのかな?」
「そうだねー、フルーツ大福とか最近出してて見た目も可愛いよ。かき氷もあるから中で食べてもいいし」
アニバーサリーは今田屋よりちょっとまた歩くけど、シュークリームが美味しいと評判のケーキ屋さんなんだそう。話すうちに頭の中がスイーツでいっぱいになる。全部食べたい。
バス通りのゆるいカーブの先、左側に「今田屋」が見えた。老舗の和菓子屋さんだ。表に「冷やしぜんざい」「あんみつ」「かき氷」と書かれた紙と手書きのイラストが食欲をそそる。自動ドアが開いて、老婦人がにこにこしながら紙袋片手に出てくる。駐車場に車を停めたらしい中年の夫婦が入れ替わりで中に入っていった。こちらも表情が柔らかい。
うん、ケーキ屋さんも気になるけどここでもいいかな。
ところが、今田屋が近づいてきたところで、
「ちょっと寄り道するね」
そう言って、沙紀は左に曲がった。
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