第17話 いつもと違う路線

 「あー、これね、確かに好きなんだけどこの回は出てくる敵キャラが怖いらしくて、こないだ玄関まで逃走したんだよね」

 「ええー……」

 「くらやみ男爵嫌いだよねー光」

 「こわぁい」

 何が「こわぁい」だちくしょー。

 俊樹は結花の話を聞いて「大変だったでしょ」とねぎらってくれた。テレビ見せてたのにトイレに言った3分くらいの間にやられたことを憔悴しょうすいしながら話すと原因のアニメを確認してくれたのだ。わかったところで何にもならないけど。化粧品の被害のことを母に話すことを考えると今から頭が痛い。


 「いやーそれにしてもよく歩いて帰ってこれたね!最近よく石拾うし座り込むからさ、イヤイヤ期の始まりなのかな?力も強くなってきたし時間かかるから歩いて帰るなんて俺も最近してなかったんだよね」

 「え?じゃあどうやって」

 「車で」

 「あ」

 その手があったか。そして、送り迎えの時は俊樹の傘があるから光の傘は置いていっていたらしい。

 「……」

 またしても知ったところでどうにもならない。もちろん免許なんて持ってない。

 「結花ちゃん……なんか、ごめんね?延長保育頼めばよかったね」

 「いや、俊樹さん悪くないし」

 「チャリの後部座席にチャイルドシートつけようか」

 「そんなしょっちゅうお迎え行かないからいい……」

 落ち込んでいると追い打ちをかけるように「ただいまー!はーもう疲れたわー!濡れたしー!」と母も帰ってきた。


 2人で「ごめんなさい」をした――正確には結花が謝罪した時に光が「いーよ!」とかわいく言ったので「光もごめんなさいするの!」とまた怒る姿を見て母が爆笑して終わった――後に、腹ぺこの両親が晩ごはんを食べ始め、引き続き結花がなんとなく光を見守る形になった。


 「お疲れ様、ありがとうね結花」

 「ううん、かえってごめんなさい、アイシャドウもチークもダメにしちゃった……」

 謝る結花に、「あー、いいのいいの」と母はヒラヒラ手を振る。

 「あれ新色と言ってもプチプチで後輩から勧められたやつだからいいのよ、被害額そんなないししょうがないよ。ベビーロックもちょうど今朝壊れて取れちゃったのよねー」

 なんという不運。

 はぁー、と結花は本日10回目くらいのため息をつく。


 「ごめん、私、買い物とか家での遊び相手とか、大分やってるつもりだったけど全然ダメだった」


 こんなんで「うちは年の差婚でできちゃった婚で年の離れた弟がいて私って大変」って愚痴ってたのがひどく幼いことのように思えた。


 「いいんだよー結花ちゃんは今は青春する方が大事でしょ!あ、アオハルって言う方が今っぽいんだっけ」

 「その言い方ちょっとおじさんみたい」

 「えっ?へこむなー」

 はは、と笑う俊樹さんは今日はフォローが忙しい。疲れているのに気遣いの人だな、と思う。悪いなと思いつつもイライラした気持ちをちょっとぶつけてしまった。


 ヘラヘラ笑って済ませる俊樹さんは大人だ。私ももうちょい落ち着いた大人になりたい。

 そう思った直後、カン!と音がして、見ると母がビール缶を飲み干して置いたところだった。


 「……2人とも、私の前で年の話はしないでくれる?」

 「えっもうビール飲んでる」

 「はやっ」

 いつもなら光を寝かしつけてからなのに。

 母の目がわっていた。

 「いいじゃないたまには」

 荒れている。

 「今日残業になったのがさー私の書類に不備が見つかったまんま上に回したって部長が指摘してきてさーあんた昨日変更箇所を教えてくれなかったくせにろくに見もしないで承認したでしょって、もー腹が立って腹が立って!!おまけに『変更箇所?昨日言ったよ?瀬戸係長もね、歳だから聞き逃すのしょうがないよね』って自分のミス棚上げして余計な一言言ってきてもー!あとあんたの方が私より年上だっつーの!」

 一息に言い終わるか言い終わらないかのうちにプシュ、と音を立てて2本目を開けて勢いよく飲み始める。部長が話してる場面はドラマの悪役よろしく思いっきり誇張して意地の悪い話し方をしている。ヤケ酒だ。


 そこに光がとてとて、と近寄ってきて「まーま、よしよし」と頭を撫でるもんだから母の顔がとろけた。

 「あー光!なんていい子!よーしこうなったら若さを吸い取るぞぉ」

 むぎゅー!と抱きしめる母。きゃはは!と笑う光。

 「やめて!2歳から若さ吸い取ったらなくなっちゃう!!」

笑って止めながら、私が理想の大人になるのは当分先かもなぁ、と思う。なんせアラフォーの母親でさえこうなのだ。完璧ではないけど母らしい。


 意外と人は欠けたまま、満たされないままでも幸せになれるのかもしれない、と思った。


 今日はいろんなことがあって疲れた。解決してない問題も山積み。それでも結花は今笑顔になっている。


 「光ー!だーいすきっ!」

 「だーきっ」

 酔っているのか母はいつもより声が大きく騒がしい。騒がしいけど、両親が帰ってきて結花は心底ホッとした。「晴香さん飲みすぎないでよー」と俊樹も困ったように笑っている。

 外は豪雨。テレビで明日朝までは降り続くとアナウンサーが話しているのが小さく聞こえる。その心配そうな表情と、笑い転げる母と光のギャップがおかしかった。



 「うーん!」

 ベッドの上で体を伸ばす。

 寝て起きて、今日は沙紀の家に遊びに行く日。

 服は前から決めていた。去年のセールで一目惚れして買った花柄のワンピ。胸から下が絞ってあって足が長く見える。無駄に姿見の前で一回転。

――これ、デートにもいいかなぁ?

 そんなことを考えて、朝から1人で赤面した。


 俊樹と光は近所に買い物に行ったらしい。居間でくつろいでいた母から高級食パンのおつかいを頼まれた。

 明日、先日のお礼がてら両親と光の3人で祖母の家に行くらしい。

 「あそこ、2斤でしか売ってくれないでしょ?ばあちゃんには多すぎない?」

 「うちと半分こするのよ」

 光を預ける相談をしてたとき喧嘩していたことが嘘のよう。

 うーん、親子って不思議。

 母は昨日散々毒づいていたのに今朝は愚痴もすっかり忘れたような顔をしている。こちらは何週間も前の友達との喧嘩を引きずってるのに、切り替えの早さはつくづくうらやましい。結花にない部分だ。


 「あ、沙紀ちゃんのお家にも手土産買ってった方がいいか、行き帰り高級食パン寄ってーよろしく!」

 「えー!」

 一日に2度同じお店に寄れってこと?あの人めっちゃ高級食パン好きなんだね、って思われそう。やだやだ。

 「不審者じゃん。なんか5個くらい焼き菓子入ったやつとかでいいんじゃないの?」

 「でも、沙紀ちゃんちの家族何人かわかんないんでしょ?」

 「……そうだけど」

 「LINEで聞いとけばよかったのに」

 「……」

 結花だって聞こうとしたけど、「父親は優しくてよかったね」と沙紀は言っていた。何かあるのかもしれない。手土産のために家族の人数だけ聞くのもなんだかはばかられた。

 「もしかしたら10人以上の大家族かもしれないじゃない。食パンなら十分足りるわよ。3人家族でも残ったら冷凍すればいいんだもの」

 「なんでそんな高級食パンのまわし者みたいなの」

 「めんどくさいじゃないー!もう結花に任せるわ」

 うう。

 反論したかったが昨夜の母が愚痴る様子と、今から手土産考えて時間に遅れるのと、高級食パンに罪はないことを考えて結花は妥協することにした。

 「じゃあ、もう食パンにする……」

 「あ、あとベビーロック買えたらよろしく」

「はい、買ってきます絶対」

 昨日の惨状を思い出し、敬礼して家を出た。今日は晴天。水たまりがあちこちで光っている。


 電車に揺られながら音楽を聴いていたけど、なかなか耳に入ってこなかった。観念してイヤホンをしまう。土曜日の電車は通勤客がいないので少し余裕があった。

 松崎君からのLINEはまだ来ない。こちらからすべきなんだろうか。部活とかしてたっけ、そんなことも知らない。どんな文章を送ったらいいだろう。


 ええい、今日は沙紀に真衣のことも相談するんだ、何もかもそれからだ、と心に決めた。


 「やっほー」

 沙紀が改札前で待っていた。高校の最寄り駅に休日来るのは変な気分がする。

 ここから、いつもと違う路線に乗るのだ。わくわくする気持ちを胸に、結花は改札を抜けて一歩踏み出した。

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