第1話 小さな怪獣

 いつか、心が満たされる時が来るのだろうか。


 結花は駅を行き交う大人たちをなんとなく眺めていた。

 誰も彼も、大人は完璧に見える。そのままぼうっと家のことを考えてしまいそうで、結花は頭を振って友達との会話に意識を戻した。 


「宿題マジでだるいわー佐々木のやつ、ウチらも忙しいって知ってんのかな」

「あの量えげつないよね」

「やる気なくすよねぇ」

 ざわざわ、ざわざわ。

 アイドルの新曲の話題、部活の先輩がかっこいい話、親に塾を進められてゲンナリしてる話。


 結花ゆいかは適当に相づちを打ちつつ、時々大げさに笑いながら「友達と盛り上がってる放課後の女子高生」の顔をしてタピオカレインボーティーをすすっていた。レインボーの部分は正直よくわからない。色がついているだけで味は変わらない気がするけど、見た目が楽しいのでまあいっかという感じがする。タピオカは甘く、噛む弾力が楽しい。高校生のお財布には少し厳しめのお値段だけど。

 笑い声が大きくなると、通り過ぎる大人がちらり、と視線を投げてよこしていく。


 駅チカの噴水広場。噴水の縁には座れるスペースがあり、そこでひとしきり話をしたあと別れるのが結花と友達3人―真衣まい詩織しおり沙紀さきとの習慣になっていた。


 今日は新しいタピオカティーの店に寄ってからなのでいつもよりここにいる時間が長い。ケータイの時間を気にしていると、真衣が「あ、ごめんそろそろ行かないと」と切り出してお開きになったのでホッとした。

「じゃーねー」

「また明日ー」

 手を振りながら笑顔で別れる。真衣がつけている香水の香りがふわん、と鼻をかすめた。


 しばらく歩いて振り返り、皆が見えなくなったのを確認して、結花は改札に向かう道から左に折れ、エスカレーターで地上に出て、ドラッグストア目指して歩き出した。日中降った雨のせいで街は蒸し暑く、額にじわりと汗がにじむ。


 帰路につくたくさんの人、人、人。間を縫うように歩いて店にたどり着く。表に並べられているお菓子、綺麗なアイシャドウをつけて微笑むモデルのポスター、CMで流れている日焼け止め。惹かれるものはたくさんあるけど、結花の目当ては奥に並べられている大きなパッケージの袋だった。


 ビッグサイズ。12~22kg。横モレ対応、朝までぐっすり、38枚入り――の、オムツ。


 無造作に2つつかんで、ついでに子供用歯ブラシも入れてレジに並ぶ。Suicaで支払った後、カバンからどでかいエコバッグを広げてオムツを押し込む。正直、ナプキンを買うより恥ずかしい。でも母があちこち調べて、ここが1番安かったし家計を助けるためには仕方ないのだ。


 家のお金は、結花の進学先にも関わってくるのだから。――まだ決めてもいないけれど。


 オムツが目につかなくなると安心した。結花は来た道を引き返し、改札に向かう。ピッ、という音とともに(そうだった、残金少ないからお金もらわなきゃだった)と思い出した。最近忘れっぽくて困る。


 地下鉄も混んでいた。皆家に帰るんだ。綺麗な黒髪のOLが目についた。


 ねぇ、あなたはどんな家に帰るの?

 ドラマのセットみたいに片付いてて、窓に薄いピンクのカーテンがかかって、おいしいごはんをこれから作るのかな。

 それとも恋人が待っているのかな。


 私はね、小さい怪獣がいる家に帰るんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る