第33話 帰り道

 そう、松崎君とは本当にまだそんな段階ではない。

「土曜日はごめんね」

「いいって」

「今度行こう。

「へえ、そういうの好きなんだ」

 二人で並んで歩くのにはまだ慣れない。あのさ、と切り出すのにも友達とは違ってタイミングを取りにくい。付き合いたては皆こうなんだろうか。

「三者面談近いね。瀬戸さんは、大学どこ行こうとか考えてる?」

「うーん、まだ考えていないかな。松崎君は?」

 顔を見上げて、視線が合って、照れくさくなってとっさに前を向く。学校から駅まで、十数分のデート。もっと距離が長ければいいなんて、一人で登校するときは決して思わないのに。

「俺はサークルでバレーできるところがいいかな」

「バレー、本当に好きなんだね。小さい頃からやってたの?」

「小学校のクラブ活動から。日本代表で好きな選手がいてさ……」

 松崎君の声が弾む。

 また一つ情報が増えた。結花は心に書き留める。春はただのクラスメイトだったのに、この夏は一つ彼を知るたび嬉しい。こんな気持ちになるなんて思ってなかった。

 見上げた横顔のラインが綺麗だ。これから嫌な部分も見るかもしれないけれど、それすらも楽しみだった。


「長谷さん、足速いよね。体育の授業で見たときびっくりした。陸上部は入らなかったんだね」

「あ、えっとね……」

 どこまで話そうか迷って彼を見たとき、びくっ、と隣の肩が動いた。ほんのわずかだったけどぎこちない表情が浮かぶ。くしゃみが出そうで出なかった時のようだ。

 少し引っかかったけれど、その意味がわからないまま、結花は話を続けた。


「走るのは好きだけど、ちょっと家のことでゴタゴタして、時間が取れなくて……」

「そうなんだ」

 松崎君はあっさりと受け流す。他のことに気を取られているようでもあった。

 

 自分が壁だと思っている、家族のことを話したらこの人はどういう反応をするだろうか。沙紀や真衣に話すのとは違う反応が返ってくるかもしれない。そう考えると胸騒ぎがしたが、心の中で「違う人間なんだから、当たり前だ」とささやく自分もいた。

 たぶん、前の結花だったら想像しただけで嫌だった。中学の時のように、話す前から全否定されることだってありうる。でも今は、それも自分で動かしようのない事実なのだから、全部話した後に「こんな私でもいいですか?」と改めて聞きたい気もする。きっと、胸を張って聞ける。

 そう思った。


「どこかの大学に、陸上のサークルもあるかな?」

 あれこれ考えている間に沈黙が続いたけれど、松崎君は気にする様子もなく答えてくれた。

「どうかな。サークルじゃなくてもさ、親戚に市民団体に所属している人がいるよ。小学生から年配の方までいて、マラソン大会とかイベントに出てるんだ」

「へぇ……」

 また、知らない世界が広がった。

 年配の方、という言い方が丁寧で、彼はどんな風に育ってきたんだろう、と結花は気になった。

――今度のデートの時にでも聞けるかな。緊張するかな……聞けるかな。


 改札が近づいてきて、松崎君は立ち止まった。この間一緒に帰った時は「じゃあ」と言って別れたけど、結花から目をそらし、ズボンで手をぬぐっている。

 首をかしげた時に、彼は手を差し出した。

「あの、握手、いいかな」

「え?」

 結花は自分の手もあわててぬぐった。おずおずと彼の手を握る。大きくて、皮が厚いがっしりした手のひら。思いのほか熱い。ドキドキがこちらにも伝わってきそうで、三秒くらいで結花は手を離した。

「これでいい?」

「ありがと。すごい元気出た」

「ならよかった。えと、また明日ね」

 できるだけ平静をよそおって結花は言う。

「うん、また明日」

 彼の視線が、結花を見守っているのを感じていた。改札を通り抜けてから後ろを向くと、松崎君が拳を小さく振りながら歩く、その横顔が目に入った。耳まで赤くて、口元は微笑んでいた。今日はずっとぎこちなかったのに。


 本当は帰り道ずっと手をつなごうとして、できなかったんだと気付いたのは帰ってぼんやりテレビを見ている時だった。ドラマの中、買い物帰りの男女が微笑み合って手をつないで並木道を歩いている。

「今ごろ気づくなんて……」

「どうしたの? 学校に忘れ物?」

 つぶやくと、俊樹が「今から一緒に取りに行こうか」と言い出しそうな雰囲気でソファーからこちらを見ている。

 四者面談が近いからか、彼氏ができたと感づいたのか、最近よく見られている気がする。過保護だなぁ、と今度は心の中でつぶやく。たぶん顔が赤くなっているだろうからあまり見ないでほしいのだけれど。


「なんでもない」

「そう?」

「ねえね、げんき? だいじょぶ?」

 入れ替わりにソファーの向こうから光が問いかけてきた。もう眠そうなとろんとした目で言ってくるのがおかしい。 

「なんでもないったら」

 光眠そうだねと言うと、俊樹が「ねんねしようか」と寝室に連れて行く。いつもの光景。

 真衣のことが解決して、あの神社で一回り大きくなったような気がしていたけど、そんなことはなかった。隣を歩く人の気持ちも察することができなかった。


 早く大人になりたいような、でもなりたくないような。時間をかけて、楽しみたいような。

 春には知らなかった彼の声で、「また明日」が耳の奥でリフレインしていた。

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