「上様が金山城に参られるなんて、歴史に残る一大事じゃな」


 疲れている癖にまだ満足出来ず、更に坊丸を部屋に呼んだ。


「その通りじゃ。こんな田舎に上様が参られるなど畏れ多い限りじゃ。二度は無いと思え!上様が喜ばれそうな事を色々と考えてみた」


「何か面白い趣向があるのか? 」


 宴での出し物の内容を告げると坊丸も乗り気になった。


「ああ、色々な意味で上様はお喜びになられる筈じゃ。ちょうど三人おるしな。この、三人で行うというのが重要なのじゃ」


 明日は森家が用意した御座舟で木曽川を下り信長が来る手筈になっている。


「上様が明日いよいよ金山城に参られると思うと興奮して寝れそうにないな」


 などと考えているうちに、若い身体は正直なもので一日の疲れがどっと押し寄せ、あっという間に眠りに落ちてしまった。

 翌朝、熟睡出来たお陰で体力は回復し、すっきりと目覚めた。

 朝の食事と支度を済ませると、また懲りずに城内の見廻りを始め、段々そわそわと落ち着かなくなってきた。

 ただ、これは家臣一同皆同じ心持ちで、あの信長を迎えるのだから失態を犯せば主の面目が潰れるばかりか、家臣数名は手討ちになるのではとひやひやしていた。


 こんな時にこそ物見櫓が役に立つ。

 家臣だけでなく自身も登り、犬山城の方角を監視した。

 遮蔽物が少なく見晴らしの良い時代の事、街道の先、木曽川の先まで見通せる為、大軍勢が動けばすぐに察知出来る。


「犬山城から上様の軍勢がこちらに向かっております」


 物見櫓からの報告に家臣達の間に緊張が走る。


「各々、持ち場に付け」


 些か早いような気がするが、乱法師の指図で皆てきぱきと動き出す。

 戦の予行演習には持ってこいだ。


 出迎えに坊丸や武藤三郎等を引き連れ、兼山湊へ向かった。

 兼山湊には町民達が信長の姿を見ようと続々と集まって来ていた。


「上様の御到着まで大分時間があるというのに、何故こんなに早くから大勢おるのじゃ」


「出来るだけ最前列で御姿を拝見したいのであろう」


 乱法師がうんざりしたように言うと、坊丸が町民達の気持ちを的確に代弁した。

 湊に集まった者達皆が今か今かと待ちに待った。

 金山城の中でも物見櫓でも待っていた。


「上様が参られたぞ」


 立派な御座舟と何艘かの川舟が連なり向かってくるのが遠くに見えた。


「どれじゃ!どれが上様じゃ? 」


「あの手を振っておるのが上様でねえか? 」


「まっさかぁ、あんな軽々しいのが上様ってこたあねえさ。あれじゃあ、おめえ全然恐くねえ」


 町民達が興奮し、相当不敬な事を言い交わすのが嫌でも耳に入ってくる。

 舟の先頭でにこやかに手を振っているのが当に信長であった。

 安土城から出馬した時には銀色に輝く甲冑を身に纏い、大軍勢を引き連れ威厳に満ち溢れていた姿が今となっては遠い昔のようだ。

 武田討伐には正直間に合わないとあっさり諦め、息子任せにして物見遊山をすると決めた時から、移動の時でも気楽な羽織袴で通している。

 恐ろしい印象ばかりが強い信長の顔を知らぬ金山の人々には、にこやかに笑い手を振る男は、ただの気の良い親父にしか見えなかった。


 舟が川岸に着くと乱法師がすかさず側に寄り手を貸す。


「上様、金山にようこそ御越し下されました」


「乱!木曽川を下るのは中々心地良かったぞ」


 二人のやり取りを聞いた町民達が目を丸くする。


「ほおれ!やっぱり、あれが信長公でねえか」

 

「信じらんねえ……にこにこ笑っておられる。良く見りゃ身なりがいいが、何だかのう。男前じゃが、あんまり畏れ多いっつう感じがしねえな」


「そうじゃのう。あ、少し酒屋の平助に似てねえか?上様が酔っ払って、だらしねえ感じになったら平助に似るんでねえか? 」


「上様、こちらに馬を用意してございます。城に御案内仕まつりまする」


 無礼な町民達のやり取りが出来る限り信長の耳に入らぬようにと急いで先を促す。


『此所で死人が出ては困る』


 乱法師の心配を余所に、いくらかは耳に入っている筈なのに笑顔で上機嫌の信長であった。


「そなたが申しておった可成寺はどこにあるのじゃ?城に入る前に先ず三左に挨拶して行こう」


 可成寺とは、乱法師の父の菩提を弔う為に長可が建立した寺である。

 

「可成寺は搦手側の山の斜面を登った途中にございますが、急で足場が余り良いとは申せませぬ」


「構わぬ。儂を誰じゃと思うておる。岐阜にいた頃は山頂から朝、山麓の天主まで降りて、夕にはまた山頂まで登っておったのじゃぞ。滅多な事で根を上げる事はない。さあ、案内致せ」


「かしこまりました。では途中に小関の清水が涌き出ている場所がございますので、先ず、喉を潤おして行かれるのが宜しいかと存じまする」


「おお!名高い金山の名水であるか。さぞかし美味であろうな」


 そのようなやり取りの後、南東の方角に馬をのんびり歩ませて行くと、湊から目と鼻の先の道筋に水が涌き出ていた。


「これが小関の清水か。どれ──」


 信長は上手そうにごくごくと飲んだ。


「美味い!ただの水がこんなに美味いものか!冷たくて甘味があるようじゃな」


「不老長寿の水とも云われておりますれば沢山お飲み下さいませ」


 信長の満足気な様子に嬉しくて声が弾む。


「そんなに長生きしなくとも良いが、この水を飲んだら直ちに疲れが吹き飛んだようじゃ。良し!可成寺を目指すとするか」


 木曽川に面した側を表とするなら、可成寺は裏側に位置していた。

 表側の大手道ならば馬で進めるが、可成寺は細い小道を分け入って登った先にある為、馬では行けない事を信長に伝える。


「構わぬ。歩いて行けば良い」


 構わぬと言われて、家臣達の中にはそろそろあまり嬉しくない者達が出始めてきたようだ。

 信長の足取りはあくまでも軽い。

 岐阜城で鍛えた健脚で軽く斜面を登って行く。


「もう少しで着きまする」


 汗が滲み始めた頃、漸く可成寺が見えてきた。


「詣でる前に一休憩じゃ。あそこに座ろう」


 大きな石がちょうど良い所にあったので、腰掛けて竹筒に汲ませた小関の清水をまたごくごく飲んだ。


「ふう──美味いのう。乱、約束を覚えておるか? 」


 力丸が差し出す手拭いで汗を拭いながら唐突に問いかける。


「約束、でございますか? 」


 信長の考えを瞬時に理解出来るのは己だと自他共に認めているが、約束というのが何なのか思い付かない。


 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る