「上様!真に、真に忝のう存じまする。私のような若輩者に」

 

 感激の余り乱法師は瞳を潤ませた。

 大した事をした訳ではない。 

 近江国内に、たかが五百石加増してやっただけだ。

 乱法師に対する溢れんばかりの愛情は、今まで数々の品を彼に与える事で制御してきた。

 家臣としてではなく一人の愛する者としての思いが余りにも色濃く出てしまうのは他の家臣の手前まずいと、信長とて我慢しているのだ。

 だが喜ぶ姿を目にすると、抑え難い愛情が突き上げ、欲望に支配されそうになってしまう。


 公私共に信長に尽くす乱法師の才能は遺憾無く花開いている。

 取り次ぎをさせても使者として遣わしても名代に相応しく、彼を迎えた武将達は多少の追従はあるにせよ常に乱法師を絶賛する。

 全く非の打ち所がない。

 何しろ信長が側に置いておきたいのだから、これ以上の適任者はいなかった。

 側近く侍る程、主との相性が重要になるのはいうまでもない。

 

 能力よりも相性。

 いや、相性も能力のうち。

 たかが五百石でも、単純に現在の年収に換算すると6000万円から8000万円くらいになる。 

 取れる米の量、価格変動、税、諸々引かれると手取りは半分くらいになるらしいのだが。

 古参の重臣達が城を持ち、何万石、何十万石という領地を有する事に比べれば、加増されたところで乱法師の有する石高など微々たるものだ。

 まして、その大名達の上に君臨する信長の資産はそれこそ計り知れない。

 若い故に純粋なのは当たり前だが、重臣共の貪欲さと何という違いか。


 ただ一人の人として、時代を越えて変わらぬ単純な男心が疼いてたまらない。

 その場で抱き締めたくなったが、周りに他の家臣達がいるので我慢した。


 乱法師が出仕した頃を思い出す。

 まず目を惹き付けたのは美しい容姿だ。 

 森可成の遺児を守り、忠臣を育て上げると同時に男の欲望も満たす。

 同衾せず温かい目で見守っていたら、そのうち乱法師の存在など忙しさにかまけて忘れてしまっただろう。

 

 父を失った遺児は他にも腐る程いるのだ。

 抱く前と抱いた後では相手に対する思いの強さが全く異なるのも男心。

 所詮赤の他人の伜をどれだけ気に掛けてやれるというのか。

 守りたかったら手っ取り早く抱いてしまうに限る。

 但し男の場合は好みの美形に限られるが。

 他の寵童あがりの近習達のように、愛しながらも心では一歩退いて育てるつもりだった。

 だが今や全身全霊で乱法師の事を気に掛け、最早その愛は盲目の極致であったのかもしれない。


 明智光秀は、丹後の宮津城から戻ると領地での内政に努めていた。

 戦に駆り出されていては中々手が回らぬ諸事を、自身の手で細かく確認しながら至らないところを改革していく貴重な時間となった。

 丹波平定後は大きな軍役を申し付けられる事なく、政でも大きな信頼を勝ち得ている。


 膨れ上がった家臣団の統制も必要な事と承知していながら、実は戦に出たいという気持ちが、そろそろ首を擡げ始めていた。

 それは、戦の方が政よりも好きというのとは少し違っていた。

 坂本城も亀山城も安土から程近い為、戦に出ない限り出仕をせぬ言い訳が立たなくなってしまう。

 馬揃えの時は頻繁に要望を変える信長の意向を踏まえながら、朝廷との調整をしていくのは全く骨が折れた。


 正直、疲れていた。

 特に身体が弱い訳ではないが、信長程の体力自慢ではない。

 天王寺砦の激しい攻防の最中、過労の為死にかけた事もあった。

 最早これまでと覚悟したが、信長の救援で九死に一生を得た。 

 一万五千の本願寺勢に三千の兵で突っ込み敵を蹴散らす信長は、真に軍神のような神々しさだった。


 出自卑しい自分を信頼し、これ程厚遇してくれる主君を畏れ敬う気持ちに嘘偽りはない。

 信長も光秀の文武共に秀でた才能を評価し、彼だからこそ任せたい仕事は山ほどあった。


 二人の間に確かに川は流れている。

 但し川の水が常に潤沢とは限らない。


 実は光秀には、前々から中々取り掛かれずにいた、ある事があった。

 それは家中の軍法を定める事だ。

 光秀は筆を墨に浸し、紙に認め始めた。

 

 十八箇条から成る。

 七条までは陣中における軍の規律が定められていた。

 例えば陣中で大声や雑談を禁ずる。

 七条目では兵士達の食糧の重量が規定され、光秀らしい細やかさが感じられる。

 量る物によって違いが出てしまうのを防ぐ為か、京都法度之器物(京都の升)でと指定をしていた。


 八条目からが特に光秀の凄さが伝わる内容となっている。

 八条目から十八条目までは石高に応じた軍役を定めているのだ。

 軍役の人数が百石ごとに決まっており、例えば百石は六人である。

 十二条目になると、三百石から四百石は、兜をかぶった者一人、馬一頭、指物三本、槍三本、幟一本、鉄砲一丁を用意せよと変わる。

 この調子で十八条まで続き、千石までの細かい軍役が定められていた。

  

 このような軍法は当時は珍しく、規律だけでなく知行毎の軍役まで定めたところが、やはり光秀の非凡さと言えるのだろう。


 最後には以下のように記した。


『右に軍役を定めるが、戦経験者には改めて言う必要はないだろう。未経験の者は良く理解するように。石ころのような賎しい身分の自分が、上様から莫大な軍勢を任されているからには、軍律を正さなければ国家の殻つぶしで、公の物を掠め取るに等しい。周りに嘲られる事になるだろう。格別に努力し武功を上げれば、すぐに上様の御耳に届く筈だ。

 家中の軍法はかくのごとくである』


 光秀は書き終えると満足気に筆を置いた。

 この軍法は兵士達を戒める為の物には違いない。

 だが、まず己自身を律する事なくして、どうして家臣を戒める事が出来ようか。


 今ある己の力は信長に与えられた物。

 佐久間父子のように大身に甘んじる事なく、感謝を忘れず忠義を尽くす。


 最後の文は己を戒める為──

 そうじゃ、日付を書いておかねばな──

 

 天正九年 六月二日。

 

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