第14章 血闘

 白樺やブナ、アカマツが群生する林の間を騎馬武者達が続々と通り過ぎて行く。

 がしゃがしゃと甲冑の音を響かせ、その後を足軽達が追う。 

 森氏の鶴丸紋が染め抜かれた旗と梶原氏の矢筈紋の旗が、走る足軽達の背で揺れた。


「しっかし、まあ似ておらんのじゃなぁ」


「何の話をしておる」


 馬上から話し掛ける朋輩の団平八に鋭い視線を向けたのは、此度共に先陣を任された森長可だ。


 逸早く木曽義昌が武田方から寝返った為、岩村に着陣した信忠の指示を得て、木曽谷から侵攻を開始した。

 織田軍に恐れを成し更に内通する者が続き、信州の松尾城主、小笠原信嶺が軍門に下った。

 

 先陣を任され気負い立つ二人は、妻籠から梨子野峠を通り、下伊那の飯田城を目指し進軍の途上にあった。

 二人共に二十代の半ばにも満たぬ若き武将。

 槍の穂先を研ぎ澄まし敵と刃を交え、次から次へと武田の城を落としてやろうと血が滾るのも無理からぬ事。


 二人の行く手を阻む城は面白いように落ちた。

 もっとも、戦いによってではなく寝返りか逃亡のどちらかである。

 敢えて戦を望む訳ではないが、あまりの手応えの無さと武田軍の意気地の無さに団平八が焦れてきたところだった。


「お主と乱の事じゃ。先日、岐阜に来ていたであろうが。改めて兄弟なのに似ておらぬとな」


「何ぃ?岐阜に来ておったじゃと? 」


「知らなかったのか?遷宮の費用がどうとか。相変わらず品の良い仕事を仰せ遣っておるのぅ。麗しの弟君は」


 平八は迂闊にも長可に教えてしまい、乱法師に少しだけ済まない気持ちになった。


「お主には挨拶して、兄の儂には挨拶無しで素通りとは。たわけた弟め! 」


 昨年の馬揃えの最中に大問題を起こした兄の顔を、敢えて見たくないという弟に平八は同情した。


「それにしても、勇猛で聞こえた武田の武者が城を捨てて逃げ出してばかりとはなぁ。いつになったら、こいつに血を吸わせてやれるのじゃ」


 兄弟喧嘩に巻き込まれたくないと話題を変え、槍を振った。


「ふ──落ち着け平八!これから、いくらでも戦える」


 長可の愛馬、百段が枯れ木を踏み、足元でぱきっと音が鳴った。


「まさか鬼武蔵に落ち着けと言われるとはなぁ。先陣を賜っておきながら、あっちに手柄を先に取られたらと思うと、つい──お主とて面白くなかろう。河尻や毛利に先を-──」


 平八の言葉を遮るかのように鎌十字の槍、人間無骨で茂みを薙ぎ払うと、野鳥がばさばさと音を立てて飛び立った。


 鬱憤が溜まらぬ訳がない。


 燃え滾り、ぎらぎらと闘志を湧き立たせる血走った目を見て、平八はこれから攻め落とす城の将兵達が心底哀れになった。

 人間無骨で間違いなく血祭りに上げられるだろう。


「爺共に先を越されて堪るか!」


 爺共じじいどもとは、信忠軍の補佐兼目付け役として信長から遣わされた重鎮二人、河尻と毛利の事だ。

 その内の一人、毛利河内守とは昨年の京の馬揃えの一件以来、敵以上にいがみ合う間柄となっていた。

 並みの神経であれば陰口を叩いても、表向きは戦目付けの機嫌を損ねないようにするものだが、長可の神経が並でない事は言うまでもない。


 梨野峠から山道を下り、織田方に寝返った小笠原信嶺の信州松尾城を目指す。

 松尾城から程近く、北側に位置する飯田城からは未だに降伏の申し入れはない。


 長可、平八の軍勢は松尾城に陣取り、飯田城が降伏するのを暫し待つ事にした。


「また降伏か!戦わず終いか?武田には骨のある奴はおらんのか? 」


 狙いは大将の武田勝頼で間違いないのだから、力は温存しておきたいところだが、本音は退屈で仕方がない。

 進軍の疲れを癒す為に、身体を横たえ話をしているうちに平八は睡魔に襲われた。

 敵の城を前にして、降伏したばかりの元敵将の城にいるという状況を思い出し、眠気を振るい落とそうと試みる。


 結局交替で仮眠を取る事にした。

 眠りに入った平八は長可に頬を叩かれ起こされた。


「う……もう、交替か? 」


「いや──月夜のそぞろ歩きでもせぬか? 」


 平八はその意外な言葉で完全に目が覚めた。


「何じゃ?妙な顔をしおって。寝惚けておるのか」


「お主が初めて乱に似ていると感じた。やはり、兄弟であったか……」


「取りあえず同じ腹から出てきた事だけは確かじゃ。月見に行くぞ! 」


 しっかりと兜を被り緒を締め、人間無骨を手にして愛馬に跨がる。

 降伏前の敵城間近であれば、夜のそぞろ歩きと言っても、呑気に軽装で出掛けられる訳もない。

 だが、ただ待っているよりは余程良い。


 乱法師の旗指物『吉野竜田花紅葉更級越路乃月雪』にもあるように、信州から見る月は格別美しいのかもしれない。


 まだ雪が残るこの地は、夜が更けるごとに寒さが増し、吐く度に白い息が闇に溶ける。

 澄みきった空気に月光も冴えるが、深更の風の冷たさは身を切るように鋭い。

 平八はぶるっと身を震わせた。

 具足の下に着込んでいるが、冷気が鎧の下まで入り込んでくる。


「驚いたぞ!鬼武蔵が月とはな。中々風流なところもあるのじゃな。やはり兄弟か。月と言えば和歌。あまり得意ではないが──えぇと、わが心……」


 古今和歌集の一句から、無理矢理月を詠んだ和歌を捻り出そうとする。


「しっ!静かに致せ!和歌ではなく、月と申せば兎じゃ」


「兎って──それにしても、お主の具足は暖かそうじゃのぅ。それは何の毛じゃ? 」


 乱世の武将の甲冑は多種多様、奇をてらった物が真に多いが、中には全く意匠の狙いが理解出来ない物まであり、此度着用の長可の物も相当珍奇で奇抜だった。

 兜や甲冑全体が黒で統一されているのだが、変わっているのは兜も甲冑も黒い毛で覆われているところだ。

 兜の前立て部分が金の三日月というところまでは普通なのに、何故か微妙に長い金の耳が各左右から斜めに突き出ている。

 動物の耳を模したと思われる耳の外側は黒い毛で覆われていた。


「熊じゃ」


 熊を意匠として取り入れているのかと平八は納得したが、耳は余計だろうと密かに思った。

 月の光だけが頼りだが、雲の流れで時折、真の闇に変わる。

 少し夜道を進むと、飯田城の方角から騎馬武者の影がいくつも連なり、身を潜めるように進んで行くのが見えた。


「あ!あれは……武田の……」


 平八は槍の柄を強く握り締め、ただの月見でない事を悟った。


「兎共じゃ──狩るぞ!奴等を月には行かせん──はァっっ! 」


 百段の鐙を蹴ると勢い良く走り出し、当に夜陰に乗じた逃亡者達に追い迫る。

 追撃に気付いた後続の騎馬は間に合わなかった。


「──ううゥーーおおおォォァあーりゃァあーー」


 溜まりに溜まった鬱憤を晴らす絶好の機会に血が燃え滾った。


「──ぐぐっうぎぃィィいやぁーー」


 人間無骨の凄まじい破壊力を知るが故に迷わず敵の兜の上から振り下ろす。

 兜が半ば割れ、頭蓋がめり込む程の衝撃に鼻血が吹き出し、瀕死の状態で振り向いた瞳に最期に映ったのは地獄の悪鬼だった。

 止めの槍が眉間の間を貫くと、馬から死体となって滑り落ちる。


「いっぴーきぃぃ──はぁはぁ」


 最早、二人は兎を狩る狼と化し逃亡する兵を追い掛け回し屠っていく。

 自分達が軍勢を指揮する大将だという事をすっかり忘れ、縦横無尽に暴れ回る。


 二人目に追い付くと、鎌十字を横に薙ぎ払った。

 名前の由来が骨無きが如くなのだから、甲冑など無きが如くだ。

 血と腸を飛び散らせ断末魔の呻き声を上げ、のたうち回るのを馬上から止めを刺す。


「にひぃーきぃーー」


 逃げ切れないと判断した敵兵達は逃亡を止め、戦う覚悟を見せ始めた。

 月明かりに照らされる追っ手はたった二人の若武者。


「こちらの方が数が多いぞ!討ち取って深志の城の手土産にしてくれるわ」


「城と城兵を見捨てて逃げ出す輩が小賢しい!武士の風上にも置けん!逃がすかぁーー」


 血の気の多さを妙な正義感に変えると、平八も槍を振るって次々と敵を突き殺した。

 元は信長の馬廻り衆、次に信忠の馬廻りとして仕える身であるから武勇には優れている。

 馬廻り衆とは、その名の通り大将を守護する最強の親衛隊である為、家中の訴訟問題を取り扱っている時よりは余程生き生きして見えた。

 戦にありつけない憂さを晴らした頃には逃げ遅れた二十人近くの敵の死骸が転がっていた。


「十匹は狩ったぞ! 」


 満足気に馬上で揺られながら、長可は頬に冷たい感触を感じ斜め上を見上げた。

 槍の穂先で揺れる、頭蓋を叩き割った一番目の生首の眼窩から目玉が垂れ下がり頬に当たっていたのだ。

 手で目玉を掴み投げ捨てた。

 馬にくくりつけた無数の生首も月明かりに照らされぶらぶら揺れている。


「やっぱり月見は嘘だったのか。やれやれ可笑しいと思ったんじゃぁ」


 騙された事には不満気ながら、平八の馬にも血だらけの生首がいくつも結び付けられていた。


「嘘など吐いておらん。月見のついでに首を取ってきたまでじゃ!ほれ!月見団子もここにあるしなあ」


 そう言って生首がぶら下がった槍を地面に突き立てる。

 どうやら長可の月見とは、討ち取った生首を三方さんぽうに積み上げ団子に見立て、酒を飲む事らしい。


 主だった武将は全員逃げ出した為、結局飯田城は落城した。

 一応この落城に貢献したかに見える森長可と団平八は、本陣に討ち取った首級を差し出した。


 そして──信忠にこっぴどく叱られた。


「談合もせずに勝手に攻めるとは何事じゃ!如何に勇猛とて独断で動いてはならぬ。いくらなんでも無茶のし過ぎじゃ。結果、城が落ちたから良かったが、今後勝手な行動を取る事は断じて許さぬ」


 並の者なら軽率を悔い改め、総大将信忠の冷静な言葉には従わねばならぬと反省するところだろう。

 並みの神経ならば──


 当然、この一件は戦目付け兼補佐役の川尻、毛利の耳に入った。


「武蔵守め!やはり予想通り勝手な真似を──あのような血の気ばかり多い輩は後に下げた方が良いに決まっておる!上様に申し上げ御指示を仰ぐしかあるまい」


 川尻秀隆の意見に強く賛同しながらも、長可の被害者である毛利河内守は一抹の不安を覚えた。

 信長の厳しさが、こと長可の悪行に関して全く期待出来ないとはいえ、戦目付けとして派遣されている以上、軍規違反の報告に異を唱える道理はない。


 直ちに、この一件は安土の信長に知らされた。



 

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