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鳥取城を落城させ勢いにのる秀吉は、伯耆で吉川元春の進撃を退け、淡路島を池田恒興の嫡男元助と協力して平定した。
やがて十二月になり、各地で勝利し続け着実に領土は拡大し、天下平定まで後一歩という歳の暮れが近付く頃、遠近問わず各地の諸大名から信長に献上される歳暮の品々が引きも切らず列を成し、乱法師は地獄のような忙しさに追われていた。
列を成すというのは比喩ではなく真に言葉通りで、歳暮の品を携えた諸国の小大名達の使者、或いは本人達で安土の門前はごった返していた。
品々は金銀、舶来物、衣服、特産品、名酒等々。
信長の権力と威光を改めて目にする思いだったが、奏者番として献上した者の氏名と品名を読み上げていたら声が掠れてしまった。
品々はどれも素晴らしかったが、今までに散々献上されてきた、いずれも信長が所有する品ばかりであった。
この歳暮の挨拶には、これからも中国四国で多大なる武功を上げるであろう羽柴筑前守秀吉も献上品を携え参上した。
中国に長く在陣し、安土城から近い長浜城も秀吉の居城であるが、今は播磨の姫路城を拠点として出陣したり退いたりを専らしている。
小柄な体躯に人懐っこい笑みを浮かべ、大袈裟な口調に親しげな態度で、あっという間に長く対面のなかった信長との溝を埋めてしまう。
今、家中一乗りに乗っている男はとっておきの見世物を用意していた。
乱法師は献上品が記された紙を渡され仰天した。
献上品の数がとてつもなかったからだ。
量が多くて運び込むのに時間を要するから最後にして欲しいと言われていたが、長く書き連ねられた品数を見て間違いではないかと確認する。
「筑前守殿、真に、この品々を全て本日上様に献上されるという事で間違いござらぬか? 」
秀吉はにこにこと愛嬌たっぷりの笑顔を信長と乱法師に向け堂々と答えた。
「某、御尊顔を拝す機会が中々持てず、久しぶりにお会い出来ると胸躍り、上様に対する畏敬崇敬を形に表そうと致しましたら、これだけの数になってしまい申した。実は御台様、御側室様方、お付きの女房衆、御小姓衆、お乱殿始め御近習の方々の分までございますので御納め下さりませ」
これ見よがしの追従にわざとらしい賛辞、信長周辺の者達にまで及ぶ呆れる程の胡麻擂り三昧。
秀吉がすると全く嫌味に見えないから不思議だ。
無論、見た目と剽げた態度によらず非常に頭がきれるこの男は、胡麻擂りをする時と場所も心得ての事である。
「何と!我等の分まで?しかし、これだけの数の品を一度に運び込むのは……」
追い風だから意味がある。
向かい風の時では、それこそ卑屈な胡麻擂りになってしまう。
中国攻め、四国攻めで多大なる功を上げている今だからこそ、より効果があるのだ。
「長浜の城から順に運び込ませておりまする」
目の前に次々運び込まれる品々に呆れ顔で音を上げたのは信長の方だった。
運ばれる、品名を読み上げるの繰り返しで、たった一人の大名から一度にこれだけの品数が献上されるのは前代未聞。
「うあっはあーーはは!悪ふざけは――くはっ!いい加減に致せ。どこまで続いておるのじゃ」
信長の派手好みと悪戯心を刺激する壮大な演出にとうとう吹き出した。
「まだまだ序の口序の口!最後の品がやっと長浜の城を出た頃でございましょう」
「何じゃと!この剥げ鼠が大言壮語しおって!いくらなんでも、そこまで列が長い訳がなかろう」
「ではでは。天守閣から下をご覧あれ。嘘か真か。是非是非! 」
その言葉に早速天守閣の最上階に登って下を見下ろす。
「これは……はは!何たる眺めじゃ。筑前、真に続いておるわ。ははは、真に長浜まで続いておるのか?こりゃあ、たまげたのぅ。筑前!貴様は大気者じゃ! 」
確かに列は、長浜の城まで続いているのかと思わせる程に果てしなく長かった。
この日献上された品は、小袖だけでも二百枚。
ど派手な演出に信長はすっかり満足し、皆の前で秀吉の中国での武功を賞賛し捲り感伏状まで与えた。
今や信長に手に入らぬ物はない。
いくら高価な品を贈ったとて数多ある品々に埋もれ、信長の心を掴めなければ意味がない。
この日、登城した大名達は秀吉にしてやられたと心の内で悔しがったに違いない。
信長を畏敬する姿勢を取りながら、己の力と存在感を他者に見せつける。
歳末という時期と歳暮を贈るという場面を利用し、一段も二段も上に立つ。
───この様子に冷ややかな視線を送る者がいた。
『筑前め!相変わらず下品で大袈裟な男じゃ。上様だけでなく、近習や女房衆にまで媚びへつらいおって──儂が気付かぬと思うか。そちの腹黒い素顔に──』
明智光秀である。
以前から持って生まれた気質の違う秀吉に対し多少の反発はあったものの、今のような激しい嫌悪感を抱く事は無かった。
土佐の長宗我部への信長の態度が硬化して以来、こちらはすっかり向かい風だ。
丹波丹後を真っ先に平定し、信長の覚えめでたく、佐久間信盛の失脚を機に、家中一多くの与力を任され、京での馬揃えを成功に導いた立役者として順風満帆だった筈なのに。
いつの間にか風向きは変わっていた。
『長宗我部の事とて、三好を焚き付けたのは筑前ではないのか?奴ならやりかねん。面と向かって長宗我部との交渉は如何でござるか?などと良くも抜け抜けと聞けるものじゃ。どこまでも面の皮が厚い男よ。お前が邪魔しおって交渉が上手くいく筈がなかろう』
光秀が不快に思うのは当然で、何とか納得させようと交渉している最中なのを知りながら、 素知らぬ振りで敵対する三好方の城を支援して対抗させているのだから。
益々長宗我部の態度は硬化する一方だ。
毛利征伐には、三好氏の助力が必要。
一にも二にも、秀吉はそれを理由にしているが、更にこの理由を使って家中一の与力を持つ光秀より抜きん出ようとする姑息さが伝わってくるのだ。
心で感じる勝敗は、端から見ると馬鹿馬鹿しい時もある事はある。
此度の歳暮にしても皆が秀吉の独壇場と認め、本能的に負けたと感じた。
可笑しな話ではある。
順列を付けようが無いものの勝敗にこだわり、屈辱を感じるなど。
とはいえ、目に見えて分かりにくい勝敗が、発言や行動に意外と強く影響をもたらす場合もある。
実際、光秀の心の焔は燃え上がっていた。
自尊心が強い彼は、秀吉に負けたと感じ屈辱を覚えた。
誇り高き者程、順位無き順位にこだわるものだ。
『見ておれ筑前。儂を舐めるな!そちの小賢しい胡麻擂りなどに翻弄される儂ではない。大量の献上品で上様のお心を繋ぎ止めたと思ったら大間違いじゃ。長宗我部との交渉が上手くいかずとも──』
そう心の内で罵る光秀には、ある秘策があった。
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