───乱法師は、信忠の馬廻り衆となっている団平八と馬の品定めを楽しんでいた。


「名馬揃いで甲乙付け難いが、そちなら、どの馬を選ぶ? 」


「うむ、長く走れるか速く走れるか、色は黒か白か茶か、迷うところじゃのぅ」


「ハラァヘタ、ツカレッタ、チャムイ」


 側にいた弥助の声を耳にし一瞬乱法師の気が逸れたが、再び馬場の方に意識が向きかけたその時、視線を感じた。

 その人物と目が合うと意を決したように近付いてくる。


「お乱殿……聞いて頂きたい話がある。済まぬが、あちらで、頼む……」


 平八に聞かれては不味いらしく、人気のない場所に移動する。

 その者は桶狭間の戦いで戦功を上げた古参の馬廻り衆、毛利河内守であった。

 只事ならじと察したが、河内守の言葉を待った。


「実は、上様のお耳に入れるべきかどうか、その……困った事態になり申して……いや、お耳に入れぬ訳には参らぬが、今申し上げるべきかどうかと……」


 全く要領を得ず口ごもる。


「何があったか仰って頂かなければ何も申しようがございませぬ」


「その……儂の馬丁がおったのじゃが……あ、つまり、じゃ……何者かに殺されたようなのじゃ」


 乱法師に問い詰められ漸く白状した。 

 事の重大さに唖然としたが、直ぐに顔を引き締める。


「下手人は捕えたのですか? 」


 河内守は静かに首を振った。

 これは一大事と認めざるを得ない。


「上様に申し上げるべきとは存ずるが、今となると……」


 乱法師の心の中にも当然浮かんだ迷いを河内守は口にした。

 

「御気持ちは私とて同じ。ただ下手人が捕まっていないのであれば、御馬揃えが終わってからなどと悠長な事を申しておられませぬ」


「儂もそう思い、お乱殿に御話ししたのじゃ。お願いでござる。貴殿の口から上様に御伝え頂けないだろうか」


 河内守の心情は良く理解出来た。

 信長の上機嫌に水を差す話を自ら耳に入れたくはないのだろう。

 もう一つは、槍、刀類を民衆は持ち込めないという事情にある。

 刃物の持ち込みを許可されているのは殿上公家と織田家中の武士のみ。

 公家衆の飾り太刀は除外すべきなのは明らかだった。

 織田家中の中に馬丁を殺した者がいる。

 最も怪しいのは毛利家の家臣。


「河内守殿!騒ぎが大きくなる前に動いた方が良いでしょう。下手人は存外早う見つかるかと思われます。早ければ早い程、上様の御機嫌を損ねずに済みます」


「はぁ……確かに……」


 河内守は下手人が家中にいた場合の信長の怒りを想像し、力無く項垂れた。

 乱法師は即座に動き、信長に耳打ちした。

 信長が眉を顰めたのが遠目にも見て取れた。

 乱法師は戻ってくると伝えた。


「上様は事を荒立てる事は望んでおられませぬ。私は馬揃えを抜ける御許しを得ましたので、数名で下手人捜しを致します。殺された馬丁については後で伺うので暫しお待ち下され」


 そう言うや団平八の側に行き小声で告げた。

 平八も内容を聞き一瞬驚いたが、事態を察し下手人捕縛に協力してくれる事になった。


「では、河内守殿、まず──げぇ」


 いきなり後ろから飛び付かれ、乱法師が呻く。


「何者──!」


 後ろに立っていたのは近衛家の内大臣信基であった。


「面白そうな話をしておるようじゃな?麿も仲間に入れてたも」


「内府様、遊びではないのです!向こうに行って下され」


「もう遅い!麿は聞いてしまったのじゃ。誰が一体殺されたのじゃ? 」


「内大臣? 」


 平八と河内守は、極めて高い官職に就いている若者の出現に戸惑った。

 物凄く面倒くさい人物に話を聞かれてしまったと舌打ちするも、さすがに内大臣を追い払う訳にはいかない。

 帝の耳にまで入る事になったらと、河内守は不安で汗が吹き出し胃がきりきりと痛んだ。


 やはり、ここは──

 三人共、同様に考えた。

 仕方がない──仲間に入れるしかない。


「内府様、これだけは御約束下され。あくまでも内密に。帝の御前で騒ぎを大きくする訳には参りませぬ」


 そのような訳で、乱法師、平八、信基の三人は派手な衣装を脱ぎ聞き込みを開始した。

 信基は都の一般的庶民の服に着替える念の入れようだった。

 まず最も怪しい毛利家の家臣から話を聞く事にしたのだが、馬丁が殺された事実は一部の家臣しか知らない。

 訊ねて動じたら下手人であると判断出来る為、殺された事は伏せておく事にした。

 死体は厩の後ろに置かれた干し草や桶などに紛れさせ、上手く隠されていた。


 掛けられたむしろをめくる。 

 どこかで見たようだと感じたが、男の顔は極々平凡な上に、死体となっては十人中十人が同じように考えたに違いない。


「この男の名は? 」


「楠田与兵衛にござる」


 またもや既視感を覚えたが、これまた平凡な名である。


「この傷は太刀かのう」


 しゃがみ込んで死体の傷を検分していた平八が呟く。


「振り向き様肩口から斬りつけ、よろめいたところ胸を一突きじゃな」


「得物は槍では無かろう。よし!馬丁と日頃から仲が悪かった者を探そう」


 厩番、中間、馬丁と言葉を良く交わすであろう者から順に尋問していく。

 与兵衛について訊ねると皆が怪訝な顔をした。

 共通するのは、毛利家に雇い入れられて日が浅い為、特別仲が悪い者も良い者も思い当たらないという点だった。


「家中のめぼしい奴には大体当たったが、怪しい素振りの者はおらぬし、特別恨んでいた者もいなさそうじゃ」


「毛利家中でなければ別の家の者とたまたま口論になったとか?幸い馬丁が斬られただけで他の狙いはなさそうじゃがのぅ。それはそうと麿はお腹が空いた。ここは一つ麿の邸で食事をしながらじっくり考えようではないか」


 信基の公家ならではのおっとりした言い様には緊張感が全く感じられない。


「内府様!お腹が空いたなどと言っておられる状況ではないのです。下手人を早く見つけなければ」


 乱法師は呑気な信基に苛立ちを隠せない。


「まあ待て!そちは真面目過ぎる。これだけの人出じゃ。簡単には見つかるまい。目星を付けねばな。腹が減っては戦は出来ぬ」


「平八の申す通り!麿の邸はすぐ近くじゃ。では参ろうかのう」


 平八の意見に従い、仕方無く近衛邸に行く事になった。


「ささ!遠慮のう寛いでたもれ。すぐに膳の用意をさせよう。これ、大事な客人であるから早うな。極上の諸白も持って参れ」 

 

 少し寛いでいる間に、あっという間に膳が用意され、それを見て乱法師と平八は驚愕した。

 最も丁重な饗応接待の時に出される七の膳に次ぐ五の膳が運ばれてきたからだ。


「内府様、いくらなんでも、ここまでの持て成しは不要にございます」


 五の膳とは、文字通り五つも膳が運ばれてくるのだ。

 また、載っている食材が凄かった。

 鮑に鮟鱇あんこう、鯉、からすみ、肉は菱食ひしくい(渡り鳥)、雉、白鳥、椎茸、蕨、瓜、茄子、柿に葡萄。

 酒は諸白もろはく(濁りのない清酒、現代の純米大吟醸のような高級酒)。


「遠慮は無用じゃ。この諸白はのぅ、先日麿が将棋に買って手に入れた物故、ささ遠慮のう」


「私はそのような事を申しているのではありませぬ。このような呑気な──」


「内府様、これは何でございますか? 」


 乱法師が言いかけた時、平八が口を挟んだ。


「おお!それは鯨汁じゃ。中々の珍味で麿の好物じゃ。是非とも召し上がれ」

 

「儂は持て成しを受けに来た訳ではない」


「まあまあ、食べながらでも話しは出来る。儂は食うぞ!そちは腹を空かせた儘、当てもなく都中駆け回るつもりか? 」


 いきり立つ乱法師を平八が宥める。

 確かに腹ごしらえと休息は必要だ。

 そう思い直し、まず鮑を口に運ぶと若い胃袋は歓び躍り、あっという間に完食してしまった。


「では何か目星はあるのか? 」


 乱法師が品良く懐紙で口元を拭いながら言った。


「太刀で斬られている以上、馬揃えに集結した者達以外考えられぬ」


「こっそり太刀を持ち込んだ者がおるやも。敵の間者とか」


 信基の顔は諸白でほんのり桃色に染まっていた。

 

「上様!! 」


 乱法師が突如立ち上がる。

 信長の事となると冷静さを欠いてしまうのだ。


「乱、落ち着け。太刀など持ち込める訳がなかろう。上様を狙う者ならば、馬丁を斬り死体をその儘にしておいたりしない筈じゃ」


 平八の鋭い意見に冷静さを取り戻す。


「馬丁に対する怨恨ならば、どの家中に聞き込みをすれば良いというのじゃ。毛利家では雇い入れられてまだ日が浅いと──待てよ!以前にいた家中の者が馬揃えにいたら、その者が怪しい」


「乱の申す通りじゃ。毛利家で聞けば判明するのではないのか? 」

 

「必ず下手人は捕らえて見せる」


 と、いう訳で再び三人は毛利河内守の元に向かった。

 興奮した観衆のどよめきがまだ聞こえてくる。

 馬揃えは終了し、武将達はそれぞれの宿所に引き上げ始めたようだった。


「上様には何事もなく無事に馬揃えも終了したようじゃ」


 信長が無事と分かり、ほっと息を吐く。


「河内守殿は本能寺に戻っておる筈じゃ」


 本能寺に向かうと、帰還途中の河内守を道で掴まえる事が出来た。


「あの者が以前にいた家中を御存じですか? 」


 道中でも構わず問い質す。

 一応、声は潜めた。


「いや、申し訳ない。儂は──」


 知らぬと言いかけ、後ろを向き一人の家臣に訊ねた。


「確か、楠田与兵衛を雇い入れたのは、そちであったのう。あの者が以前にいた家中を存じておるか? 」


 家臣は不思議そうな面持ちで乱法師を見詰めた。

 

「森家にいたと申しておりました。そういえば、あまり言いたくなさそうでしたがなぁ。お乱殿は与兵衛を御存じないのですか? 」


 それを聞いた途端、乱法師の頭の中で全ての欠片が一つになった。


「──森家って──あ、乱──待て」


 平八と信基が何かを言おうとする前に乱法師は馬で駆け出した。


「下手人は、妙覚寺にありーー」


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