結局、松永久秀は謀叛の意志を変えなかった為、孫に当たる人質の少年二人を京の六条河原で斬首し、信貴山城を、嫡男信忠を総大将として四万の大軍で包囲させた。 

 信長が欲していた名物茶器、平蜘蛛を道連れに松永が自害して果てたのは、九月を過ぎた十月の十日の事であった。


 松永の自害で戦は終結し、信忠はその褒賞として帝より三位中将の位を賜った。

 武家の一般的な父親がそうであるように、家督を継ぐべき嫡男に対しては殊更厳しい態度で接している。

 心の内では息子が此度の討伐で帝に賞せられ、中将の位を賜った事が嬉しくて仕方がない。

 乱法師から見る信長は、激昂したかと思えば上機嫌で大笑いしたりとかなり表情豊かだ。

 そうした人間味溢れる姿に身近で触れる度、初夜の荒々しい振る舞いこそ夢として薄れていく。

 いや、時折注がれる強い眼差しにより鮮烈に甦る記憶に心乱れる事はあった。

 唇を重ねた時の肉体の熱さにも──

 しかし、乱法師にとっては目の前で笑みを浮かべる信長こそが真の信長になりつつあった。


「約束通り鷹狩りじゃ。城之介(嫡男信忠)が育てた鷹を使ってな」


「中将様が?それは楽しみにございます」


 信長は他に人無きが如く乱法師に語り掛けた。

 主語が抜けても周りに人がいようとも、親しげな言葉は大抵乱法師に向けて発っせられる。 

 信長は実に巧みだった。

 知的好奇心を擽り乱法師の言葉に耳を傾け、幾重にも重なる心の扉を次々と開いていく。

 彼に自覚は無いが、信長の前で随分と笑うようになった。

 それが、また愛しい。 

 だが、最奥にある扉は容易には開かない。

 いや、強引に開く事も出来なくはないが、自らでなくば意味がない。

 その心境は城攻めにも似ていた。


 嫡男、信忠から贈られた鷹を用いて、手始めに場所は近江八幡の浅小井の辺り、近場なので浅小井城主の伊佐志摩守の邸を宿所とし、供は馬廻り衆やお弓衆も併せて数十名と決まった。


 ただ「小姓は蘭だけで良い」と、言われ面食らう。

 

「私だけでは行き届かない事もございましょう」

 

「志摩守の邸には何度か立ち寄った事もあるが、此度も一泊程度では、そなた一人で十分であろう」


「ですが──」

 

「そなたも謂わば客人のようなもの、志摩守の家人が万事整える故案ずるな」


 尚も心配する彼を自信あり気に宥めた。

 言われてみれば良く知るお膝元の事、警護さえ万全であれば確かに自分だけでも良いのかと納得する。


 綾藺笠、虎皮の行縢、空穂も虎皮、射籠手は緋色、太刀は宗三左文字、腰刀は不動行光と全体的に派手な出で立ちで、乱法師も狩装束で供をした。

 伊佐志摩守も挨拶に参上し、駆り出された多くの勢子が鳥や獣を叢から追い出す。 

 鷹は飛翔すると獲物を捕らえ、鷹匠が素早く餌と獲物をすり替える。

 馬廻り衆やお弓衆と共に乱法師も参加し、大層身体を動かし皆の憂さも晴れ、楽しい一日となった。


 信忠の育てた鷹はその後も沢山の獲物を捕り、上機嫌で志摩守の邸で供廻りに馳走し、皆々酒も嗜み信長自身も飲んだ。

 

「主より上様の御身の回りの御世話をするようにと仰せつかって参りました。私共をお好きなように御使い下さいませ」


 妙齢の美女二人が頭を下げ手を付いたので信長に告げた。


「そなたが居る故不要と申せ」

 

 仕方なく信長の言葉を女二人に伝え下がって貰う。


 風呂の支度が整い世話の為従うと、湯殿の中に桶が据えられ湯が張られていた。 

 この時代は蒸し風呂が基本で風呂自体が贅沢だったが、湯に直接浸かる事もあった。

 志摩守の邸では都の二条邸程立派な湯殿はない為、肌寒い季節に疲れを癒し、温まってもらおうと用意されたものだ。


 乱法師が背中を流していると鷹狩りの事で話が弾む。 

 ふと、先程の女子達の事が気に懸かり訊ねてみた。

 

「女子衆を下がらせてしまって宜しかったのですか? 」

 

「女達が何の為に遣わされたか存じておるのか? 」


「上様のお世話をする為と申しておりましたが」

 

 訝しげに答えると、信長は鼻で笑い己の下半身を指差した。


「世話をするのは主にこっちの方よ」


 意味を悟り小さな声を上げ、赤くなって俯いてしまう。


 信長は湯に浸かると、気に入りの小唄『死のうは一定、しのび草には何をしよぞ 一定語り起こすよの』を口ずさみ始めた。

 入り口に控え小唄に耳を傾けながら、先頃小姓の三郎に頼んだ他の家臣には秘密にしている、ある事を思い出していた。

 彼は主の不興を徒らに買うような教育はされておらず、常に先を読み心配りの出来る利発な小姓だ。

 だが、教育が行き届いていない点がある事を知ってしまったのだ。


 そう、あの夜に──

 

 ああした場合どのように振る舞うべきか、何をすれば主が喜ぶのかも教えて貰った事は無く、誰にも聞けず苦悩した。

 苦悩したあげく、年の近い小姓の三郎にとうとう打ち明けた。


 三郎は始め男女の書物と思ったが、恥じらう主の意を察し、探し求めてきてくれた。

 読んでは見たものの、こんな淫らがましい行為を自らなど到底無理と挫け、益々落ち込んでしまった。

 入り口で物思いに耽っている間、信長は唄を止め彼に見入っていた。 

 暗くなり始めた湯殿に点された灯火が、伏せた長い睫毛を艶めかせ、切れ長の瞳に哀愁を加え、湯帷子のみの飾り気の無さが清らかな美しさを際立たせる。

 静かに座す横顔に緑の前髪がかかり、ようやく強い視線に気付き、瞳をゆるりと向ける。

 信長は彼を強く欲した。

 初夜から三月以上も経っている。


 未熟な相手に合わせ心を通わせるやり取りを楽しんできたが、そろそろという思いもあって彼一人を小姓として伴う事にしたのだ。


「そなたも一緒に入れ」


 蒸し風呂ではないので身に付けているものを全て信長の前で脱がねばならず、返答に窮していると、いきなり湯を思いきり引っかけられた。

 驚き濡れた顔を上げると楽しそうに大笑いしている。


「蘭法師、そこに立て! 」


 茫然としている彼に突然の命令が下り、慌てて立ち上がった。


 湯気を纏った信長が近付いてくる。

 

「髪も濡れてしまったようじゃな」


 ゆっくり手を伸ばし乱法師の髪結紐をほどくと、月代も剃っていない長めの髪がはらりと肩に落ちた。 

 華奢な顔立ちの彼が髪を下ろすと更に美しく、可憐に見えた。

 

 肩に熱い手を置くと後ろを向かせ、腰紐に手をかけ湯帷子を肩から滑らせる。

 あっという間に一糸纏わぬ姿にされ、声も出せぬ彼の細い肩を抱きながら湯殿に誘い洗い場に座らせると、身体を優しく洗い始めた。

 主が家臣の身体を洗うなど通常なら有り得ないが、そんな事を考える余裕は無く成すが儘だ。

 彼の長い髪を指で弄びながら信長が問いかける。


「そなたは真に美しい。名まで花の蘭とは。三左が考えたのか? 」


 この状況で違うとは中々言いづらい。


「はぁ……私など、つまらぬもの。先程の女子衆の方がずっとずっと美しゅうございました」

 

「そんな事はない。そなたを初めて抱いてから、どれくらい経つ? 」

 

 肌を密着させ、耳に唇を寄せて問い掛ける。


「あ……良く、良く思い出せませぬ」

 

 頭の隅に追いやっていた事を無理矢理想起させるようにはっきりと言われ、激しく動じた。


「ならば、今宵は忘れさせぬ──」

 

 項を甘噛しながら腕を撫でる。

 

「何故、私のような未熟者をお嬲りになるのですか?不心得者でございますから興醒めでございましょう。私は何も……どうして良いか存じませぬ。ご不興を買いたくはありませぬ。何卒ご容赦下さいませ」


「案ずるな、儂に身を任せておれば良い」


「どうかご容赦下さいませ。先程の女子衆を呼んで参ります。ご覧になれば、きっとお気に召すでしょう」

 

 あくまでも強引に掻き口説く信長に、とうとう涙声で哀願した。


「そなたの肌も髪も他の誰にも触れさせとうない。だが、何よりも欲しいのはそなたの心じゃ」


 抑えた声音が湯殿と乱法師の胸に響く。

 益々混乱して思考が散漫になっていく。

 己の答えなど待たず、いっそ伽を命じて欲しいとさえ願った。


 このように求められて、例え是であっても

答え方が分からない。


「そなたが良いのじゃ」

 

 耳元で口説かれ頭がぼおっとしてきた。

 爪先から頭頂まで走る痺れの正体は何なのか。

 信長の言葉に全身、心まで呪縛されて動けない。


「蘭、そなたも同じ気持ちであろう? 」


 乱法師の睫と唇が震えた。

 信長は、洗い場の床に彼を寝かせると、己の身体で包み込んだ。



 

 

 

 

 

 

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