まだ、少しだけ暑さが残る初秋。

 各地で捕らえられた高野聖、およそ千人が処刑された。


 乱法師の予想は外れ、全て斬首。

 この時代は常に公開処刑である。


 家に閉じ込め焼き殺すよりも、見物人に見せる目的で斬首を選んだのか。


 高野聖を並べて片っ端から首を刎ねる役目を命じられたのは小姓衆だった。

 小姓の中には、坊丸と力丸がいる。

 それに小倉松寿も──


 弟達や松寿が人を斬ったとて、戦で人を殺めるより後味が悪いというだけで、武家の男子ならば遅かれ早かれ経験する事だ。

 寧ろ、戦に挑む前の試し斬りなのだと言い聞かせようとした。

 まだ一人も人を斬った経験がない彼は、此度の処刑役に加えて貰おうと、信長の顔を見た。


「そなたは行かずとも良い」


 すぐに心の内を読まれてしまう。


「ですが──」


 反論を試みようとすると信長は人払いを命じた。

 子供扱いされているようで少し腹が立った。


『儂がごねると思っておられるのか』


「そなたを子供扱いしている訳ではない。第一、そなたより子供の小姓達にやらせるのじゃからな」


 静かに信長が口を開いた。


「何故……」


「そなたは只の小姓ではない。立場をわきまえよ!処刑役などやらせぬ」


 その言葉は正しかった。

 地位が上がれば自らの手は汚さなくなるものだ。

 だが何か間違っているようにも感じた。

 それが何かが掴めぬうちに言葉が続いた。


「儂の側に常に侍り、名代として使者や取り次ぎをするそなたが、衆人環視の前で高野聖共の首を刎ねるなど。それがどういう事か分かっておるのか」


 やはり言っている事は間違っていない、と思おうとした。

 取り次ぎ役とは家に例えるなら入り口であろう。

 入り口は掃き浄められ美しくなければならない。

 常に近侍する乱法師の振る舞い一つが、信長の威信を上げもするし下げもするのだ。


 名代として品良く優美な乱法師を好んで遣わすのは、己の体面を飾る目的もある。

 そのような者に衆人環視の前で憎まれ役となりやすい処刑役をさせる訳にはいかない。


 納得したような納得出来ぬような──

 何か間違っているという何かとは私的な理由だ。


 乱法師を単独で戦目付けとして派遣した事もなければ、処刑の検使役も罪を糾明する役も、敵方への使者はおろか戦の前線に送り出す事もしない。

 表向きは彼を重用しているつもりでいるが、危険な事も汚れ仕事もさせたくないし、遠方への使者の役もやらせたくないというのが本音だろう。


 但し、わざわざ他にいるのに強く訴えるのもどうか。

 特殊な立場で何かと噂になりやすい為、据え物斬りが好きだと思われたら信長の印象が益々悪くなってしまう。


 寵愛が過剰であるにせよ、信長の心の声を聞き理解し、諸将に柔らかく意向を伝える。

 彼に寄せる信頼は血を分けた息子以上であろう。

 信長の手足、血肉。


 二人の周囲に与える印象は火と水程違っても常に一体なのだ。

 二人の間の他者が入り込めぬ強い絆と、如何に若年でも信長の分身のような彼を、何人たりとも軽々しく扱う事は出来なかった。


 ─────


 十月、城内での共食いという凄惨さが、後世にまで『鳥取の渇泣かし』として語り継がれる兵糧攻めの末、守将、吉川経家の切腹で鳥取城は開城した。


 飢えで地獄の餓鬼の如く腹が膨れ上がり、形相凄まじい城兵達に、羽柴秀吉は即座に粥を振る舞ったのだが、空っぽの胃にいきなり食物を入れ込んだせいで胃痙攣を起こし、その時点で命を落とす者も数多いたとか。


 当初は抗戦を主張していた森下道誉と中村春続の命と引き換えに、城内の者達の助命をするとの条件であった。

 秀吉は吉川経家は助けようと信長に助命嘆願した。

 吉川経家に抗戦の罪はないとの理由と、武将として筋が通った男気に感服したからというのもある。


 信長も助命を許した。


 だが大抵、男気溢れた武将は責任感が強く、城兵が飢えに苦しみ死んでいったというのに、己一人生き残るのを潔しとせず切腹の意志を変えなかった。

 忠誠心も誇りも捨てられる人間は、助けたくなくても長生きするものだというのに。

 吉川経家が幼い子供達に宛てた遺書は、読めるようにと平仮名が多く使われていたと云う──


 ───


「いよいよ巣立ちの時じゃ!鳥小屋から出してみよう。今度の鷹狩りで早速使えるかどうか」


 楽しげに向かうのは、所有の鷹が多数飼育されている鷹舎である。

 信長が雪白の鷹を、殊の他秘蔵した事が諸国にも知れ渡り、別の真っ白な鷹の雛が献上されていた。

 鷹匠が育て、この度小屋から出して飛ばせて見る事になったのだ。


 無事に巣立った白鷹は悠々と飛翔すると、完全な野生ではないので鷹匠の合図で腕に戻ってくる。

 鷹の調教と飼育は我が子を育てるかのようだ。

 懐くまで寝食を共にし愛情を注ぎ、信頼関係を築いているからこそ、また腕の中に戻ってくる。

 空を見上げながら、乱法師は嘗て白鷹を彼に似ていると信長が言った時、子供っぽく腹を立てた事を思い出した。

 

 翌日、早朝から安土城の東の方角に流れる愛知川の辺りで、弥助も伴い巣立ったばかりの鷹を使い鷹狩りをした。


「オッハヨーゴゼーマス」


 元々陽気な質で賢く、言葉も随分達者になった弥助である。

 彼を頻繁に供の衆に加えているせいか、安土周辺に住む者達は弥助の異国人としての容姿にすっかり馴染み、以前は出掛ける度に人だかりが出来て大変だったのだが、今はそうした事もなくなっていた。

 武芸は槍も刀も上達し、なまじ膂力りょりょくがあるだけに力に頼り過ぎてしまうとはいえ、実際に戦で相対すれば一対一なら弥助に勝つのは至難の業だろう。


 鷹狩りの後は、安土城から南西の方角に建設を許可したセミナリオ(神学校)を立ち寄る事になった。

 セミナリオは三階建ての立派な建物で、奥内にまで入るのは初めてだが、安土の天守閣からも遠目に見る事が出来る。

 安土城と同じ鮮やかな青色の瓦に陽光が当たると瑠璃色に煌めく。

 和様式でありながら、何処か異国情緒漂うのは、切支丹の学校だからか信長の趣味なのか。

 完成して間もないセミナリオは間近で見るとどこもかしこも新しく、驚くほど清潔だった。

 既に切支丹大名、摂津の高山右近の家臣の中から優秀な子弟が選ばれ、ここで学ばせている。

 授業の内容はキリスト教理論、日本の文学、ラテン語、修辞学に音楽も含まれる。

 一階には茶室付きの座敷まであり客人を持て成せるようになっていて、二階に上がると神父の居室、三階が教室と生徒達の寝泊まりする寄宿所となっていた。


 乱法師や供の小姓達よりも年若い少年達が熱心に神父の教義に耳を傾けているところだった。

 信長は日頃の活動の様子を知りかったので、堅苦しい挨拶や気遣いは要らぬと伝えさせた。


「せっかく上様にお越し頂いたのですから、まだ拙い技巧ではありますが、少年達のクレヴォとビオラの演奏を聞いて頂きたいのです」


 神父が言う異国の楽器クレヴォとは、鍵盤で音を奏でる現代のオルガンのようなものだ。

 ビオラは現代のビオラよりも大型で、寧ろチェロかコントラバスに似て床に置いて弾く。

 日本では馴染みのない形状の楽器が一体どのような音色を奏でるのかと、乱法師の胸は期待で高鳴った。


 少年が指で鍵盤を押さえ、別の少年がビオラの弦に添わせて弓を引く。

 クレヴォの音を最初に耳にした瞬間、確かな旋律の中に鈴のような軽やかな音色が響き、不思議な感覚に囚われた。

 ビオラは低く人の声のように暖かで愁いを帯び、心の奥深くを揺さぶり長く伸びやかに響く。

 クレヴォの癒しの煌めく音色が美しく鳴り響くと、低く震えるビオラの音色が共鳴し混じり合う。

 他の数名の少年達が、習い覚えたラテン語で声高らかに歌う。

 全く異なる音が重なり、一つの音楽を作り上げていく。


 信長と供の家臣の者達は異国の音色に静かに耳を傾け、各々の記憶に思いを馳せた。


 哀しみの記憶か、愛する者との幸せな記憶か──

  

 弥助は目を閉じていた。

 心の内に広がるのは、幼き日に生き別れた家族と熱い大地の祖国の情景だったのかもしれない。

 肘を付きゆったりと異国の椅子に腰掛け、聞き入る信長の高い鼻梁の美しい横顔を乱法師は見つめた。


 いつしか一筋の涙が頬を伝う。

 その涙の意味は分からなかったが、彼の心に様々な記憶が去来した。

 木曽川を下り安土に来た日の事。

 初めて信長に会った日の事。


 ────初めて抱かれた夜の事。


 信長を愛しく思う感情に初めて気付いた日の事。

 

 時は流れているのだ。

 河のように、何百年も後の者が見たとて水の流れる情景には変わりはないのだろう。

 だが、流れる水の色に変化は無くとも、確かに流れているのだ。

 

 確実に未来へ向かって。

 時を止める事は誰にも出来ない。

 例え訪れる未来が望む未来でないとしても。

 彼の心に強く、白鷹が空を舞う姿が蘇った。

 心地良さそうに飛翔していた。

 自由とは、心地良いものなのか──


 


 


 


 


 

 






 






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