森蘭丸伝 花落つる流れの末をせきとめて
春野わか
第1章 乱法師
(注:文中では、蘭丸は全て
天正五年(1577年) 三月
供を連れた見るからに育ちの良さそうな少年が商家の軒先に腰掛け、志野焼きの器を両手で包み熱心に眺めていた。
若草色の綾織小袖が、少年の白い肌や品の良い顔立ちを引き立てている。
余程気に入ったのか、器を手の内でくるくると回し、
志野焼きには、先程から少年が手に取っている
美濃では焼き物が盛んで他に黒釉をかけた黒無地の瀬戸黒があり、特に大萱で名品が焼かれ千利休の好みであったとも云われている。
今日は
六斎市とは月に六回決まった日に開催される市の事で、古くは室町時代に始まったと伝わる。
障子紙や灯籠に使用される透かし紋様の美しい和紙。
豪奢な反物、志野焼と呼ばれる焼き物、菓子や油、酒。
城下町の通りに所狭しと並べられ、商人達は稼ぎ時とばかりに大声を張り上げ客を呼び込み、買い付けた品物を他国に売ろうという商人、町人、武士、僧侶、様々な身分の者が通りを行き交う。
美濃の平地を横切る木曽川を多くの川舟が行き交い、上流に位置する美濃の兼山湊に停泊し、種々雑多な積み荷が降ろされる。
川の東側を望むと峻険な山が
元は斎藤氏の支配にあったが、久々利城主、土岐悪五郎に謀殺され一時城主が不在となるも、織田信長の重臣、
その僅か五年後の元亀元年(1570年)、森可成は浅井朝倉勢の大軍が迫る中、近江の宇佐山城から打って出て、壮絶な討ち死にを遂げていた。
1570年から廃城となる1600年までの間、
兼山湊と木曽川のおかげで商業が栄え多くの人々が集い、ここ美濃の金山の城下町は常に賑わっていた。
麗らかな春風が、河岸に咲く満開の桜花を浚っていく。
注ぐ陽光に悠々と流れる翡翠色の水は川底まで透き通り、舞い落ちる薄紅色の花弁が彩を添えていた。
「乱法師様、そろそろ坊丸様、力丸様、仙千代様を探しに参りましょう」
乱法師様と呼ばれた少年が細首を振り向けた。
今まで眺めていた器ではなく、紅志野の香炉を手に取る。
「では、これを買うて母上に差し上げよう」
親孝行な一面を覗かせ、香炉を手に入れ店を後にすると、共に市に来ている弟達を探しに通りに出た。
少年の名は森乱法師。
僅か十三歳で父可成の跡を継ぎ金山城主となった二男の森勝蔵
宇佐山で討ち死にした可成にとっては三番目の息子に当たる。
彼の生まれは永禄八年(1565年)で当年十三歳、可成が金山城主に任ぜられた当にその年に誕生した男子であった為、父の可成は大層目出度い子じゃと可愛がった。
大勢の人でごった返す通りを探すと、乱法師の弟達、坊丸、力丸、仙千代は店先で茶を飲みながら南蛮菓子のビスカウトを頬張っているところだった。
「兄者、遅かったのう。ビスカウトはやっぱり旨い」
一つ下の十二歳の坊丸が気づいて嬉しそうに声をあげた。
水運に恵まれた金山では、京や堺の品物も手に入るが、南蛮菓子類は流石にまだ珍しい。
ポルトガルとの交易がもっと盛んになれば、沢山南蛮菓子が食べられるのにと坊丸や力丸は思っている。
坊丸の下の弟は力丸で十一歳。
乱法師から力丸までは年子だが、末っ子の仙千代は八歳である。
坊丸と力丸は乱法師に似て華奢で繊細な面立ちだが、仙千代は幼な気に頬がふっくらとして眉が凛々しく、五月人形にある金太郎に良く似ていた。
元亀元年、父可成が討ち死にした年に生まれた為、仙千代だけが父の顔を知らない。
兄弟達は毎日朝から武芸全般の稽古、漢文、算術、行儀作法を含む一般教養の習得で忙しい。
他にも兵法指南。
嗜みとしての鼓、舞、茶道、連歌、和歌。
もう少し暖かくなれば水練も始まる。
六斎市での城下町巡りは領内の様子を知り町民と触れ合うという意味を持ちながら、森兄弟にとっては娯楽のようなもので、厳しい教育の合間の一寸した息抜きになっていた。
市を一通り見て回ったので、金山の城に戻る事にした。
馬に跨がり、金山城の米蔵横の大手道から坂を登り三の丸に向かう。
多くの曲輪が堅固な石垣で造られ、戦うために建てられた、当に乱世の城らしい構えだ。
三の丸門を潜って曲輪内の厩に馬を繋ぐ。
徒歩で奥に進むと清水が涌き出る谷に続く水の手門があり、そこから毎日飲み水を汲み上げている。
山麓の城下町や寺社は既に豆粒程の大きさで、次の大手門を潜れば、いよいよ本丸だ。
大手門の内側は石垣が積まれた枡形になっており、敵を三方向から弓や鉄炮で狙い撃ち出来るようになっていた。
本丸には天守と小天守、森一族の居館としての本丸御殿がある。
天守と小天守は繋がっており、天守は二層造りだ。
搦め手門側には堀切や竪堀が造られ、敵の侵入を防ぐさまざまな工夫が凝らされている。
搦め手側の峰には森兄弟の討ち死にした父可成の菩提寺、
山城であるので自然の草木が豊かに生い繁り、本丸に生えたヤマナシの巨木からは城下や木曽川まで良く見渡せ、非常に眺めも良い。
山の上の空気を大きく吸い込み乱れた息を整えると、本丸御殿にある母の居室に向かった。
「母上、入ります」
中からの応えを待ち美しい挙措で襖を開けると、尼僧姿の母、妙向尼が端座し写経をしているところだった。
良人の可成と嫡男伝兵衛可隆を同じ年に亡くして以来、髪を下ろし元々熱心に信仰していた一向宗にますます傾倒するようになっていた。
尼となってからは化粧っ気とてないが、四十を過ぎているというのにきめ細やかで透き通るような白い肌である。
理知的で切れ長な瞳が息子に向けられる。
若かりし頃も美女であったが、むしろ今の方が生来の美しさが際立ち、質素な墨染の衣に身を包んでいても薫り立つ品を湛えていた。
目の前に座す乱法師は面差しや雰囲気が母に良く似ていた。
「市に行ってこられたとか。良い物は見つかりましたか? 」
「はい、此度は南蛮菓子のビスカウトも入って参りましたので土産に買うて参りました」
「まあ、それは嬉しい事。後程、頂きまする」
「あと、母上にこれを。香炉が壊れたと仰せでしたので」
紅志野の香炉を差し出す。
「これは美しい」
息子からの贈り物はどのような物でも嬉しいのが母親というものだ。
「お屋形様が明日には岐阜よりお戻りとか」」
お屋形様とは金山城主となっている二十歳の息子、勝蔵長可の事だ。
父に先立ち十九歳の嫡男可隆も討ち死にしており、僅か十三歳の長可が家督を継いで以来、努めて「お屋形様」と呼ぶようにしてきた。
家督を継いだ年端のいかぬ息子が、家臣達から侮られないようにとの気遣いからだ。
主君に対する絶対的な忠誠心を家臣に求める事など叶わぬ時代。
仕えるに足りぬ暗愚、若しくは若輩者に従うなど真っ平御免と思えば主を平然と裏切った。
出奔するだけならともかく、長可の首、或いは幼い乱法師達を手土産として甲斐の武田に寝返られたらと嘗ては心が安まらなかった。
信長に重用された良人可成ですら、戦で負傷し指が一本無い事から『十九(じゅうく)』と家臣達は渾名し、気に入らない事があると陰で嘲っていたものだ。
幸い兄弟の中で一番気が荒い長可が、武将として頭角を表すのに時は要さなかった。
弱冠二十歳でありながら、武将としても金山の領主としても並々ならぬ手腕を発揮し、以前のような心許無さは感じられなくなっている。
「栄巌和尚様が参られました」
侍女が襖の外より声を掛けた。
栄巌和尚は
「すぐ参る。では母上、失礼致しまする」
乱法師は腰を上げ、部屋を後にした。
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