「それでは残念ですが、宗易殿とはまた日を改めて。実は某に大きなはかりごとがあるのです」


「どんな謀ですやろ? 」


 光秀の口調は謀という言葉にそぐわぬ楽しげな様子で、宗易は興味をそそられた。


「政の話で申し訳ないのですが、島井宗室殿はお困りの御様子。それ故、上様に取り次ぐと申したのですが──つまり大きな傘の下に入りたいと御望みならば、それ相応の物が必要になるかと」


「ははあん、なるほど。つまり楢柴肩衝ならしばかたつきを献上しろと言う訳ですな」


「左様──」


 天下一品とも評される茶入れ、楢柴肩衝ならしばかたつき

 たかが抹茶を入れる小さな壺だが、現代の価値で凡そ数億円以上とも言われる名品である。

 肩衝とは、壺の肩に当たる部分が角ばっている形状をいう。

 世にいう天下三肩衝の茶入れとは、一つは初花肩衝、二つ目は新田肩衝、三つ目が楢柴肩衝である。

 初花と新田は、茶器狂いと言われるくらい蒐集に熱を入れている信長が既に所有していた。

 天下一品と言われる残りの一つ、楢柴肩衝を手に入れれば全て揃うのだ。

 信長が喉から手が出る程欲しているのは明らか。


「ですけど、宗室殿の秘蔵の茶入れ。なんぼ上様が御所望でも簡単に手離すやろか?それが、日向守殿の言われるおっきな謀ですか? 」


 千宗易は目に見えて落胆した様子である。 

 それでは全くの政の話で、宗室や光秀にとっては利がある話かもしれないが、己には大して面白い話ではないだろうとかなり臍を曲げているのが伝わってきた。


「いやいや、楢柴肩衝程の名物を所有されておれば武力で奪い取ろうという輩はこれから沢山出て参りましょう。上様はいずれ九州も手中に収められる。その時では遅い。今こそ自ら献上した方が良いと御理解頂ける筈」


 宗易は確かにもっともであるとは理解した。

 宗室は大友宗麟から大金を出すから譲って欲しいと再三請われて難儀していた。

 その気になれば武力で奪い取るという方法もあるのだから、この先楢柴肩衝を所有し続けるのは困難だろう。


 信長は必ず所望する。

 断れる術が無いのなら、献上して商売の庇護を求めた方が心象が良くなるのは確かだ。


「そうやな、言われてみれば確かに説得したら簡単に承知しそうですなぁ。ですけど儂にとっては持ち主が代わるだけの事ですさかい大しておもろない話です」


 千宗易とて数多の武将に師事する身。

 武将や商人達にとって茶会がある意味政治の場となる事は受け入れてはいる。

 だが純粋に茶会の話で盛り上がっていたつもりだったのに、政めいた話に変わってしまい興醒めだった。


「話はこれだけではござらぬ。名物献上の舞台を派手に設えたいと考えておるのです」


 白けた場の空気を察して、すかさず興味を惹く話に切り替える。


「派手な舞台でっか? 」


「一流の茶人や大名、公家衆を招いての大茶会など面白かろうと思うのです。宗室殿には茶会にて楢柴肩衝を披露して頂く。皆が見守る中、献上されれば宗室殿の御名も高まるでしょう。某の考える茶会の目玉はこれだけではござらぬ。上様が所有される名物茶器の数々を、この機会に披露されては如何がかと申し上げて見るつもりでおります。名付けて、名物茶器揃えでございますよ。あっはっはっは」


 感情を面に出さず戯れ言など言いそうにない光秀の快活な態度に、千宗易は目を丸くする。

 確かに面白い企てだが、島井宗室にも信長にも、まだ了承を得ていない点だけは気になった。


「──えっええ、確かに確かに、実現したらおもろいとは思います。大茶会。ほんまに、楢柴肩衝だけでのう上様の名物まで一堂に介したら結構な見物やろうなぁ。あれですなぁ。御馬揃えやなしに、御茶器揃えですなぁ」


 茶の湯に関して侘びだの寂びだの言っているが、其方は趣味で本業は堺の商人である。

 口先は軽く、生まれ持った気性は侘びしくも寂しくもなかったから、つい光秀に釣られて調子づく。

 独特の美意識と世界観を持ち、茶杓を手作りする拘り振りで、素直に名物茶器は手に取り眺め、実際に使用してみたいと思うのが茶人の性。


「この茶会、無事開かれる運びとなりましたら、宗易殿にも御参加頂けましょうか? 」


「勿論でございます。参加するだけでのうて、儂からも上様や宗室殿に働きかけまひょか?ははは、確かに中々ええ謀でっせ!力になれる事があったら言うて下され」


 すっかり乗り気になった宗易とは、和やかに世間話をして別れた。

 数日後、島井宗室から快い返事を貰い信長に伝えると、思った通り目を輝かせた。


 七日の私的な茶会は島井宗室は都合がつかなかった為、二十五日に坂本城に招く手筈となった。

 京の本能寺で茶会を開く事にした信長は、上洛を二十八日と決め、松井友閑から堺衆に書状が出され、三十八点もの秘蔵の茶道具を島井宗室に見せる約束をした。


『三十八種!三十八種!凄い!何と豪気な──素晴らしい茶会になろう。末代までの語り草じゃ。上手く事が運んだ 』


 とんとん拍子に話しが進み、光秀は小躍りした。

 ─────


 七日には予定通り、坂本城に津田宗及、山上宗二を招き朝茶会を催した。

 己に対する寵と、如何に畏敬しているかを誇示するかのように、拝領した信長直筆の書を床に掛けた。


 茶室の間取りは床の前に貴人畳がある。

 畳には客畳、手前畳など、座る者の立場を表す名が付けられている。

 貴人畳とは主客が座る特別な場所。

 床に直筆の書を飾った事で、あたかも信長本人を招いているような心境となり、実際にこの場にいる堺の茶人二人を座らせたのは、ただの客畳だった。


「ほお、こちらが上様の御直筆。達筆でいらっしゃいますなぁ。雄壮で剛毅な御気性その儘の筆致の中に、知性と優美ともいうべき細やかさも感じられる。いや、素晴らしい」


 客の二人は光秀を立て、更にその主信長の達筆さを褒めちぎった。

 あながち世辞ではなく、粗野で荒々しい印象とは裏腹に、信長の筆致は思わず見入ってしまう程に巧みであったのは確かだ。

 いよいよ茶会が始まると、炉にはこれまた信長から拝領の八角釜が据えられ、湯が沸かされる。


「八角釜で沸かした湯で茶を立てて頂けば、さぞかし妙味でございまひょな。斯様な名物を上様から賜るやら日向はんの事、余程信頼されてるんやろうなぁ」


 どんな釜で沸かそうと味に変わりなどなさそうだが、光秀は得意の絶頂だった。

 実は秀吉の大量の歳暮に対して十二種もの茶器が下賜されていた。


『あの下品な鼠面が!名物を賜っても宝の持ち腐れじゃ。使い方も分かるまいに。家中で一番に茶会を開く事を許されたのは、この儂じゃ』


 湯気が上る八角釜のように光秀の心は熱く沸き立つ。

 目の前にいる、当に二人の客人そっくりその儘、一月十八日に姫路城で開かれる秀吉の茶会に招かれているのは当然耳にしていた。

 その茶会に先立ち、拝領品二つを用いたのは無論意図がある。

 姫路城での茶会が、下賜された十二種の茶器を披露する為のものであるのは明白だ。

 秀吉は必ず坂本城での茶会の様子を二人に聞くに決まっている。

 秀吉に深い嫌悪を抱くようになってからというもの、まるで愛する者のように却ってその心情が分かり過ぎてしまい、時折吐き気を催す程だ。


『風向きは変わったのだ──』


 光秀は自身に言い聞かせた。

 全ては順調で思惑通りに進み、温かな風がまた己を包み、勢い良く背中を押してくれるかに思えたのだが──





 

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