5
「お乱、儂は播磨の筑前殿(秀吉)の陣に検使役として向かう事になった。後の事は上様の御指示を仰ぎ進めるように」
万見からそう言い渡され、乱法師はやや不満だった。
秀吉は毛利に寝返った三木城を攻めていたが、織田方の上月城を毛利、宇喜多の連合軍が囲んだ為、膠着状態が続いていた。
三木城を落としたい秀吉だが、上月城に大軍が押し寄せては攻略に専念出来ない。
その為、三木城に与した神吉城を先に落とすよう秀吉に指示を出し検使役を派遣する事となった。
戦況はそれぞれの思惑が入り乱れていた。
連合軍は秀吉を攻めるべきところ、宇喜多の思惑で上月城奪還を先ず優先させる事になり、秀吉を牽制するに留まっている。
あくまでも三木城攻略を優先させ、上月城は捨て駒と割り切る信長。
乱法師は本音を言えば検使役として任に当たりたかった。
彼に振られる仕事は軍事に直接関わりないものばかりだ。
饗応の準備や相撲興行の告知と力自慢の者達を募る等、献上品に対する礼状書きは全て彼に回された。
「私も播磨に遣わして頂きとうございました」
つい心の内を堀秀政に洩らした。
堀秀政は年配の近習も一目置く程の秀才でありながら、温厚で偉ぶったところが少しもなく最も話し易い相手だ。
長谷川秀一あたりに言わせると、人が好すぎて良く今まで生きてこれたものだという事になるが全くその通りで、悪口を耳にしても彼は怒らなかった。
「初陣も済ませておらぬのじゃから仕方なかろう」
堀は当然の事を口にした。
分かっているからこそ信長に申し出なかったのだが、邸に不動行光まで賜り、功績もないのに寵愛ばかりが増していく。
非常に中途半端な今の立ち位置。
小姓として共に勤める者達とは今や本音で語り合えない。
何をしてもしなくても信長にとって愛おしい存在であり、これからも様々な物を惜しみ無く与えられるのだろうと皆が悟っていた。
乱法師が不満なのは閨においてすら成すが儘だという事もある。
快楽に身を委ねる事も寵に甘える事も、堕落と捉える生真面目な彼の慎ましやかな努力など意味を為さぬ程に信長の力は凄まじかった。
彼自身の成長を待たずして周囲が勝手に変わっていく。
芯が崩れ、己が己でなくなるようで恐くて仕方がない。
真面目に務め、仕事を早く覚える事だけが己を保つ術だった。
六月になり、安土に来てちょうど一年過ぎたのだと嘆息した。
母や弟達に無性に会いたくなる時もある。
陽射しも暑さを増し、肩衣は付けず、鹿の子絞りに色とりどりの花の刺繍、流水模様に刷り箔で
しかし華やかな装いとは裏腹に心は晴れ晴れとしなかった。
万見と祝が検使役、京に出向いている者、安土の普請の様子や城下の視察で信長に付き従っている者とがいて、馴染みの面々の殆どが不在だった。
大抵乱法師は供をするのだが、溜まっていくばかりの雑務を少しでも片付けたかったので辞して残る事にした。
献上品を受け取った日付と内容と送り主を記載した目録を取りに行くと、長谷川秀一に会ってしまった。
会ってしまったと感じたのは長谷川の事が苦手だからだ。
愛想笑いを浮かべながら、底にある悪意の感情をちらりと覗かせてくる。
信長や他の者には伝わらないように、じわじわと痛ぶり、経験や年齢という乱法師の弱味を蛇のように締め上げるのだ。
「上様には付いていかなかったのか。珍しい……」
「献上品の目録を取りに参りました。そこをどいて下さらぬか」
長谷川の棘に気付かぬ素振りで、やや生意気に言い返した。
「おお、これは相済まぬ」
不快な視線を避けて目録を探すと棚の上の方にあり、彼の背丈では手を伸ばしても少し届かない。
「取って差し上げよう」
後に気配を感じた時には遅く、強く抱き締められ項を舌で舐め上げられた。
「!──あ! 」
振りほどこうとするも凄い力である。
長谷川秀一も寵童あがりの優男だが、乱法師よりは十近く歳上で体も大きく、戦場での経験からか抵抗を上手く封じてくる。
「怖がらずとも良い。終いまでは致さぬ。上様が愛してやまぬ身体を少し味わいたいだけじゃ。大人しうしておれば、すぐに終わるから声を出すな」
「──無礼な!──斯様な真似、許されませぬぞ! 」
「ふ、ふふ……上様は乱は良い子じゃと申される。言い付けるか?そちには無理であろう。力無くとも誇りだけは高そうじゃからな」
「くぅ──離せ──離せぇ」
必死に抵抗するが片方の腕を後にねじ上げられた儘背後から床に押さえ込まれている為、下手に動けば折れてしまい兼ねない。
憎いのは折られても犯されても、恥辱を知られるのを厭い、人に言えないのを承知している事だ。
「どれ……」
袴を捲り上げ手が下に入り込む。
「──止せ!!止めろ」
滅多に激昂しない彼も怒り狂った。
力で敵わない事が悔しく涙で目が霞む。
これ以上の辱しめを受けるくらいなら、舌を噛みきってやろうかとさえ思った時、信長の顔が頭に浮かんだ。
彼は敵わぬ相手に対して、心の内で信長に助けを乞うたのだと己を恥じた。
長谷川の手が下帯の中に入り込む。
背後の獣じみた息遣い。
このまま憎い相手に身体を奪われるぐらいならと、腕が折れるのも構わず抜け出そうとした時、部屋の外に人の気配を感じた。
長谷川も同時に気付き力を緩める。
その隙に逃れ、棚の後に素早く隠れた。
次の瞬間すっと襖が開いた。
「お竹(長谷川の幼名)か。お乱はいないのか?部屋にいなかったから此処かと思うたのじゃが」
堀秀政であった。
「いや、ここでは見なかったな。小用ではないのか? 」
乱法師は棚の後で堀の声に安堵した。
今、堀の前に出る訳にはいかない。
「ん?これは、何じゃ? 」
堀が床に目を止め拾い上げる。
「紙か。修善寺紙? 」
「恐らく誰かが書き物をして落としたのやもしれぬ。儂が捨てておこう」
長谷川は、さっと取ると懐にしまった。
やや怪訝な顔付きで、堀はすぐに部屋を後にした。
長谷川を睨み付けると、乱法師も素早く部屋を出た。
誰にも見られぬうちに乱れた着衣を整え、平静を装い堀の前に姿を現す。
「ああ、お乱。ここにおったか」
堀の表情が一瞬変わった。
「どうか、なされましたか? 」
乱法師が髷に付けている、片側がちぎれた修善寺紙の平元結に目を止め考えた。
『小僧とお竹(長谷川の幼名)の間に何かあったな』
堀は乱法師の事を心の内では小僧と呼ぶ。
陰湿な妬心ではないが、初陣も元服もしていないのに、寵愛ばかりが抜きん出ているような者は彼にとっては『小僧』で十分だった。
極めて温厚、且つ秀才な上に武将としての評価も高い彼は、派手さはなくとも己の立ち位置に不安を覚える事はない。
そんな彼から見て乱法師は興味深い存在ではある。
馬廻り衆の中には、以前に信長の閨で寵を受けた者もいる。
そうした者達と己が出世争いをしたところで、所詮皆横並びで大差は無い。
閨で愛されようと家臣として重用されようとも、越えられないのは君臣の垣根である。
堀や万見や長谷川も、今の立場に不満も疑問も抱いた事はなかった。
乱法師が現れるまでは──
乱法師は自分達が越えられない垣根を越え、誰かの後に続くのではなく、信長の心の内に全く新しい居場所を獲得しつつあるのではないか。
「──いや、大した事ではない」
長谷川と乱法師の間に何かあったにせよ、追及し関わるのは一先ず止めておいた方が良さそうだと判断した。
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