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六月に入り、自室で家臣達と普請中の京の二条の新邸に入る日取りを話し合っていた時、関白近衛前久からの使者の対応をしていた万見重元が戻ってきた。
「近衛からは、またあれか? 」
「前の関白様のご子息 、明丸様の元服式を上様が烏帽子親にて執り行う事、重ねてお願い申し上げたいとの由にございます」
宮中での元服式が慣例として、再三辞退しているにも関わらず、我が子の烏帽子親に是非にと何度も使者を遣わして寄越すのでうんざりするのも無理は無い。
しかし来月の二条の新邸の完成披露を兼ねて元服式を執り行えば、色々な意味で一石二鳥である為、最終的には引き受けるのではと万見は踏んでいた。
政務や雑事の話が一段落し他の家臣達が退出すると、一人残った万見が可笑しくて仕方がないという風に笑い出す。
「蘭法師に下帯を着けさせて面白がっているそうですね」
言いにくい事をさらっと口にする。
「何じゃ。妬いておるのか! 」
「妻も子もいる身で妬心など」
仙と呼ぶのは元服後も
戯れる主を鼻で笑いながら軽くあしらう。
「髭は生やすなよ」
髭など生やして、少年の面影がすっかり消えてしまったら寂しいものだ。
天下人となり絶大な権力を持つようになっても、うつけと呼ばれていた頃から中身は余り成長していなかった。
激しい気性も相変わらずだが、信長には日常において機嫌さえ良ければ軽口を叩き、気さくに身分の低い者にも話しかけたり、面白い事や祭りが大好きで小唄なども口ずさむ、真に人好きのする一面もあった。
気の合う近習達に見せる寛いだ顔と、公家や僧侶、平伏する家臣達に見せる威圧的な顔とが矛盾無く彼の中に存在しているのだ。
それにしても、邪な方向に進もうとする度に三左衛門可成の顔がちらつき、美童故に乱法師を召し出したのかと思われる事への強い抵抗感に邪魔される。
また、早々に手を付けたら己の劣情に負けた事になるという気持ちが歯止めとなっていた。
乱法師が佩刀を捧げ侍していた時に、ふと可成と嫡男であった可隆が茶の湯に通じていた事を思い出し、茶室に誘ってみた。
戦場で血を浴び気の休まる暇のない乱世の武将達に茶道は大変好まれた。
静謐な狭い空間で一時でも戦いを忘れ、身分の上下なく茶を点て茶を服す。
血生臭ささを忘れ、一人の人間として静かな時を過ごしたいと思いたてば、供をしている者を茶室に誘う事もあった。
茶坊主に用意を命じ、
掛け軸には『夏雲多奇峰』と書かれ花入れには半夏生が差してあり、真に季節にふさわしい風情であった。
「こちらに来てから宗易には会ったのか」
「まだ、お会い出来ておりませぬ」
森家は名門に相応しく茶道にも精通し、茶頭三宗匠と呼ばれる千宗易、今井宗及、津田宗及とも親交があった。
討ち死にした長兄の可隆は特に宗易を師として教えを受け、秘蔵の茶杓まで贈られている。
今は次兄長可も師事していた。
茶の湯の用意が整うと、信長は乱法師に点前座に座り亭主を務めるように命じた。
慣れた手付きで茶筅を使い点てていく。
容姿だけでなく品の良い挙措から生まれる彼の美しさに感心した。
厳しく己を律しているからこそ美しい振る舞いが出来るのだ、と。
茶を点てる美麗な姿と静謐な空間により、春風の中で清らかな流れに足を浸しているかのように心が和らいでくる。
彼と共寝をしたら戦乱の世である事を暫し忘れ、心地良い夢を見て惰眠を
茶を点て終わり、作法通りに信長が服す。
「見事な点前じゃ」
褒められた嬉しさで乱法師の顔が綻ぶ。
『真にお優しい御方じゃ。斯様な名君の御側にお仕えするは我が誉れぞ』
狭い茶室で二人きりで向き合っているのに心は解れ、寧ろ親しみさえ湧いてくる。
「宗易は度々安土にも参る故、その時に色々と聞くが良い」
「はい」
茶室とは真に不思議な空間で、侘び寂びを良しとし、花は野にあるように花入れに挿す。
飾らず、あるが壗という事なのか。
「金山には確か名水が湧いておるそうじゃな。三左が申しておった」
「小関の清水の事でございましょう。その水で茶を点てますと、大層美味でございます」
「金山に参る事あらば、そなたの点前で味わってみたいものじゃ」
「はい!是非に」
信長が金山を訪れる機会があるのだろうかとは思ったが、こんな風に言ってもらえるだけでも大変な名誉には違いない。
日頃、奉行を務める近習や知識人に囲まれている信長は畏れ多く、新参小姓が打ち解けて話せるような雰囲気では無かった。
そのうち父可成の面白い話を語り出し、自然に笑みが溢れる。
己が知らなかった父の一面を信長の口から楽しげに語られるのが何よりも嬉しい。
「上様は父の事を良く御存知でいらっしゃるのですね」
思わず口にすると信長から笑みが消え、真剣な面持ちで眉を寄せ乱法師をじっと見つめた。
「妙な事を申しました。申し訳ございませぬ」
失言してしまったと狼狽え、睫毛を伏せる。
「寺は詣でたのか? 」
呟きに似た問い掛けに顔を上げると、何とも優しい眼差しが向けられていた。
「──はい」
信長の言う寺が、父の骸を引き取った聖衆来迎寺を指しているのだと瞬時に悟った。
乱法師の顔が歪む。
「儂は何度も行った」
ぶっきらぼうに放たれた言葉に心が震えた。
涙で視界が霞み、唇を噛み締め顔を伏せた。
途端に強く抱きすくめられ、驚いて顔を上げると唇に生暖かい何かが触れた。
伝わる熱に侵され、指先まで力が抜けていく。
漸く離れた時には前後不覚、夢現な有り様で、甘えるように凭れかかり、すっかり腕の中に抱きこまれていた。
「今宵は宿直か? 」
「いいえ.....まだ、宿直を仰せ遣った事はございませぬ」
声が掠れる。
初めての経験に心臓が早鐘の如く打ち、がくがくと震えが止まらない。
「ならば今宵はそなたが宿直をするのじゃ」
「ですが今宵は──」
「儂から申しておく故そなたがするのじゃ。良いな」
既に決まっている者がいると言いかけたが遮られた。
有無を言わせぬ強引さに頷いてしまう。
呆然としながらも、『貴様』ではなく『そなた』と呼ばれた事に、ふと気づいた。
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