母さんとジューンブライド

~SIDE:Mother~



「かちょー。最近、どうですか?」

「どうって……何がだ?」


 雨多き6月のある日。昼休みに入るや否や、私の部下の加藤が何やらムカつくニヤケ顔でそんな事を言い出した。


「何がじゃありませんよ。わかってる癖にー」

「だから何の話を―――」

「ヒメちゃんとの仲はちゃんと進展したのかって聞いてるんです。とうとう観念して、ヒメちゃんと恋人同士になれましたー?」

「公衆の面前で、シャレにならない冗談言うの止めろや貴様……!」


 即この阿呆の口を塞ぎ、他の部下たちに今の話が聞かれていないか警戒する。幸いにも周りの子たちは皆食堂へ向かっていたり、部下同士で仲良くおしゃべりをしていたようで……今の爆弾発言が彼女たちの耳に届くことは無かったようだが……


「(プハッ)かちょー、そんなに慌てなくても良いじゃないですか。仮に聞かれてても動じなければただのジョークだって思って貰えるでしょうし」

「ホントやめろ。マジでシャレになってないからやめろ。捕まり兼ねん……」


 あくまで娘の方から求められ、キスされ、そして押し倒された立場だけれども。下手にそれを周囲に知られたら『実の娘を手籠めにしてる』とかで通報され、娘に虐待していると警察からしょっ引かれ兼ねない。

 自分の身とヒメの将来を考えれば、コイツ以外に知られるわけにはいかないわけで……


「気にし過ぎですよー。普段は快活で横暴で大雑把なのに、かちょーってば変なところで細かいですよね」

「当事者じゃないやつは何とでも言えるわい」


 こっちが神経すり減らしてバレないように振舞っているってのに……ほんっとにコイツは……!


「で?話戻しますけどぉ。どうなんですか?流石にヒメちゃんとキスくらいはしましたよね?ね?」

「するわけねーだろ」

「…………は?」

「何を心底『この人何言ってんの?』的な顔してんだお前は。……しねーよ。肉体的接触はしちゃダメだってヒメには釘を刺してるし。二十歳になるまでにそういう行為をしたら……恋人にはならないって決めてるからな」


 親子としてのスキンシップで許されそうなハグくらいは認めてはいるものの。キスはダメだ。あの子が大人になるまでは、あの子は自分自身の行動に責任を持てるまでは……私も色々と我慢しないと―――あ、いや違うッ!?が、我慢しないとじゃない!ヒメに、我慢させないとだな!


「うぇえー……まさかまだそんなつまんない事にこだわってたんです?それ生殺しじゃないですか。ヒメちゃんかわいそー。キスくらいなら大目に見てあげたらいいのに」

「うっさい。他人の家庭の事情に首を突っ込むなや。……良いんだよ、これで」


 誰が何と言おうとも。これは私とヒメが決めた約束。……ヒメがちゃんと私の言いつけを守って。そんでヒメが二十歳になったならば…………そ、その時は私もちゃんと腹はくくるつもりだ。

 だから、どうかそれまでは……


「あまーい!!!」

「うおぅ!?」


 突如耳元で大声を張り上げる加藤。び、ビビった……なんだ急に!?


「甘い、甘いです。大甘ですよかちょー!何をそんなに悠長な事を言ってんですか!」

「な、なんだよ……悠長って」

「そりゃね、かちょーはただ待つだけだから気楽に考えて当然かもしれませんよ。ですが……油断し過ぎにも程がある!良いですか?かちょーも当然ご存じかと思いますが、かちょーの娘さん……ヒメちゃんはそれはもうかわゆいんです!」

「ヒメが可愛いって……そんな分かり切った事今更確認するまでも無いだろ?で、それがなんだ」

「そんなカワイイヒメちゃんは、貴女を―――お母さんを本当の意味で堕とそうと、それはもう日々努力し成長しています。容姿に磨きをかけ、デキる女としてのスキルを上げ、そしていざという時の為にアッチ方面の知識も友達を通していっぱい勉強中だとか」

「……オイ待て加藤。ヒメは普段、一体ナニを勉強しているんだい……?」


 アッチ方面の知識って何のことだ……?ヒメったら、悪い友達から変な事を教えられているわけじゃないだろうね……?


「つまりです。ヒメちゃんは毎日すくすくとイイ女に育っているという事。ここまで言えばあとはわかりますよね?」

「全然わからん。お前さん、さっきから何が言いたいんだよ」

「そんなイイ女になりつつあるヒメちゃんが、かちょー以外の人に惚れられちゃうかもしれないって話ですよ!」

「―――ッ」


 …………ヒメが、私以外の人間に……惚れられ、る……?


「ヒメちゃん自体はかちょー一筋でしょう。ですが。ヒメちゃんに惚れてしまうボーイ&ガールがいないと言い切れますか?言い切れませんよね?……なんなら想像してみてください。ヒメちゃんが他の誰かに言い寄られる様を!」

「……ヒメが、言い寄られる……」

「『姫香さん、好きです。付き合ってください』―――放課後の屋上で、愛の告白を受けるヒメちゃん。戸惑うヒメちゃんに告白した相手は愛の証明としてゆっくりと唇を近づけます。お母さんの事が大好きだけど、そのお母さんはキスすら許してくれない。……お母さんを想うなら、拒むべきだけれども。人肌恋しくなってしまったヒメちゃんは、ついつい強く拒むことが出来ずにその唇を許してしまい―――」

「…………」

「わかりましたか?うかうかしていられないって話です。……20歳にヒメちゃんがなれば恋人になれる―――なんて余裕ぶっこいていると、足元を掬われますよ!ヒメちゃんを恋人に、そしてお嫁さんにするどころか。ヒメちゃんがお嫁に行っちゃう事になり兼ねませんよ!」

「ヒメが、お嫁に……」



 ◇ ◇ ◇



「―――んな事、言われてもなぁ……」


 仕事終わりの帰り道をとぼとぼと歩きながら、加藤に言われた事を反芻する。


「ヒメが、私以外の人間を……好きになる……嫁に行かれる……か」


 今まであまり考えた事なんてなかったけれど、とりあえず想像してみるとしよう。うちの大事な大事な可愛くて美しい一人娘が、どこぞの馬の骨のところへ嫁に行く将来を。


 家に帰ると、見知らぬ人間が愛するヒメに寄り添っている。戸惑う私に、ヒメが紹介するんだ。


『……母さん。これが私の、将来を誓った人』


 紹介されたその相手は、にこやかな笑みを浮かべてこう告げる。


『初めましてお義母さん。結婚を前提にお付き合いしています。……気の早い話ではありますが。どうか姫香さんを、私にください』


 そうしてあれやこれやと手続きが済み。私が碌に口を挟む間もなくヒメはその相手に連れられて行く。残った私は一人寂しく大好きな娘のいないあの家で暮らす事に―――


「…………ぐおぉ……」


 想定していた以上のダメージが私を襲う。胸の奥がチクリと痛み……イライラする。ムカムカが止まらない。そんなの、耐えられる気がしねぇんだけど……?


「い、いや待て私……なんでイライラする?……それで良いだろ。そういう可能性も視野に入れて、20歳まで私と恋人関係になるのは待ってほしいって……他でもないこの私が、そうヒメと条件付けたんだろうが……」


 母と娘が恋人になる……そういう話よりも至って健全じゃないか。何も問題ないじゃないか。

 いやしかし……きっとヒメは引く手あまただろうな。親の贔屓目無しに。ヒメったらあんなにもかわいいわけだから。


「家庭的だし、文武両道だし。クールに見えてその実思いやりのある優しい子で愛情深いタイプだし……ヒメ、きっと良い嫁さんになるだろうなぁ……」


 ヒメと共に暮らす私だから。ヒメを毎日誰よりも傍で見てきて世話をされている私だからわかる。ヒメは本当に良い嫁になれるだろう。


 毎朝早起きして愛らしいエプロン姿で美味しいご飯を作ってくれて。ハートマークが入ったお弁当も用意してくれて。朝に弱い私を優しく起こしてくれて。仕事に行く時は『行ってらっしゃい母さん♡』と投げキッスをくれて。

 仕事終わって帰ってみたらご飯もお風呂も準備してくれて。仕事の疲れを労ってくれて……


「…………これ、嫁じゃね?ヒメってば、もうすでに私の嫁じゃね……?」


 今更だけど、うちのヒメってばマジ良妻賢母。と同時に少しへこむ私……い、いかん……私ってば母親なのに娘に頼り過ぎ……全然家事分担出来てないじゃねーか……

 ま、まあ家事に関してはおいおい私も覚えていくとしてだ。


「……そういう話は聞かないけど。ヒメ、やっぱし学校でモテてるんだろうな」


 ……仮に、だけど。仮にもしヒメの事を好きになり、ヒメを大事にしてくれる存在が現れて。そしてヒメもそいつに心惹かれる事になったなら……私とのこの曖昧で不自然で、そして禁断の関係をすっぱりと絶って……ヒメも真っ当な道へと戻れるのだろう。

 私は、それを望んでいたハズ。……ヒメの幸せは、私の幸せだから。


「そうなったら。やっぱしヒメもお嫁に行くことになるって事だよなぁ……」


 そんな事を考えていた矢先。家の近くのドレスショップを通りかかった私は、そのショーウィンドウにディスプレイされていたウエディングドレスを目にしてつい立ち止まる。


「……そういや今ちょうどジューンブライドってやつか。ハハ。なんてタイムリーな……」


 真っ白な美しいドレス。きっと、ヒメがこのドレスを着飾ったなら……それはとても似合うんだろうね。ヒメも女の子だ。きっとこういう素敵なドレスを着るのを夢見ているのだろう。


「……もしも私と恋人関係になってしまったら、このドレスも……ヒメは着ること出来ないんだよな……」


 当然母親としては、是非ともヒメにはイイ人を見つけて……そしてこういう素敵なドレスを着飾り、素敵な式を挙げて素敵な家庭を築いてほしい。その気持ちに、嘘偽りは無い。

 けれど……麻生妃香という。一人の女としては―――


「…………(ブツブツブツ)落ち着け……別に、今すぐヒメがどっかに嫁ぐって話じゃない。そもそもだ。ヒメは……その。私の事が好きなんだ……だから、私の元を離れるなんて事は……ないだろ?何を不安になってんだ……私以外のやつの嫁に行くなんて……私以外の人間を好きになるだなんて……そんな……なぁ?ありえないよ、な……?ないはず……ああ、そうさ。…………ヒメは、こんなドレスなんて、着なくていい。私以外の誰かを……好きになる必要なんて……」


 ―――そんな台詞を無意識に口にして、私はハッと息を呑む。今、私なんて言った……?今私、母親失格な事……言わなかったか……?


「……何考えてんだか……」


 頭を振りかぶり余計な考えを追い出す。あーもう。私らしくないわな。それもこれも加藤の阿呆が変な事言い出すから悪い。


「―――ただいまヒメー!」


 嫌な考え、モヤモヤした気持ちを払拭すべく。大きな明るい声でただいまの挨拶をしながら我が家へと帰ってきた私。


「……お帰りなさい、母さん。今日もお疲れ様でした」

「おお、ヒメ!ヒメも学校お疲―――」


 玄関から入ってすぐに。ヒメは柔らかな笑みを浮かべて私を出迎えてくれる。そんなヒメの愛らしい出迎えを受け、こちらも笑みを浮かべてみた―――んだけど。

 …………数秒後、私は一瞬言葉を失う事となる。


「…………ひ、め?」

「……?なぁに母さん?どしたの?なんで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてるの?」


 私を出迎えてくれたのは良い。とても良い。そこ自体は問題などありはしない。じゃあ何か問題でもあるのかって?

 …………大ありだとも。何せ私のヒメが私を出迎えてきた格好は―――


「…………その、聞いてもいいかね?……その恰好は、一体なんだい?」

「……ん?見て、わかんない?これはね―――ウエディングドレスっていうものなんだよ母さん」


 ―――さっきショーウィンドウで見たウエディングドレスにそっくりなドレスを着ていたのだから。


 ……色々と、変な事を考えて。口では『ヒメは私以外の誰かと両想いになって、そして嫁に行くべきだ』とか言いながら、その実内心は『私以外を好きにならないで』なんて、浅ましくもおぞましい事を考えていた私。

 そんなヒメの綺麗に着飾ったウエディングドレス姿は―――到底耐えられるものではなかった。


『愛するヒメが、お嫁に行ってしまう』


 悪夢のような想像が、現実化してしまったような錯覚に陥った。


 私は、思わず荷物をポーイと玄関に投げ捨てて。そしてヒメに抱きついてから……


「ヒメぇ……嫁になんか、行くなぁ……!」

「……へ?」


 つい、そんな本音を口走ってしまう。


「ずっと、ずぅっと……私の傍に居ろ……!いてくれぇ……!」

「……あの、母さん?」

「嫁になんて行かなくていい!ずーっとかーちゃんがヒメを守ってやる!だから……嫁になんて行かせない、行かせないからなぁ……!」

「……何ごと?」



 ~妃香さん錯乱中:しばらくお待ちください~



「―――落ち着いた?」

「…………おぅ」

「……母さん、大丈夫?なんか疲れてない?」

「…………そうかもしれん。すまんヒメ。ちょっとかーちゃん色々おかしかったよな」


 数十分後。どうにかヒメに宥められ。正気を取り戻すことに成功する。……マジでどうかしてたわ私。最近仕事に追われ過ぎて心に余裕がなかったのかも……

 ああ、娘にこんな醜態を見せるだなんて自己嫌悪……穴があったらそこに私を容赦なく埋めて欲しい……


「……母さん」

「んぉ……?ど、どうしたヒメ……?」


 と。そんな情けない姿を見せた私に対し。ヒメはそっと私を後ろから抱きしめる。


「……一応言っておくけど。これ母さんを慰めるためのハグだから。例の『二十歳まで母さんに手を出すの禁止令』には当たらないって事にしといて」

「お、おぅ……」

「……大丈夫、大丈夫だよ。私はどこにも行かない」

「ヒメ……」

「……私が好きなのは、母さんだけだから。ずっと傍に居たいと願っているのは……母さんだけだから。だから、心配しなくて良い」


 耳元から奏でられるヒメの一言、一声ごとに。胸の焦燥が少しずつ解れていく。


「……頼まれたって、母さんの傍から離れない。私は、他の誰でもない。母さんと添い遂げるから」

「……ああ」

「……母さんへの愛、途切れることなんて絶対にありえないから。だから……不安にならなくて」

「…………ありがと」


 …………ああ、くそぅ。ホント私、母親失格だわ。子どもっぽいひどい独占欲を見せた挙句、実の愛娘から慰められるだなんて……


「ゴメンなヒメ」

「……何故謝る?謝られる必要、なくない?」

「いや……だって、色々と醜いとこ見せちゃってさぁ……あまつさえ、結婚しなくていいだなんて……最低な事を……」

「……寧ろ、私的には大満足。順調に、母さんが私に惚れてくれてる証拠。この調子で、私は母さんを20歳になるまでに堕としてみせるから覚悟しといて」


 むふーっと満足げに妙な笑みを浮かべるヒメ。そんなヒメを横目に。私は一つ、心の中で謝る。

 ……悪いねヒメ。20歳までに私を堕とす?それはちょいと無理な話だよ。


 …………だってもう、手遅れだから。あんな独占欲を見せちゃったのが何よりの証拠。もうとっくの昔に私は……ヒメの事を―――







「……あれ?ところでさ……ヒメ。聞きそびれてたけど……なんでそんな恰好してるんだよ……私と一緒に居たいなら……ウエディングドレスなんか着る機会は……何処にもなくないかい……?」

「……?母さんと将来式を挙げる時の予行演習の為に着てみただけなんだけど……それがどうかしたの?」

「予行、演習……?」

「……さっきも言ったけど。母さんへの愛が途切れることなんて絶対にあり得ない。つまり約束さえ守りさえすれば―――順調にいけば、20歳には母さんと恋人同士に……そしてゆくゆくは母さんのお嫁さんになるのは確定しているでしょう?だから、その時になって慌てないでいいように、ちょっとした演習をしてみてたんだけど……」

「……???」

「……え?もしかして母さん―――式挙げないつもりだった?」

「…………い、いやあの……ヒメ?そもそも私たち……親子で、同性同士で……」

「……だいじょーぶ。もうすでに式場は手配済み。同性同士でもOKって理解ある場所でプランして貰ってる。私の親友の双子姉妹たちも、そこで高校卒業してから式を挙げるって言ってるし。ちゃんと実績ある場所だから母さんは何も心配しなくて良いよ」

「…………」

「……あ、そうそう。今日は試しにドレス着てみたんだけど……どうかな?今度白無垢を着てみるから、どっちが良いか教えて貰えると嬉しい。本番当日は、母さんの好きな方を着るからね」

「…………いくらなんでも。気が早くないかい、ヒメ?」


 揺らぐことのない私への愛を語る我が娘。私と結ばれる未来を微塵も疑わず、すでに式場を予約済みだとか流石に予想外。行動力の化身かよ……

 これじゃ『もしかしたらヒメに愛想尽かされるかもしれない。ヒメがどこぞの馬の骨に盗られるかもしれない』だなんて……うじうじと変な事考えて悩んでいた私がバカみたいじゃないか……

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