第2話 それは母さんの武勇伝
……私の母さん、麻生妃香が私を身ごもったのは16歳の頃。
相手―――つまり私の父に当たる人は、当時付き合っていた二つ上の恋人だったそうだ。
『責任はちゃんと取るから』
ソイツはとかなんとか自分から母さんに手を出しておきながら、いざ母さんが身ごもった事を知ると。慌てて『今はそういうの考えられないし、おろせ』なんて無責任な事を言い出したらしい。
母さん曰く、その一言で色々と冷めたらしい。思い切り顔面にグーパンしてからその人とさっさと別れて縁を切り……当然周囲の反対もある中で、それでもお腹を痛めながらも私を産み、そして文字通り必死になって働きながら一人で大切に私を育ててくれた。
『―――そういうわけだ、ヒメ』
『……』
そんな話を、この私が中学生になったその日の夜に母さんから聞かされた。母さんは私に謝りながらこう続けたんだ。
『もうヒメもこういう話を理解できる歳になったと判断して全てを話した。これでわかったろ?うちに父親がいない理由が。……ゴメンなヒメ。今思うとその時のかーちゃん、色々と未熟だったよ』
『……』
『ヒメ。お前には私を恨むことも罵ることも、私があの阿呆にやったように私をぶん殴ることも許される。……勿論、私としては気が進まないんだけど……父親に会いたいなら連絡とって会わせてやることだって出来る。何されても私は文句なんて言わないし、言う資格なんてないからね。好きにして良いんだよ』
『……』
『あー……それで、そのさ。ヒメは今の話聞いて……どう思った?やっぱり……ショックだった、よな?』
『……』
私に対する申し訳なさと、娘に拒絶されるかもしれない怯えと……その他諸々の色んな感情が入り混じった神妙な面持ちで私に問いかける母さん。
まあ確かに普通の感性ならば……ショックを受けたり、母さんの言う通り、どうしてそんな聞きたくない話をしたんだと恨んだり罵ったり殴ったり幻滅したり、あるいは未だ顔も名前も知らぬ父親の事を知りたくなるのかもしれない。
……だけど。
『―――母さん、
『……ああ、そうだよな。ゴメンなヒメ。かーちゃん、すっごいかっこいいな。反省す…………ん、んん?』
私が母さんに対して抱いた感情は、そのどれとも違っていて。
『かっこ、いい……?あれ?……今ヒメ、私の事をかっこいいとか言った?私の聞き間違い?カッコ悪いとかじゃなくて……?』
『……母さん、凄く、かっこいい……!素敵……!』
『…………すまん、我が娘よ。何故にそうなる?』
恨む?罵る?……とんでもない。寧ろ周囲に反対されても揺れることなくこの私を産んでくれて、女手一つで時に優しく時に厳しく愛情いっぱいに私を育ててくれた母さんには感謝するしかないでしょう?
……それどころか、私にとっては感謝の感情を飛び越えてしまっていた。
その時私が母さんに対して抱いた感情は、恋慕だった。
母さんが聞かせてくれたその話は、私にとっての母さんの武勇伝。その話を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受け……強く気高く美しい母さんに、もうこれ以上ないほど私は惚れこんでしまった。
……多分、これが私の未来まで続いていく本気の恋の始まりだった。
その日から母さんを見る目は私の中で劇的に変わった。無意識化でも母さんを目で追う回数が増えていく。母さんの何気ない行動、仕草を見ても母さんが光り輝いて見えた。私にかけてくれる言葉の一つ一つがとても尊い宝物となっていった。
……まあ、昔からお母さんっ子だったし、元々
おまけにただのマザコンじゃない。母さんの事を娘としてだけでなく、一人の女性としても大好きな、死ぬほど厄介なマザコンと化していた。
◇ ◇ ◇
「……お疲れさま母さん。お仕事大変だったでしょう?鞄持つよ」
「おー、ありがとなーヒメ。ヒメも学校ご苦労さん」
仕事から帰って来た最愛の人(母さん)を出迎えた私。少し疲れた表情の母さんから鞄を受け取ると、母さんはホッとしたように息を吐き大きく伸びをする。
キリッと引き締まったお仕事モードからのんびり緩やかなお家モードに移行したみたいだ。……どっちの母さんも素敵。
「ふぃー……あー、あっちい……あと疲れたぁ……」
「……っ」
窮屈そうだったシャツのボタンを引きちぎる勢いで外して胸元を開けて、おろしていた髪をうっとおしそうにささっとまとめる母さん。その姿に思わず息を呑み、私は一瞬固まってしまう。
…………浮かぶ汗がシャツを透けさせる。半脱ぎ状態のシャツの隙間からは大人っぽいブラと豊かな双丘が作る谷間がチラリ。髪をまとめた事で見えるようになった白く綺麗な甘噛みしたくなる首元がそそる。
……困る。凄く、ドキドキする。何度も見慣れているはずなのに、実の母親なのに、どうしてこうも色っぽく見えるんだろう……?
「……ん?どうしたヒメ?なんだかボーっとしてないかい?」
「ぅ……ううん、なんでもない……」
とりあえず全力で頭を振って正気に戻る。ダメだ私、しっかりしなきゃ……母さんに変な子って思われちゃう。
なるべく意識しないように、出来るだけ胸元や首筋から視線を逸らして母さんに話しかけることに。
「母さん。いつも通り、夕食も作ってるしお風呂も沸いてるよ。……どうする?ご飯にする?お風呂にする?」
「それとも……ワ・タ・シ?―――ってか?ハハハっ!その三つから選ぶなら、当然かーちゃんはヒメ一択だねぇ」
「……?」
そう尋ねてみると、笑いながらまるで私をからかうような口調で母さんがそんな事を言い出す。……私?私一択って……どういう意味なんだろう?
「……えっと……ごめん母さん、何それ?」
「…………通じてない、だと……?いかんスベった……くそぅ、これもジェネレーションギャップってやつかよぉ……!」
疑問を口にした私に、何故か母さんは真っ赤になった顔を両手で隠すように覆う。…………よくわかんないけど、恥ずかしがってる母さんかわいい。
「……ごめん。私勉強不足。母さん、今言ってくれたことの意味を教えて。私、母さんの為なら何だって覚えるから。頑張るから」
「やめてヒメ、今のは頼むから忘れて。滑ったギャグを滑った張本人が説明しなきゃならないとか、何その羞恥プレイ……?かーちゃん泣いちゃうぞ……」
掴みかかる勢いで、母さんはすでに半泣き状態になりながら私に縋るようにそう懇願する。おかしいな……母さんの為にと思って言ってみたのに、逆に困らせちゃったみたいだ。
「……わかった。母さんがそう言うならちゃんと忘れる」
「サンキューヒメ……いやぁ、ヒメは素直でええ子だねぇ。かーちゃん嬉しいよ。まあ、それはそれとして……かーちゃんまずはご飯食べたいかな。流石に腹が減ったわ」
「……わかった。なら早速夕ご飯にしよう。……母さんは着替えてきて。私、その間にご飯を温めなおしておくから」
「ほいほい了解。んじゃ頼んだよー」
そう言って母さんは手をひらひらさせて、着替えるために自分の部屋へと向かっていく。残された私はというと……その場でふーっと大きく息を吐き、弾んでいる心を静める。
……毎日交わされる何でもないハズの母さんとの楽しい会話は、私にとってはとてつもない劇薬だ。
少量ならばこれ程私を幸せにしてくれるものは他にはないけれど、過剰摂取してしまったらダメになる。麻薬みたいなもの。
「……ご飯、準備しないとね」
もう一度だけ息を大きく吐いて頭と心を落ち着かせてから、夕ご飯の支度すべくキッチンへと急ぐ私。
さあ、お腹を空かせた愛しい母さんの為にも……もうひと頑張りしてみよう。
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