通りすがりの娘ですが、母さんの事が好きすぎて困っています。

みょんみょん

母さんとお風呂編

第1話 私の好きな人は……

「―――ねえねえ、みんなは好きな人いる?」


 ある日の放課後の教室。帰る準備をしていた私の耳にふとそんな会話が飛び込んできた。


「わたしはバスケ部のキャプテンが好き。だってカッコいいだもん」

「わかるわー。あ、でもでも。アタシ的には隣のクラスの―――」


 少しだけ気になって声のする方に視線を向けてみると、クラスメイトの女の子たちが集まって何やら楽しげに話に花を咲かせている。

 会話の内容から察するに、彼女たちはいわゆる『恋バナ』という奴をやっているのだろう。『誰々が好き』だとか『付き合うならあの人が良いよね』だとか……中学生で今まさに思春期ど真ん中な少女たちは、毎日のように恋の話で盛り上がっているみたいだ。


「……あれ?麻生さんどうかした?私達に何か用かな?」


 と、そんな彼女たちの恋バナを立ち聞きしていた私に気づいたのか、その集団の一人に声をかけられてしまう。……しまった、ちょっと凝視し過ぎた。


「あ、もしかしてうるさかった……?ご、ごめんね麻生さん。迷惑だった……よね?」

「……んーん。違う。……随分と皆が楽しそうだったから、何の話をしてるのかなって気になっただけ。全然うるさくなんか無い。ごめんね、ジロジロ見ちゃって」


 彼女たちの恋バナの邪魔になるのは悪いしさっさと帰るとしよう。申し訳なさそうに謝るクラスメイトに対して変な誤解が生まれぬようにそのように伝えてから。そそくさと鞄を手に取って席を立つ私。


「えっ……何の話をしてるのか気になったって?―――ハッ!?ああ、なるほどそう言う事!それってつまりは……麻生さんも話に加わりたくなっちゃったってことね!」

「……はい?」

「なるほどなるほど!麻生さんだって年頃の女の子だもんねっ!わかるよぉその気持ちっ!」


 するとどうしたことだろう。私に声をかけてきたクラスの女の子がそんなおかしな事を言い出したではないか。


「ええっ!?そ、そうなの麻生さん?」

「……あ、いや。私そういうつもりじゃ」

「おぉ、ちょっと意外かも。麻生さんってこういう話は苦手だって勝手に思ってたもん。とにかく麻生さんもこっちおいでよ!恋の話なら大歓迎だよ!」

「……あの、だから違う……」

「良いの良いの、遠慮しないで!ささ、ここ座って座ってー♪」

「…………いや、だから話を聞いて……」


 どういうわけか私も話に加わりたかったのだと勘違いをされてしまったようで、女の子たちは帰ろうとした私の手を取って強制的に自分たちの輪に加える。

 だからちょっと待って欲しい。気にはなったけど、私別に話に加わりたかったわけじゃないのに……


「それでそれで?早速だけど麻生さんって好きな人いたりするの?あ…勿論直接名前が出せないなら、イニシャルとかどんな人がタイプとかでもOKだよ!」

「付き合うならこういう人が良いとかある?何て言うか……麻生さんって大人びているし、こういう話嫌いだって勝手に思ってたから全然タイプとか好きな人のイメージわからないんだよね」

「やっぱこういう話興味ない?それとも……じ、実はもう付き合ってる人がいたりしちゃう?」

「……えーっと」


 私がこういう恋バナに参加するのが余程珍しかったのだろうか?矢継ぎ早に私に尋ねてくるクラスメイトたち。さてどうしよう。興味津々の彼女たちのこの様子を見るに、これ……長時間コースだ。好きな人とか好きなタイプを言わされるまで帰れないやつだ。

 恐らく下手に誤魔化したり適当な事を言っても納得なんてせずに、最終下校時刻まで家に帰してくれないだろう。


「(……さて困ったどうしよう)」


 私の選択は二つに一つ。素直に好きな人を白状してさっさと帰るか、それとも言わずにこのまま質問攻めされるかのどっちかだ。

 正直に好きな人を告白するのは……色んな意味で避けたいところだ。今後の私の平穏な私生活が壊れてしまう可能性大だもの。かといって何も言わないまま彼女たちに拘束され続け、帰りが遅くなるのも困る。ご飯やお風呂の準備が出来ないまま帰ってきちゃうし……


「……いるよ、好きな人」

「「「ホント!?」」」


 少し迷った末に観念して私がそのように切り出すと、目を輝かせて身を乗り出す勢いで皆が食いついてくる。

 ……君たちホントにこういう話好きなんだね。思わず苦笑いしちゃいそうになるのを堪えながら次の台詞を続ける。


「相手、だけどね。それも

「「「えっ……あ…」」」


 短く端的に私が続けて告げると、さっきまでの勢いは何処へやら。何やら察した彼女たちは聞いちゃいけない事を聞いてしまったという表情をして、気まずそうに俯いたまま口を噤んでしまう。

 ……早くこの場を去りたい一心からの一言だったとはいえ、悪い事しちゃったかな?


「……悪いね、盛り上がってたのにしらけさせちゃったかな?」

「い、いや…そんな事は…ないんだけど…」

「ごめんね。これ以上私がここにいると邪魔になりそうだし、用事もあるから私そろそろ帰る。あとは皆ごゆっくり……さっきの話、皆にはナイショでお願いね」

「あ…う、うん。勿論内緒にする。こ、こっちこそゴメンね麻生さん…変な話に付き合わせちゃって。また明日…」

「いや、良いよ。そもそも皆をジロジロ見ていた私の方が悪い。だから気にしないで。それじゃあまたね」


 彼女たちに軽く手を振ってさよならする。……良かった、物分かりが良いクラスメイトで。


『―――あの麻生さんの様子だと……やっぱアレだよね?想い人に告白したけど、実はその人結婚してて失恋しちゃったって感じ』

『さしずめ禁断の片思い……叶わない恋ってところかしら。……前々から麻生さんって大人びてるなーとは思ってたけど、あの人やっぱり大人よね……!』

『子持ちってことは相手は既婚者って事……?いや、もしかしたらバツイチだったり?』

『だ、誰なんだろうね……あのクールな麻生さんの好きな人って。ねえ、うちの学校の先生に誰か子持ちの先生っていたっけ?』


 教室を出ると同時にそんな声が私の耳に届く。前言撤回しよう。私のクラスメイト全然良くなかった。物分かり全然良くなかった。これ、多分明日あたり私のあらぬ噂がクラス中に流れてそうな気がするなぁ……

 ……まあ別にいいけどさ。



 ◇ ◇ ◇



「……ただいまー」


 そんなこんなでクラスメイト達と別れた後は、夕飯の買い物をさっさと終えて家路につく。アパートの鍵を開け扉を開き『ただいま』なんて言ってみたけど、時間的に同居人が帰っているはずは無い。

 当然返事なんて返ってこないのだけれど……だがそれで良い。それが良い。


「……だって、あの人が帰っていないのは……今この瞬間も私の為にお仕事を頑張ってる証拠だもん」


 自然とそんな独り言が私の口から漏れ出していた。鏡を見ると自分が非常に締まりのない顔をしていて何だか恥ずかしい。

 気を取り直して買ってきた夕食の材料をテーブルに並べつつ、夕食の準備に取り掛かることに。さあ、頑張っているあの人の為にも美味しい夕食を作ってあげないと。エプロンを装着し、友人から借りたレシピ帳を開く私。


 ……去年から、仕事をしている同居人の負担を少しでも減らすために本格的に始めた家事手伝い。始めた頃は『悪い、とてもじゃないけど見てらんない』とあの人からもいっぱい辛口コメントを貰っていたけれど、たゆまぬ日々の努力と……他はまるでダメなのに家事だけはビックリするほど上手い友人の教えのお陰で少しはマシになったものだ。


『うむす。やっぱ料理や家事は愛情が全てだよね!好きな人の喜ぶ顔が見たいからこそ頑張れるってもんだよね!ヒメっちはそこんところがよーくわかってるから、教えがいもあるし覚えも早いしでホント素晴らしい弟子だよ!私も愛する妹の為なら―――(ここから無駄に長いので以下略)』


 とかなんとか言って、私に料理を教えてくれた親友も褒めてくれたっけ。


「それにしても……好きな人、か……」


 レシピ帳を片手に料理をしながら私の頭の中を過るのは、先ほどのクラスメイト達の話。


『……いるよ、好きな人。相手、だけどね。それも


 彼女たちに向けて言い放った自分の台詞を、自分の中で反芻してみる。


 ……うーん、今更だけどちょっとマズかった気がしてきた。私、余計な事言っちゃったかも。

 彼女たち、帰る時もなんか変な方向に私の事を噂してたし……万が一でも私の好きな人がバレた場合非常に大変なことになる。ここは無難に『今は勉強が恋人だよ』みたいな事を言ってさっさと帰れば良かったかな……


「……まあ……別に嘘は言ってないし……流石に私の好きな人が誰なのかバレることも無いだろうし……いいか」


 好きな人がいて、相手は年上で、しかも子持ち。……うん、嘘は言ってない。……性別とかその他諸々問題になりそうな点を、一切言ってないだけなんだし。

 ……そう。私、麻生姫香は好きな人がいる。恋をしている。……しかも……好きな相手とこの家で一緒に暮らしている。



 ピンポーン♪



「……おー、流石。時間ピッタリだ」


 あらかた夕食を作り終え、お風呂の準備も完了すると同時に玄関のチャイムが高らかに鳴る。どうやら同居人が帰宅したらしい。逸る気持ちを抑えつつ、出来るだけ足早に玄関へと急ぐ私。

 鍵を開けてあげる前に、一度深呼吸して心を落ち着かせる。意を決して扉を開けると……私が恋をしている人の姿がそこにはあった。


「おーっす。遅くなっちまったかな。ただいまヒメ」

「……うん、お疲れ。お帰りなさい―――母さん」


 …………そうだ。私が恋したその人は、私の中の遺伝子の半分を私にくれた人。


 ―――つまりは……実の、だった。

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