第32話 きっと確定する未来、親子から恋人へ

 ~SIDE:Mother~


「話はまだ終わってない。今のはヒメの母親としての話だ。これからするのは―――麻生妃香としての話だ。よく聞いておきな……ヒメ」

「……母、さん?」


 母として、娘に言わねばならない事はちゃんと言った。さあここからは……私の、麻生妃香として言わねばならない事を。

 ただの一人の女として、目の前の女の子にずっと言いたかった事を……遠慮なく言わせてもらうとしようじゃないか。


「私な、ヒメ。あのド阿呆と縁を切ったその日から……もう未来永劫、恋なんてしないって思ってたんだよ」

「……恋を、しない?」

「前にも言ったかもしんねーけどよ。……色々と、冷めたんだよなぁ。あいつと付き合ってた頃はさー、一緒に居るだけで楽しかったよ」

「……む」

「あいつの事を無意識に目で追って……あいつを見るたびに輝いて見えて。あいつからかけられる言葉一つ一つに……心が熱くなってよぉ。燃え上がるような恋に溺れて……燃え上がるように肌を重ね合って……愛を確かめ合ってさ。気持ち良かったんだよ」

「…………むー」


 昔を懐かしむように、ヒメの父親の事を話す私。話すにつれ、ヒメはだんだんとムスッとした表情になり始める。感情を表立って表情に出そうとしないヒメには珍しく、嫉妬とか苛立ちとかを隠せずにいるようだ。

 まあ、そりゃ自分が好きな相手に恋敵との馴れ初めとか聞かされるなんて……一体どんな罰ゲームだよって話だわな。それが例え、ヒメ自身が誕生するルーツの話であったとしても。


 ……はは。ごめんごめん。安心して良いよヒメ。もう、終わったことなんだから。


「でもよ。ヒメを身ごもって……そしてヒメを、産まれてくるはずの大事な娘をおろせだなんて言われてから―――かーちゃん一気に冷めたよ。……あれ言われた時思ったんだ。『あの時かけられた言葉は、抱きしめられたぬくもりは、向けられた愛は―――全部茶番かよ』ってね」

「……」


 あん時の事はなぁ……思い出すのも嫌になる。悔しかったし、腹が立ったし、悲しくなったよ。だってそうだろ?『おろせ』だなんてさぁ……

 あれってよ。二人の愛の結晶を、誕生を祝福すべき我が子を殺せって言ってるようなもんだろ?恋人が、そして一つの生命を生み出した人間が身勝手に言っていい言葉じゃないよなぁ……


「その時から……私は二度と恋などするまいと思ったね。誰かに好意を持たれることも、誰かに好意を向けることも……バカバカしいもんだって思うようにさえなった。かーちゃんはね、ヒメ。恋だの愛だのなんだのって感情は全部茶番だって、心の中で決めつけてたんだよ」

「……母さん」


 所詮、恋人と言っても赤の他人。恋人たちが嘯く愛なんて形ばかりのもの。ヒメを産み、一生懸命育てて……より一層感じるようになった。……本当の愛情ってものは、もっとこう……親が子を育て、子も親を育てる……無償の愛で育まれた、ヒメのような関係を指すものだって……思ってたよ。

 恋なんていらない。私には……心の底から『親として』愛する娘がいる。それだけで満足だった。実際一人の人間としての恋する心を無くしても、私は一人の母として十分幸せだったもの。


「……けどね、ヒメ。冷めきったはずなのに。もう二度と恋するまいと自分に言い聞かせてきたはずなのに……」

「……はずなのに?」

「私は、ヒメの一言で……を思い出しちまったんだ」

「え……」


 目をまん丸にしてビックリした顔を見せるヒメ。……おいおい、私に恋する事を思い出させた張本人がそんなに驚いてどうするんだい。


『私、母さんの事が好き。大好き。愛してる』


「昨日、ヒメに告白された時。……冷めきってた心が、どうしようもないくらい燃え上がるのを感じたよ」


 若かりし頃、初めて告白された時のように―――いや、その時以上にヒメの告白は私の胸を高鳴らせてくれたんだ。年甲斐もなく、ときめいてしまったんだ。


「抱かれた時。私に対して欲情している証をヒメが私に見せつけてきた時。ヒメにキスをされた時。……ホント言うとね、昨日の私ってさ……ヒメと同じように……すっごくドキドキしていたんだよ」


 ヒメを産んでからずっと溜め込んでいた。もう一生得られぬものと諦めていた。けれど……好意を持ってくれている相手に、好意を持っている相手に抱いてもらえる喜びを。好き合う二人が唇を、肌を重ね合う温もりと気持ち良さを。ヒメは私にくれたんだ。


「何よりも。真っすぐに……混じりっけなしの本気のヒメの『好き』を向けられて。泣きたくなるくらい嬉しかったよ」


 誰かに好きになって貰える喜びを。好きになって貰えるその幸せを……私はもう一度味わうことが出来たんだ。


「ヒメ。私ね……そんなヒメの素敵な告白を聞いて、改めてヒメの事をどう思っているのか考えてみたんだ」

「……わ、私の事を……?」

「そうさ。ヒメは一生懸命私に告白してくれただろう?だから私も……私なりに。一生懸命ヒメの事を考えてみたよ」


 本当は、昨日のうちに答えを出してあげるべきだったかもしれない。それなのに、私というダメ母は……ヒメの気持ちと向き合う勇気もなく、ただ拒絶と言う逃げを使って……ヒメを傷つけてしまった。

 ごめん、ごめんね。情けない母を許してね、ヒメ。


「色々と、思い返していたよ。ヒメが産まれてから今日に至るまでのあの日あの時の事を。……再婚する、しないって話を二人でしたことあったよな?……あの後ね、私……ヒメみたいな素敵な子となら再婚してもいい。―――いや、違うな。ヒメとなら再婚してもいい。ヒメを生涯のパートナーにしたい……だなんて可笑しな妄想してたんだよ」

「か、かか……母、さん……!?」

「私の為に勉強して、公私に渡って私を支えたい。そんな母親思いの事をヒメに言って貰ったこともあったよな?私そのときね、母親として喜ぶべきところなんだけどさ―――まるで、恋人にプロポーズされているみたいな気分になったんだよ。凛々しく成長していくヒメの姿に……心躍ったんだよ。気分はまるで恋する乙女さ」

「……ぁぅ」


 昨日ヒメが思い余って私に好きの感情をぶつけてきたように。私もお返しと言わんばかりに自分のその感情をヒメへと思い切りぶつける。

 私のそのヒメへの気持ちに対して、ヒメは顔を真っ赤にしてあわあわとし始める。こんな事を言われるとは想定外すぎる、恥ずかしい!――――そんなヒメの心の中の悲鳴が聞こえてくるようだ。……ああ、本当に可愛いなヒメは。


「極めつけが、あのマフィンだね。……なあ、ヒメ。ちょっと確かめたいことがあるからさ、そのマフィン……私に一つくれないかい?」

「……まふぃん……?あ、ああうん……母さんに、謝るために作ってきたんだし……お好きに、どうぞ……?」

「そーかい。んじゃありがたく」


 ヒメに了承を得て。私の為に作ってくれたのであろうヒメ特性のマフィンを頬張る私。……今日、部下から貰った有名店にも決して負けない。

 素朴だけれどもとても優しい味のする、私の為だけに愛情いっぱい込めて作ってくれたこのマフィン……


「……あー、うん。やっぱし……美味い。これはもう……決定的だわ」

「???」


 何が決定的?と言わんばかりにマフィンを片手に首を傾げるヒメ。


「本当に美味しかった。ヒメの愛情、伝わったよ。ああ、この子はこんなにも私の事が好きなんだって……頭だけじゃなくて、心で理解出来たよ」


 ヒメが一体どれだけ私を想って私の為にこんなに美味しいものを作ってくれたのか……一口食べただけでもわかるよ。私好みの甘さだったり、私好みの食感だったり。そういうのいっぱい研究したんだろう?いっぱい練習したんだろう?私に喜んで貰う、ただそれだけの為に時間をかけて。それはもう、頑張って作ってくれたんだろう?

 そのヒメの愛を理解すると同時に、私は……ヒメに告白された昨日と同じように胸が熱くなっていったんだ。こんなにも愛してくれる子がいることに。娘として母親に向ける感情を超えて、一生懸命愛を伝えようとしてきた……これまでのヒメのすべてに。心惹かれてしまっていたんだ……


「グダグダと、余計な事考え過ぎたり。言い訳したり逃げ出したりしたけれど。結論、そろそろ言わせてくれヒメ」

「は、はい……」

「私、な……私はな……」


 言いようのないほどに全身震える。溢れ出した感情が頭の中をぐちゃぐちゃにする。心臓が破裂しちゃいそうなくらいバクバクいってるのがわかる。

 ……ああ、ヒメ。昨日はヒメもこんな気持ちで私に告白してくれたのかい?怖かっただろう。緊張しただろう。……よく、頑張ってくれたね。よく告白してくれたね。嬉しいよ。


 さあ、今度は私の番だ。母として、ではなく。麻生妃香として……ヒメのようにまっすぐに気持ちを伝えよう。


「私は……目の前の女の子―――麻生姫香の事が、好きになったよ。母親としてじゃない。一人の女として……麻生妃香として。貴女の事が、好きになったよ」


 そうして私は。母として決して言ってはならない禁忌タブーの言葉を口にした。


「…………う、そ」

「嘘なもんかい。どうして信じてくれないんだい?」

「…………だっ、て……母さん、優しいから……私の為に……私が傷つかないように……本心じゃない言葉で、私安心させようとしてるんじゃ……」

「そんなに器用じゃないよ私は。ほれ、ヒメに惚れてる証拠だ。……触ってみな」

「…………ぁ」


 泣き出しそうなヒメの手を取り、自分の胸を触らせる。そのバカみたいに鼓動する心臓の音は、嘘偽りなどない私の本音だ。

 私は、娘を……麻生姫香の事を。愛しているんだ……


「な?わかっただろ。……時間をおいて、考えてみて。ようやくたどり着いたよ。私も……ヒメの事が好きだ。大好き、愛しているよ」

「ぁ、ああ……かあ、さん…………母さんッ!」


 歓喜極まりぽろぽろと嬉し涙を流しつつ、私に抱きつこうとするヒメ。…………おっと、悪いがそれはちょっとNGだ。


「待った。ダメ、ストップだヒメ。最後まで話は聞きなさい」

「……かあさん?」

「さっき言ったこと忘れていないかい?両想いになったところで、私は……ヒメの事を抱くことは出来ないんだぞ」

「…………ぁ」


 今の話は、一人の女としての話。最初に話した母親としての―――ヒメの感情を受け入れる事が出来ないって大前提を忘れて貰っちゃ困る。


「ああ、そうさ。私はヒメの事が好きさ。大好きさ。……もうここまでぶっちゃけたんだ。この際だから言うけどよ。叶う事なら、今すぐにでもヒメとイチャイチャしたいよ。抱きしめて、キスをして…………そして、キス以上の事もしたいよ」

「私も!」


 食い気味に同意された……昨日も思ったが、我が娘って……ひょっとしなくてもムッツリスケベちゃんか……?


「でも、ダメだ。母親として、それは認めない。認めちゃいけない。……どれだけ当人同士が両想いだろうと。母と娘としての関係がある以上…………そういう恋人同士でやる行為は、絶対にダメだ」

「そんなぁ……!」


 明らかに落胆しているヒメ。がっくりと肩を落とし、この世の終わりのような顔になっている。

 ……やれやれ。だから、最後まで話は聞けと言っただろうに。


「……まあ、だけどさ。ヒメの気持ちもわかる。私も……ヒメと……恋人みたいな関係になれたらいいなって思ってるよ。だから―――母親として、そしてヒメを好きになった一人の女として。折衷案を出させて貰おうじゃないか」

「…………せっちゅーあん?」


 考えて考えて考え抜いて。そして一つの案をここに来る前に出した私。


「問題なのは……ヒメの幼さだ」

「……私、やっぱり幼いの?考えなし?」

「そういう事言ってるんじゃない。ヒメはヒメなりに色んな事考えているのは、かーちゃんよくわかってるよ。そうじゃなくてだな……まだ、恋人を選ぶには……人生経験も、見識も。まだまだ足りていないんだよ」


 いくら今が両想いだろうが。一時の感情で、私を選んで取り返しのつかなくなるような事はしてほしくない。私よりも素敵な相手はこの広い世界、たくさんいるだろうし……母として娘に孫を産んでほしいって気持ちもないわけではない。


「……一般的に。大人として認められるのは、今の法律だと20歳になってからだ。だからさ、ヒメ。それに合わせて……今回のヒメの告白、20歳まで保留って事にしてほしい」

「……20歳、保留……」

「その頃にはきっと……ヒメも色んな経験を積み、世界を知っている頃だろう。自分の意思を明確に持ち、自分の行動に責任を持てる頃だろうさ」


 まあ、20歳越えても越えなくても子供のままな連中もいるが……ヒメはきっと、まっすぐ素敵な人生を歩み。そして素敵な大人になってくれると私は確信しているよ。


「そして……もしもヒメが、その時になっても……まだ私の事を好きでいてくれるのならば。今度こそ、私はヒメの告白を―――受け入れてあげる」

「……」

「あ、受け入れるって言ってもさ。言っとくがそれまでに私の事を……その。昨日みたいに押し倒そうとしたり寝こみを襲うような事をしたら、保留もキャンセルするからそのつもりでいるように」

「…………」


 恋人にもなっていないのに身体の関係を求めるような……そんな最低な奴とは付き合いたくないからね。


「で?どうする?この折衷案。呑んでくれるかいヒメ?……20歳まで一切手を出すことなく、私の事を好きで居続けられるかい?」

「…………」

「少なくともヒメは……あと6年は私への気持ちを我慢しなきゃいけないんだ。6年も経てば……きっと私は今以上に老けたおばさんになってるだろうね。シミも皴も増えて……ヒメが好きになってくれた私じゃなくなっているかもしれない。抱いて貰えるほどの魅力なんてなくなってるかもしれない」


 …………自分で言って泣きたくなってきた。6年は長いよなぁ……6年後にヒメに好きでいて貰えてるだろうか?その頃だとホントにおばさんと化してるだろうなぁ……

 若いヒメと並んで歩くのも恥ずかしくなりそうだなぁ……


「そんな条件でヒメが構わないなら……私はヒメを受け入れるよ。喜んで、ヒメと恋人になりましょう。……で?どうだろうかヒメ。やっぱり嫌かい?」


 条件を提示した途端、黙り込んでしまうヒメに再度問いかける私。

 ……あー。ちょっとこれ、条件が厳しすぎたかな?せめて高校卒業くらいにしてあげるべきだったかな?保留って、結局それは昨日みたいに逃げてるだけっぽいし……嫌な気分にさせちゃったかな?


 少し不安を覚え始める私。そんな私に、今までほとんど発言をしなかったヒメがこう告げる。


「……母さん








6

「…………へ?」


 瞳を怪しく光らせて。ヒメは我が世の春が来たと言わんばかりに輝きながらそう告げる。あ、れ……?


「……録音はさせて貰った。言質は取った。つまり。6年後は、私たち恋人同士って事だよね……!ああ、良かった……!嬉しい……!ありがとう、母さん……!」

「えっ、えっ……?」

「……楽しみだ。今から6年後のデートプランとか考えとくね。6年って事は成人しているって事だし……ラブなホテルデートもOK……!ヤバイ、最高じゃない……!」


 思っていた反応と大分違う。少しも動揺など見せず、6年後に思いを馳せている我が娘。え、え?6年だぞ……?本気かヒメ……?


「あ、あの……ヒメ?ヒメさん?人の話聞いてた?6年後までは私に手を出しちゃダメなんだぞ?さっきも言った通り、6年後とか私……シミも皴もある立派な残念おばさんと化してるかもなんだぞ……?」

「……シミ一つ、皴一本。老いようが何しようが母さんのすべてを愛するから全く問題ない」


 親の贔屓目抜きに超絶可愛い女の子のハズなのに。なんだこの男前な発言は……


「……6年経てば私の方が母さんを見限るとでも思った?6年の間に、別の好きな人ができるとでも?……甘い。いくらでも待つつもりだったし、6年程度誤差みたいなもの。……私の、母さんへの愛を無礼なめないでほしい。どうせ舐めるなら私の身体舐めて」

「い、いや……無礼なめてはないけどさ……で、でもよぉ!?ちゃんと我慢できるのかい!?き、昨日みたいに私の事襲い掛かった時点で……この話は無しなんだぞ!?」

「……母さんと正式に恋人になれるなら、ちゃんと我慢できる」


 自信満々に約束するヒメ。……いかん、この目はマジだ……


「……それよりも。覚悟しておいてね母さん」

「か、覚悟……?」

「……そう、覚悟。私……今よりももっと良い女になる。寧ろ母さんが6年なんて待てないくらいに……ずっとずっと良い女になるつもり。……母さんの隣で、母さんと肩を並べるに恥じない素敵な女になって…………そして6年後に、今度こそ……母さんを本当の意味で口説き堕とすから!」

「…………」


 そうしてヒメはとても素敵な笑顔で私にそう高らかに宣戦布告してきた。その力強い言葉を受け、私は冷や汗を掻きながら思う。


「…………もしかして……は、早まったかなぁ……?」

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