第25話 受け入れられないその気持ち

「……」

「……」


 …………あー。しにたい。


「……ね、母さん。お仕事で、泊りだったんじゃないの?」

「あ、ああうん。そうだったんだけど……仕事代わってくれた人が……いてくれて、な。今日はヒメの誕生日だし、お祝いしたかったから……ありがたく代わらせてもらったんだよ……」

「……そう」

「そ、そうなんだよ……ハハ、ハハハ……」

「……ん」

「「…………」」


 …………いっそ、ころしてほしい。できれば愛する母さんの手で。

 リビングに漂う気まずい空気。今日は私の誕生日。ああ、それが今この瞬間、私の命日に変わった。よりにもよって、一番大好きで一番見られちゃいけない人にこの醜態を見せてしまうなんて……


「あ、あー……その、あの。えーっとなヒメ」

「……はい」

「だっ、大丈夫!大丈夫だぞ!」

「……」

「さ、寂しかったんだよな!いや、分かる!分かるよ!か、かーちゃんもね!ヒメがいないとき、ヒメの部屋に掃除に入ったりするとなんか落ち着くもの!慣れ親しんだ人の匂いって落ち着くよな!な!」


 私の醜態を笑うことなく、優しい母さんは必死になってフォローしてくれる。ありがとう母さん。けど違う。違うの。問題はそこじゃないの。

 今ここで、何が一番問題なのかと問われれば。


「……聞いてた?」

「ふぇ!?な、なな……何をだい!?」

「……聞いてた、よね?」

「聞いてない!何にも、かーちゃんは何も聞いてないからね!?ヒメが誰を呼んでたかとか、誰を好きだとかなんとかは!全然聞こえてないからねっ!?」

「……聞いてたんだね」


 一番の問題は。この私が……一体誰を想いながら匂いを嗅いで興奮していたかだ。嘘をつくのが苦手な正直者な母さんのこの反応……ああ、やっぱしバッチリ聞かれちゃってたか…………もしかしてと淡い期待を寄せたけどダメだったかー……

 いいや。たとえ聞かれていなかったとしても……母さんの匂いが染み込んだ服を嗅いで興奮している光景をバッチリと見られているんだ。どれだけ察しが悪い人でもそれがどういうことを意味するのか、わかるよね……


「……ごめんなさい」

「え?あ、えっと……それはその……何に対しての謝罪だいヒメ?ぶっちゃけヒメが謝る必要はないというか……予告なく帰ってきたり、ノックをしなかった私の方が悪いし謝らないといけないというか……」

「……きもちわるいよね。家族が、娘が……母さんの匂いを嗅いで興奮してたとか……ドン引きだよね」

「え?」

「きもちわるいよね。ごめん……」

「は?」


 嫌われたかも。呆れられたかも。軽蔑されたかも……このままでは最悪縁を切られちゃうかもしれない。

 ……あ、まずい。そう考えたらちょっとまたしにたくなってきた……母さんに捨てられるなんてマジでしにたく……


「……違う」

「……ぇ」

「それは違うぞヒメ!」


 そんな泣きそうになっていた私の手を取り、母さんが勢いよくその手を強く握りしめる。そうして困惑する私に、母さんは真剣な目で言葉を紡ぎだす。


「違う、引かないし……気持ち悪くなんかない!」

「母さん……?」

「よりにもよって私が、この私がヒメを気持ち悪いと思うなんてありえないから!そりゃビックリしなかったと言えば嘘になるけどよ……それでも、気持ち悪いだなんて思わないよ!」

「え、あ……うん」

「心配しなさんなヒメ。自慰くらいでかーちゃんが大事な娘の事を軽蔑なんてするもんかい!可愛いもんじゃないかい!むしろアレだね!私的にはヒメも成長してるんだなーって実感して感動しているくらいさね!」

「ありが……とう……?」


 想定していたものとは真逆。否定されるどこか自分を肯定してくれる母さんの反応に内心ほっとする私。


「(……おかしい。なんか、変だ……)」


 ほっとしながらもその反面、強烈な戸惑いと違和感を覚える。ねぇこれ……おかしくない?


 自分で言うのもなんだけど、普通の感覚なら……引くってレベルじゃないでしょ。想像してみてほしい。一つ屋根の下暮らす同性の家族が、自分の服を持ち出して匂い嗅いでハァハァしてるところを目撃したらどう思う?

 まず……真っ先にキモイと思うんじゃないかな。もしかしたら家族に犯されるかもしれないと、物理的にも精神的にも距離を置くくらいはしないか?家族会議勃発して、勘当コースまっしぐらなんじゃないだろうか。


 いくら母さんが優しいからって、こんな衝撃的な場面に出くわしておいて。こんなあっさりと娘の行為を……娘の好意を受け入れられるものなの……?


「なぁヒメ?ヒメはさ……こう言っちゃあれだけど、所謂匂いフェチってやつなのかい?」

「……少なくとも、匂いフェチじゃないです。母さんのだから……嗅いでました……」

「…………じゃあ、あれかい?女の子が好きなのかい?」

「……え?」


 困惑する私をよそに、母さんは少し言葉を選びながらそんな事を問いかけてくる。女の子が……うぅん。どうだろうか?性別:女性が好きっていうよりも、単純に私は……母さん個人が好き。

 けどまあ、確かに母さんも立派な女の子だし……そう言われるとそういう事になる……のかな?


「……うん、好き」

「……そっか」


 そう答えると、母さんは……何故かほっとした表情を一瞬だけ見せて。そうして笑顔でこう続けた。


「……うん、大丈夫だよヒメ。ヒメが誰を好きになっても、!」

「…………はい?」


 ……日本語なのに母さんの言葉が理解できない。どゆこと?誰を好きになってもって……私が好きなのは母さんなのに……何を言っているの……?


「あの……母さん、何を……」

「女の子が好きなのかー。そっかぁ、流石のかーちゃんも気づかなかったよ。ちなみにヒメはどういうタイプの子が好きなんだい?実はもう付き合ってる子とかいるのかい?」

「い、いやだから……違……わ、私が好きなのは……」

「もしそうなら近いうちに紹介しておくれよ。どんな子でも、ヒメを大事にしてくれる子ならかーちゃんは全力で祝福しちゃうからね!」

「…………ぁ」


 瞬間、理解し。同時に絶望する。あー……はいはい。これは、アレか。母さんは……私が母さんをネタに興奮していたんじゃなくて、私が女の人をネタにしていたって事にしたいのか。そして……私が誰を想っているのかを有耶無耶にしたいのか。

 これだけの状況証拠が揃っていたんだ。誰が誰に好意を向けているのか、聡明な母さんなら一発で理解できるはず。


「(つまりこれは……母さんなりの逃げ。拒絶なんだね……)」


 私の気持ちが受け入れられなくて。けれども私が極力傷つかないようにと言葉を選び空気を読んで出した答えがコレ。

 ……こんなことなら、はっきり拒絶された方がマシじゃないか……


 ただ……母さんを責められない。突然こんな場面に出くわした挙句、自分の血の繋がった娘から好意を抱かれていると分かった母さんの今の心境は……私には計り知れない。

 私以上に困惑しているだろう。本気で嫌悪感を抱いているかもしれない。それなのに……私が傷つかないようにと懸命に平気な顔をしている母さん。拒絶をしながらも、それでも母と娘の良好な関係性を壊さぬようにと精いっぱい笑顔で私に接してくれる母さん。


「(……母さんを困らせちゃダメだ)」


 理想的な娘を演じるなら、このまま母さんの話に合わせるべき。『女の子が好きだけど、まだ恋人はいない』とか『うん、機会があれば連れてくる』とか適当に言って、母さんへの好意をなかったことにすれば……母さんも安心してくれるだろう。


 これでいい。これで丸く収まる。そうすれば、明日から普通に母さんと今まで通りの母と娘の関係に戻れる……もどれる……






「…………違う」

「え……ひ、ヒメ……?」

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