母さんとお家旅行(後編)
~SIDE:Mother~
むせ返るような熱気。照り付ける眩い光。耳に心地よく聞こえてくる寄せては返す波の音―――
「……うふふ。母さん、素敵なとこだね。暑さと眩しささえも心地いいや」
「……ええっと」
「……こんなに広大に広がる海だっていうのに、私と母さん以外……まわりに人が居ない」
「……いや、あの……ヒメ?」
「……いわゆるプライベートビーチってやつだ。ロマンティックで素敵」
「…………なあ、ヒメや」
「……んー?なぁに母さん」
「かーちゃんさ、やっぱこれ流石に無理があると思うんだ……」
……ただし、目を開けばその幻想はたちまち打ち砕かれる。私たちの目の前に広がるのは夢にまで見た海外の海―――ではなく。
「……がんばれ母さん。イメージしよう。ここは、ハワイの海。今にも潮の香りが届いてきそうな夏の海。今すぐにでも泳ぎたくなっちゃいそうな……そんな海だよ」
「……すまん。言われた通り頑張ってはみたけどよ、その妄想はかーちゃんにはちょっと荷が重いようだよヒメ……だってどう頑張ってもここは……ここは……!」
ここは海外なんかじゃなくて。私とヒメが住み慣れている何万回とも見てきた我が家なのだから。
海外デモの影響で、断腸の思いで計画していた海外旅行を当日キャンセルする事になってしまった私とヒメの麻生親子。意気消沈する私を前にして、
『だったらさ母さん。―――おうちで旅行すればいい』
そうヒメが唐突に言い出したかと思うと、あれやこれやと何やら準備を始めていって。
『……OK、準備完了。さあ母さん。想像しよう、妄想しよう、思いこもう』
『な、何をだいヒメ?』
『……GoTo脳内トラベルだ。たった今から我が家は憧れのハワイに変わる』
数分後。リビングを大改造しやり切った表情のヒメからそう告げられた。……つまりは、アレだ。我が愛しき一人娘の言いたい事は……現実で海外旅行が出来ないのであれば、妄想の中の海外旅行を楽しもう―――という事らしい。
ちなみに。むせ返るような熱気の正体は、真夏だっていうのに全開で起動させている
確かに目を瞑りさえすれば、気分だけでもハワイにいるようにも感じなくもない。……感じなくもないんだけれど。この部屋の
仮に、一瞬海外旅行に行けたって妄想が出来たとしても。そのあと目を開いてしまえばその時点でお終いだ。楽しい妄想から現実へと引き戻され、後に残るのは『私たちは何をやっているんだろう……』という生々しい空虚さだけ。
「なあヒメ……これってさ、余計虚しくなってこないかい……?」
「……んーん、全然?もうすでに、私の脳内ではハワイで母さんとバカンス中」
それでもヒメは大して気にした様子もない。
「……母さん。あんまし楽しくなさそう?」
「だってなぁ……」
旅行中止に落ち込んでいる私を励まそうとしてくれているのだろう。ちょっとでも旅行に行った気分を味わおうと、ヒメは色々考えてセッティングしてくれたけれど……残念ながら、すでに枯れているかーちゃんには思春期の逞しい想像力など皆無。
言われた通りどうにかここはハワイだとしばし自分に言い聞かせてみたけれど、やっぱり旅行気分には浸れなかった。やっぱ無理あるんだよなぁ……
「……大丈夫。母さん」
「何が大丈夫なのかねヒメや」
「……妄想力が足りていないのは、きっと水着を着ていないから。水着を着れば母さんも海に。旅行に行った気分になれる」
「へ……?」
~母娘お着換え中:しばらくお待ちください~
「……母さん……かわいい……♡」
「あ、ああうん……ありがとね」
娘に言われるがまま、新調していた水着に着替えてみた私。
「……母さんにきっと似合うって思って大胆なビキニを選んでみたけど……私の目に狂いはなかった。モデルも顔負けだし、すらっとした手足がよく映える。胸も、お尻も強調されてて……私、母さんの水着姿だけでご飯3杯は余裕でいけそう……♡」
いつもは無口でローテンションなうちのヒメだけど、水着姿を見せた途端。人が変わったみたいにぺらぺらと褒め始める。めちゃくちゃ興奮しているらしいヒメ。ホントにこの子は……私の事が好きなんだな……
うぅ……自分の家で、自分の部屋で水着を着てその姿を自分の娘に凝視されるって……なんだかすっごい違和感っていうか変な感じがするわ……
「そ、そう言うヒメこそ……すっごい可愛いよ」
「……えへへ、そう……かな?あ。改めて……こんな素敵な水着をプレゼントしてくれてありがとう母さん。とっても嬉しいよ」
照れ隠しをするように私は我が子の水着姿を褒めてみる。親バカだなと呆れられるかもしれないが、どこぞのアイドルなんかよりも、ヒメの方が可愛いと思う。
ちなみに今ヒメに着てもらっている水着は旅行でヒメに喜んで貰おうと、自ら手掛けてデザインした……世界に一つとない特注品。娘に自分の水着を着て貰える喜びは如何とも言葉にしがたい達成感や幸福感があるな。
「……ね、ね。母さんがデザインしてくれたこの水着、ちゃんと私に似合ってる?」
「ああ、似合っているよヒメ」
「……私、綺麗?」
「ああ、綺麗さね」
「……母さんを、悩殺できる?」
「…………いや、悩殺まではちょっとな……」
「……むぅ。残念。やっぱし母さんみたいにもうちょっとスタイル良くならないと無理かー」
冗談半分に笑うヒメ。……安心してほしい。ホントはすでにかーちゃんはヒメに悩殺済みだ。口には絶対に出せないけど。
「(……実際、反則級に似合っているよな。とてもきれいで……見ているだけで、傍に居るだけでドキドキと……))
少女と大人の女の間にいるヒメ。愛らしさやあどけなさを感じる一方で、色気なんかも見え隠れし始めて……
「(…………いや、いやいやいや……!娘の水着姿に見惚れるとか……それでも母親か私は……!?)」
ハッと我に返って、自分の思考のあまりのアレさに嫌悪する。……やべぇ。ちょっとここ最近の私……マジで危険人物だわ。近い将来、ヒメが大人になる前にヒメに手を出しそうで……自分がこわい。
ヒメの事大好きで、大好き過ぎて勢い余って押し倒しそうになる自分がホントにこわい……
「……そういや母さん。知ってる?」
「な、何をかなヒメさんや!?」
危うい自分の邪念を振り払い、ヒメと向き合う私。だ、大丈夫だ……落ち着け。冷静になれ私。普段通り、ちゃんとした親としてヒメと向き合いさえすれば大丈夫―――
「……服をプレゼントするのってね、その服を脱がせたいって意味があるんだって。つまり……母さんには私を脱がせたいって深層心理が……」
「ごふぅ……!?」
「……母さん、例の約束だと……二十歳過ぎるまでは私から手を出すのはアウトだけど……逆に、母さんから手を出してくれるなら万事オッケー問題ないよね?……私、いつでもばっちこいだからね♡」
「母親が手を出す方が、余計にアウトだからな!?」
ヒメの強烈な一言に私は悶絶する。ああ、もう私はダメかもしれない。娘とまともに向き合える気がしない……
「……まあ、そんな小粋なジョークはさておき」
「小粋だったか……?」
「……話戻すけど、どう母さん?水着来たら少しは旅行行った気になれた?」
「いいや。より一層、現実感に引き戻された気がする」
「……あれー?」
いい歳した大人が、一人娘と一緒に自分の家で水着を褒め合うこのシチュエーション……すまんがますます空しさを感じるんだけど……?
「逆に聞くがよ。ヒメはこんなので満足なのかい?折角の初めての海外旅行がおじゃんになって……母親と虚しく住み慣れた家で水着を見せ合うなんて……がっかりしないのかい?」
強がっているだけで、本当はめちゃくちゃ気にしているのでは……?そう心配して私はヒメに問いかけるけれども。ヒメは満面の笑みを浮かべてこう返してきた。
「……最初に言ったけどさ。私、全然がっかりなんてしてないよ。そりゃ旅行の件は残念ではあったけれど、寧ろこれはこれで良かったなって思ってる」
「良かった……?何がだい」
旅行もいけず、家で虚しく旅行ごっこする事に、何の良さがあるんだろうか?
「……まずお金がかからないでしょー。他人の目を気にせずのびのび羽根を伸ばせるでしょー。それに海行って母さんをナンパする不届き者もいないでしょー」
楽しそうに旅行に行かないことのメリットを述べるヒメ。な、生々しい理由だな……
「……それともう一つ」
「ま、まだあるのか……」
「誰にも邪魔されないで、母さんとイチャイチャできるから。おうち旅行最高」
「っ……ヒメ……」
天使のような柔らかな優しい笑みを浮かべて。愛娘は私にそんな嬉しい殺し文句を告げてきた。
「……本当に、がっかりなんてしてないの。母さんと一緒に居られることが、私にとっての一番のバカンス」
「……」
「……楽しいよ。どこだろうが母さんと一緒に過ごせるこの時間。最高だよ。……母さんは、そうじゃない?」
…………ああ、もう。
「決まってんだろ、そんなの……」
「……母さん?」
「場所なんて関係あるか!かーちゃんも、ヒメと一緒に過ごす時間が一番に決まってるわ!」
「……きゃー♡」
感極まって水着のままヒメを抱きかかえ海に―――布団の海へとダイブする。こっぱずかしさを殴り捨てたこの瞬間。気づけば私も気分はハワイの海の中。
こうして私はヒメと共にお家旅行を満喫したのであった。
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