第21話 貴女の隣で並んで歩くために
「―――よーし。これで大体の部署は回り切ったかな。お疲れ様ヒメちゃん」
「……ありがとう、ございました」
母さんの部下さん―――加藤さんに連れられて、母さんの働く会社をくまなく回らせて貰った私。
「さてと。そんじゃ前座はここまでにして、そろそろヒメちゃんの本命に移ろっか」
「……?と、言いますと?」
本命……?一体何のことだろうと首を傾げる私に、加藤さんはニヤリと笑いこんな事を言い出す。
「ヒメちゃんがこの会社説明会に来た理由の9割を占める本命中の本命の事よ」
「……っ!それは、まさか……」
「ええ、そう。ヒメちゃんのお母さん―――麻生課長が働くところ、こっそり見学に行「行きます!」きましょう」
その素敵で素晴らしい提案に、私は食い気味にすぐさま乗った。
◇ ◇ ◇
「(ゴニョゴニョ)おー、ヒメちゃんヒメちゃん。グッドタイミング。今ちょうどいいところみたいよ。ほら、ここから見て見てごらん」
「……母さん……!」
加藤さんに連れられて、やってきたのは今現在会議中の会議室―――の、真上の
……?なんでこんなところで母さんの見学してるのか?だってここなら母さんの邪魔にならず、母さんのカッコいいところ余すことなく見れるよって加藤さん言ってくれたんだもの。……狭さとか埃っぽさは置いておくとして、事実母さんの一挙一動がクッキリハッキリ見えるし……
『―――では、次のスライドをご覧ください』
……おっと。私たちの見学場所なんて今はどうでも良い。そんな事より母さんだ。
『コモディティ化が進む下着業界、これは決して我が社でも無視できない問題だと言えます』
スクリーンの前に立ち、大勢の偉そうな人たちの視線が集まる中。母さんはその視線を意に介さず、堂々とプレゼンをしていく。
その気高さや胆力、威厳が満ち満ちた姿は……いつも見せてくれている母の背中とはまた違い、とても……とても美しい。
『こちら今回行ったアンケートの結果です。下着をファッションとして、ではなく。日用品として捉えられているお客様は決して少なくない―――いいえ、寧ろ過半数がそのように捉えられています』
「……?」
『勿論デザイン重視されるお客様、我が社のブランド品だからと購入されるお客様もいらっしゃいますが……『下着なんて、どれも同じ』『どこのメーカーのを穿いているかなんて興味ない』という声が多く聞かれ始めています。特に多かった意見は『どれも一緒だし、安いのが良いよね』との事。―――典型的なコモディティ化が加速している前触れですね』
「…………???」
……それにしても。困った。母さんのカッコよさは誰よりも理解出来ているつもりだけれど。母さんが今何の話をしているのかについてはよくわからない。折角母さんが一生懸命良い話をしてるっぽいのに、その内容がわからないのは勿体ない。……コモディティ化?なにそれ?カタカナ言葉多すぎじゃない?
「ヒメちゃん、会議の内容わかる?」
「……(ブンブン)すみません。よく、わかりません」
「ま、そうよねー。えっとね。まずコモディティ化って言うのは……商品が差別化できる個性を失って、まるで日用品のように一般化しちゃった事なの」
「……?ええっと……」
どうやら困惑していたのが顔に出ていたようだ。こっそりと加藤さんが私に小さな声で説明をしてくれる。
「課長が問題視しているコモディティ化ってのはね、お客さんにとってはどのメーカーの商品を買っても別に大差ないなー。違いがわからないなー。だったら安い奴買えば良いじゃない?って状態なのよ。例えばさ。ヒメちゃんの目の前に3つのショートケーキがあったとするじゃない?」
「……ケーキ?」
「そのケーキはさ、見た目も味もほとんど違いが無いの。ただ値段はどれも微妙に違ってる。……そんな3つのケーキがあるとして。もしもヒメちゃんだったらどのケーキを買うかしら」
「…………一番、安いやつ?」
「うんうん。ありがとう。それがコモディティ化の問題。品物に大差ないって思えるなら安いの買うのは当然よね?差別化出来ない以上、価格で差別化しなきゃいけなくなる。結果的に商品の価値がどんどん下がっていく―――お客さんたちからしてみればありがたいことかもしれないけど、私たち生産者側やこの業界的にはちょーっとよくない事になるのよねー」
……なるほど、わからん。分かり易く説明して貰っているハズなのに、よくわかんない……なんでよくないのだろうか?安いと困るって……どうして?
『私たちが目指すのは《美の探求》。ファッションとしての下着を強く押し出していきたいところです。他社との差別化の為、コモディティ化に対応する為、そしてお客様の美しくありたいという気持ちに応える為。今一度既存の商品の検討、新たな商品の開発を行っていかねばなりません。さて、前置きはこのくらいにして。今回の新商品の方向性についてですが―――』
「……」
加藤さんの丁寧な説明を聞いた後でも、母さんの話の8割以上はよくわからない。……お陰で少し、不安になって来た。
「……あの、加藤さん」
「んー?なにかなヒメちゃん?」
「……卒業したら、この会社で働きたいって私言いましたよね。……仮に、私の願いが叶ったとして……資格とか、知識とか、仕事に対する熱意とか、経験とか……そういうの無い状態で会社に入って、何とかなると思いますか……?」
「……ふむ。そうねぇ……」
恐る恐る加藤さんにそんな質問をしてみる私。加藤さんはしばらく考える素振りを見せたあと、こう切り出した。
「まぁ個人的に、『中学卒業後にすぐ働きます!そんなに仕事に興味はありませんが私優秀ですので是非働かせてください!』とか言われたら…………仕事を、そしてこの業界を。舐めるなよ小娘♡とか思わなくはないけど」
「……ぁぅ」
「それはそれとして。実際ヒメちゃんは麻生課長の娘さんなだけあってとっても優秀だと思うし、働きながら勉強して資格とか取る人も勿論居る。さっきも言ったけどお金の為に働いている人、私みたいに不純な動機でこの会社に入った人もいるわけだしヒメちゃんの志望理由にケチつける気はないわ。仕事していくうちに仕事に対する熱意も経験も、自然と身についてくるでしょうしその辺はそう心配しなくてもいいとは思うの」
「……」
「ただね」
そう言って、加藤さんは先ほどまでのほんわかした表情から一転。真剣な顔で語ってくれる。
「資格取得していれば給与面で優遇去れる事もあるし、何より即戦力として扱って貰える。資格取得の為の勉強が、そのまま仕事の知識に繋がる事もあるわ。熱意に関しては……あれば仕事するうえでのモチベーションの向上・維持に直結する。中学卒業したての子の経験値と、いろんな経験をしてきた高校生・大学生・社会人の経験値を比べたら……どちらが会社にとって必要な人材なのか、言うまでも無いわよね?」
「……は、い」
「ねえヒメちゃん。ヒメちゃんは、お母さんの役に立ちたいのよね?」
加藤さんは私を見て、そのあとで会議をしている母さんに目を移し最後にこんな事を言ってくれた。
「今すぐ働いて、お母さんに楽させたいと思うヒメちゃんの気持ちはわかるわ。そのヒメちゃんの一途な気持ちはとても素晴らしいと思う。だけど……長い目で見たら、私的には色んな経験を得てバリバリ仕事出来る女になってこの会社を、課長を支えてくれた方が助かるの。まだまだ未熟な今の貴女では―――支えるどころか、多分課長も不安で親子二人共倒れしちゃうんじゃないかなって思えてならない」
「……加藤さん」
「勿論ヒメちゃんの人生だし、私から『こうしなさい、ああしなさい』とは言えない。言う資格もないわ。だから―――考えてみて。卒業してすぐに、貴女のお母さんの隣に立って働けるかどうか……お家に帰ってからじっくり考えてみてねヒメちゃん」
◇ ◇ ◇
~SIDE:Mother~
「―――た、ただいまー……」
「……あ、母さん。お帰りなさい。お仕事お疲れ様」
「ヒメ……っ!ああ、ヒメ。ごめん、ごめんなぁ……折角会社説明会に来てくれたのに、碌に説明できないままになっちまって……!」
ヒメが我が会社に見学に来るという、一大イベントがあったにもかかわらず。悲しい事に私は部下たちから捕縛され、強制的に仕事をさせられ愛娘の会社見学にこれっぽっちも関わる事が出来なかった。
畜生……仕事速攻で終わらせて、ヒメに会社を案内したかったってのに……楽しんで貰いたかったってのに。仕事を一つ終わらせたかと思ったら、
『麻生課長!加藤さんが『その仕事終わったら次こっちシクヨロでーす♡』だそうです!』
……とか何とかで、仕事次々に増やしやがって……!お陰でヒメと一切関われないままヒメの会社説明会終わっちまったじゃねーか……!
おのれ加藤、嫌がらせか何かか……!?
「……んーん。忙しかったみたいだし、別に良いよ。加藤さんが色んな場所をいっぱい案内してくれた。分かり易く説明してくれたし、相談にも乗ってくれた。良い人だね加藤さん。流石母さんの直属の部下さんだ」
「そ、そうか。それはよかった……ね…………(ボソッ)くそぅ、美味しいトコ持って行きやがって加藤のやつ……!」
いいな、いいなぁ……!本来だったら私が、加藤の代わりに私がヒメを楽しませてやってたハズなのに。説明ついでに私の普段見せることが出来ない働く有能なところ見せて、ヒメに尊敬して貰えるはずだったのにいいなぁ……!
「……母さんが、働いているところも見たよ」
「へっ?……わ、私の?え?あれ?ヒメ、私が働くところ見てたの?どこで?」
「……会議してたでしょ?見てたよ。…………会議室の上の、排気口の中で」
「そ、そうか。すまないね、気づかなかった―――いや、ちょっと。ちょっと待てヒメ……は、排気口の……中?」
「……加藤さんが案内してくれたけど、それが何か?」
「あのバカ何してんの!?」
『私がヒメちゃんの会社案内するので、かちょーは安心して仕事してくださいねー』
とかなんとかほざいてたけど、何やってんだアイツ……!?
排気口、排気口!?誰がそんなとこまで案内しろと言った……!?人の愛娘に何危ない事させてんの……!?
「……母さん。ごめんなさい」
「いいや、謝るなヒメ。悪いのはヒメをそんな場所まで連れてったあのバ加藤だ。これっぽちもヒメは悪くないから」
「……そうじゃなくて。私、
「へ……?し、進路?」
てっきり常識外れの場所で見学していたことを謝っているのかと思いきや。そんな事を言い出すヒメ。進路の事で謝る……?
「……母さんが会議しているところ見た。とってもカッコよかったよ。凛々しくて、堂々としてて、凄く良かった」
「そ、そうかい?そんなに褒められると流石にかーちゃんも照れちゃうねぇ……」
「……同時に、働いている母さん見てたら……自分の考えがあまりにも無知で無謀だったって気付かされた」
「……ヒメ?」
そう言ってヒメはいつも以上に真剣な表情で私を見つめてくる。
「……知識もない。資格もない。経験もない。そんな現役中学生が母さんを支えたいからって理由だけで母さんと働きたいだなんて―――愚かだった。考え無しだった。思い上がってた。母さんが頑張ってる姿見て、そう感じたよ。支えるどころか……このままじゃ母さんの負担にしかならないよね」
「いや、それは……」
「……母さんも、それが分かっていたから。だから私を会社説明会に呼んだんでしょう?私に、進路について考え直す機会を作る為に呼んでくれたんでしょう?」
そんな事は無いと言いたかったけど、何か私が口に出す前にヒメは私の手を取って話を続ける。
「母さんの会社で働きたい。母さんの傍に居て、母さんを支えたい。その気持ちは今でも変わらない。寧ろ母さんが働いているところを見て、より一層その気持ちは強くなった。けど……」
「けど……?」
「今の私じゃ、無理だって分かった。役に立てない。だから……私、これから勉強する。高校行くし、大学とか専門学校とか行って、知識を蓄えて資格も取得する。色んな経験を得て―――誰もが認めてくれる、凄い女になるよ。母さんに相応しい。母さんの役に立てる。母さんが惚れてくれるような、そんな凄い女になるよ」
「ひ、ヒメ……」
ヒメのまっすぐな瞳に魅入られて。私はその眼差しを受け硬直する。ヒメのまっすぐな言葉に引き込まれて。私はその言葉に赤面する。
な、なんだ。何だこれ……?ヒメの視線を受け止める度、ヒメの言葉を受け止める度……熱い、顔が熱くなる……
「そして……母さんの隣に並んで歩けるような凄い女になったなら―――その時こそ、母さんの会社に就職する。公私ともに、母さんを支えていくよ。だから……お願い。その時まで、どうか私を待っていてください」
「は、はい……」
『横に並んで歩く』『公私ともに支える』『待っていて』―――まるでそれは、恋人からの熱烈なプロポーズ。ヒメのそんな本気の一言に、私はただコクコクと頷き、(何故か敬語で)『はい』と答えるしか出来なかった。
「……良かった。私、頑張る。頑張るからね!」
「う、うん……がんばれ」
「……さてと。それじゃあ仕事に関しては将来頑張るとして。私生活に関してはいつも通り母さんを支えるよ。ご飯、出来てるよ。一緒に食べよ母さん」
「あ、ああ……ありがとね……き、着替えてくるから……」
「……ん。待ってる」
ニッコリ笑顔のヒメを置いて、赤くなった顔を隠すように慌てて着替えに行く私。
「…………(ボソッ)ああ、どうしたんだよ私……何赤くなってんだよ私……」
ヒメの精神的成長を垣間見て、嬉しいと思う。進路のことを真剣に考えた上で、よりよい方向に向かっている事も、嬉しいと思う。けれど……母親としてそう思う一方で……
「なんで、こう。ドキドキするんだよ……?娘だぞ……!?何考えてんだよ私は……」
ヒメから掛けられた一言一言が、どうしてか娘としての一言じゃなくて…………好きな人から将来を見据えてプロポーズしてくれたような、そんな素敵な言葉みたいに聞こえてしまって……
久しく忘れていた何かが、私の胸の中で燃え上がるのを感じていた……
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