母さんと卒業式

 桜吹雪が舞い踊る春が過ぎ、蝉が鳴きすさぶ夏を越し。紅葉が散りゆく秋を惜しみながら、雪と戯れる冬を通り超して―――

 気づけばまた桜咲く、春の日がやってきた。光陰矢のごとし、なんて言葉もあるけれど。本当にあっという間に月日が流れていった。


 今日はいよいよ、私の中学の卒業の日だ。


《暖かな春の日差しが私たちを照らす、今日のこのよき日。私たち60名はこの学校を卒業します》


 壇上に上がった親友の一人が、静かに答辞を語り始める。


《三年前、この場所で執り行われた入学式。季節は巡り瞬く間に日々は過ぎ去って、今日この日を迎えることになりました。この三年間は多くの出会いがありました。多くの出来事がありました》


 ……コマの答辞を聞きながら思い返す。三年間……本当にいろんな出会いがあった。いろんな出来事があった。


《友人たちと触れ合い、勉学に励み、時に切磋琢磨し合う―――あの日の出会い、あの時の出来事は……全て私たちを成長させてくれたとても貴重な思い出です。様々な経験を経て、私は3年前に出来なかったことが出来ました。最高の宝物を得ることが出来ました。この学校に入って本当に良かったと……私は心から言えます》


 コマと出会い、コマを通してマコと出会い。マコを通していろんな友人と出会い。私も少しずつ成長してきたと思う。双子たちに恋愛相談したり、料理を教わったり。時に励まし励まされ。そして……彼女たちの協力のもと。紆余曲折あって、母さんに告白して―――


《―――この学校で学んだこと、得たものをすべて抱き。輝ける未来に向けて私たちは進んでいきます。本日は、このような素晴らしい式を開いていただき本当にありがとうございます。卒業生代表、立花コマ》


 素晴らしい答辞を終えたコマに拍手をしながら思う。輝ける未来……コマは良いことを言うね。私も輝ける未来へ進みたく思う。そう、あの人と一緒に……


《続きまして、卒業証書授与に移ります。名前を呼ばれた卒業生は起立をし、壇上まで上がってください。では―――麻生姫香》

「……はい」


 五十音順で呼ばれることになっている卒業証書授与。麻生、だから当然私が一番最初に呼ばれる。内心ドキドキ胸を高鳴らせながらも、それでもしっかり返事をしてキビキビと壇上へと向かう。私を見守ってくれている一番大好きな人の前で、最後の最後でかっこ悪いところは見せられないもんね。

 ゆっくりと壇上に上がり、校長先生に一礼すると校長先生はそれに合わせて卒業証書授与を始めてくれる。


《卒業証書。麻生姫香。右の者は本学校の全過程を終了したことを証する。―――おめでとう》

「……ありがとうございます」


 卒業証書授与を受け取って、もう一度礼をする。そのまま回れ右をして、自分の席へと戻ろうとすると。


「……あ、母さん……」


 保護者席の一番前。私の卒業式のために気合いを入れておめかししてくれた母さんが、ぽろぽろと涙を流し。割れんばかりに拍手してくれているのが見えた。


『(お・め・で・と・う)』


 声は届かずとも口の動きで母さんが何を言っているのかわかる。私もそれに答えるようにゆっくりと、


『(あ・り・が・と・う)』


 と、大きく口を開けて返した。


 ……母さん。本当にありがとう。母さんのおかげで、私ちゃんと卒業できたよ。私の成長をずっと側で見守り支えてくれた母さんのおかげで、私はこの学校を旅立てるよ。



 ◇ ◇ ◇



「―――母さん、お待たせ」


 卒業式が終わると。私は矢よりも速く体育館を飛び出して校門で待つ母さんの元へと駆け寄る。


「おお、ヒメ。お疲れ様。最後まで立派だったよ」

「……ありがと。あ、これ卒業証書だよ」


 母さんに卒業証書を手渡すと、とても感慨深い表情で証書を大事に抱えてくれる。


「……ヒメも卒業、したんだねぇ。一つの節目ってこともあるけど、年甲斐もなく泣いちまいそうになったよ私は。まあ、この歳で流石に泣きはしないんだけどね!」


 にこやかに笑ってそう言ってるけど。式の間中母さんが泣いていたのは私はすでに存じあげておりまする。

 ……ふふふ。『母さん、折角の気合いを入れたメイクも涙で崩れかけてるよ』とは、無粋だから言わないであげよう。


「……おかげさまで。無病息災で卒業できました。母さんが大事に私を育ててくれたおかげだよ。改めてありがとう」

「…………ッ!よ、よせよヒメ。お前さん。かーちゃん泣かせる気かい?」


 そう顔を背けながら言う母さんの目には、涙がまた浮かんでいた。


「と、ところでさヒメ?式が終わって直でかーちゃんのとこに来てくれたのは嬉しいけどよ。折角の卒業式なんだし、友達となんか話すこととかないのかい?これから会えなくなるような友達もいるんじゃないのかい?」

「……ん。いいの。一番の友達のマコとかコマたちとはまた一緒の学校に春から通えるし。何より……今は二人とも、邪魔されたくないだろうし」

「んん?邪魔されたくない……?」


 あの双子共のことだ。多分今頃校舎のどっかで思い残すことがないように、しっぽりえろいことをヤってる頃だろう。邪魔したら馬に蹴られちゃうだろうし。邪魔するほど私も空気が読めない女じゃない。


「……他の友達とか後輩とか先生とかも、挨拶は済ませておいたから大丈夫」

「無理はしていないかい?この学校で心残りとかあるなら、今のうちに済ませておきな。……一緒に一度しかない卒業式だからね」

「……んー」


 母さんに言われて考えてみる。心残り、心残りか。……あるには、あるな。


「……一個だけ、心残りはある」

「おっ?なんだい?何かあるんなら、悔いのないように今のうちに解決しておいた方がいいぞ」


 と言われてもなぁ。こればかりはちょっと今から解決するには時間が足りない気がする。


「ちなみにヒメの心残りってのは一体なんだい?」

「……私の心残り、それは―――」

「それは?」

「―――この学校に在校中に、母さんを堕とし切れなかったことだね」

「…………は?」


 私のその発言に、母さんは固まる。うーむ。これに関しては本当に残念。出来れば中学卒業するまでに、母さんに私のことを本当の意味で好きになってほしかったんだけどなぁ。

 あとたったの5年で、母さんと念願の恋人同士になれるとはいえ。それでもやっぱり5年経つ前に母さんから私を求めて貰えるくらい好きになって貰いたかったってのが私の本音。


「……あの双子たちに続いて、私もこの中学を卒業するまでに母さんと相思相愛ラブラブな親子兼恋人になりたかったなーって。それが心残り」

「ばっ……!?ひ、人前で親子同士で恋人とか、やばいこと言うんじゃないよヒメ!?」


 そんな心残りを告げてみると、母さんは慌てて私の口を手で塞ぎつつ、周囲をきょろきょろと見渡す。……心配しなくても卒業生も保護者も先生たちも、まだ体育館とかにいるから誰もいないっていうのに。慌てる母さん、可愛いね。


「ったく……中学卒業までに私を堕とすとか……何言ってんだよヒメは」

「……私の力不足だった。高校卒業までには母さんを骨抜きにしたい」

「…………(ボソッ)もう、すでに墜ちてるよバカ……」

「……?母さん、今なにか言った?」

「……なにも」


 そっぽ向いて何かブツブツ呟く母さん。なんか顔赤い気がするけど……もしかして寒いのかな?いかんいかん、暖かくなってきたとはいえ、まだまだ寒い日が続いているんだ。こんな外で立ち話させちゃうなんて、母さんを風邪引かせる訳にはいかない。そろそろお家に帰るとしようか。


「と、ところでよヒメ。ヒメは……卒業のお祝いに、何か欲しいものとかないかい?」

「……欲しいもの?」


 我が母校に向かって最後のお別れをしてから母さんの車の助手席に乗り込んでいると。母さんは不意にそんなことを言い出した。


「ああ。折角卒業したんだし、母親としては何か娘にお祝いしたいんだよ。ヒメは何かないかね?明日からヒメも春休みだし、どっか行きたいところがあるなら今からでも連れて行ってやるよ。買い物だって付き合うよ。ちょっとくらい高い物でも買ってやる。どうだい?」


 欲しいもの、と言われても。そんなもの、一つしかない。


「……母さんがほしい。母さんの身も心も、すべて欲しい」

「…………この流れなら、絶対言うと思ったけど却下。お前さん、二十歳になるまでかーちゃんに手を出さないって約束……忘れちゃないだろうね?」


 ……ダメかー。まあ、わかってたけどね。


「……じゃあ、妥協するからせめて母さんからキスしてほしい」

「どの辺を妥協したんだいお前さんは……?」

「……キスって言っても、お口にちゅーじゃなくて。あくまで家族同士でやるようなやつで良いんだよ?ほっぺにちゅーとか、おでこにちゅーとか」

「…………」


 あ……母さんったら『舌の根が乾かないうちに何言ってんだうちの娘は……』って呆れた顔になってる……やめて、そんな蔑んだ目で私を見るのは。ちょっと……興奮しちゃうじゃない……


「ったく……ヒメはほんとに……」

「……ごめんなさい」

「…………おでこで、良いのかい?」

「……っ!?」


 冗談半分に言ってみた私だっただけに。母さんのその発言に度肝を抜かれる。え、えっ!?い、いいの……!?


「……か、母さん……?その、本気……?」

「……ヒメが嫌なら、乗り気じゃないならやらんけど……」

「ぜ、是非ともお願いします!」


 母さんの気が変わらないうちに、お願いする私。ほ、ほんとに良いんだ……言ってみるものだね……


「言っとくが!これはあくまで……卒業の記念としてだからな!」

「……うん」

「今日が特別なだけで、本当ならおでこにキスも過激なスキンシップのうちにカウントされるからな!?」

「……うん」

「ヒメが二十歳になるまでは、本来ならお預けされることだからな!?そこんところ、ちゃんと理解しておくように!」

「……わかってる。今日が特別。ちゃんと以後は二十歳になるまでお預けする」

「…………ほんとにわかってるんだろうね?まあ、良いさ。……とりあえずヒメ、目を瞑りな」

「……はーい」


 言われたとおり目を瞑り。そして母さんがキスしやすいように髪をかき上げおでこをあける。……まあ、欲を言えばおでこにじゃなくて……唇と唇でやるキスが一番良いんだけど。それは今日のところは我慢しよう。大事なのは、母さんから私にキスしてくれたっていう事実だもの。


「ちゃ、ちゃんと目は瞑ったかい?」

「……OK」

「途中で目を開けちゃダメだからね?」

「……了解」

「…………じゃ、じゃあ……いくよ」


 狭い車内だ。目を閉じていても運転席から身を乗り出し助手席に座る私の方へと近づく気配が手に取るようにわかる。緊張しているのか、母さんの息づかいも熱もシャンプーと香水の香りもすぐ近くに感じる。

 ああ、おでことはいえ夢にまで見た母さんからのキス……卒業式万歳だ。


 期待に胸を弾ませながら、静かにそのときを待つ。母さんは一度大きく深呼吸をし。そしてゆっくりと私の方へと近づいて―――


「…………ちゅ」

「…………ぇ?」


 不意に、唇に。柔らかくて温かい感触が……伝わってきた。


「…………はい、おしまい」

「っ!?か、母さん!?い、今のは……!」


 慌てて目を見開いてみたけれど。すでに母さんは弾かれたように私から離れて運転席に戻り、さっさとエンジンをかけていた。


「……どうしたんだいヒメ?悪いけど、キスは一度きりだよ?」

「そ、そうじゃなくて!い、今……いま、キス……唇に……!」

「……唇にキス?はて、何の話かさっぱりさね。ヒメの勘違いだろう」


 しれっとそんな風に言うけれど。嘘、絶対嘘。だって……母さんの顔、外で舞い散る桜の花みたいに綺麗に桃色に染まっているんだもん。


「絶対、今母さんから唇にキスした!母さんが、キスしてくれた!そうでしょ!?今のは間違いなく、唇の感触だった!」

「い、いいや違うね!私はおでこにキスしたんだ!よしんば唇に何か感じたとしても、それは私の唇なんかじゃない!……きっと、アレだ。手が当たったんだよ。ヒメの勘違いさ。……断じて私は『卒業式くらい、ヒメのワガママに応えよう』とかそんな甘いことは思ったりしてないよ」

「じゃあちょっと試してみる!今から母さんにキスするから、それで勘違いだったかどうか判断する!」

「待てやヒメ!?さりげなくまたキスを強請るんじゃない!今ので最後だって言っただろうが!?」


 そんなことを言い合いながら、私は母さんと二人家路につく。……むぅう……なんか、不意を突かれて堪能する余裕がなかっただけに……生殺しな気分だ。折角の卒業式のお祝いだったのに……


 …………まあ、でも。いいか。


「……良いよ。今のが勘違いかどうかは、5年後に判断する。覚悟しておいてよ母さん。……5年が経つ前に、大人になる前に……母さんのこと絶対に堕とす。んでもって、私が大人になったなら……母さんが骨抜きになるくらいいっぱいキスしてやるんだから」

「…………お手柔らかにな、ヒメ……」


 やなこった。今の仕返しに。全力で、とろとろになるまでちゅーして愛してあげるから。


「……そうだ。ねえねえ母さん。私ね、もう一つだけ欲しいものあったよ」

「…………なんだい?またキスしてほしいとかならお断りだぞ?」

「……そうじゃなくて。卒業して、旅立つにあたって……是非とも手に入れたい物があるんだ」

「ふむ?……なら言ってみなヒメ。かーちゃんがあげられる物ならあげるから」


 その点に関しては問題ない。私が欲しいもの、それはね―――


「―――母さんと共に歩む、輝かしい未来がほしい」

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