第11話 その気持ちはマフィンに乗せて
「いやぁ、流石にちょっとビックリしたよー。ヒメっちったら急に泣き出すんだもん」
朝の衝撃的な母さんの一言に立ち直れず、途方に暮れていた私の前に現れたのは……親友の立花マコだった。
「しかもタイミングの悪い事に、それを見ていた他の連中が―――
『お、おい!アレ見てみろよ!?あのダメ姉が麻生さんを泣かせていやがるぞ!?』
『何ィ!?ま、まさかいじめか!?あの屑……今日から妹のコマちゃんが居ない鬱憤を、麻生さんにぶつけてんじゃないだろうな!?』
『あの駄姉が……お姫に手を出したですって!?何てことを……みんなぁ!あのバカ捕まえて鞭打ちの刑よ!!!』
―――とか急に騒ぎやがるし大変だったよねー。ったく、私はなーんもしてないってのに酷い誤解だっての」
「……ごめんマコ。私が泣いちゃったせいで、マコがみんなに変な誤解されちゃって……」
「あーいやいや良いんだよ!ヒメっちは悪くないし、全然気にする必要はないって。そもそもだ。変人扱いは慣れっこだしさ!ハッハッハ!」
そのマコを前にして、我慢できずに涙を流してしまった私。そんな私を見て何か事情があるんだと察してくれたマコは、すぐさま私の手を引いてひと気のないマコたちが所属している部活の部室に招き入れてくれた。
「さてと。そんなどうでも良い話は置いておくとしてだ。ヒメっち、早速で悪いんだけど……さっきの話さ。詳しく聞いても良いかな?」
「……ん」
「確かヒメっちのお母さんに嫌われたとか、ヒメっちのお母さんから捨てられるかもしれない……とかいう話だったよね。勿論私に言いたくない事までは無理に話さなくても良いけどさ。この部室、外からは中の様子は見えないし声も聞こえないように出来てるんだ。……だからね、思う存分言いたい事は言って良いよヒメっち」
「…………ん」
本来ならば麻生の家庭の話なんだし、友人とはいえマコに話す必要なんてないハズ。最悪彼女に余計な重荷を背負わしてしまう事にもなり兼ねない。
「……その、ね……実は、今朝ね……」
……それでも優しい口調で私に問いかけてくるマコを見ると、魔法にかかったみたいに私の口から今日あった出来事が自然と飛び出していた。
愛する母さんから唐突に『再婚しようと思う』と何の前触れもなく持ち掛けられたこと。どうして急に母さんが再婚しようと考えたのか心当たりが全くないこと。ひょっとしたら母子家庭が辛くなったのではないかと思ったことや、母さんにとって私は必要の無い存在なのではないか……なんて、考える程に良くない発想が零れ出てきて怖くなってきたこと―――
それら全てを再び涙を零しつつ、マコにぶつけてしまう私。しばらくの間マコは私の隣で私の背をさすってくれながら時々相槌を入れつつ黙って聞いてくれる。
「―――というわけなの。もう私……何が何やら訳が分からなくて……」
「……ふーむ。ヒメっちのお母さんの再婚話……ねぇ」
話を聞き終えたマコは、しばし何か考えるような素振りを見せる。……マコは私になんと言葉をかけてくれるだろうか?
詳しい話は私もよく知らないんだけど、マコやコマも……ちょっと複雑な家庭環境で育ったらしい。そんな境遇のマコなら、一体なんと言ってくるのだろう?
やっぱり……『そこは娘として、お母さんの再婚を応援してやりなよ!』かな?それとも……『ヒメっちの気持ちがわからない親なんて、こっちから捨てちゃえ!』とか過激な事を言っちゃう?いやもしかしたら……『そんなに重い話とか止めてよね……さすがに引くわ……』なんてドン引きされちゃうかもしれない……
「……うむ。ねえヒメっち」
「う、うん……」
そんな不安に駆られながらマコの思案を待つ中、どうやら考えがまとまったらしいマコが話しかけてくる。緊張の一瞬。覚悟を決めてマコの話に耳を傾ける私に対して、そのマコはというと―――
「突然だけどヒメっち、
「……うん。…………うん?」
「てなわけで!久しぶりの立花マコの料理教室、はっじまっるよー!」
「…………え?えっ?」
―――予想の斜め上の、想像だにしなかった事を告げた。
…………料理……?まって、なんで……料理……?
◇ ◇ ◇
「―――さぁて。材料もしっかり買った事だし、ちゃっちゃと始めちゃおうねーヒメっち」
「……あの、マコ……?」
「今日のテーマはずばり……『マフィン』だよ!マフィンって良いよね。シンプルだけどそれ故にアレンジの幅も広くて中々に奥が深いお菓子だと私思うの。ちなみにうちのコマもマフィン好物なんだー♡あ、ヒメっちのお母さんってマフィン食べられる?嫌いじゃないかな?」
「え、あ……うん。嫌いどころか好きな部類に入ると……思う」
「よっし。そりゃよかった。ならとびきり美味しいのを作って、ヒメっちのおかーさんを喜ばせてあげなきゃね!さあ行くぞ我が弟子一号!」
『久しぶりの立花マコの料理教室、はっじまっるよー!』―――なんてマコのよくわからない発言から大体30分後。気づけば私はマコに連れられて学校の調理室にいた。
……おかしいな。私、確かマコに母さんの再婚について相談して貰っていたハズ。それなのに……どうして私はこんな場所にいる?
「ねえマコ……?どうして料理なんか作る事になったの……?私、相談に乗って貰いたかっただけなのに―――」
「ヒメっち、まずは下準備から始めるよ。オーブンを温めて。あと卵とバター、ついでに牛乳は室温に戻すんだよ」
「あ、うん……」
「オーブンは180度ね。今日ちょっと寒いし、バターが室温に戻らないようなら湯せんしてみると良いよ。やり方は前に教えたよね?出来るよねヒメっち?」
「は、はいですマコ師匠……」
私の質問には一切答えず、有無を言わさず指示を飛ばすマコ。そして今のこの状況について全く意味が分かっていないにも拘らず、私は何故かマコに指示されるとついつい従ってしまう。
以前マコに料理の指南を受けてからというもの、私にとってこの立花マコは親友でもあり師匠的な存在でもある。こまった……な、なんかエプロン姿のマコには私……逆らえない……
「うん、大体下準備は良さそうだね。そんじゃそろそろ作り始めよう。私も一緒に作るから、ヒメっちは私をお手本にしながら作るんだよ」
「あ、うん……」
「まずはボウルにバターを入れて、よく練るよー。練りながら数回に分けてグラニュー糖も加えていってね。そうやって全体的に白っぽくなるまで混ぜるの。いいね?」
「は、はぁ……」
強引にボウルを手渡されて、渋々言われた通りに調理を始める私。作りながらふとこう思う。
「(…………なんで?どうしてこうなった?)」
こんな事をして何になるんだろう……?ひょっとしなくても私、相談する相手を間違えたのかな……?意味が分からない……マコの意図がさっぱり読めない。
もしかしてマコは私をからかって―――
「こらヒメっち!」
「っ!?わ、わわわ……?な、何かなマコ……?」
そう考え込んでいた私の隣で、ちょっぴり怒った表情のマコが私を叱責する。
「今余計な事を考えながら料理をしてたでしょ。そーいうのは全部マコ先生わかっちゃうんだからねー。そんな上の空で作ったものじゃ、とてもじゃないけど他人にお出しできないよ。ちゃんと料理に集中しなきゃダメでしょうが!」
「……いや、そんな事言われても。……別に私……マフィンを誰かに食べて貰う気はないし……マコにマフィン作りを教えて貰う必要もないし……」
そもそも今日私がマコに頼んだのは料理の指南ではなく相談だったハズ。料理なんか今はどうでもいいし……早く私の相談に乗って欲しいってのに……
そんな不満タラタラな気持ちを込めた返事をマコにすると、やれやれといった表情でマコは嘆息する。
「……おやおやおや。いつものヒメっちならこんな時『レパートリー増えればそれだけ母さんも喜ぶだろうし、是非とも教えてマコ』って私に迫ってくるところなのに……おかしいねぇ?もしかしてヒメっち……お母さんに自分の作ったマフィン食べて欲しくないの?お母さんの事、嫌いになっちゃったりしたの?」
「んな……っ!?」
おすまし顔でそんな酷い事を言うマコ。な、なんて失礼な事を言うの……!?
「そ、それだけは絶対ない!あり得ない!私が母さんの事を嫌いになるなんて死んでもあり得ないし、一生懸命作った料理は一番に母さんに食べて欲しいもん!」
「よーし、よく言った。だったら今は余計なことは考えず、料理だけに集中しなさいヒメっち」
「……わ、わかった……」
マコにどんな意図があるのかやっぱりよくわからない。わからないけど……でも、このモヤモヤした気持ちのまま家に戻って母さんの帰りをただじっと待つよりも、マコに一品だけでも料理を教わったほうが有意義だと思う。
そんなわけでマコの一言に触発されて、調理に集中する私。
「そんじゃ続けるよヒメっち。白っぽくなったら次はほぐした卵を三回か四回に分けて加えてね。この時空気を含ませるようにしっかり混ぜること」
「空気をしっかり……こ、こんな感じ?」
「ん、上出来上出来。ちょっとくらい分離したって問題ないよ。それが終わったら今度は薄力粉とベーキングパウダーを―――」
……それにしても。勉学や運動はちょっと見てて可哀そうになってくるくらいダメなマコだけど……本当に料理に関しては凄い。私に指示を出しながら、手元すら見らずにテキパキ自分の分の調理をしていて感心しちゃう。
やっぱりどんなダメ人間にだって、一つくらいは取り柄ってものがあるんだねー……
「…………ねぇヒメっち?またキミは何か料理と別のことを考えてない?しかも何かこう……凄く失礼な事を考えてない?私の気のせいかな?」
「……気のせい気のせい」
◇ ◇ ◇
「―――はーい、お疲れさま。後は生地を型に入れてオーブンで焼くだけだよ」
「ん……わかった。焼き時間は?」
「大体25分くらいかな。まあ、様子を見ながら調整しようね」
マコの分かり易い指導の元で手際よく調理を続け、残る行程は生地を焼くだけ。そんなわけでオーブンの前に腰かけてじっとマフィンが焼き上がるのを待つことに。
「ねぇヒメっち。今ちょっといいかな?」
「……ん?なぁにマコ?」
ボケーっとオーブンで焼かれる生地を眺めていると、マコも隣に腰かけて私に話しかけてくる。何だろう?マフィンの作り方のコツでも教えてくれるのかな?
「……どう?少しは
「…………え?」
なんて思っていた私だけれど、マコの話は違っていた。落ち着いた……?え?何?何の話……?
「……ごめんよ、いきなり『料理しよう』とか言われても唐突過ぎてわけわからなかったでしょう?なんかね……ヒメっちの話を聞いてたら、ヒメっちは余計な事まで考えすぎてパニック起こしているように感じてさ。ちょっと頭を切り替えて貰おうと思って料理に誘ってみたんだ」
「……余計な事まで……考えすぎて……?」
「うむす。料理をしてるとさ、余計な事考えずに済むんだよ。だって……ただ一番に食べて貰いたい人の事だけを考えて作るだけだからネッ」
……あれ?言われてみれば私……ついさっきまであれ程悩んで苦しかったのに……少しだけ、その胸の苦しさとかモヤモヤとかが……どこかに吹き飛んじゃってる……?
「……うん。オッケー大丈夫みたいだね。それじゃあヒメっちが落ち着いたところで、マフィンが焼き上がるまで時間がある事だし……さっきの話の続きをしようか」
「…………あ」
その一言でようやく私も理解する。ああ……そっか。そうだったのか。何故料理なんか始めたのか不思議に思っていたけれど……やっと意味が分かった。
モヤモヤした気持ちのままマコにアドバイスを貰っても……多分、私はそのマコのアドバイスをすんなりと受け止められなかっただろう。だからそれを見抜いたマコは……私の頭を冷やさせる目的でわざわざ料理教室を開いて……私を落ち着かせたのか……
「あのねヒメっち。私ヒメっちのお母さんに実際会った事は無いし、ヒメっちの家庭の事情がどんななのか……深くは知らない。だから正直な話、私の意見はあんまり参考にならないと思う」
「……うん」
「……でもね。そんな私にだってたった一つだけ言える事がある。ヒメっちのお母さんがどんな人なのか今までずっとヒメっちから話を聞いていたからわかるんだ。うちのダメクズな両親とは違って……ヒメっちのお母さんは―――とても素敵なお母さんだって事がね」
柔らかな笑みを浮かべ、私にとって一番嬉しい事をさらりと言ってくれる私の親友。
「誰に何を言われようとも、どれだけ辛い事があろうとも、女手一つで働いて誰よりも何よりもヒメっちの事をずっと愛してくれたんだよね。ヒメっちの事をずっと大切にしてくれたんだよね。話を聞いただけでも……素敵なお母さんだって私も思うよ」
「……うん」
「そんな素敵なヒメっちのお母さんがヒメっちの事をいきなり嫌いになってしまったり……ヒメっちを捨てようなんて酷い事を考えるはずはない。それだけはあり得ないって断言するよ」
「マコ……」
私を安心させるようにマコはゆっくりと、そしてハッキリした声で語り掛けてくる。その度に身体と心を支配していた黒いモヤモヤがどんどん晴れてゆく。
「これはただの私の推測なんだけどさ。多分、お母さんには何かやむを得ない事情があって……ヒメっちの事を大事に想っているからこそ、お母さんは
「私の……為に……?」
「うむす。そうじゃなきゃヒメっちのお母さんがヒメっちが大なり小なり傷つくことが分かっていて、何の前触れもなく『再婚したい』だなんて言い出すとは私には思えないもん」
…………母さんは……私の為に再婚を?
「で、でも私……母さんには再婚なんてして欲しくないって思ってるのに……私の為を思うならどうしてそんな事を……」
「その辺の事情は流石に私にはわからないよ。そもそもその前提ってただの私の当てずっぽうな推測なんだし、それが合ってるのかもわからないでしょ」
「……ん。そう……だよね」
確かに。そんな事をよその家庭の事情をマコが知るハズもないし、そもそもそれをマコに聞くのはお門違いというものだ。……ダメだね私、つい何でも頼っちゃって……
「ただね。ヒメっちがこれからやるべき事は私にもわかったよ」
「……え?」
「今ヒメっちはこう言ったよね。『母さんには再婚なんてして欲しくないって思ってる』って。だったら―――その自分の素直な気持ちを、帰ったら真っ先にお母さんに伝えなさい。そして……お母さんがどうして再婚したいって話を持ち掛けたのか、ちゃんとお母さんの口から説明させなさい。自分の気持ちを伝えなきゃ、相手の気持ちを尋ねなきゃ、前に進めるはず無いでしょう?」
「…………仰る、通りで……」
学校一の非常識でおバカなダメ人間に、とても常識的で且つ分かり易いアドバイスを頂く。……そうだ。全くもってその通り。ここでウジウジ悩んでもどうにかなるわけじゃないよね……
「……前置きしておいた通り、役に立てなくてごめんよヒメっち。どうにか出来るなら私も力になりたいところだけど……部外者の私じゃヒメっちの家庭の事情をどうにかする事は出来ないからさ」
「ううん。そんな事無い。ありがとうマコ……本当に助かったよ」
苦笑いをしながらすまなそうに謝るマコ。とんでもない。マコのお陰で冷静になれたし、自分がやるべき事もちゃんと見えた。
この親友にはどれだけ感謝してもし足りないくらいだ。……マコといいコマといい、私は本当に良い友人を持ったものだ。
「そう?なら良かった。まあ、とにかくだ。月並みな事しか言えないけど……頑張れヒメっち!」
「……ん。頑張るね」
そう言ってマコの拳と私の拳を付き合わせる。……マコに話を聞いて貰った。気持ちの整理をさせて貰った。いっぱい勇気を受け取った。
だから……あとは私が頑張らないと。……朝みたいに無様に失神している場合じゃない。母さんとちゃんと向き合わないとね。
「……っと。とかなんとか言ってるうちにマフィン焼けたみたいだね。どれどれ―――うむ、我ながら完璧だわ」
そう自分の中で決意表明していると、ちょうどマフィンが焼き上がったようでマコが焼き具合を確認してくれる。
「あーそうそうヒメっち。覚えてる?さっき私ね、『ヒメっちを落ち着かせるために料理をさせた』って言ったよね」
「……え?あ、うん……そうだね」
「あれね。実はもう一つ理由があってヒメっちに料理させたんだよ私。それが何かわかるかな?」
「……もう一つ……理由?え、えっと……えっと…………ごめんマコ。ちょっとパッと思いつかない……」
え、何だろう……?気持ちの整理だけじゃないの……?困惑している私をよそに、マコは出来上がったマフィンをオーブンから取り出しながらこう答える。
「……自分の気持ちを伝える時ってさ、何か贈り物を添えた方が伝えやすいでしょう。特に大好きな人の為に一生懸命心を込めて作ったものを添えたなら……尚の事気持ちを伝えやすいんだよ」
「……あ」
「てなわけで……はいコレ。私からの餞別だよ。これを使って、自分の素直な気持ちをお母さんにぶつけておいでヒメっち。大丈夫、絶対にヒメっちの気持ちは伝わるからさ」
「…………う、ん。うん……!ありがとマコ……!」
私の作ったマフィンを手渡して、優しい笑顔で激励してくれる私の親友。…………もう一度言わせて欲しい。私……マコやコマが親友で、本当に良かった……
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