嫉妬
そして、亮平にとってもう一つ悩ましいことがあった。
それは、彼女を好きな男子が現れたことである。同じクラスの竹下である。
彼は野球部で、背が高く、筋肉隆々であった。さらに、イケメンであることも実を結び、女子からの人気は高かった。正直言って、亮平が苦手なタイプだった。
それだけならば、何ら問題はないのだが、竹下は、彼女が亮平と付き合っていることを知っていながら、彼女に猛烈なアタックをしてきたのだ。
今日もまた、授業終わりに竹下が彼女の机に行って話をしているのを亮平は見つけた。
「なーなー、ゆっちゃーん」
誰も使っていない竹下が考えた彼女のあだ名を使って話しかける。亮平はその時点でイラっと来たが、聞いていないふりをして自分の机で本を読んだ。
彼女の机は、亮平の二個斜め前の席なので、二人の会話はよく聞こえる。
「どうしたの?」
次の授業の準備をしていた彼女が竹下に訊いた。
「次の日曜日さ、遊びにいこーぜー」
すると、彼女は少し考えたように間を空け、やがて申し訳なさそうに謝った。
「ごめん、日曜は用事があるの」
それを聞いて、亮平は満足げにこっそり笑みを漏らした。
「まじかー」と竹下は心底残念そうな顔をする。
「なら来週はどー?」
「んー、どうだろ。まだ分かんない」
「そっか。なら、ラインで空いてる日教えてよ。ゆっちゃんの予定に合わせるからさ」
「オッケー」と彼女は返事すると、竹下は笑顔で彼女に手を振って自分の席に戻った。
それを見ていた前山が、亮平の隣に来て、耳打ちする。
「おいおい、お間の彼女盗られるかもしれんぞ」
亮平は前山と視線を合わさずに言った。
「大丈夫だって」
「いや、分かんねーぞ。あいつは一度女子に狙いを定めると、辺り構わず積極的に話しかけ、最後には口説き落とすんだ」
「悠衣に限ってそんなことはないでしょ」
すると前山は大きく首を横に振った。
「お前知らねーのか?一昨日、永野と竹下一緒に帰ったんだぞ」
亮平は目を大きく開けて前山を見る。
「マジで?」
「あの時、丁度お前早退してたもんな。まあ、一緒に帰ったって言っても、竹下が一人で歩いている永野を見つけて勝手に隣に行って歩いてただけなんだけど」
亮平は少しほっとしたものの、不安が徐々に亮平の心を侵食していき始めた。
「どうすんだよ?」
「どうするもこうするも、悠衣しだいだろ」
「それにしても、竹下は強敵やぞ」
亮平は竹下に言いようのない怒りがわいてきた。
亮平と彼女の関係は他のカップルとは違い、特別なのだ。そう自負している。竹下ごときに邪魔される筋合いはない。と言い聞かせても、やはり不信感というのは募るばかりであった。
「俺と付き合ってた時さー、他に好きな人とか出来たことある?」
「それってつまり二股かけてたかってこと?」
亮平は、未来の悠衣といつも通り、車で彼女の家の周りを張っていた。そしてずっと今日、気になっていたことを訊いた。
「なんでそんなこと訊くの?」
「いや、気になっただけだよ。で、どうなの?」
「そんなのいるわけないでしょ。そこまで私も最低な女じゃないし」
「そうだよなー」
亮平はため息をついた。すると悠衣は意地悪く笑った。
「誰か二人の関係を邪魔する男が現れたんでしょ?」
「ちげーよ」
「竹下ってとこかな?」
亮平は意表を突かれたように驚いた。
「なんで分かったの?」
「そりゃ分かるわよ。彼女は私なの」
「なら、悠衣は竹下が自分の事を好きだって気づいてたの?」
「よほど鈍感じゃない限り、竹下の猛アピールに気付かない女はいないわ」
亮平は苦笑した。
「竹下の事、どう思ってたん?」
悠衣は少し考えるように首を傾げた。
「そうねー。でも、めんどくさかった。ああいう男、タイプじゃないの。積極的すぎて、逆に気持ち悪い。それに、竹下って自分の事かっこいいって思ってるでしょ?まあ、そのことに対してとやかく言う気はないけど、少なくとも私は竹下は苦手だった」
亮平は安堵した。だが、不安が完全に抜けきることはなかった。
「でもさ、彼女は遊びに誘われた時、嬉しそうな顔してたんやぞ?やっぱりちょっとは気があるんじゃないん?」
悠衣は眉を吊り上げた。
「本気でそう思ってんの?そりゃ、露骨に嫌な顔するわけにはいかないじゃない。愛想を振りまいてあげてんのよ」
亮平は疑わしそうな表情を浮かべる。
「演技には見えなかったけどなー」
「とにかく、心配しないで。私を信じて」
亮平は返事しなかった。
やっぱ好きだろ。亮平は心の中でそう呟いた。
また授業終わりに彼女と竹下が話しているのだ。そして今度は、竹下からではなく、彼女から竹下に話しかけたのだ。亮平は激しい嫉妬感を浮かべた。
竹下は彼女に話しかけられて嬉しそうな顔をしている。その顔を思い切り殴ってやりたのを亮平は堪えた。何を話しているのかは亮平の席からは聞こえなかった。
そして前山がまた亮平に耳打ちする。
「やっぱりお前危機感持った方がいーぞ」
「分かってるよ」
亮平は二人から目を逸らした。一刻も早くこの場から離れたかった。
そして授業が終わり帰り際、彼女が亮平に一緒に帰ろうと誘ってきた。亮平は心の中で歓喜の声を上げた。やはり彼女は二股をかけてはないのだ。
最近、竹下という邪魔者が現れたせいで彼女と話す機会がめっきり減った。
また、亮平から彼女に話しかけることも少なくなった。
だから、純粋に彼女からの誘いは嬉しかった。そう思ったのもつかの間、亮平は満足げに彼女と学校の坂を下っていた時、想定外の事が起きた。
「ゆっちゃん!また明日ね!」
そう言って竹下が現れ、彼女の肩を軽くたたき、手を振って通り過ぎて行ったのだ。
亮平はその一瞬の出来事に呆然とした。彼女も軽く手を振り返していた。
「どこ行くの?」
ついそう彼女に訊いてしまった。明日は週休日で学校は休みだからである。すると彼女は少し気まずそうに答えた。
「スポッチャにいこーって言われたの」
「ふーん」
亮平はそれ以上は訊かなかった。
「やっぱり絶対竹下の事好きだったろ!」
亮平はまた車で悠衣を問い詰めた。悠衣はうっとうしそうに否定する。
「好きになったことなんてないってば。それに私スポッチャなんて竹下と行ったっけ」
「どっか竹下と遊びに行ったことは?」
「んー、全部竹下からの誘いは断ってたからそんなことはなかったと思うけど」
すると亮平の顔は強張る。
「ってことはさ、今の悠衣は竹下からの誘いに乗ったってこと?つまり、今の悠衣と未来の悠衣とでは竹下に対しての好感度が違うってことになんない?」
悠衣は唇をすぼめて言った。
「ま、そうなるわね・・・・・・」
亮平は頭を抱える。
「おいおい、どうなってんだよ」
「でも、別の私は、私たちが見張っていることを知ってるでしょ?だからもちろん、その遊びにも私たちが見張りに行くっていうことは知ってるはずよね?彼女その事に対して何か言ってた?見張りに来ないでとか」
亮平は少し考えて首を横に振った。
「いや、言ってない」
「ならさ、別の私は亮平に見られても問題ないってことだよ。普通は、そういうの見られたくないものでしょ?だから竹下の事何とも思ってない証拠よ」
「そうか・・・・・・そうだ。そうだよな」
亮平は自分に言い聞かせるように「そうだそうだ」と呟いた。
「それにしても、別の私が竹下と遊ぶことを承諾するとはね」
悠衣は感慨深げに言った。
そうは自分に言い聞かせたものの、その夜、見張りを悠衣と交替して家に帰った亮平は全く眠ることが出来なかった。
翌日、亮平は歩いて彼女の家の傍に停まっている悠衣の車に乗り込んだ。
そして、亮平は緊張した面持ちで彼女の家のドアが開くのを待った。
三十分ほど経ち、ワンピースとガーディガンを着た彼女が家から出てきた。
亮平は、その姿に思わず見とれてしまった。
「かわい・・・・・・」
「自分で言うのもなんだけど、私ってかわいいわね」と悠衣も同調した。
その一方で、亮平は不快感をあらわにした。
「俺とのデートの時は、あんな服一度も着てこなかったぞ」
「確かに、私もあんな服気合を入れるときぐらいにしか着ないわ。例えば大事な約束の時だけとかしか」
すると、彼女は亮平が乗っている車に気付き、笑いながら手を振った。亮平はぎこちなく作り笑いを浮かべて手を振り返す。そしてその彼女を見て言った。
「挑発してない?俺の事」
「気のせいよ」
彼女は、亮平たちに背を向けて歩き出した。悠衣はゆっくりと車を彼女の後ろに付けて走らせる。亮平はどぎまぎしながら彼女の後姿を見ていた。
「もし彼女が俺と別れるって言ったらどうなんの?」
「どうなるって?」
「清水寺の話だよ」
「何も変わらないわ。ただあなたは彼女の友達として彼女を守らなければいけなくなると言うだけの話でしょ?」
「まあ、そうだな」
そうこうしている間に彼女は橿原神宮前駅からバスに乗り、図書館に向かった。竹下とは図書館前で待ち合わせているのだろう。竹下の最寄り駅も八木駅ということで彼女の家からは割と近かった。
「なんで図書館の前なんかで待ち合わせすんの」
バスから降りて図書館の前で竹下を待っている彼女を見て亮平は言った。
「さあね」
悠衣はさっぱり分からないと言うようなジェスチャーをする。亮平はとりあえず娯楽施設で遊ぶわけではないということに安堵した。しかし、ここで亮平は確信した。
彼女は竹下と二人だけで遊ぶつもりなのだ。でなければ、こんなところで待ち合わせをするはずもない。何人で遊ぶかは彼女に訊かなかったから、もしかしたらと危惧していたが、恐れていた事態になってしまった。
やがて、竹下が走って彼女のもとに駆け寄っていっているのを亮平は見つけた。竹下は、グレーのコートと黒のキャップを被っている。竹下は彼女に手を振った。そして何かを彼女に話しかけている。亮平は竹下の口の動きに注視した。
「ごめん。待ったー?」と言っているような気がする。彼女は首を横に振って何かを竹下に話しかけていた。
しかし、亮平も何を言っているのかは分からなかった。そのことにもどかしさを感じた。ふと悠衣の方を向くと、悠衣はイヤホンを付けて何かを聞いている。亮平は悠衣の肩を叩く。
悠衣はイヤホンを外して訊いた。
「何?」
「さっきから何訊いてんの?」
「別の私と竹下の会話」
「え?」と亮平は目を大きく見開く。
「聞く?」
そう言って悠衣は左耳に入れていたイヤホンを外して亮平に渡した。
「どうやって聞いてんの?」
「彼女のカバンに盗聴器が入ってるの。ウィル特製のね」
亮平は左耳にそれを付け、拗ねたような顔をした。
「先に言ってよ」
イヤホンからは、彼女と竹下の会話が雑音もなくはっきりと聞こえてきた。
丁度「話って何なの?」と彼女が訊いている最中だった。
「ああー、その事なんだけどさ、ゆっちゃんに言いたいことがあるんだ。俺は本気だから、真剣に考えてほしい」
亮平は竹下が何を言うのかを瞬時に察した。そして、次に出て来る竹下の言葉を待つ。
「俺と付き合ってほしいんだ」
彼女は表情を変えない。それに比べて亮平はというと、落ち着きがなくなった。
竹下は続けて彼女に言った。
「もちろん佐藤と付き合ってるのは知ってる。でも正直、佐藤では君に釣り合わないと思うんだ」
「何でそう思うの?」
彼女が訊く。
「ゆっちゃんだって、昔、佐藤が皆に嫌われてたことは知ってるだろ?それは佐藤がうざい奴だったからだよ。それに、みんなを笑わせようとしてたのかもしれないけど、いっつもしけるし」
「竹下は亮平の事が嫌いなの?」
竹下は大きく頷いた。
「当たり前だよ。あいつは全部が全部むかつくんだ。だからゆっちゃんには全く釣り合わない男なんだ」
すると、彼女はしばらく俯いた。竹下は黙りこくって彼女の返事を待った。
亮平も車から緊張で汗をだらだらと垂らしながら彼女を遠くから見つめる。
「大丈夫よ」
亮平は横を向くと、悠衣が微笑して言った。不思議とそれには説得力があった。
そして、彼女は顔を上げ、竹下に言った。
「他に言うことはない?」
竹下は少し意表を突かれたように怯んだが、笑って言った。
「俺はゆっちゃんのことが大好きだ。佐藤なんかよりもずっと」
「話は終わり?」
「う、うん・・・・・・」
竹下はその彼女の異様な様子に顔を少しこわばらせた。
彼女は、竹下を睨みつけた。まるで害虫でも見るかのような目をしている。
「まず、付き合おうっていうあなたの告白は拒否させていただくわ。そもそも私はあなたが亮平の事が嫌いなように、私はあなたのことが大っ嫌い!そもそもね、私の彼氏を侮辱するような奴を好きになるわけがないでしょ。バカじゃないの」
竹下は呆気にとられたように彼女を見つめる。先ほどまでの自信は消えていた。さらに彼女は早口でまくし立てる。
「あなたはいっつも自分の事ばっかり考えてるじゃない。自分の言っていることがすべて正しいと思い込んでる。そんなわけないでしょ。それに頭が堅いし、ねちねち文句ばっかり言う。そんな男を私は好きにならないわ」
竹下は動揺して呂律が回らなくなった。
「で、でも今日俺の誘いに乗ってくれたじゃん」
「それはあなたが私に告白すると分かってたから。きっぱりと断って私に近づかないでと言いたかったの」
「な、なんでだよ・・・・・・」
「だから言ったじゃない。あなたみたいな自己チュー男嫌いなの」
「佐藤だって自己中だろ!」
「は?亮平は全く違う!亮平はあなたと違って人の痛みをわかってるの!あなたたちにいじめられてね。私が思うに、亮平は私が今まで出会ってきた中で一番いい男よ!」
亮平はそれを聞いて思わず笑みをこぼした。思わずガッツポーズをしかけたが、悠衣が隣にいることに気付いて踏みとどまった。
「ほらね」と悠衣はにんまりしている。
彼女は続けて言う。
「とにかく!私は亮平の事が大好きなの!というか愛してる!あなたは邪魔なの。があなたが私に話しかけてくるせいで、私は亮平とあんまり話せなくなっちゃったんだから。
ホント最悪。もう私にしゃべりかけないで。これから自分の行動を慎んだらどうなの?あなたが今までやってきたことを見つめなおしなさいよ」
彼女はそう言うと、打ちひしがれている竹下にくるりと背を向けて、何の惜しみもなく歩いていった。
そして、亮平たちの乗っている車に乗り込んだ。そして、先ほどの険しい顔とは打って変わり、頬を緩めて訊いた。
「家まで送ってくれる?」
亮平は驚いて後部座席を振り返り、笑った。
「ありがと」
「何が?」
「いや、なにも」
そう言って亮平は前を向いた。悠衣は、亮平に意味深な笑みを浮かべてみると、車を発進させた。
そこからというもの、亮平と悠衣は以前、犯人がアジトとしていた倉庫を見に行ったり、手掛かりを探したが、これと言ったものは見つからず、何事も起こらないまま、気が付けば研修旅行当日になっていた。
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