再び

2020年5月5日


亮平は寝られなかった。気が気でなかったのだ。何度も眠りに着こうとしたが、起き上がって時計を見てしまう。

しかし、時計の日付が5月5日を指し、スマホを見たとき、亮平はようやく、ぐっすりと眠りにつくことが出来た。

ラインの通知には、彼女から「起きてる」という返信が届いていた。

彼女は生きている。念のために電話もかけた。これでようやく、自分の使命は終わったのだ。

彼女には嫌われてしまったが、喪失感はあっても、後悔はない。これが正しい選択なのだ。そう自分に言い聞かせる。

そして、それと同時にこれで自分の生きる目的も皆無になった。結局、彼女に必要とされる男ではなかったのだ。自分では、彼女を幸せにできない。

もともと、この日が終われば、彼女と別れる気でいた。あの時、彼女を救えなかった自分が、彼女と一緒に笑ってるわけにはいかない。これから自分は何のために生きていくのだろう。

そんなことを眠りながら考えていた。自分は何の価値もない普通の人間なのだ。

いつしか、大富豪になろうという夢も抱いていたが、それもなくなっていた。

彼女が出来ただけでも、幸せ者だった。そうこう自虐していくうちに亮平の意識はだんだんと遠のいていった。





亮平はゆっくりと目を開ける。

窓からは既に陽が照り付けており、眩しさに目を細めた。

起き上がり、時計を見ると、午後一時を指していた。

そんなにも寝たのか。

亮平は苦笑する。目覚ましはセットされていたから鳴っても起きなかったということだろう。しかし、おかげで、全身の疲れが取れたような気がする。

亮平の心は晴れていた。パジャマを着替えて、歯磨きをし、ゆっくりと満足感に浸りながら階段を下る。

そしてドアを開け、リビングに入ると、亮平の母と兄が、ソファに座ってテレビをじっと食い入るように見つめていた。

兄は亮平に気付くと、そっと亮平の肩を叩き、同情の目で亮平を見た。

「何だよ」

嫌な予感を感じた。この兄の顔を、亮平は一度見たことがある。

すると兄は亮平にテレビを見るように促した。

 亮平はゆっくりと視線をテレビの液晶画面に移した。

「マジかよ・・・・・・」

そこには、彼女がピースをして笑っている顔が液晶画面に大きく映し出されていた。

そして、キャスターが神妙な面持ちで話している姿が映し出される。

これも前に、同じような顔を見た。

亮平の晴れ晴れとした気持ちは、恐怖によって一気に寒気へと変わった。

「三時間前、橿原市のスーパーで通り魔事件が発生し、15人の死傷者が出ました。

内、三人の死亡がすでに確認され、山田博之さん、永野達吉さん、そして孫の悠衣さんが刃物で刺され、殺害されました」

「この悠衣さんって、お前の彼女だよな?」

兄が訊いてきたが、亮平は返事しない。兄も亮平の答えを聞くために言ったわけではないだろう。

全身から汗が流れてきた。体がガクガクと勝手に震えだしていた。今まで、これほどに

恐ろしいと思ったことはない。

それは悠衣を失った悲しみから発せられる恐怖ではない。

無論、それもあるにはあるが、しかし、それを圧倒的に勝っているものがある。

これからの先の展開が全く見えてこない。ただ、無情にこの事実だけが亮平の頭にむさぼりついている。失敗したということである。彼女を助けることが出来なかった。予め準備もしてきたはずなのに。

今更悔やんでも仕方がない。彼女はもうこの世にいないのだから。

確かにそうだ。だが、もうチャンスはあと一回しかないのだ。本当は逆向きに進めない一度限りの時間進行を二回やり直せるチャンスをもらえた。しかし次こそが最後なのである。   

その重圧に亮平は押しつぶされそうになった。

しかし、今は頭の中から湧き上がってくる無数の疑問を解決することが先決である。

 なぜ彼女が殺されたのか。

何も問題がなければ、昨日、清水寺で事件が起こり、彼女は亮平とデートせずに家で過ごして命拾いしていたはずである。しかし、亮平は彼女の安否にばかり気を取られすぎていて清水寺の事件が起こったのかなど気にも留めていなかった。というか、自分が見捨てた人々が死んでしまうと言う現実を目の当たりにはしたくなかった。

なのに、清水寺の事件は起こることなく、代わりに通り魔事件が発生した。

この二つの別の時間軸を超えた事件の共通点は一つだけである。

彼女が殺されたということだ。

彼女の祖父を除き、山田博之という男は清水寺の事件の被害者にはいなかった。あの事件の被害者の名前は全て覚えているから間違いはない。

つまり、これで完全に彼女の命が狙われているということが立証された。

様々な思考が亮平の脳内を駆け巡っている。

亮平は兄を押しのけ、リビングを出て二段飛ばしで急いで階段を駆け上がっていった。

妹は洗面所から出てきて、そんな兄を不思議そうに見ていた。

リビングには、テレビの音と、亮平が階段をがたがたと駆け上がっていく音だけが

鳴り響いている。

亮平はドアを勢いよく開けて部屋に入ると、充電してあったスマホを取る。充電器のプラグが外れてしまったがもはや構わない。

スマホを開くと、不在着信が何件も入っていた。

すぐそのかけてきた相手に電話をかける。

すると、亮平が電話をかけてくるのを待っていたように、すぐに相手に繋がった。

「もしもし!」

亮平が慌ただしく言うと、存外相手は落ち着いた様子で

「今、家の前にいる。早く来て」

その一言で電話は切れた。亮平はスマホをズボンのポケットにしまい、コートを羽織ると、再び部屋を出て階段を駆け下る。

しかし、途中で階段を踏み外し、ドタドタと転びながら、一階に降り立った。

亮平は立ち上がると、お尻を痛そうにさすって、足を引きずりながら、玄関へと行き、靴のかかとを踏みながらドアを開けて家を出た。

すると、家の前に黒い車が一台止まっている。足をなおも引きずって亮平は急いで車の助手席に乗り込むと、いきなり

「どうなってるんだ」

と佐々木に問いただした。

佐々木は何も言わず、ハンドルに手をかけ、車を猛スピードで走らせると、

「想像してた最悪の事態になった」

そう短く答えた。

「つまり、この前言ってたことになったってこと?」

「ええ。清水寺の事件、あれは彼女を狙った犯行よ」

とんでもないことになった。亮平は状況をまだ上手く整理できていなかったが、それだけは分かる。そして、それと同時に激しい憤りを感じ始めた。

「あんな何百人も亡くなった事件が悠衣一人の命を絶つためだけだったていうのか」

「残念ながらそうとしか言いようがない。あなたは彼女にゴールデンウィークはどこにも遊びに行くな、と伝えた。彼女は渋々ながらもそれは守った。そうよね?」

佐々木が訊くと、亮平は頷いた。

「ああ。ラインでも確認した」

佐々木は続ける。

「だから、昨日、彼女は死ななかった。ということは、もう問題は解決。私もそう思っていたわ。そう信じたかった。でも、日付が変わり、彼女は清水寺とは全く関係の無い場所で死んだ。そして、昨日、清水寺の事件も起きなかった」

亮平は声を震わせながら訊いた。

「なんで悠衣の命を狙う必要がある?」

佐々木は首を横に振った。

「わからない。目的もわからないし、誰がやったのかもわからない。清水寺の事件の後、警察が全総力をあげて捜査したのにも関わらず、手掛かり一つなかった」

「とにかく、もう一度過去に戻らないと・・・・・・」

 「そうしたいの?」

 「もちろんだよ。俺は悠衣を助けるために来たんだから」

「でも、次時間を巻き戻したとしても、彼女を救えるか可能性は五分五分。いや、救えない確率の方が上回ってる。それであなたはまた彼女を救えなかったことを悔やむだけになるわよ」

 「じゃあオレにどうしろっていうんだよ。もう時間を巻き戻さずに彼女のいない日々を送れっていうのか」

 「そうするべきだと思う」

 「おいおい。最初に火をつけたのは先生自身なんだぞ。今更彼女を救えるチャンスがあるのにそのチャンスを逃す手はないだろ」

 「あなたの命が危うくなるとしても?」

 「どういうことだよ?」

亮平が訊くと、その話hを遮るかのように丁度目的地に着いたのか、ブレーキをかけて車は止まった。

亮平はその衝撃で前に押されたが、何とか車のスライドに手をかけてバランスを保った。

そしてそのまま佐々木が車から降りたので、亮平は若干不快感を覚えながらも、それに続く。

その瞬間、亮平の視界には、救急車がサイレンを鳴らして走っている音と、大量のパトカーが止まっているのが映った。

そして、「イエロースーパー」と大きく看板としてかかっているスーパーを取り囲んで、「立入禁止∥KEEPOUT」と書かれた黄色いテープが張り巡らされている。

その周りには、大きなカメラを持ったカメラマンや、マイクを持ってカメラに向かって話しているスーツを着たキャスターらしき者が何人もいる。

それを興味深げに見ながらスーパーやパトカーの写真をスマホで撮っている野次馬も後を絶たない。

「ここは?」

訊くまでもなかったが亮平は小さく呟いた。

「犯行現場」

佐々木は短く答えると、スーパーの方へ歩き出した。亮平も周りを見回しながらついていく。

すると、佐々木はテープの前に立っている警官にIDカードのようなものを素早く見せ、

警官が礼をする間もなく、立ち止まらずにテープをくぐった。

亮平も、その警官を横目で見やりながら、テープを恐る恐るくぐった。

まるで刑事になった気分を味わった亮平は、普段ならば、高揚感に満ち溢れているところだが、さすがにそんな気分にはなれない。

「何者なの?」

亮平は訝しみながら佐々木に訊いた。医者もやって、警察官にもなれる。まさに変幻自在である。しかし、佐々木はふっ、と軽く笑って誤魔化すだけに留まった。

警官が大勢いる風景を見るのは亮平にとってこれで二回目である。

しかし、どれだけ見ても、犯罪者でもないのに緊張してくる。自分には刑事は向いていないだろうということを悟った。

歩いていくと、丁度スーパーの前で佐々木が立ち止まる。

佐々木の真後ろを歩いていた亮平は急に立ち止まった佐々木の背中にぶつかりそうになった。そして佐々木の視界の先を亮平も見ると、アスファトに血が一面に滴っているのを見つけた。亮平は思わず顔を逸らす。

死体はないのに、まるでそこにあるかのように思え、臭いはないはずなのに、腐敗臭のような、何とも言えない、だが吐き気を催すようなものを感じる。

「ここで、彼女は刺された。だから、彼女の血も混ざってるわ」

佐々木は低い声で亮平に言った。それを聞いて、亮平ははっ、と顔をその地面に向け、

その血の方へ歩み寄ろうとした。

つい先ほどまでここに悠衣がいたのか。にわかには信じがたい。しかし、それを佐々木が亮平の腕を掴んで制止する。

「気持ちは分かるけど、時間がない」

佐々木はそう言ってまた歩き出した。亮平もやがて踵を返して、その自動ドアがある入口からは入らず、従業員専用とプレートに書かれた裏口から回って店内に入った。

佐々木はここから迷うことなく、長い殺風景な廊下を歩いて、ある一室に入った。

ドアを開けると、小さな部屋に刑事らしき黒いスーツを着た男が数人立っている。

そしてその男たちが見ている先には、小さな5,6個の液晶画面に映像が映し出されている。

ドアの音に気付いた男たちは佐々木と亮平を見て怪訝そうに二人を見つめる。

佐々木は一人の男に「犯人は映ってた?」と訊くと、がっしりとした体形の30代半ばと見える男が、佐々木をまるで不審者のように疑い深い目で「ええ」と答えた。

男の顔からは、不信感がにじみ出ている。男から見ても、いかにも20代前半というような女にため口で偉そうに言われたのだ。他の男たちも見つめあって何だこの女は、というような顔をしている。

そして、先ほどの男が「どちら様で?」と訊いていきた。よほど叩き上げの刑事なのだろう。眼光の鋭さと言い、威圧感は相手をビビらせるのに十分だ。

しかし、佐々木は怯むことなく、また胸ポケットからカードを取り出して見せた。

すると、男の目から先ほどの鋭さが消え、警戒心がなくなったからなのか、すぐさま温和な表情になり、「失礼しました。私は捜査一課の村島と言います」と佐々木に先ほどの非礼を詫びるかのように深くお辞儀をした。他の者も、それに続く。

佐々木はそれを横目で見つめ、

「それで?」

と訊いた。

村島は顔を上げると、隣にいた亮平を訝しみながら見た。

「ところでこの子は?」

「ああ。この子はこの事件の関係者よ。今協力してもらってるの」

「そうですか。しかし、いくら関係者といえど捜査情報を明かすには・・・・・・」

村島は躊躇した。

「事件を解決するにはこの子が必要なの」

「しかし・・・・・・」

「あの、この子って俺高校生なんですけど」

横から亮平が不満げに口を挟む。

「まだ未成年なんだから」

村島は亮平を威圧するように言った。

「とにかく、捜査情報の口外はさせないわ。信用して」

今日初めて会った女を信用すると言うのも変な話だが、村島は渋々応じた。

「分かりました。映っていた犯人ですが、黒いキャップに黒いマスク、それに全身黒ずくめの服を着ており、犯人を割り出すのは正直難しいところです」

そう言って椅子に座っていた従業員らしき眼鏡をかけた若い男に指示して一つの画面に映像を映し出した。

映像には、スーパーの入り口で悠衣とその祖父が談笑しながらスーパーの中に入っていく姿が映っている。

そして映像は早送りにされ、しばらくして50歳くらいの中年女性が自分で持参したエコバッグを持って出てきた。バッグからは、ねぎがはみ出ている。

すると、女性の前に黒い男が歩み寄ってきた。女性はその男性を気にすることなく、よけようとしたとき、男はポケットからナイフを取り出し、その女性の腹を一突きで刺した。

女性は驚いたように男を見つめ、お腹を押さえて前かがみに倒れる。

男はナイフを静かに抜き取り、その女性を抱きかかえるようにした。そのため、スーパーの前を通り過ぎる人たちは息子が母親が転びかけたのを支えたかのように見え、誰もその異変に気付く者はいなかった。

そして、男は女性を離すと、次に入り口から出てきた若い男の腹をあっ、という間もなく指す。

そして今度はナイフを素早く抜き取ると、ようやく周囲の人間が異変を感じ始め、逃げ出していく。しかし、スーパーの中の人々はそれに気づいている様子はない。

しばらくして、彼女とその祖父がスーパーから出てきた。

彼女の両手は買い物袋で塞がっている。祖父はそれを心配そうに見つめているが、恐らく彼女が高齢の祖父を労わって持ってあげているのだろう。

そしてその束の間、ドアから二人が出てきた瞬間に、二人は人が倒れているのを見て、買い物袋を置いて駆け寄ろうとした。

しかし、それを見計らったかのように、陰で潜んでいた男が飛び出し、狼狽した彼女の胸を刺した。ナイフは体を貫き、背中からナイフの先端が見えている。

亮平はそれを見て、嗚咽が出そうになるのを必死でこらえた。今すぐここから出ていきたい。

それから男はナイフを勢いよく抜き取り、血がべっとりとついたナイフをまた彼女に向けた。

すると、彼女の祖父は弱弱しい手で男のナイフを奪おうと取っ組み合いになった。しかし、勝ち目はあるはずもなく、彼女を守ろうとした祖父を刺殺した。

そしてまたナイフを抜き取り、男は逃げて行った。

村島は映像を止めさせると憤怒の表情を浮かべた。

「ここからの被害者がまた多かった。男は逃げていく途中に何度も通り過ぎる人を刺していったんです。しかし、幸い、男は走りながらだったので、かすり傷で済んだ被害者が大半でした。そして、800メートル先に停めていた車で走り去りました」

「ナンバープレートの照会は?」

「それが、出来たことには出来たんですが、この車は一週間前に盗まれた盗難車で30

キロ先にある御所市のコンビニで乗り捨てられていたのを先ほど発見したと報告がありました」

そう言って村島は悔しそうに顔をゆがめる。

 「捜査本部の方針は?」

すると別の刑事が口を開いた。

「まだ具体的には決まっておりませんが、恐らく計画性のある無差別殺人ということで捜査を進めることになると思います。しかし、犯人の手掛かりは180センチ前後の身長と言うだけで、それ以外は何も・・・・・・」

亮平は無差別殺人じゃないということをこの刑事たちの前で言いたかったが佐々木が亮平に目配せをしてきたので、踏みとどまった。

「捜査は恐らく難航するでしょう。よりによってこんな田舎で」

佐々木は軽く頷いた。

「では私たちはこれで」

村島がそう言って、佐々木の方に軽くお辞儀をすると、亮平をチラチラと不思議そうに見ながら、他の刑事たちを連れて出て行った。

亮平の頭からは先ほどの映像が離れられない。あまりに生々しい光景であった。

それが自分の彼女なのだ。きっと苦しかったであろう。代われるものなら代わってやりたかった。また自分は彼女を救えなかったのだ。

佐々木は、袖をめくりあげて、自分で店のパソコンのキーボードを叩いて操作している。

従業員は、自分はもう必要ないと思ったのか、席を空けて出て行った。部屋は亮平と

佐々木の二人きりになった。

佐々木はパソコンのキーをしばらく叩いていたがやがて大きくため息をついて椅子に座って背もたれにもたれかかった。

「犯人は防犯カメラの死角をちゃんと分かって行動している。清水寺の時でさえ、手掛かりがほとんどなかったのに、ましてやこんな田舎のスーパーじゃ犯人を探し出すのは不可能に近いわ」

「犯人は俺たちの事を知ってるんだよな?」

佐々木は頷いた。

「おそらくね。いや、今回のことでほぼそれで決まりだわ。そうすると、すべての事に納得がいくの。犯人は、私たちと一緒に時間を逆流してきた」

「どうやって?」

「簡単なことよ。犯人は私たちが一年前に時間を巻き戻すことを知っていた。私が逆行前にあなたに渡したマスク。あれは未来で作られた特殊な素材でできたものなの。それさえつければ、意識を保ったまま、私たちと同じ時間に戻れることが出来る」

改めて、とんでもないことになったと自分でも感じる。


「今回、病気で死んだはずの彼女の祖父も同時に殺された。どちらにしても、この二人

が何か犯人と重要な関係性があるはずって考えるべきだよな。でも、一つ疑問があるんだけど」

亮平が言うと、佐々木は眉を少し上げて続けるように促した。

「犯人はあの時、清水寺で大規模なテロ事件を起こして悠衣を殺した。でも今回は10人程度が被害者になっただけだった。今回のように、悠衣を殺そうと思えば、いつでもできたはず。なのに、なんで観光客がどったがえす清水寺を犯人は選んだんだ?それに今回だってわざわざ通り魔事件を装って悠衣とは関係ない人を殺す意味がどこにあるっていうんだ」

「私もそれを考えていた。でも、あなたが彼女にゴールデンウィークは家にいろ、と言ったおかげで少なからず彼女はどこにも遠出はしなかった。彼女が友達と遊びに行っていたら間違いなくそこで殺されていたと思うわ。だから、犯人はここを殺害の現場に選んだ。清水寺の時と同じ、無差別殺人に見せかけてね。それは多分、狙いが彼女だと警察などに知られたくなかったからだと思う。でも、間違いなく清水寺の事件は完全に猟奇的な犯行よ」

「つまり、楽しんで殺したと?」

「彼女を殺すついでにね」

許せない。こんなことが許されて良いわけがない。清水寺、あまりにも多くの人が死んだ。

 今回は被害に遭った人数は少なかったが、それでも殺人は殺人である。それは人数の大きさで罪の大きさが変わるものではない。

大切な人を失った苦しみを、亮平は痛いほど分かる故に、他の自分と同じ境遇の者のことを考えると、胸が痛んだ。

佐々木は続けた。

「でも、このことは想定内。三月から予想がついていたことよ。つまり、対策もしっかりできていた」

「対策?彼女は死んだじゃないか」

「ええ、これは私の責任」

存外、簡単に佐々木が折れたことによって亮平は拍子抜けした。

亮平は佐々木の事を責める気でいたが、佐々木の唇をかみしめて悔しそうにしている顔をみて、気が失せた。

「実はずっと彼女の事を見張っていたの。そしたら、案の定、彼女の周りをうろついている不審者を見つけた。黒いスーツにマスクを着けていて顔を見ることはできなかったけど。私は彼女のことを守ると同時にその男を監視した。でも、怪しい動きは全くなかった。いつも、彼女の事を通学から帰宅までついて行って見てるだけだった」

「駅にもいた?」

佐々木は頷く。

「なるほど。そういうことか」

すぐに亮平の頭にパズルのピースが組み合わされた。彼女はどういうことと言うような

目を亮平に向け、話すように促した。

「先生が春休み前に言ってたんだ。不審者の目撃情報があるって。そいつらは、何もせずにただ生徒の事を見ていた、と言っていた。先生の言ってることと合致してるから多分そいつらが悠衣を見張っていたんだろう」

「その可能性が高いわね」

佐々木も同調した。亮平は、少し本題からずれたことに気付き、

「その男の足取りは掴めたの?」

「ええ」

佐々木はそう言いながら、ポケットから取り出したUSBメモリを置いてあるパソコンに挿した。

しばらくキーボードを叩きこみ、ホーム画面に「データ移送中」という文字が現れる。「完了しました」という表示が出ると、佐々木は素早くメモリを抜き取り、亮平にそれを見せると「ここでやることは終わった。今からその男のアジトと思しきところに行く」

そう言って、足早に佐々木は部屋を出て行った。

亮平は佐々木の素っ気なさに不快感を覚えながらも、慌ててついていった。

長い廊下を歩いて裏口からまた出ていくと、テープをくぐり、野次馬を押しのけて車に乗り込んだ。

佐々木は乗り込むや否や、シートベルトもつけずにすぐエンジンをかけて急発進する。亮平はシートベルトを急いで付けると、心の中で苦笑した。刑事が大勢いる前で堂々とスピード違反するとは。

車窓からはスピードが速すぎて景色が霞んで見える。窓を開けて顔を出したら間違いなく息が出来ないだろう。



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