それから30分ほどで車は停まった。逆に、30分間一秒たりとも車は停まらなかったのだ。

途中、何度も信号が赤になったが、構わず飛ばし続け、危うく別の車と衝突しそうになる危機に何度も直面した。その度に亮平は半ば死を覚悟したが、佐々木の腕裁きがとんでもなく良かった。

幸い、警察はスーパーの事件で持ちっきりでサイレンを鳴らして追いかけてくるものはいなかった。しかし、あれほど橿原市の交通網を混乱させたのだ。誰かひとりは110番を押しているはず。確実にナンバープレートの照会をされて捕まるだろう。しかし、それはそれで良いのかもしれない。そんな調子である。

二人は車から出ると、まるで昭和にでもタイムスリップしたかのような、レトロで殺風景な景色が二人の前に広がった。

周りは、民家が4,5軒横並びに連なって建っているが、人が住んでいるのかは怪しいところだ。

人通りは全くなく、民家の上にポツンと一羽、カラスが乗っているだけである。亮平にはそれがひどく不気味に見えた。自分たちの事を監視しているように、亮平たちの方を向いて、カー、と鳴いた。

亮平の右では小さな川が静かに音を立てることもなく流れている。

亮平はカラスから目を離し、佐々木の方を見ると、ある倉庫の前で立ち止まっていた。いかにも古臭い倉庫である。建てられてから3,40年以上は経つだろう。今にも、崩れそうな建物であることは間違いない。

亮平は佐々木の真後ろに付いた。

 「ここが悠衣を殺した男のアジト?」

 「多分ね」

気づかないうちに少し足がすくんでしまっていた。ついこないだまで死のうとしていたはずなのに、やはりこういう場所では緊張してしまうのが人間と言うものなのだろう。

倉庫の入り口の5メートルほどの高さのシャッターは1メートルほど開けられており、佐々木は辺りを注意深く見回した後、しゃがんで入っていった。

亮平も続いて中に入ると、倉庫の中はひんやりとしており、肌寒かった。

亮平は車にコートを置いてきたのをひどく後悔した。しかし、今更戻るわけにもいかない。異様な静けさの中、自然と亮平も足音を忍ばせて歩くようにした。

が、一歩あるごとにトンと建物中に足音がこだまする。亮平は昔、母を驚かせようと後ろから忍び足で近づこうとしたのを思い出した。

倉庫と言っても、もう完全に使われていないのだろう。あるのは古びた机や椅子と、わずかに積み重なっている段ボール箱だけだった。

亮平は足音に注意しながらも、わずかに空いているシャッターからの陽の光を頼りに歩を進める。

上を見上げると、どうやら吹き抜け式になっているようだ。二階が見え、そこにまた小さなスペースが見える。どうやら二階は一階の半分ほどの面積もないようだ。

二階に通じる古びた階段を佐々木はゆっくりと上っていった。

亮平も、手すりを持って階段を踏み外さないように、一段一段、慎重に上っていく。

上り終えると、佐々木が壁についているスイッチを押し、二階の明かりがついた。

しかし、照明は途切れ途切れに、ついたり消えたりする。

また、そこには小さなオフィスでもあったのか、デスクと椅子がセットで6台、3台ずつ横並びで並んでいる。ここで、もし仮に仕事をしていた人間がいたのなら、相当孤独感を味わったのではないか。そんな想像をした。自分なら気が回りそうだ。

そして、二人は慎重にそのデスクへと近づく。

一歩一歩が重く感じた。デスクには、何も置いていなかった。佐々木は、回転椅子を

見ると鋭い声で言った。

「ホコリがない。ついこないだまで誰かがいた証拠よ」

亮平は警戒心を強めた。まだ、この中にいるかもしれない。

「犯人と悠衣をつけていた奴は同一人物なの?」

「ええ。もしくは同じグループ」

「その犯人グループがここにいたのは間違いないの?」

「車で跡をつけたらここにたどり着いた。そして、この建物に入ってまた翌朝に出てきた。ここを寝所にしてたのは確かよ」

亮平は、よくこんな息が詰まる場所で夜を明かせたなと感心してしまった。

亮平は、デスクの下に誰かが隠れていないかと念のために確認した。だが、誰も潜んでいる様子はない。

亮平はほっとして次のデスクを見ようとした瞬間、そこの椅子が弾き飛ばされ、中から全身黒のジャケットに黒いヘルメットを被った男が出てきて、ナイフを構えて亮平に向かって振り回した。

しかし、バスケでの反射神経がこの時活きたのか、ナイフは頬をかすめるだけにとどまった。そして亮平は急いで後ろに退く。

男はナイフを構えたまま動かない。

「誰だ!」

亮平が叫んだ。しかし、恐怖でか、大きな声が出ない。ヘルメットの者は、答えなかった。

「お前が悠衣を殺したのか?」

なおも男は答えない。

「俺たちの事を知ってるんだろ?」

さらに詰め寄る。すると男は口を開いた。

「ええ。貴方たちの事はずっと前から知っていますよ。特に亮平君。君の事を見ているのは楽しかったですよ」

そう言って男はヒヒヒ、と不気味な笑い声を立てた。

顔は見えないが、相手の性格はある程度判断できる。悪いことをする人間は、猟奇的な犯行と、理由があって止むにやまれず犯行をしてしまうという二パターンに通常分かれる。間違いなく、この男は前者だ。亮平はそう確信した。そう考えると、亮平の怒りは頂点に達した。

「どうして悠衣を殺す必要があった!」

「それは私たちの事情です。貴方には関係ありません」

「何だと!」

亮平は今すぐこの男を殴りたかった。しかし、佐々木がそれを制止した。

「あなたは私たちと一緒に時間を巻き戻したのね。そして彼女の祖父を殺す計画を延ばし、彼女とまとめて殺した」

「まあ、ざっとそんなところです」

案外、男はすんなりと認めた。

「私は貴方たちを常に監視していた。あの屋上での会話もすべて聞いていましたよ。だから私たちは貴方たちが彼女の命を救うのを止めるために一緒に過去に戻ることを決断したのです。それにしても佐々木さん、何回同じことをするんです?無駄だと分からないのですか?」

 佐々木は歯ぎしりした。亮平には何を言っているのかが分からない。

「なんで時間の巻き戻しについて知っているんだ!」

亮平が怒気を含んで叫んだ。

「言ったでしょ?私の事情です。誰かさんとはまるで違いますね。もう少し冷静になってみては?」

「誰かさん?どういう事だ」

「あ、佐々木さん。伝えてなかったんですね。まあそれもそうでしょう。貴方の目的は亮平君とは違うようですしね」

亮平はヘルメットを被った不審者と佐々木を交互に見まわした。

「何の話をしてる」

「ま、いずれ分かることですよ」

「目的を教えろ!なんで悠衣を殺す必要があるんだよ!」

するとヘルメットの不審者は亮平を嘲笑った。

「まるで読解力がありませんね。私の事情ですから教える義理はありません。プライバシーの侵害ですよ」

「ふざけんな!」

「亮平君、もう少し冷静になってください。短気は損気という古いことわざがあるでしょ?しかし、まあ申し訳程度に教えてやるのも悪くないですね。でないと面白くない。私は遠い未来からやってきたんですよ」

「未来?どれくらい先からだ?」

「申し訳程度だと先ほど言ったはずですが?」

つまりはここから先は答える気はないらしい。佐々木は何も言わずに険しい顔で押し黙っていた。すると、亮平は分かったというように言った。

「つまりこういうことか?未来で、お前たちにとって悠衣は何らかの脅威となる存在だった。だから、今のうちに悠衣を殺そうとした。違うか?」

ヘルメットの不審者は何も答えない。

「その沈黙が答えだ」

亮平がそう言った瞬間、佐々木が男の方へ向かって一目散に駆けだした。

男は驚いた様子で、急いでナイフを構え、佐々木へと振り下ろそうとした。男のナイフを振り回す手がおぼつかない。

佐々木はすんでのところでそれをかわし、同時に男が持っているナイフの柄を手で掴み、一気に取り上げると、すぐにナイフを放り投げた。

すると男は佐々木の頬を殴る。佐々木は倒れるが、すぐに起き上がり、男と間合いを詰めながら、相手の出方を待つ。そこへ亮平が応戦に入った。

男の腹へ向かって横から頭でタックルする。

男はその反動で倒れすぐに起き上がろうとするが、そこを佐々木が瞬時にナイフを拾い上げ、男の体に乗っかり、首元にそれを向ける。すると、男は観念したように動かなくなった。   

亮平は男に近づき、ヘルメットを引きはがすと、30代前半くらいの男が

「違う!違うんだ!」

と叫びだしだ。男の顔は青白くなっている。

「お前が犯人だな!」

亮平が男の胸倉を掴んで殴りかかろうとした。しかし、男は必死で弁明する。

「だから、違うんだよ!み、みてくれ!」

そう言って男はヘルメットの方を指さした。手が震えている。

亮平は男に言われるがまま、はがしたヘルメットを見ると、中にスピーカーのようなものがテープで固定されていた。

亮平はそれを抜き取り、佐々木に見せる。。すると、男はまた震えながらしゃべりだしだ。

「お、俺は藤原裕真だ。昨日か一昨日かは分からないが、会社の帰り道にお、襲われて、そしたらここに連れていかれた。そ、そして命令されたんだ。逆らえば、爆弾を爆発させると脅されて」

「爆弾?」

亮平が聞き返した。藤原は大きく何度も頷いた。

佐々木は男に乗っかっていた体を離し、藤原のコートのファスナーをゆっくりおろすと、爆弾らしきものが体中に取り付けられている。

そして、男の胸のあたりにはガムテープで無造作に貼り付けられた古い置時計がかちっかちっ、と音を鳴らして動いていた。

「た、助けてくれ!」

藤原は、大粒の涙を流しながら叫んだ。すると、亮平の持っていたスピーカーから声が聞こえてくる。先ほど亮平と話していた男の声だ。

「その男はストーカーだったんですよ。好きだった女性を付け回し、挙句の果てに自殺に追い込んだ。それなのに、この男はのうのうと生きている。許されていいものでしょうか。いや、私は、この男を死刑にする価値があると思っています」

「何百人も殺した奴が、何言ってんだよ!」

亮平は完全に切れてしまった。こんな男に悠衣は殺されたのか。

「お前は、罪もない人々を楽しんで殺した!それこそ許されて良いはずがないだろ!」

すると、男は高らかに笑った。

「何を言っているんですか?今更現実を知ってしまった貴方には確かに受け入れがたいことでしょう。しかし、私のやることなすこと全てが正義です。あの時、清水寺で事件を起こしたのにも理由があります。この世界は腐れきっているのですよ。正義の象徴と呼ばれる警察は権力に溺れ、司法の壁を担っている裁判官は平気でクロをシロにし、シロをクロにする。そんなバカな世界になってしまった。いいですか?いつか人は死ぬ。それを私が彼らの退屈な人生を終わらせてやっただけの事ですよ」

「そんなもの、お前のただの自己満足だろ!」

「いいや、それは違います。これは未来の人類の総意ですよ」

「未来の人類だと?」

「ええ。この先、生きていれば分かります。この世界がいかに腐れきっているのかを貴方たちは身に染みて思うと思いますよ」

亮平は唇を思い切り噛んだ。この男を殺してやりたい。この男の言っていることは少しだけではあるが亮平も分かる。しかし、肯定は断じて出来ない。

すると、男は思い出したようにわざとらしく声を上げた。

「ああ。最も、ここで死んでいれば未来を見ることはできませんけどね」

そう言うと、男がスピーカーを切るブチっ、という耳障りな音が聞こえた。

藤原は「助けてくれ!」とずっと泣き叫んでいる。

亮平は慌てて胸に取り付けられている時計を見て、

「あと何分持つ?」

「あと3分」

「3分?」

佐々木はゆっくりと頷いた。

「解除は出来ないの?」

「爆弾のコードが何重にも張り巡らされている。下手に解除しようとすればすぐに爆弾は爆発する。解除は不可能よ」

「そ、そんな!」

亮平と藤原の声が重なった。

「なら、どうすんだよ!」

「彼を置いて逃げるしかない」

佐々木は至って冷静に見える。

「ま、待ってくれ!頼む!置いてかないで!」

藤原は、子供のように亮平の腕に組みつき、すがった。

亮平は「置いてけない」と佐々木に向かって言った。

時計の針は2を指している。佐々木は亮平に叫んだ。

「いい?ここであなたが死ねばどうやって彼女を助けるの!彼は時間を巻き戻せば助けることが出来る!」

亮平は、佐々木と藤原を交互に見た。やがて、顔を歪ませ、

「ごめんなさい」

と謝って、ゆっくりと藤原の組み付いていた腕を離し、なおも亮平にしがみつこうとする藤原の腕をゆっくりと話した。、

「分かった」

亮平は悔しそうに、泣き崩れている藤原から背を向けた。

「急いで!」

佐々木が先に1階に降り、亮平を急かす。

亮平は暗闇の中、必死で階段を駆け下り、わずかに見える陽の光へと大急ぎで走った。

既に時計の針は1を過ぎていた。

カチッカチッ、と亮平の頭の中で聞こえもしない針の音がする。

そして、スライディングで亮平はシャッターをくぐり抜け、佐々木の車に大急ぎで乗った。すると佐々木はすぐにアクセルを踏み、車を出す。倉庫の中から、藤原の泣き叫ぶ声が微かに聞こえる。亮平は、目を瞑って耳を塞ぎ、聞かないようにした。

倉庫の中では、藤原は階段を降りようとして踏み外し、真っ逆さまに落ちて行った。

頭を押さえると、血が出ている。藤原の息は段々と荒くなり、ヒーヒー、と必死で吸って吐いてを繰り返している。そして、秒針の音が止まった。

藤原は、胸についてある時計を恐る恐る覗くと、針は進んでいなかった。

すると、時計から何かの曲が聞こえてくる。何の曲か分かるのに一秒も要さなかった。子供時代に何度も聞いた曲。

「キーンコーンカーンコーン。キーンコーンカーンコーン」

授業が始まる合図だった学校のチャイムは、死へのチャイムへと、変わった。

藤原は震えながら天井を見上げ、

「し、死にたくない。」

その一言とともに、バン!、という大きな爆発音を上げて、倉庫の屋根は崩れ落ち、崩れ落ちた屋根瓦は煙に呑まれる。

亮平は耳から手を離し、ゆっくりと後ろを振り返った。先ほどまであったカビがかった建物は、もうなくなっている。

佐々木は、サイドミラーをちらりと見て、また何事もなかったかのように前を見た。

亮平は、車の窓を思い切り殴った。拳からは、血が出てくる。しかし、今の亮平にはどうでもいい。悔しさで顔を歪ませながら、やり場のない怒りを自分に向けた。

自分はまた一人、救うことが出来なかった。


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