翌朝
翌朝、哲夫は体を起こすと、二日酔いで頭がずきずきした。
頭を押さえ、周りを見回すと、いつの間にか、自分は部屋のベッドの上で寝ていた。
目がくらみ、うまく起き上がれない。ベッドの下に置いてある自分の靴を履き、哲夫はふらふらとしながら壁をつたってドアを開けると、広い大理石の廊下に出た。
すると、向こうから声が聞こえてくる。
哲夫はその声に導かれて廊下の角を曲がると、白いカーペットが敷かれたリビングが広がる。
そこには、ウィルがパジャマ姿でソファにもたれかかり、テレビを見ながらココアを熱そうにすすっていた。
ウィルは哲夫に気付くと、
「おお、テツオ。おはよう」
と言って、ウィルの後ろにあるキッチンに向かって誰かに声をかけた。
「おーい。エミリー。テツオが起きたぞ」
哲夫はキッチンを見ると、冷蔵庫に顔を突っ込んで食材を探している金髪の白人女性がいた。
エミリーと呼ばれたその女性は、ウィルの声で冷蔵庫から顔を出し、哲夫の方を見る。そして、目の色を輝かせて言った。
「テツオ!久しぶりね!会えてうれしいわ!」
エミリーはとびきりの笑顔を見せ、哲夫のもとに駆け寄った。
エミリーとは、ウィルと同じく大学時代からの旧友で、よく3人で遊んでいたのを覚えている。
「俺もだよ。エミリー」
そう言って、哲夫は駆け寄ってきたエミリーの頬にキスをした。
そして哲夫もソファに座ると、ウィルが
「あの後、オレたちは酔いつぶれてジムに車で家まで送ってもらったんだ。エミリーはテツオに気付かずにオレは水をぶっかけられてがみがみ怒られた。だが、テツオを見た途端に手のひら返すように機嫌が良くなったよ。エミリーにはテツオが来ることを知らせてなかったから」
と苦笑した。哲夫は少し照れ隠しに笑いながら感慨深げに呟いた。
「広い家だな」
「だろ?ハワイに移住したときに丁度この家が売りに出されててな。何でも前の所有者が一年も経たずに引っ越したらしい。その所有者だった人が安く売ってくれたから、相場よりも全然安く買えたんだ。二人で住むにはもったいないだろ?なー、エミリー?」
ウィルは遠回しにエミリーの事を皮肉った。
エミリーは先ほどまでの哲夫に向けた笑顔は消え、ぶっきらぼうにウィルに言った。
「子供を産むのはあなたじゃなくて私なのよ」
ウィルは笑い飛ばして冗談交じりに言った。
「いつもこんな感じなんだよ。テツオ、助けてくれ」
「彼女のそういうところに惚れたんだろ?」
「まあ、そうだな」
エミリーは「ありがとう」と哲夫の頬にキスした。
「さあ、朝ご飯にしましょう」
エミリーはスクランブルエッグが載った皿を運んできた。ウィルが立ち上がってエミリーを手伝った。
ふと哲夫は、リビングの窓から見える景色を見ると、透き通った海が輝いて見えた。
三人はスクランブルエッグを食べ終わった後、エミリーが皿をキッチンに戻して洗い始めた。ウィルはそれを横目で見て、テレビを消した。
「しばらく会社は休むことにしたよ」
哲夫は驚いてウィルを見つめる。
「大丈夫なのか?」
「心配するな。オレはこう見えて大手法律事務所を経営している男だ。オレが少し休んだところで他の優秀な弁護士たちがいれば安心だ」
ウィルの目からは、自信がみなぎっている。それだけ部下への信頼が厚いのだろう。
「それより、昨日君から聞いたことをさっきノートにまとめてみたんだ」
ウィルは筆記体で半ば乱雑に書かれた大学ノートを広げて哲夫に見せた。
「違うところがあれば言ってくれ」
哲夫は頷く。
「まず、7月1日、君の娘・エリカは午後6時に学校からの帰宅途中、最寄り駅の改札付近の路上で男に刺された。それから駅の係員がそれに気づいて駆けつけ、救急車で搬送されたが、ほどなく死亡が確認された。そして一週間後、目撃者の証言で犯人の面が割れ、ホームレスの男が逮捕された。そうだな?」
ウィルは確認を取る。
「ああ。名前は松木良純だ」
「だが、逮捕されてから数日後、何者かの手引きにより、刑務所から脱走。それから程なくしてマツキはプライベートジェットでハワイへ海外逃亡した。この情報源をもう少し詳しく教えてくれ」
哲夫はまるで警察に事情聴取をされているような気持ちで、あまり良い気分がしてこなかったが、一つずつ丁寧に記憶を呼び起こしていった。
「昨日も言ったが、俺は単独で調査を始めた。遺族とあって同情されてか、協力してくれる人が多くて助かったよ。まずは、松木の関係者を洗ったんだ。と言っても、ほとんど同じホームレスたちにだが。めぼしい情報を得られない中で、岩下というホームレスが、松木と見知らぬ男が仲良さそうに歩いているのを見たというんだ。その男は、黒い高級そうなスーツを身にまとってたから、なぜそんな男がホームレスとつるんでいるのかとどうやら興味をいだいたらしい。気になって岩下は松木とその男が別れた後、男の後を追った。すると、その男が入っていった先は、奈良県警だった」
「なるほど。その男が誰かは分かったか?」
「とりあえず、県警の幹部の写真を岩下に見せていったが、良い反応はもらえなかった。
それから俺は、松木が拠点としていた段ボールで作った簡素な家の周りを張っていたんだ。すると、夜中にその家を漁っている男を見た。何かを懸命に探している様子だった。しばらくその男を泳がせて、捕まえると男は喚きだした」
「何と?」
「金を返せ、とさ。それで俺はいくらかその男に金を渡し、話を聞いた。男は麻薬売買のバイヤーでそのことについて弱みを握られていたらしい」
「マツキとその男の関係性は?」
「バイト仲間だったと」
「なるほど。それで?」
「松木は男を脅して逃亡のための資金を貸してもらった。しかし、海外逃亡など簡単に出来るものではない。ましてや一介のホームレスにね。当然その男は疑問に思い、大丈夫なのかと尋ねた。すると、松木は俺には強力な後ろ盾がついている、と言ったらしい」
「強力な後ろ盾?具体的には分かったか?」
「いや。松木はそれ以上は話さなかったらしい。でも妙だよな。強力なバックアップがあるのなら、なぜ男から金を借りる必要があるんだ?プライベートジェットまで用意してくれる相手なのに」
ウィルも同じ見解だというように頷いた。
「オレもそう思う。マツキは自分の手掛かりを掴めるような数々のヒントを与えている。
まるで自分にたどり着いてみろとでも言うように」
「つまり松木はわざと男に金を借り、ハワイに目が向けられるように仕組んだということなのか?」
ウィルは少し考えるようにしてから答えた。
「恐らくそうだ。そして、マツキ、いやそのバックについている者たちの狙いは、警察にではなく、テツオ、もしかしたらお前なのかもしれない」
「俺だと?」
哲夫は目を見開いた。
「マツキを刑務所から脱走させてハワイまで飛んでいかせた連中だ。男を利用して手の込んだことを考えると思えば説明が行く。しかし、ホームレスを逃がす必要がどこにあると言うんだ?その連中にどんなメリットが果たしてある?」
ウィルの問いに哲夫は見当もつかないというように肩をすくめて両手の手のひらを上に向けた。
「松木はそいつらにとって重要な人物、ということか?」
「単純に考えればそうだ。そして、なぜハワイなのか、というのが次の疑問になる。その事について、マツキが研究に行くとか話してたんだってな?」
「そうなんだ。でも、それ以上の事は分からない」
ウィルはノートにまた乱雑にメモを取り始めた。
「仮にこれがテツオに当てたヒントなのだとしよう。何か心当たりはあるか?」
「全くない。そもそも、松木が恵梨香をなぜ殺したのかさえ分からないんだ。松木と恵梨香は何の接点もなかったからな。だから、俺が松木について知っていることは全て第三者から聞いたものだ。その中で、松木が何かの研究をしているなどと言う話は誰からも聞いていない」
ウィルはペンを動かすのを止め、冷たくなったココアを飲むと失望の色を浮かべた。
「研究については手掛かりなしか」
そしてココアを飲み干すと、またペンを取り、一心不乱にノートに書き込み始めた。
哲夫はそれを黙って見つめる。
広いリビングからは、ウィルが動かしているペンの音だけが鳴り響いていた。
エミリーは、二人の邪魔だと思ったのか、皿洗いを終えると、いつの間にか消えていた。
やがてウィルはペンを止め、顔を上げると「仮説を立ててみた」と言って、立ち上がり、ノートを哲夫に見せた。
しかし、字体が乱れ、雑すぎていて読めない。
ウィルは苦笑して、口で説明した。
「エリカは、マツキたちにとって重要な人物だった。悪い意味でのな。だから、無差別殺人に偽装してエリカを殺した。そして、すぐに警察に捕まったが、その後逃亡。これについてはわざと警察に捕まったのだと思われる。理由は多分自分の足跡を辿らせるためだ。そしてハワイへ逃亡か」
「待てよ。ウィル。恵梨香がそいつらにとって何だというんだよ。ただの小学生だったんだぞ」
「ああ。だからテツオが狙いかも知れないと言ったんだ」
哲夫は怒りで頭に血が上った。
「も、もし俺が狙いなら、俺をハワイへ行かせるために娘を殺したっていうのか!」
しかしウィルは冷静に答えた。
「いや、そうとも考えにくい。テツオの気を引くというのが目的ならば、エリカを殺す必要はなかっただろう。そんなことをするとは考えにくい。つまりは、エリカとテツオ、どちらも彼らの狙いの相手という考えにオレは至った」
話が飛び火しすぎて上手く頭に入ってこない。
ウィルの考えをまとめるとすると、こうなる。
恵梨香は殺す必要があり、哲夫は生かす必要があった。そういうことだろう。
そしてその連中は、哲夫が復讐のために自分たちを探すことを見越してヒントをちりばめた。
哲夫は、連中の狙い通りに、ハワイへ来て、何らかの形で連中に利用されるのではないか。
それが彼の仮説だった。
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