二章

二章





2005年8月2日  ハワイ ワイキキビーチ



無精ひげを生やしたサングラスをかけた男が、木々の間に囲まれたハンモックに揺られながらくつろいでいる。

そこからは、ビーチで遊んでいる現地の子供たちや、サマートラベルに来ている観光客がサーフィンに乗って波に揺られながら爽やかな笑顔を見せている。

だが、そんな平穏な様子に見向きもせず、男はただハンモックがかかっている木々の方を見上げていた。表情はない。寝ているのか起きているのか、怪しいところだ。

すると、男のそばに同じくサングラスをかけたラフな格好をした黒人が近づいてきた。観光客ではないだろう。

男の顔に向けて、今にも銃を突き出してきそうな、そんな顔をしている。

そして黒人の男が口を開いた。

「わざわざ、ハンモックに揺られるためにここまで来たのか?ミスターサトウ」

アメリカ訛りの英語でそう話しかけると、無精ひげの男は「んん」と言って起き上がり、

「そうだと良かったんだが。」

と流ちょうな英語を使いながら真顔で言った。

黒人の男は「フフ」と頬を緩ませ、「相変わらずだな。テツオ」と言った。

すると、無精ひげの男、いや、亮平の父、佐藤哲夫は、ハンモックから降り、サンダルを履いてサングラスを外すと笑みを浮かべた。

「久しぶりだな。会えてうれしいよ。ウィル」

黒人の男、ウィルもまたサングラスを外し、二人は固い握手を交わした後、ハグをした。

「元気だったか?」

哲夫が訊くと、ウィルは「まちまちだ」と言い、哲夫にも訊き返した。

しかし、哲夫は返事はせず、軽く笑って、砂浜を歩きだした。

ウィルもそれに続く。

「奥さんは元気してるか?ウィル」

「ああ。一週間前に10年目の結婚記念日を迎えたんだが、あれが欲しいこれが欲しいとあれこれせがまれたよ」

ウィルは苦笑した。。

「相変わらず元気そうでよかったよ」

哲夫が言うと、ウィルが悩みを吐露した。

「しかしなあ、中々子供が出来なくて困ってるんだよ。オレたちももう30歳だろ?

早いとこ子供を作りたいんだがなあ」

「エミリーはなんて?」

哲夫はウィルの妻の名前を出した。

「そう。あいつが問題なんだ。セックスするとなっても、ゴムをつけろと言って生でやらせてくれない。どうやらまだ子供は作りたくないらしいんだよ」

「彼女らしいと言えばらしいな。理由は訊いたのか?」

「笑うなよ」

ウィルが念を押した。哲夫は頷くと、

「妊娠するのが痛いからだそうだ」

ウィルがそう言うと、哲夫は大爆笑した。ウィルも思わず自分で吹き出してしまう。

「まったく、困った妻を持ったもんだぜ」

「いいじゃねえか。幸せなら」

哲夫はからかい気味に返す。久しく会っても、やはりかつての親友は親友だ。

 暗い気持ちがすっ飛んでしまった。

あどけなさも一瞬で消え、二人で笑いあっている。

「テツオ、そういえば、オレたちが出会ってもう12年目になる。あの時が懐かしいな」

そうして、二人はかつての若かりし大学時代を思い出した。

哲夫の頭の中には、あの時の記憶が今でも鮮明に残っている。

「あの時、俺はアメリカの大学に留学してとても緊張してた。日本人の留学生は誰もいなかったからな。誰にも話しかけられなくて次はどこの教室で講義があるのか分からなかったんだ。そんな時にお前がオレに声をかけてくれた。本当に感謝してる。あの時はまさかこんなにもお前との友情が続くとは思いもしなかったが」

ウィルは返事代わりににんまりと笑うと、二人は海風を心地よさそうに受けながら、名残惜しそうに砂浜を出た。

ビーチを出ると、大通りに開け、路上に停めていた日本車をウィルがリモコンでドアを開けると二人はそこに乗り込んだ。

「シートベルト付けとけよ。最近、警察の取り締まりが厳しくなってる」

そう言いながら、ウィルはアクセルを踏み、車を走らせた。

ウィル側の窓から、海が綺麗に見える。いつまでも尽きることなく、打ち返し、また打ち寄せる波。

日本とはまた違う景色だ。これが単なる観光であればどれほど良かったことであろう。哲夫はそう心から思った。

ウィルは、哲夫がハワイに来た理由、本題には入らず、二人で青春時代に思いを馳せながら、昔話に花を咲かせた。

やがて二人は、砂浜の上に佇む店の前に停まった。

そこは、80年代を感じさせるレトロな雰囲気を漂わせる、古めかしいバーだった。

ウィルは車を降り、ギギギという今にも壊れそうな音を立てながら木製の茶色いドアを開けた。

中に入ると、白髪のバーテンダーが二人を迎えた。ウィルはカウンターに座ろうと、哲夫に促した。

店の中は、たくさんのレコードが飾られており、それを楽しめと言わんばかりに机が

5席ほど置かれている。レコードは哲夫にとって知らない歌手ばかりだった。

唯一分かったのがマイケルジャクソンだけである。丁度その世代に近かったので、子供時代に何度も彼の曲を聴いたのを覚えている。今でも、「スリラー」を踊れと言われても、たどたどしくはあってもあのゾンビダンスは体に染み込まれている。

ムーンウォークはもはや哲夫にとって鉄板芸である。当時、ムーンウォークが上手にできれば女子にモテると本気で信じていたのだ。

哲夫はそんな懐かしさに心惹かれながらも席に座った。

意外なことに、昼間にあるにも関わらず、客が三人ほど、静かに酒を飲んでくつろいでいた。その中の一人の逞しい男と目が合ったが慌てて逸らした。

「静かな店だな」

「だろ?この店に来ると、心が落ち着くんだ。オレもエミリーとケンカしたときは必ずここに来て怒りを静め、仲直りをしようとまた家に戻るんだ」

そう言ってウィルは笑った。すると、バーテンダーの老人が、

「逆にケンカしないとここに来ないだろ?ウィリー」

と不満げに言った。しかし、目が笑っているのに亮平は気づいた。ジョークのつもりなのだろう。

「そらそんなことでもない限り、こんな古臭い店には来ないよ。ジム」

ウィルの言葉に老人は笑みをこぼした。

「余計なお世話だ。その古さを楽しんで来る客もいるんだから。古き良き時代に戻るためにな」

老人が他の客の方に目を向けた。するとウィルは哲夫に老人を紹介した。

「テツオ。この老人はバーテンダーのジムだ。一人でこの店を切り盛りしている。こんな皮肉を叩くジジイだが、根は優しい老人だ。ジム、こっちはテツオ。日本から来た」

 「もっとマシな紹介はなかったのか」

と怒りつつも、哲夫の方に向かって微笑して手を差し出した。哲夫はそんな気さくな態度に親近感が湧いたのか、哲夫も微笑して「よろしく」と言って握手を交わす。

ジムの手は、老人とは思えないほど、がっしりとしていた。哲夫はそれに驚きつつも、手を放した。

「それにしても日本からか。随分な長旅だったろう。ハワイにはいつ来たんだ?」

「ついさっきだよ」

「そうかそうか。ならば、無事に到着したことを祝して一杯おごろう」

 「おお。良かったな、テツオ」

 亮平はジムに礼を言うと、ウィルが注文した。

「ジム。コークで」

「おいおい。ここは酒屋だぞ」

ジムは顔をしかめて文句をつけた。ウィルはジムをなだめるように頼んだ。

「常連のよしみで今日はいいだろう。昼間から酒っていうのも気が乗らない。テツオにも同じものを」

ジムは、苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら渋々頷き、奥に入っていった。

その後ろ姿を見送ったウィルは、体を哲夫の方へと向け、

「本題に入ろうか」

と言った。先ほどまでのジムとの会話とは打って違い、ウィルは真剣な顔をしている。

恐らく、大事な話というのを察しているのだろう。この点については、さすが親友と言うしかない。

そのとき、ジムが不服そうにコーラをグラスに注いで二人の席にがしゃんと勢いよく置いた。

少し、カウンターにコーラが飛び散ったが、ウィルは苦笑して「ありがと」と軽く手を上げた。哲夫も頭を下げる。

しかし、二人には目もくれず、ジムは素っ気ない態度で、グラスを洗い始めた。

やがて哲夫は口を開いた。

「娘が死んだ」

ウィルは飲んでいたグラスを離し、驚きの表情を浮かべた。

「娘って、エリカか?」

哲夫は返事代わりにコーラを一気に飲み干した。炭酸がシュワっと口の中に広がる。

「殺されたんだ」

ウィルは何も言わない。それがせめてもの礼儀だと考えたのだろう。

「他の子どもたちには?」

「長男の圭太には姉が死んだと伝えた。弟の亮平はまだ物心ついたばっかりだから、何も伝えてない。もしかしたら、姉の存在すら分からずに育つかもな」

ウィルは衝撃を受けている様子だった。

「何と言えばいいか。気の毒に」

「ああ。亮平には大人になるまで姉の事について伝えないでおこうと思う。なんと亮平に言えばいいかも分からないし。どう思う?」

 「良い考えだとオレは思うぞ。それが正しい選択かというのはだれにも分からないが、間違ってはいない」

 哲夫は礼を述べる代わりに笑みを浮かべると、話し始めた。

「一か月前の事だ。恵梨香は学校の帰りの路上で男に刺された。犯人はすぐに警察が捕まえたよ。しかし、その後1週間後に脱走した」

「脱走?」

「ああ。それから俺は警察から聞き出した限られた情報の中で、ある手がかりを掴んだんだ。男はこの島に来ているとな」

ウィルは戸惑い、

「ハワイに?その男が何の為に?」

「さあ、国外逃亡とは俺もたまげたよ。しかし、俺がとっちめたその男の友人に聞けば、

そういう専門の奴らを雇って堂々と旅客機で逃げたらしい。その男によれば、何でもハワイに研究に行くとか言っていたらしい」

「研究?」

哲夫の顔を見ると、その表情は疲れ切っていた。先ほどまでの盛り上がった思い出話は嘘だったかのように。ウィルは心配げに哲夫の肩に手をかけて言った。

「大丈夫か?テツオ」

哲夫は首を傾げた。

「どうだろうな。正直、半信半疑だよ。今でも、娘が生きてるように思えてならないんだ。俺の前に現れて笑いかけてくれるような気がする」

気づくと、哲夫のグラスに、またコーラが注ぎ込まれていた。

そして、ジムは先ほどまで話を聞いていたのか、二人に遠慮して店の奥に引っ込んでいた。

「とても残念だ。あのエリカが・・・・・・信じられない」

ウィルは独り言のような、か細い声で呟いた。

「ウィル。そこでだ。君にも協力してほしいんだ」

ウィルはグラスから手を離して言った。

「オレがか?」

「ああ。こんなことを頼むのは本当にやるせないが・・・・・・君は弁護士だろ?この手の事については詳しいんじゃないかと思ったんだ。無理にとは言わない。もしかしたら、命に関わることになるかもしれないから」

しかしウィルは即答した。

「オレを頼ったのが正解だったな。もちろんだ。オレにできることがあれば何でも協力する」

哲夫はそれを聞いて、喜びつつも申し訳なさそうにウィルに深々と頭を下げた。

「本当にすまない。お前を巻き込んでしまって」

ウィルは哲夫の頭を無理やり上げさせると、背中を思い切り叩いた。

「親友だったら仲間を助けるのは当たり前だろ?」

哲夫は笑った。

持つべきものは友、以前は綺麗ごとと高をくくっていたが、今ではそれを見に染みて思う。ウィルは「ジム!」と大声で叫んだ。

すると、奥からジムがやってきて

「おい。店で大声出すんじゃない」

と注意すると、ウィルは悪びれる様子もなく言った。

「良いじゃねえか。今日は特別な日なんだ。テツオ。詳しいことは飲みながらでも聞こう。

今日は久しぶりに会ったんだ。夜まで飲み明かそう」

哲夫は頬を緩め「そうするか」とにやりと笑った。

「なら決まりだ。ジム!この店のありったけの酒を持ってこい!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る