2020.4.20
時間を巻き戻してから、二カ月が経とうとしている。
あれから、彼女とは疎遠になっていた。
別れたわけではなかったが、一緒に帰ることもなくなり、ラインでも学校でも、一切話さなくなっている。これは、佐々木の提案でもあった。5月4日が終わるまでは、何一つ油断はできない。彼女に近づかないというのが一番ベストな選択なのだ。そう言い聞かせて、亮平は彼女と話したいのを必死でこらえた。
二限目の授業が終わり、亮平は数学の教科書を無造作にロッカーに入れると、自分の机に座って本を読み始めた。聞く気はなかったが、二列前の席でたむろしている女子たちの声が亮平の耳に入ってきた。
彼女も、その輪の中に入っている。
「ねーねー!ゴールデンウィーク、みんなでどっか行かない?」
その輪の中に入っていた白石という女子が、ふと思いついたように提案した。
白石は、彼女の親友で、運がいいことに美貌をもち合わせており、学年問わずモテモテである。また、13期生TOP3と周りからは呼ばれていた。美人ランキングである。悠衣、松田、白石。それゆえか、女子への権力は強く、この輪の中では白石がリーダー格と言っていいだろう。
その点、彼女の方もクラスで白石と並んで高い地位を誇っている。と言っても、白井と違って、彼女はそんなことをおくびにも出さずに振舞うので、女子からの人気は彼女が断然トップである。
「おー、いーねー!」
白石の提案に他の女子たちが賛同した。もちろん、彼女もである。
白石は、そんな友達の期待通りの反応に嬉しくなったのか、どんどん声が大きくなり、
「やった!じゃあ、どこにする?」と皆を見回して、意見を求めた。
「んー、まあ安定にユニバとか?」
一人が提案した。すると、他もそれに賛同した。結局、皆と遊べればどこに行こうが構わないのだ。
亮平は、後ろでそんな会話を聞きながら呑気なもんだ、と本を読みながら半ば呆れていた。が、かといって否定しているわけではない。自分が彼女と遊べないもどかしさを前の女子たちを通じて発散しているのだ。
しばらくして、別の女子が口を開いた。
「でもさ、ユニバは皆で何回も行ったし、せっかくのゴールデンウィークなんだから、
もっと別のところに行かない?」
亮平のページをめくる手が少したどたどしくなってきた。ゴールデンウィークはあの事件が起こる日。亮平が時間を巻き戻した意味は、そのゴールデンウィークにある。
亮平は本を読んでいるふりをして、耳を傍たてた。本の内容はもう頭に入ってこない。
すると、白石はいかにも賛成というように大げさに頷いて言った。
「たしかに!じゃあ、どこにする?」
しかし、どの女子も考えあぐねている様子だった。
「清水寺はどう?」
彼女が、皆の顔色をうかがうように、言った。
「ずっと行ってみたかったの。ダメかな?」
亮平の顔は真っ蒼になって、唇をわなわなと震わせていた。
そして、そのまま、はっ、と女子の方を見上げる。
女子たちは、亮平の視線に気づくことなく、彼女の提案に「めっちゃナイスアイデア!そうしよそうしよ!」と、うんうん、と頷きながら、皆が賛同していった。
その一方で、亮平の表情は凍り付いていた。
彼女が、嬉しそうに「じゃあそうしよ!」と笑顔で言ったとき、亮平は咄嗟に大声で「ダメだ!」と叫んだ。
彼女を含め輪の中の女子、そしてそれ以外の教室中の誰もが、驚いたように亮平に視線を向けた。
白石は亮平を振り返り、冷めた目で「何がダメなの?」と冷静に訊く。
亮平は、叫んだものの、言葉に詰まり、「それは・・・・・」と押し黙った。
白石は、分かったぞ、というように「あ!亮平も一緒に行きたいの?」と解釈して笑いながら言った。
亮平はしどろもどろになりながらも否定した。
「違う!ただ、清水寺には行ってほしくないなーって・・・・・・」
彼女を見ると、困惑した表情で立っていた。
「じゃあ何なのよ」と白石が不満そうに訊いてくる。
亮平は何とかこの場から逃れようと思いついた言葉を並べていく。
「お、俺が悠衣と一緒に清水寺に行きたいからだよ。」
すると女子たちは、おー、っと感激したような声を上げ、拍手し始めた。
しかし、白石の表情は良くなるどころか、邪魔が入ったことに苛立っていた。ますます白石の表情は険しくなっていく。
目を細めて軽く亮平を睨みつけながら、
「あんた最近、悠衣と全然話してないくせに何勝手なこと言ってんのよ」
と声を荒げて言った。険悪なムードの中、彼女が慌てて二人の間に入ってきた。
「やめて、恵」
低い声で白石に言った。
白石は「でもさ・・・・・・」と反論しようとしたが、彼女の異様な雰囲気を見てやめた。
それから、彼女は友達の方を向いて申し訳なさそうに
「みんな、ごめん。やっぱり清水寺はやめとかない?自分勝手なのはわかってるけど」
友達は、空気を読むかのようにお互いの顔を見つめあい「そうだね!」と頷きあうと、ふてくされていた顔をしていた白石も折れた。
「じゃあ、他に良いとこ探さないと」
白石にとっては、友達と遊べればどこでもいいのだ。ただ、勝手にガールズトークに割って入ってきた無法者にイラついているだけなのである。
彼女はもう一度みんなに謝ると、振り向き、亮平を見ると笑顔が消え、ただ困惑したように小声で「どういうこと?」と耳打ちした。
亮平は彼女に目を向けずに言った。
「理由は言えない。ただ、京都には絶対に行かないでほしい。できれば、ゴールデンウィーク中は家から一歩も出てほしくないんだ」
しかし、この勝手な言葉に、ああ分かった、と言って納得する人は多くないだろう。
彼女もその一人であった。彼女の顔は、何か溜まっていた鬱憤が、今にも出てきそうな、
そんな顔をしている。その目は冷たく、刺々しい。
「理由も聞かずに納得できるわけないでしょ」
明らかに声に怒りが混じっている。亮平はそれを敏感に感じ取っていた。
亮平の額からは汗が出てきた。暑くもないのに、体が熱い。
「ごめん。でも・・・・・・」
「でも何なの?」
彼女はさらに詰め寄った。
「はっきり言ったらどうなの?」
「何を?」
「私の事が嫌いなんでしょ?」
「は?」
見当違いの質問に亮平は驚いた。
「そんなわけないだろ。もし、嫌いになってたら普通悠衣の事振るだろ」
彼女は信じない。
「ならなんで、そんなに私の事を避けたがるの?そのくせ、遊びには行くなって亮平は私の事なんだと思ってるのよ」
悠衣は怒りの表情を浮かべている。しかし、その目の奥に哀しみの灯が光っているようにも見えた。
「好きだ」
彼女は少し怯んだ。彼女の口元が微かに緩んだような気がする。
だが、追及を緩めることはなかった。
「なら、なんで理由を教えてくれないの。まさか、二人で行きたいからとかいうわけではないでしょ?春休みの時だって、私が京都に行きたいって言った時、執拗に拒んだよね?」
亮平は答えない。彼女は、ため息をついた。
そして失望の色を浮かべて、亮平を見た。
こんな彼女は、見たことがなかった。一見怒っているかのように見えるが、亮平にはわかっていた。彼女は、亮平が自分に理由を話してくれようとしないことに悲しんでいるのだ。
しかし、亮平も事情を説明するわけにはいかないのだ。亮平は彼女に今までの事を話したいと言う気持ちを必死でこらえた。かといって、彼女が悲しんでいる姿ももう見たくはない。
「とにかく、ゴールデンウィークは家にいてほしい。自分勝手なことは分かってる。でも理由は話せない。話すわけにはいかないんだ。でも、これだけは分かってほしい。これは、他ならぬ悠衣の為なんだ。これは、俺の悠衣に対する、一生のお願いだ。頼むよ」
そう言って、亮平は立ち上がり、深く頭を下げた。
彼女は、しばらく考えるように下を向いて、やがて、
「分かった」
そう一言言って、悠衣は自分の席に戻っていった。
亮平はその後ろ姿を見つめ、小さくため息をつくと、ひどく疲れたような顔をした。
悪いことをしてしまった。その後悔が頭から離れない。
彼女を傷つけるのは自分の本意ではないことだ。
だが、かといって他に何か手はあっただろうか。
今大事なのは、彼女の気持ちなどではなく、彼女の命だ。その為には嫌われても仕方がない。
そうは思っても、やはり辛かった。
何でこんなことになっているのだろう。自分は今なぜここにいるのだろう。
早く楽になりたい。楽に。
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