哲夫

十五年前


「何か隠してるだろ」

松木との話を終え、ひとまず六人が解散した後、ウィルの家の前で二人きりになったタイミングでウィルは哲夫に訊いた。哲夫は動揺の色を浮かべている。

「話してみろよ」

ウィルが促すと、哲夫は辺りを見回して家の中に入るように言い、中に入ってドアを閉めると、ギリギリウィルに聞こえる程度の声で松木と話した内容の全てを語った。

ウィルは意外にもすんなりとその事を信じた。

「お前は信じるのか、テツオ」

すると哲夫は軽く首をひねり、

「分からない。だが奴が嘘を言っているようには見えなかった」

「とりあえずその話を信じるとしよう。だがこれが事実なら、とんでもない事にお前は巻き込まれたことになるぞ」

「俺は一向に構わない。だがお前たちは違う。巻き込んでしまって本当にすまない。すぐにエミリーと一緒に逃げてくれ」

「逃げるってどこに?」

「どこか遠いところにだ」

「お前はどうする気だ。俺たちを殺さなければお前の家族は死ぬんだろ」

「何とかするよ。それしかない」

「やめておけ。俺たちが逃げるという方法も承服できない。そんなことをしても、お前は殺され、地の果てまでも追われて俺たちも殺されるさ」

「ならどうするって言うんだ。お前たちを殺すことなんて出来ない」

苛立ち気味に哲夫が言った。

しかしウィルは「オレも死にたくないなー」と冗談交じりに言い、どこか楽観的だった。

「とにかく、どこかに逃げてくれ。頼む」

懇願するように哲夫は言った。

するとウィルは「もしお前の家族が危険に晒されないとしたら他にお前を阻む障壁はあるか?」

「ない」

哲夫は少し考えてから言った。するとウィルはにんまりと笑う。そのウィルの意図が分からない哲夫は困惑した表情を浮かべた。

「何だ」

「来ればわかるさ」とだけ言い、ウィルはリビングへと歩いて行った。リビングへ行くと、哲夫は歓喜した。

「理恵!亮平と圭太も!」

リビングではエミリーと理恵が思いつめたように話をしており、圭太と赤ん坊の亮平はソファにスヤスヤと寝ていた。哲夫は驚いた様子でウィルを見た。

「どういうことだ?」

「二日前にロバートに連絡したとき、真っ先に言われたんだ。松木がテツオの家族を人質に取るかもしれないから何人か警護をつけてテツオの家族をハワイに来させろと。どうやら松木はテツオの家族の詳しい動きについては把握してなかったようだな」

ウィルは勝ち誇った顔をした。

「礼を言うよ。ありがとう」

哲夫は心から感謝したように頭を下げた。

「良いから家族のところへ行ってやれよ。」

そう言ってウィルは哲夫の背中を押した。

哲夫は理恵と抱き合い、寝ていた二人の息子の頭を優しく撫でた。

哲夫は久しぶりに家族に会って泣き出しそうになっていたが、それを悟られまいと堪えているのをウィルは感じ取った。





夕食を食べ終えた哲夫は、寝たくないと駄々をこねる圭太を何とかベッドに寝かしつけた。哲夫は疲れた様子でリビングに戻ると、エミリーと理恵に今までの経緯を話した。

どちらも、口を大きく開けて唖然としていた。女性陣二人は口々に質問を出していったが、ウィルと哲夫には答えようがない。

そして、エミリーはため息をついた。

「何なの。その松木って男。随分勝手な男じゃない!いくら未来でその人が悪さするからって今の内に殺しておくって何その発想。馬鹿げてるわ。それに実の母をも殺すとか狂ってる。ただの異常者よ」

ウィルはそんな妻の愚痴を爽快に思いながらも気にかかっているところがあった。

「未来のテツオが松木に自分を味方に付けるようにと言ったんだよな。つまりはテツオも時間の巻き戻しについて知っているというわけだ。その松木が言う四十五年後の未来では時間の巻き戻しというのは簡単に出来るのか?もしそうならば、その未来のリョウヘイの妻を殺そうとする輩が何回も時間を戻してくる。きりがないぞ」

しかし哲夫がそれを否定した。

「それはないだろう。松木は逆行装置はまだ試作段階だと言ったんだ。それに装置の故障でこの時間に来たと言っていた。つまりは、まだ正確な指定の時間へは戻れないと思う」

「そうだな。だがそれより何十年後はどうだ?もし逆行装置が完全に完成されたら、人々は戻り放題だぞ」

確かにウィルの危惧は正しかった。

時間の巻き戻し年数に制限がないとしたら、百年後からでも人々はリセットできる。松木の言っていた通りのAIによる世界があるとするならば、当然その女性とその祖父を殺したいと思っているない者が少なくないのは必然である。

もし逆行装置が普及した場合、ハイキング気分でその女性を殺しに来る者がいてもおかしくはないのだ。

自分たちは何をすれば良いのだろう。松木をたとえ捕まえたとしても、その女性が助かることはない。それは、何人捕まえてもである。

どんどん、どんどんと、ウジ虫のように沸き上がってくるのではないか。

エリカを殺した犯人を捕まえる。一見単純そうに見えたこのミッション。

しかし、その女性を救うとなれば話は別だ。そうなれば、この戦いに終わりはあるのだろうか。

ウィルの見解を聞いた一同は黙りこくった。





 その後、哲夫と理恵は、ウィルが空けてくれた部屋に戻った。

 既に理恵の荷物が部屋に置かれていた。

 哲夫はベッドに横たわると、理恵を労わった。

 「よく来てくれたな。お前たちがどうにかなれば俺はこの先生きていけない」

 「それは私も同じよ。パパこそ自分を大切にして。恵梨香の為というのは分かるけど、パパに何かあったら恵梨香も悲しむわ」

 「でもこれは俺のけじめなんだよ。娘を殺されたんだぞ。黙って見ているわけにはいかない」

 「私だってそうよ。娘を殺された。でも、あなたが死ねば残された二人の子はどうなるの?私一人で育てればいいの?あの子たちはあなたの顔を見ることなく育っていくっていうの?そんなのあんまりよ」

 理恵は泣きながら言った。

すると、哲夫は静かに理恵を抱き寄せた。

「大丈夫だ。死なないよ。それに松木の話を聞いて、あいつのことがますます許せなくなった。松木の言っていたことが事実かどうかは分からないが、もし本当だとしても、俺は松木の考えを肯定できない。松木の考えを正すのも俺の役目だと思うんだ。次の世代に害を及ばせるわけにはいかない」

「亮平や圭太の為?」

「そうだ」

その夜、二人は愛を育んだ。







松木から電話がかかってきたのは二日後だった。

丁度、ウィルと哲夫はスーパーでエミリーに頼まれた食材を買っていた最中である。

哲夫は電話に出ると、松木が前置きなしにウィルたちは殺したのかと訊いてきた。

「殺してない」

哲夫は即答した。

すると、電話越しに気味の悪い笑い声が聞こえてくる。

「どうやら貴方は家族の命がどうなろうとも問題ないというわけだ」

すると今度は哲夫が松木を嘲笑うかのように言った。

「お前こそ何を言ってる。俺の家族は全員無事だ」

「本気でそう思っていらっしゃいますか?」

ウィルは耳をそばたてて松木の話を聞きながら嫌な予感がしていた。それは的中することになる。

「ハワイに来られた貴方のご家族と、ついでにウィルさんの妻も誘拐してきました」

そう言った瞬間、理恵の悲鳴が電話から聞こえてきた。哲夫とウィルのの表情はみるみる曇っていく。

松木は無言になった哲夫を満足気に声を上げて笑った。

「もう一度言います。彼らを殺してください」

ツーツー。そこで電話は切れた。

哲夫は持っていた買い物かごを放り出し、走った。ウィルもそれに続く。

急いでウィルの家に帰ったころには、もう遅かった。家は荒らされていて、リビングでは机がひっくり返され、コーヒーカップの破片が辺り一面に飛び散っていた。

二人はそこから容易にその惨事を思い起こすことが出来た。

哲夫は怒鳴り声を上げ、壁を思い切り殴った。拳からは血が流れてくる。

哲夫がもう一度殴ろうとするとウィルがそれを手で制し、携帯電話を哲夫に見せた。

「大丈夫だ。エミリーの浮気が心配でこっそり発信機をエミリーの服に仕込んでおいたんだ。最も、これを使う日が来るとは思わなかったが」

 


二人は急いで車に乗り込み、猛スピードで車を走らせた。ロバート達に連絡をするか迷ったが、哲夫が巻き込むわけにはいかないと曲げなかったので、結局二人だけで自分たちの家族を助けることになった。

ウィルがふと形態を見ると、先ほどまで動いていた発信機が止まっていた。哲夫はそれを覗き見ると「アジトに着いたんだ。場所は?」

ウィルは座標を見ながらナビにそれを打ち込んだ。やがて、少し時間がかかってナビに目的地が映し出された。

「ここは・・・・・・」

ウィルはそれを見た瞬間、驚いた表情を浮かべる。そして目を細めてそれを凝視した。

哲夫は「そこが何なのか知ってるのか?」と訊いた。

「旧ストーンズ駅だ。今は使われていないがオレも小学生の頃にこの駅を利用していた」

「こんな所に松木のアジトでもあるのか?」

「そのようだな。確かにこの駅はアジトにするには最適だ」

そこから五分ほどで二人は駅に着いた。

旧ストーンズ駅は現ストーンズ駅の駅舎に通じている。最も、旧ストーンズ駅は地下にあり、関係者以外は立ち入れる場所ではない。松木がどうやってそこに入ったのかは不明だった。

しかし、ウィルは「勝手は知ってるさ」と言い、立ち入り禁止のフェンスを破って地下へと続く階段を二人は下りて行った。

中は真っ暗闇で肌寒く、携帯をライト代わりにしながら一歩一歩階段を下りるたびに、

ウィルは半袖で来たことを後悔した。哲夫も歯をカタカタと震わせていた。

階段を下り終え、当時の改札が目の前に現れた。ウィルは幼少期の頃を思い出し、懐かしく思ったが、今は感傷に浸っている場合でないことを自覚した。

改札をゆっくりとくぐり抜けると、駅構内から明かりが漏れていることに二人は気が付いた。そして、その明かりは、ホームの前に気味悪く停まっていた錆びかけた列車に続いていた。どうやらいくつかの懐中電灯で天井を照らしているらしい。

二人は忍び足でホームを歩くと、声が聞こえた。二人はすぐに物陰に隠れる。

それは何かがもがいている声。エミリーだ。

ウィルはそう確信した。そしてウィルは家を出る前に用意した拳銃を胸ポケットから取り出し、しゃがみながらゆっくりと近づいていく。

すると、男が二人、ガムテープで口や両手を拘束されたエミリーと圭太を囲んで銃を二人に向けていた。撃つ気配はない。ウィルたちは気づかれないように男たちの背後に歩み寄り、ウィルは立ち上がると安全装置を外し、一気に二人の男の背中を撃った。

銃声が鳴り響き、男たちは倒れる。

ウィルはさっと男たちの顔を見たが、松木はいなかった。哲夫は倒れた男たちの血を見て生々しい光景に嗚咽しそうになるが、堪えて二人に急いで駆け寄り、拘束を解いた。

「大丈夫か?」

ウィルが一言そう訊くと、エミリーは何も言わずにウィルの胸に飛びついた。

哲夫も泣きわめている圭太をあやしながら抱いてやった。

そしてウィルはエミリーに「リエとリョウヘイはどうした」と訊いた。

するとエミリーは電車を指さす。哲夫ははっと顔を上げ「あそこにいるのか?」と訊くと、エミリーは頷いた。ウィルは舌打ちする。

「さっきの銃声で気づかれたな。どうする?」

哲夫は圭太を下ろすと、エミリーに敵は何人だったのかと訊いた。

「多分三人」

「なら中は松木一人だけか」

哲夫は呟くように言うと、「エミリーとケイタはここにいてくれ。何かあればすぐに大声を出して俺たちを呼ぶんだぞ」

ウィルがエミリーの背中をさすりながら言った。

そしてウィルは再び銃を構え、二人は明かりが止まっている車両の後ろ側から入っていった。ドアは開いている。

中は薄暗い。ゆっくりと一歩ずつ、一歩ずつと明かりのもとへ二人は歩いていく。

哲夫は気づかない間に冷や汗が流れていた。さっきウィルがが撃った男たちは死んだのだろうか。そう考えると、身の毛がよだつ思いだった。

だが、そうしていないと、自分の家族が殺されていたかもしれないのだ。哲夫は必死に呼吸を整える。

すると、ウィルは柱に右手に手錠をかけられた理恵を発見した。その左手には亮平が抱かれていた。

「理恵!」

哲夫が叫んで駆け寄ろうとした瞬間、銃声が車内に鳴り響いた。

哲夫は慌てて理恵たちを庇うようにして二人の前に出る。

「ウィル、大丈夫か」

「ああ。問題ない」

ウィルは咄嗟に座席の後ろに隠れた。

すると「どうやら私への協力を拒むようですね」と薄笑いを浮かべて松木が座席の陰から出てきた。そして、銃を持ちながら哲夫のもとへとゆっくりと歩いてきた。

その時、ウィルは陰から飛び出し、松木の頭目掛けて銃を発砲した。

しかし、弾は松木の頬をかすめるだけに留まる。ウィルはもう一発撃とうとしたが、走り寄ってきた松木がウィルを殴り、銃を奪い取った。

そして松木は立ち上がろうとしたウィルの脇腹を足で思い切り蹴った。ウィルは悲鳴を上げ、苦しそうにその場に悶える。

今度は哲夫が松木に飛び掛かった。だが松木はそれを躱し、哲夫のみぞおちに強烈な一発を食らわせた。哲夫は倒れない。そして松木の頬を殴った。

松木は殴られた頬を押さえながら笑みをこぼした。哲夫はそれを見て激情する。

「何がおかしい!」

「いや、全て貴方の思い通りになったなと貴方ご自身に感服いたしまして」

「どういうことだ。そもそもお前は何がしたいんだ!どうして俺に協力を乞う必要がある?ウィルたちを殺すことなどお前にとっては容易いことのはずだ」

「しつこいですね。まあどちらにせよ、貴方は私の計画に邪魔です。しかし、使い方によって貴方はとても我々にとって有意義な駒となり得ます。その過程で貴方は私に協力しないことを未来の貴方ご自身が予期していた。ですので、亮平君はじめ、これから彼と関わる全ての人を殺します。つまり貴方以外の家族全員をね」

「そんなことをすれば俺はお前に協力することはない」

「ですが物事にはきっかけというものが必要です。私は貴方に選択肢を与えた。我々に協

力するか、家族が殺されるかの二択です。そして貴方は我々の協力を拒んだ。ということは、貴方はご自分の家族を捨てたことになる。ここで貴方の家族を殺せば、貴方の目の前は真っ暗闇になる。その時、貴方は絶望の中で家族を取り戻したいと思う。それこそが逆行装置を作るきっかけの始まりとなり得ます」

「逆行装置を作るきっかけ?」

「ええ。まだお気づきになりませんか?貴方が逆行装置を作ったんですよ!そして貴方彼

女を殺すようにと指示を出して時間を巻き戻させた!貴方こそがすべての現況であり、貴方をハワイへ連れてきたのは貴方が逆行装置を完成させるためですよ」

哲夫は口をあんぐりと開けた。自分が逆行装置を作るというのか。確かに自分はそうい

う開発系の職に現在ついている。ある程度の教養もある。し

かしそんな事が自分に出来るはずがない。そもそも時間を巻き戻すような研究さえしたことはない。

「協力者というのは俺の事なのか?」

松木は頷いた。

「ハワイに私の協力者がいることは事実です。現に貴方方が先ほどその二人を殺しました。しかし、逆行装置自体は今の貴方がこの時代に作り上げるんですよ」

「俺はその装置がどういうものなのかさえ知らない!そんな俺に何が出来るって言うんだ」

「そのきっかけを貴方のご家族を殺して作ってあげましょうと私は言っているのです」

そう言って松木は理恵の足を銃で撃った。

「理恵!」

理恵は悲鳴を上げ、大量の血が右足から流れてくる。哲夫は駆け寄り、自分の服の布を

はぎ取り、理恵の足にそれを固く結んで必死に止血した。

しかし血は収まるところを知らず、どんどんと流れてきた。赤ん坊の亮平は泣き出した。

そして、ウィルは背後から松木の腰に飛び掛かったが、松木がそれを振り払い、銃の先

端でウィルの頭を殴った。ウィルは気絶してその場に倒れる。

しかし、松木がウィルに気を取られている隙に哲夫は松木の背後に回ってその首を締め

あげた。松木はその反動で銃を落とし、もがきながら落ちた銃を拾おうとする。

だが哲夫は腕を離さない。歯を食いしばった。

やがて、松木は抵抗しなくなった。哲夫は腕を離すと、松木は倒れる。

さらに、タイミングよくウィルの意識が戻った。ウィルは松木を列車から引きずり出し

て、ホームのベンチにガムテープで縛り上げた。哲夫は車内からそれを見届けると、急

いで電車に乗り、理恵の足を押さえた。

「頑張れ理恵!ウィル、すぐ救急車を!」

ウィルは頷き、電話を取り出した瞬間、松木の瞼が開いた。そして何やら喚きだす。

「静かにしろ!」

ウィルが怒鳴りつけるも、松木は変わらずに叫び続けた。そして今度はウィルに英語で

叫んだ。

「哲夫さんを早くその場から離れさせてください!ば、爆弾が!」

「爆弾?」

その瞬間、爆発音が響き、地面がまるで生きているかのように裂けはじめ、線路が崩れていった。哲夫は理恵と亮平を守るように抱えた。

崩れた線路の下に空洞が見える。

ストーンズ駅になる前、この場所はアメリカ軍基地として使われていたのだ。その為、駅の下には洞窟のように広がった場所がある。今その所に、電車が落ちようとしている。

そして徐々に電車がホームの下に隠れるようにして落ちていく。

ウィルは後ろを見やり、エミリーと圭太の無事を確認すると、列車の前まで走り、乗っている三人に「大丈夫か!」と言った。

電車は沈んでいき、ホームから僅かに人が入れるくらいのドアの隙間があるくらいである。

「爆弾が仕掛けられているらしい!時間がない。早く来るんだ!」

エミリーもウィルのもとへと駆けつけ、哲夫たちに向かってホーム戸の隙間からうえから手を差し出した。

「逃げよう」

哲夫がそういうと、亮平を抱きかかえて理恵を引っ張り上げようとした。だが、その瞬間、恐ろしいことに気が付いた。理恵の右手には手錠がかけられているのだ。

すると理恵は力なく笑い、か細い声で言った。

「逃げて。私を置いて」

「何言ってるんだ!」

哲夫は叫び、急いで側にあった拳銃を拾い上げ、手錠のつなぎ目に向かって撃った。

しかし、外れない。

「急げ!時期にこの電車は落ちるぞ!」

ホームからウィルが声を張り上げながら急かした。哲夫は焦りながらも、色々な方法を試したが、手錠は外れない。

「本当に早くに逃げて!私はいいの!」

理恵も哲夫を行かせようと声が張り裂けそうになるほど必死に言った。

すると、哲夫は諦めたのか、手錠から手を離した。理恵は、ほっとしたような表情を浮かべる。しかしどこか、寂しそうな顔を浮かべている。

哲夫は亮平を抱きかかえ、ドアの隙間から上にいるウィルとエミリーに亮平を渡した。

ウィルは亮平を受け取ると、今度は哲夫に手を差し伸べた。しかし、哲夫はウィルの腕を掴まずに、何も言わずに哀し気に笑った。

ウィルはその瞬間、哲夫が何を考えているのかを悟った。

「よせ・・・・・・」

低い声でウィルは言った。すると哲夫は

「亮平と圭太を頼む。色々と面倒をかけるが」

「お前にはすまないことをした。実はお前に隠していたことがあるんだ」

哲夫は怪訝な顔をした。

「それはまたあの世ででもゆっくりと話そう。オレも後十年ほどでそっちに行く」

すると哲夫は笑みをこぼした。

「そうだな。だが長生きしろよ」

そう言うと、哲夫は、呆然とそれを見ていた理恵の傍に座った。

すると、また爆発音が鳴り響き、再び地面が割れてゆく。エミリーは泣き叫んだ。

「早くテツオとリエを!」

しかしホームでも地面が裂けはじめ、ウィルたちがいるところも崩れそうになっている。

やがて、ウィルは首を横に振り、亮平を抱きかかえた。

「リョウヘイとケイタを何としてでも助けるぞ」

そう言ってその場を離れようとした。しかしエミリーはウィルの肩を掴み、取り乱しながら沈みかけている列車を指さして叫んだ。

「まだ助かるかもしれないじゃない!何で二人を放っていくの?」

が、エミリーはウィルの顔を見て、はっとした。ウィルの目にも、涙がたまっていた。

 

列車内では、哲夫が笑みを浮かべて理恵に言った。

「君が死ぬなら俺も死ぬよ。亮平と圭太は巻き込めないが、代わりに俺が君の為に死んでやる」

理恵は涙を流しながら「亮平と圭太にはあなたが必要よ。今ならまだ間に合う。早く行って」

しかし哲夫は理恵の手を固く握り、その手を離そうとしなかった。

「彼らは大丈夫だ。僕らが居なくても、ちゃんと生きていける。何せ俺たちの息子だぞ」

理恵はしばらくして「本当にいいの?」と訊いた。

哲夫は頷く代わりに、理恵をそっと抱きしめた。また爆発音が鳴り響き、ホームとの隙間はなくなり、瓦礫がドアから押し寄せてきた。

哲夫は理恵を抱きしめながら「年を取ったな」と嘆くようにして呟いた。

「でも死ぬにはまだ早いわ」

「そうか?俺の父さんは40歳で死んだぜ」

「時代が違うじゃない。もう二十一世紀よ」

「早いもんだな。人生も、君との日々も」

「後悔してる?」

哲夫は大げさに首を大きく横に振った。

「するわけないだろ」

「そう?でも私はもっとあなたと、亮平と、圭太と一緒に過ごしたかった」

すると哲夫はかぶりを振った。

「知ってるか?死ぬのは人生の終わりじゃない。これからも、ずっとずっと、新しい道を俺たちは進む。でもそれはリスタートじゃない。進歩だ。だから、君との未来も、また続いていく」

理恵は幸せそうに頷いた。

「愛してる」

理恵は哲夫の耳元で囁いた。哲夫は微笑み

「俺もだ。今頃恵梨香が待ちくたびれているところだろう。そろそろ、行くか」

「ええ」

理恵がそう言った瞬間、まるで示し合わせたかのように先ほどとは比にならないくらいの爆発音が鳴り響き、列車は、何の歯止めもなく、真っ逆さまに、闇に呑まれながら落ちて行った。

ホームでは、爆風を浴びながらウィルたちがそれを呆然と見つめていた。

赤ん坊の亮平は、不思議と笑っていた。

まるで何かを祝福するかのように。

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