成長

「その後、松木はいつの間にか消え、察しの通り、リエだけが助かった。この話も理恵が後でオレに教えてくれたことだ。テツオは、リエに覆いかぶさるようにして倒れていたんだ。医者もミラクルが起きたと言っていた。だがオレはそうは思わない。私は、テツオは元からリエを救うつもりだったんじゃないかと思ってる」

亮平は話を聞き終え、しばらく黙り込んで物思いにふけっていた。

他人のように思ってきた父が急に身近にいるような気がしてきた。

そして、数々の真実が波のように押し寄せてきて、亮平はそれを受け止めるのに必死だった。

頭の中でウィルの話を振り返っていった。自分の両親に起こったこと。それはあまりにも切なく、苦しいものだった。

ウィルは、ただただ黙って横を向いている。やがて亮平は口を開いた。

「有難うございます。ウィルさん。おかげで父の事を少し分かったような気がします」

「そうか」

亮平は座りながら深々と頭を下げた。

「だが、私に礼を言う必要はない。私は君の父を見捨てたんだ。これを君に話すことが私の義務であり、せめてものテツオに対する贖罪なんだ」

「あなたは父を見捨ててなんかいませんよ」

「リエもそう言ってくれた。しかし、そうは言ってもやはり後悔はある。その後悔を私は十五年間背負ってきた。この真実を話せる人物も限られているしね」

「自分もそうです」

ウィルは亮平の顔を見た。

「彼女の事か」

亮平は頷く。

「悠衣が死んだのは自分のせいじゃない。頭ではそう分かっていても、やっぱり何かあの時出来たのではないかと思ってしまう。もっと良い未来が待っていたのではないかと。今でもその事を心の底から悔いている。たとえ時間が巻き戻せるにしても、彼女に限らず誰かを救えなかったことは自分にとって最も耐え難いことです」

すると、ウィルは亮平の心を見透かしたように言った。

「何か迷ってるんじゃないか?自分が何をするべきなのか。自分とは何なのか」

亮平は自分との葛藤と戦いながらも、ウィルに打ち明けた。

「俺は昔、もしかしたら今もかもしれませんが、ずっと普通の人間とは違う、別の何かになりたかったんです。でも、頑張って練習したクラブでも、良い結果を残せず、顧問から才能がないと突き放された。勉強だって、そこそこはいけても、トップを取れるような秀才にはなれなかった。そして気づいたんです。いや、ずっと最初から気づいていたのかもしれません。自分は特別な人間になりたいと渇望するただの凡人なんだと。結局、自分には何の取柄もなかった。そして、誰も普通の人間を相手にしてはくれません。俺はクラスメイトから疎外され、ずっと孤独な気分を味わっていました。本人たちにその自覚はなかっただろうけど。死のうと何度も思った。自分は何のために生きているのだろうか。でもそのたびに何度も思いとどまりました。そんな時に、悠衣に恋をしたんです。彼女は、誰に対しても優しく、でも言いたいことは素直に言える、強い女性だった。その彼女に惚れつつも、自分は悠衣に嫉妬していたんです。彼女はスポーツも勉強も万能で、才能にあふれている女性だったから。そんな彼女が、自分を選んでくれたことは、まさに奇跡に近かった。その過程で自分もクラスの皆から認められるようになっていったんです。でもそれは、悠衣ありきの俺だった。つまり、自分は悠衣が居なければ何の魅力もない男なんです」

ウィルが相槌をつけながら聞いてくれたことはありがたかった。この話を誰かの前ですることは初めてだったのだ。しかし、不思議と口が勝手に動いてくれた。

「そんな自分がたまらなく嫌だった。悠衣を羨み、何も出来ない自分を憎んでいました。そして悠衣が死に、自分は学校から、全ての事から逃れるために引きこもったんです。それは心に平穏をもたらすものではありませんでしたが、かといって傷つくこともなかった」

「君は自分がただの凡人だと言ったね」

亮平は少し哀しげな顔をして頷いた。だが、それをウィルは打ち消した。

「私はそうは思わない。確かに、君はもしかしたらクラブや、勉強の才能はないのかもしれない。だがそもそも才能というのは何だ?それは誰かを羨んだ人間が自分を肯定するためにこいつは才能があるからと言って生み出した言葉ではないだろうか。そんな言葉には何の意味もない。その君を突き放したというクラブのコーチもくそだ」

この男から、汚い言葉が出ると亮平はなぜか清々しく思えてきた。

「最初に言っておくが、私は君の気持ちを痛いほど理解できるとは言えない。何しろ君と全く同じ境遇に立たされたことはないからだ」

そもそも、君の気持ちを理解できるというものほど、何も理解できておらず、ただ詭弁を用いている者である。さらにウィルは言った。

「だが少なくとも私は君の事を凡人だとは思わない。君は、誰かのために悲しむことができ、誰かと共に喜び合うことが出来ると私は思っている。そして誰よりもその痛みを知っている。そういう人間ほど、強いものだ」

「でも俺は悠衣が死んだときにすべてのものから逃げて引きこもった」

「確かにそうだな。だがそれこそが君という人間の強みだろう。君はそこから這い上がったんだ」

「違うんです。俺は自殺しようとして・・・・・・」 

ウィルは亮平の言葉を遮るように相槌を打った。

「全部彼女から聞いているよ。だがどちらにせよ、君はそこから這い上がったんだ」

亮平はウィルの話を聞いていく中で、段々と目頭が熱くなっていくのを感じた。

「人間というものは、多種多様だ。群れに収まることが出来ない人間というものが出てくる。だがそれは空気が読めない奴なのか?いや、違う。それもあっていいことだ。そしてその群れの中にいる者のことも我々は否定することはできない。人という価値は、その者の本質として決められる。その本質というのは何だと思う?」

亮平は頭を巡らせる。しかし、妥当な答えが出てこなかった。

ウィルは答えた。

「想いだよ。何かに対する想いだ。それは恋人に対してでもいい。何かを必死になってやり遂げようとする想いこそが大切なんだと私は思う。そしてその中で協調性というものは何のあてにもならない。その君の事を理解できない奴も、放っておけばいい。自分の意思を曲げずに行動することこそが重要だ。君は一年間彼女の事を想い、彼女の為に死のうとした。だが、それを未来の彼女自身が助けた。それも彼女の君に対する想いだ。そして君は彼女や、そして清水寺で亡くなった人たちを助けることを胸にして、時間を巻き戻した。それはどれほど勇気がいるものなのか君はあまり分かっていないようだ。ほとんどの者は、音を上げる。だが君はしなかった。それは君の中で確固たる意志があるからだ。そしてそれは君が誰よりも強い男であることを証明するものだ」

ウィルはゆっくりと、亮平が聞き取れるように話した。

「君を認めない人物もいるだろう。しかし、だから何だというのだ。言わせるだけ言わせておけばいい。なぜなら、自分を認めてくれる人間がもう君の周りにいるじゃないか。私だってそうだ」

亮平は涙目で笑った。最後にウィルは言った。

「君は何物にも代えがたい、特別な人間だ」

その言葉は、亮平の胸の奥深くにまで染み渡った。初めて、自分の中で方向が見えたような気がする。心の突っかかりが取れた。亮平はそう確信した。

その時、タイミングよくと言っていいのか、悠衣が男の子を連れて戻ってきた。

「パパ!」

その子供はウィルに向かってそう言って、笑顔でウィルの胸に飛びついた。

ウィルも温かい笑みをこぼして子供を抱きかかえた。そして、亮平と悠衣に言った。

「家でエミリーが夕食を用意してる。一緒に行こう」

亮平も笑顔で頷いた。





翌日、ハワイを飛び立った亮平は一人ぼーっと席に座っていた。

あまりにも多くの事を知り、あまりにも沢山の事を学んだ。

亮平は満足感をにじませた。ウィルとエミリーは空港まで自分たちを見送ってくれた。

その時、少し気にかかったことがあった。別れ際、ウィルは妙なことを亮平に言ったのだ。

「自分の中で、覚悟が決まったときは、すべての始まりの地から飛び降りてみるといい。

奇跡が起きるかもしれない」

あれは何のことを言っていたのだろう。

だが亮平は深くは考え込まず、隣に座っている悠衣にこれまで気になっていたことを質問攻めした。

「ねー、付き合ってた時、ぶっちゃけ、俺の事どう思ってたの?」







関西国際空港に飛行機は長いフライトを終えて着陸し、亮平は帰国した。

スーツケースを取り、二人は出口へ向かうと、母が迎えに来ていた。

悠衣は理恵と軽く挨拶を交わし、三人は理恵の車に乗った。亮平はその間、母とは何も話さなかった。しかし、恵梨香の事や悠衣の事を黙っていたことに対して憎しみを覚えつつも、亮平は母の過去に同情していた。同情する分、今までの母を見る目と変わり、何か話しづらい雰囲気があったのだ。

車の窓から外を見ると、夜になっているはずなのにビルや何やらのライトで街は明るく照らされていた。亮平は都会の景色に改めて驚かされつつも、これからの路に向けて一層思いを募らせた。





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