清水の舞台から飛び降りる

亮平は参拝者たちの無事を確認する。

「早くこの場を離れた方が良い」

そう言って亮平たちは炎に包まれた墓地を出て階段を上り、清水寺に戻った。

清水寺でも爆発音が聞こえたため、観光客がざわざわとしながら、隣の墓地から上がる黒煙をスマホで動画に収めていた。

「他に爆弾は仕掛けられていないのか?」

「確認した限りでは。でも予想外のとこから爆発するかもしれない」

亮平は顔を歪ませ、制服のジャージを脱ぎ捨てた。

「とりあえず、清水寺の中に入ってもう一度爆弾がないか確かめてくる。悠衣たちはここにいてくれ」

しかし彼女が断った。

「なんで?私も行く」

「危ないから言ってるんだよ。悠衣が死んだらこの計画はすべて終わりだ」

「大丈夫だって。それに亮平だって危ない」

「俺はいいんだよ」

「死なないって言ったじゃん!」

「言ったけどそれとこれとは別だろ」

「亮平がどこかに行った隙に私が殺される可能性だってあるでしょ!」

「そうだけど・・・・・・」

亮平は言葉に詰まると、彼女は勝手に歩き出した。亮平はその堂々とした後姿を見てこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、素直に彼女に従った。

すると、悠衣の方も、彼女に続いて歩き出した。

その時、亮平は仁王門から煙が上がっていることに気付いた。

「火事だ!」という男の声が聞こえる。

三人は急いで向かうと、仁王門の両脇に悠然と立っている仁王像が燃え上がっていた。

観光客は仁王門に背を向けて逃げる者もいれば、熱心に動画を撮っている輩もいる。

すると、前山が亮平に気付いて駆け寄ってきた。

「おい、亮平。大丈夫か。それよりどうした、その服」

亮平はそれには答えず、前山の肩を掴んだ。

「すぐにこの場から皆を連れて逃げろ。まだ爆弾がある可能性がある」

「爆弾?これは火事だろ?」

「答えてる暇はない。すぐに皆を連れてバスに戻れ」

そう言って、戸惑っている前山に背を向けて亮平たちは煙が立ち込めた仁王門に上っていった。

腕で口を押え、煙を払って何とか仁王門を抜けると、階段を上る。そこでは、煙に気付いた観光客が仁王門を見て呆然としていた。

亮平たちはそれを強引に押しのけ、三重塔の前に着く。

「ここは確認した?」

「ええ」

しかし、不意に嫌な予感がした亮平は念のために柵を乗り越えて、塔に上る。

亮平はそこから周りを見渡すと、塔の説明書きの看板の裏側に爆弾がガムテープで固定されているのを見つけた。

「悠衣!ウィルとまだ電話がつながってるか!」

悠衣は頷き、スマホを亮平に投げた。亮平はそれを両手でキャッチすると「もしもし」

と英語で言った。

すると、ウィルの顔がスマホの画面に映っていた。

この時間軸では亮平とウィルは赤ん坊の時以来会っていない。亮平は少し気まずい思いがしたが、そのまま続ける。

亮平はすぐに取り付けられてある爆弾を見せた。

「どう?」

「実物を手に取らないことには確かな事は言えないが、それほど大きな爆弾ではない。この塔が吹っ飛ぶだけに留まると思うぞ」

「側にいる人たちに危険はない?」

「確証はない」

亮平はそのウィルのはっきりとした態度に尊敬の念を抱きつつも、塔から降り、周りの人々に「爆弾があるぞ!」と叫んだ。するとウィルが言った。

「爆弾がこれだけというのは考えにくい。まだほかにもある可能性が高い」

亮平は悠衣に訊いた。

「さっき看板の裏も見たよね?」

「もちろん」

「なら悠衣が見た後に付けたってことか」

亮平はウィルに礼を言いうと、電話を繋げたまま本堂へと足を進めた。通常、お金を払わなければ本堂に入ることはできないが、騒ぎのどさくさに紛れて中に入ることが出来た。

出世大黒点を拝み、清水の舞台へと走る。

その時、本堂内に銃声が響き渡った。

騒いでいた観光客は一転、無言になり、本堂内は静けさに包まれた。

亮平は慌てて発砲された場所を探した。

すると、境内に異様な雰囲気を漂わせた男がいるのを見つけた。

「悠衣」

亮平は悠衣の名前を呼ぶと、悠衣は頷く。

「あの男ね」

遠くからなので確証は持てないが、恐らく痣の男だ。手には銃らしきものを持っている。

男は亮平に目を向け、不気味な笑みを浮かべた。そして亮平たちに銃を向けた。

「危ない!」

亮平は叫び、彼女を庇うようにして倒れた。

直後、銃声が鳴り響き、亮平の傍に会った柱にその弾は当たる。幸い、彼女や悠衣に怪我はなかった。

観光客は状況を何となく理解したのか慌てて逃げ出していった。

痣の男はゆっくりと亮平たちに近づいてくる。

亮平は彼女を庇いながら後ずさりした。すると、亮平たちの五メートル手前ほどで男は立ち止まる。

「お前は誰なんだ」

亮平が訊いた。男は何も言わない。

「松木の仲間なのか」

本堂内に観光客はもう見当たらない。もう、亮平たちと男の四人だけとなった。

それを見計らったように、男は口を開いた。

「松木さんは俺の仲間だ」

「まだ生きてるのか?」

「生きてるも何も、今この清水寺にいるんだよ」

やはりか。ならば、今日、父の仇、そして全てを終わらせることが出来るかも知れない。

「お前は未来から時間を戻してきたのか?」

「そうだ。他の奴らとは違って松木さん同様、体ごとな。お前の父が殺された十五年前に。そこからお前が彼女を助けるために何回も時間を巻き戻したのにこっそり同行させてもらった」

「何人仲間がいる?」

「さっきから質問が多いな」

男は舌打ちして苛立った表情で亮平の顔を見た。

「お前の質問に答えるためにわざわざこんなところまで来たんじゃないんだ。その女を殺させてもらおう」

男はそう言って、亮平の後ろにいた彼女に銃を向けた。

「何でこんなことするんだ!」

「その理由はお前も重々承知のはずだろう。彼女は未来で大罪を起こすんだよ。その女も、殺す必要があるな」

男は今度は悠衣に銃を向けた。どうやらこいつらは佐々木が未来の悠衣であるということを知っていたらしい。亮平は苦悶の表情を浮かべる。

「あのゴールデンウィークの清水寺で悠衣を殺したヘルメットの男はお前か?」

男は首をひねった。

「ああ、あれは松木さんだよ。俺は爆弾を設置する役割だった」

「なんで清水寺で殺す必要があるんだよ」

すると男は大きく舌打ちした。

「だから質問が多いんだって。さっさと殺させてくれないかな」

すると、亮平は悠衣がじりじりと男の背後に回ろうとしているのに気付いた。

男は気づいていない。

既にその事に気付いていた彼女は立ち上がり、亮平の前に出ると澄み切った声で言った。

「なら潔く死んであげるからその前に亮平の質問に全部答えて。真実を知る権利はあるでしょ」

「確かにそうですね」

すると、背後から声が聞こえた。

亮平は振り返ると、顔が青ざめた。悠衣から貰った写真に瓜二つな男がそこに立っている。

松木だ。

少し白髪が混じって老けてはいるが。

その直後、悠衣は痣の男に飛び掛かった。

男の首を腕で羽交い絞めにして、気絶させようとする。

亮平は助けに入ろうとするが、松木は彼女に銃を向けて、身動きが取れなくなった。

すると、男はもがきながら、傍に落ちた銃を手に取って、撃った。

その弾は、悠衣の脇腹を貫通した。悠衣の腕は男の首から離れ、ゆっくりと倒れた。

「悠衣!」

亮平は叫んだが、松木から銃を奪わないことには始まらない。

亮平は意を決して松木に飛び掛かろうとする。

松木はそれを躱し、亮平の腹を足でけり上げた。

亮平は腹を押さえて倒れかけたが、何とか痛みを堪えてまた飛び掛かった。

それをまた松木が蹴り上げようとするが、今度は亮平もそれを躱し、松木の腹を思い切り殴った。

そして持っていた予備にナイフを振り上げようとすると、一発の銃声が亮平の耳元で鳴り響いた。

撃ったのは松木である。その銃の先には、彼女がいた。亮平はすぐに彼女に駆け寄る。

しかし、彼女の顔はどんどん白くなっていった。うめき声すら上げない。

亮平は分かっていたが、必死に彼女に声をかけた。

「悠衣!悠衣!大丈夫か!起きるんだ、早く!」

その声は彼女に届くことはない。松木の銃弾は彼女のこめかみに当たっていたのだった。

即死だろう。亮平は声を張り上げて必死に彼女を揺り起こそうとする。

松木は無表情でそれを見つめ「そっちは?」と男に訊いた。

男は倒れている未来の悠衣の脈に手を当て、やがて「死にました」と答えた。

松木は感慨深げにそれを聞き、満足気に笑みを浮かべた。

「そうか」

亮平は絶望した。

今、二人の悠衣を自分は失ってしまったのだ。あまりにも呆気なかった。

もう、彼女たちは戻らない。振出しにはならない。すべてが終わってしまったのだ。

そんな亮平の肩に松木はそっと手を当てた。

「悲しむことはありません。彼女たちが殺されたおかげで、私たちの未来はついによりよくなるのです。AIに支配される時代は来ない」

すると亮平は甲高い声で笑い始めた。

「何がおかしいんですか?」

「お前たちは何もわかっちゃいない。悠衣を殺したから未来が変わるって本気でそう思ってるのか?随分幸せな奴らだな。考えが甘いんだよ」

松木はため息をついた。その瞬間、三重塔で爆発が起こる。再びとおくから人々の悲鳴が聞こえた。

そして、その悲鳴の声がだんだん小さくなり始めると松木が言った。

「あなたに話して差し上げましょう。すべての真実を」

松木は銃を置き、腰を下ろした。

「まず、なぜこの清水寺が重要なのかという点。それは突発的な思いつきではなく、今から十五年前に私たちが時間を巻き戻した時から決まっていたことです。そこで彼女を殺そうとね。まあスーパーの件は再び貴方方を清水寺に導くためにやったことですが。それはなぜか。あなたが重要な人物だからですよ」

「俺が?」

「そうです。逆行装置は貴方の開発によるものですから」

亮平は戸惑った。

「それは俺の父さんの事じゃないのか」

すると松木は顔をしかめた。そして、やがて納得したように言った。

「ああ、ウィルさんか誰かから聞いたんですね。ですが、残念なことにあれは嘘なんですよ」

「何だと!」

亮平は怒鳴った。

 「そうでなければ貴方のお父さんがその奥さんと死のうとしたときに私はたとえ縛られていたとしても、是が非でも止めようとしますよ」

  すると、松木は首をひねって訂正した。

「いや、少しニュアンスが違いますね。貴方のお父さんご自身がそう思っていたというべきなのでしょうか」

亮平は何を言っているのか分からない。

「父さんの話は全部嘘なのか?」

「いえ、それは違います。貴方のお父さんが逆行装置を作ったという話以外は全て事実です」

「なら何でその事だけに嘘をついたんだ?そんなことをする必要がどこにあったんだよ!お前は父さんを味方に付けようとするためだけに嘘をついたのか」

「違いますよ。ま、ですが嘘をついたことはお詫びします」

松木は開き直り始めた。

「お前は十五年前、何がしたかったんだ!」

すると松木は遠くを見るような目で言った。

「あの時、私はまだ若かった。刺激がほしかったのでしょう。私は2020年に時間を戻すつもりが、誤って十五年も前に来てしまった。私とその仲間はショックを受けながらも、何とかその事実を受け止めました。そこで、私は暇つぶしに私の母になるであろう人の事を観察していたのです。ホームレスを装って何度か話しかけたこともありました。ですが、私の母は自分の事を怖がり、走って逃げていきました。私はその時、嘆き悲しみました。母は、実の息子を前にして、まるで悪魔でも見たかのように逃げ出したんです。そして私は決意しました。彼女を殺してしまおうと。無事、何とかそれをやり遂げることが出来ましたが、私は警察に捕まってしまいました。しかし、警察上層部に協力者がいたので、何とか刑務所から逃げおおせることが出来たのです。その時、私は自分の祖父の事を思い出しました。つまり哲夫さんですね。彼は何をしているのだろうかと気になって見に行ったところ、私の事を追っていると言うではありませんか。その時、私は祖父の言葉を思い出しました。自分に協力を申し出ろと言っていたのを。そして、私は思いつきました。素晴らしいゲームを」

「俺の家族を殺すゲームか」

松木は頷いた。

「私は祖父がハワイに来るように仕向け、そこから色々とヒントを与えて楽しみました。そして、祖父は死んだ」

「お前が殺したんだろう!」

亮平は激昂した。しかし松木はそれを否定する。

「違いますよ。彼が自分から死ぬ道を選んだんです。随分と楽しみましたよ。あたかも彼が重要人物だと仕立て上げるのには骨が折れましたから。私の祖父は随分なくそ野郎ですからね」

「父さんは何も関係なかったということか?」

「ですからそう言っているではないですか。あくまで私の楽しみの一つに過ぎなかったんだと」

亮平は松木に掴みかかる勢いだった。しかし、今奴は銃を持っている。下手な動きは出来なかった。最も、ここで死んでも亮平は悔いはないが。松木は話を続けた。

「先ほど、祖父自身が自分で逆行装置を作っていたと言いましたね。あれについて説明しましょう。祖父は私が時間を巻き戻す前、既に私が高校生になってから認知症になっていました。どれだけ技術が進歩しても認知症は恐ろしい病気ですからね。ですので、記憶の整理がつかなかったのです。そこで、あなたが作った逆行装置を自分が作ったものだと錯覚して、あれこれ私に命令するようになりました。彼女を殺せだとか、自分の家族を人質にとれとか。それはまあ散々なことを。私は、その祖父を見て醜く思いながらも、滑稽に思えてきました。そして、その祖父の話に乗ってやったのです」

「それであんなことをしたって言うのか」

「若気の至りです」

松木は後悔しているというように、頭を押さえた。亮平はそんな松木を見て、増々怒りが込みあがっていった。

「無論、貴方が死んではまずい。それくらいは当時の私も分かっていました。しかし、そんなことを心配する必要はありませんでした。私の予想していた通り、貴方は助かった」

亮平は、松木の動機を聞いて失望した。あまりにもちっぽけだった。それは未来の為でもなんでもなく、松木のただのお遊びだったのだ。そんな事の為に、父は死んだ。

亮平はもちろん許せない。こいつは結局のところただの猟奇的殺人犯なのだ。

そんな亮平の真意を読み取ったかのように松木は言った。

「でももう過去の話です。今更そんなことを悔いても仕方がありません。ということで、今の貴方の話に戻りましょう。貴方は私たちにとってとても重要な存在です。何しろ、貴方が居なければ私たちが過去に戻ることはできませんでしたから。だから、ゴールデンウィークで彼女を殺し、貴方が途方に暮れたとき、私たちは危機感を覚えました。このまま死なれてはまずいと。だから、松崎という貴方の同級生を利用して、大麻を渡させたのです」

亮平は合点が言った。松崎があんなものを持っていたのは松木が渡したからだったのか。

「松崎は単純な男でしたよ。金をがっぽりと渡すと、まるでハイエナのように私に従順になった。しかし、流石に貴方が屋上から飛び降りようとしたときはビビりましたよ。ですが、佐々木、つまり未来の彼女が時間を戻して、貴方は助かりました。すぐに我々はその佐々木というのが誰なのか分かりました。ですが、それはそれで楽しめると思い、すぐにその未来の永野悠衣を殺しはしませんでした。ただで未来の虐殺者が死ぬのは忍びありませんでしたから。貴方と彼女の交互を殺して何度も楽しみました。そして、今回、最後の逆行を迎えて貴方は見事彼女二人を失った」

「だが、残念だったな。俺はもう死ぬしかない。もう俺には生きる道はないんだ」

すると、松木はほくそ笑んだ。

「何を言っているんですか。貴方がこれから逆行装置を作り、その暁には誰かを送らせて彼女を救えることが出来るではないですか。最も、その時には貴方も心変わりしているかもしれませんが」

「ふざけたことぬかすな」

松木は本気で困り果てた顔をした。

「弱りましたね。これで貴方は晴れて逆行装置を作ってくれると思ったんですが。しかし、それも良いでしょう。もう目的は達成しました。私もこれ以上時間を戻すことはありません。ですが、貴方には是が非でも生きてもらわなければいけませんよ。貴方は未来の重要人物なのです。いつ貴方が必要になってくるか分からない」

そう言い終わると、松木はポケットからスイッチのようなものを取り出し、押した。

すると、爆発音が聞こえ、亮平の周囲に会った塔は燃え上がり始めた。人々の悲鳴はもはや爆発音に掻き消され、聞こえない。亮平は取り乱しながら言った。

「なんで悠衣を殺したのにまた爆弾を起動する必要がある!」

松木は立ち上がり、燃え上がる清水を見て興奮したように言った。

「新しい時代の幕開けだからですよ。見てください。この燃え上がる清水を。何回見ても美しい。最も、今回はやはり格別に見えますが」

亮平は唇を噛んだ。そして大声で叫んだ。彼女の体はもう冷たくなっていた。頬に大粒の涙がつたっていく。

 そして松木は爆発音にも勝るぐらい声を張り上げて高らかに笑った。

 「そういえば、私がなぜこの清水寺を殺戮の舞台にしていたのをまだ説明していませんでしたね。教えて差し上げましょう。この清水寺は、私が幼い時に母と訪れた場所なのです。そして、時がたち、この清水寺で私は愛する人にプロボースをした」

 亮平は泣き叫んでいたが、構わず松木は自分の話を続けた。

 「そしてプロポーズは無事に彼に受け入れられ、私は彼と幸せな日々を送るはずでした。

ああ、ちなみに私の愛する人というのは男です。私はこう見えても、同性愛者なのですよ。

周りからの風当たりは強かったですが、私は彼がいたから気にしませんでした。ですが、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。ある時、私は会社からクビを言い渡されたのです。なぜかと言うのは言うまでもありません。あの忌々しいAIのせいですよ。あのAIのせいで会社は経費削減のために大勢の社員をリストラした。社員の未来がどうなるかなどお構いなしに。当然、リストラの候補に挙がるのは養う家族がいない社員です。ですが、私には彼がいた。それなのになぜ、クビになったのかというと、どうやら同性愛者は家族とは認められないそうです。いつの時代になっても少数派は人々に受けいられはしない」

 「苦労をされましたね」

 痣の男が松木を労わるように言った。

 「ありがとう、川村。ですが、今ではとても良い教訓になったとむしろ感謝しているんですよ。そして彼の方も私と同じ理由で、会社から追い出されたのです。そこで、私たちは不当にリストラされた者たちとともに裁判を起こした。しかし、裁判官が物分かりの悪い奴だったので、その申し出は却下されたのです。そこで私たちはデモ隊を結成した。その色は、全国にまで波及して、海外の同じデモ隊を集めて、国連前で大規模なデモをしたこともありました。やっと政府は動き出しましたが、職に復帰できた人々はごく一部でした。ここにいる川村もそうです」

 痣の男、川村が自分の頬についた痣を掻きながら言った。

 「この痣も、警察のデモ隊との衝突の際に、警察によって作られた傷だ。今でも疼く」

 亮平は肩を震わせながら、涙が溜まった目で松木たちを睨みつけた。松木は動じることなくさらに話を続ける。

 「一部のデモ隊の行動が悪化して警察もついには武力行使に臨みました。その際に、一緒にデモに参加していた私の愛する人は警察に撃たれて、瀕死の重傷を負いました。すぐに彼は病院に運ばれましたが、その時代の医療技術をもってしても彼の傷は治るどころか、さらに悪くなっていきました。彼は何度も夢うつつの状態で殺してくれと叫んだ。そこで、私は決心したのです。彼がこれ以上苦しんでいる姿を見たくはない。気づけば、私は彼を殺していました」

 遠くからサイレンの音がひっきりなしに聞こえてくる。だが、警官がここに来る様子はない。

 「彼を殺したことで、私の心に火が付いた。私は、この腐った世界を恨んだ。他者を受け入れようとはせず、ロボットに頼る人類の愚かしい姿を果たして数百年後の人類に見せられるでしょうか。ですが、当時の私は過去など変えられないと思っていました。だから、未来を変えるしか方法がない。そこで私はテログループを作ってAIを導入した会社を潰していった。そして、遂にはAIを作ったミッドナイト社をも武力で完全に破壊することが出来たのです。そこで私は逆行装置を見つけた。チャンスだと思いましたよ。まさに神が自分の前に降り立ったような気分でした。しかも開発者は佐藤亮平だと言うではありませんか。他ならぬ貴方は私の叔父ですから。祖父の哲夫さんに話を聞くと、どうやらその事を知っていたようです。まあ認知症で自分が開発者だと思い込んでいましたが。私は怒りました。叔父である貴方は私がこんなことになっていることを知っていたのに私に何も言わなかったのです。今まで叔父の嫁だからと彼女を殺すことはしなかったのに、裏切られた気分でした。だから私は装置を使って過去に戻った。すべてを変えるために」

 松木は話し終えると、川村がペットボトルを松木に手渡した。

 松木はそれを受け取って満足そうに飲んだ。

 亮平は松木になど目もくれずに悠衣を抱きかかえるようにして佇んでいた。

だが、亮平が絶望に暮れかけていたその時、悠衣が持っていたスマホからウィルの声が聞こえるのに亮平は気づいた。

亮平は松木たちにバレないように悠衣のスマホを取る。

するとウィルが画面越しに伝えた。

「リョウヘイ。悲観に暮れている場合ではない。君にとっては、私と君が会うのは、十五年ぶりではないな?」

亮平は気が動転しながらも頷いた。

「なら、私は君にある言葉を言ったはずだ。その言葉をよく思い出してくれ」

亮平はしばらく考えて、何かを思い出した。

それは、ハワイに行ったとき、別れ際にウィルが言った言葉だ。ウィルが何を言っているのか分からなかったので、印象に残っていた。


「自分の中で、覚悟が決まったときは、すべての始まりの地から飛び降りてみるといい。

奇跡が起きるかもしれない」


そうウィルは言ったのだ。そのウィルの言葉を亮平は反芻しだした。

全ての始まりの地。それはこの清水寺ではないか。

ここで彼女が殺され、歯車が動き始めたのだ。

そこから飛び降りる?その清水寺から飛び降りるとはどういうことなのか。

すると、亮平はあることわざを思い出した。その瞬間、頭の中で目まぐるしくウィルの言葉が一本の線になった。


清水の舞台から飛び降りる


何でも、その舞台から飛び降りて生きていれば願いが叶うと言うらしい。そして、主に思い切って大きな決断をするという時にこのことわざは使われる。

亮平はウィルの言いたいことをようやく理解した。

しかし、それはただのことわざの域を出ないのではないか。そんなことが本当にあると言うのか。

だが、今の亮平はそれに賭けるしかなかった。

最後に、覚悟が決まったらというウィルの言葉を思い浮かべ、自分に自問した。

自分の覚悟はできているのだろうか。すると、亮平は首を大きく横に振った。

最後の時間の巻き戻しの際に、亮平の覚悟はもう決まっていたではないか。

もはや躊躇う必要もない。 

亮平はスマホに映ったウィルに向かって澄んだ顔で軽く頷いた。

ウィルは、我が子を送り出すような優しい目をして亮平を送り出した。

そして亮平はスマホを放り投げ、走り出す。

松木たちはそれに気付いて、慌ててそれを制止しようとした。しかし、亮平はそれを思い切り押しのけた。

柵を乗り越え、亮平は舞台を大きく蹴り上げて真っ逆さまに下に落ちて行った。

まるでスローモーションのように、長く感じる。

不意に顔を上げると、燃え上がった清水の景色が一望できた。

やがて亮平は目を瞑る。

そして亮平の頭が地面に着いた瞬間、時間は奇跡を起こし始める。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る