爆弾
亮平は歩きながら、ふとゴールデンウィークに彼女と初めて清水寺に来た時の事を思い出した。あの時、二人は大谷本廟という寺の墓地から来たのだ。
その後、彼女が死に、亮平は深い後悔に苛まれた。そして、行きしなにこの参道から来ずに、縁起の悪そうな墓地から来たことが亮平の後悔の一つに入っていた。
その行くべきだったと後悔していた参道を、今、亮平は死んだはずの彼女と歩いている。何とも不思議な気分だった。
二年坂を上り終えると、悠衣が立ち並んでいる店の一角に立っていた。
看板を見ると、清水寺まで徒歩七分と書いてある。
悠衣は二人に着替えを渡した。
「制服じゃダメなの?」
亮平が訊くと「動きづらいでしょ」と高校生の悠衣、彼女が言った。
亮平はその二人に苦笑しながらも、トイレに入って悠衣に渡された服に着替えた。
着替え終わると、近くの店でかき氷を食べていた同級生の男たちが怪訝そうに彼女と亮平を見ていた。
亮平はそれを見て、先生に見つかったら面倒だと言って悠衣から貰った服の上に制服のジャージを着た。そして、悠衣に訊く。
「痣の男たちは?」
「分からない。どこかに隠れているのかも」
「結局、松木はその痣の男の仲間なのか?」
「確定は出来ないけど、そう考えるのが妥当だわ」
「仲間が何人いるか分からないな。顔が割れているのは松木や痣の男だけだし、いつ、どこで悠衣に接触してくるか。とにかく警戒して進もう。このまま清水寺に進めばいい?」
「出来るだけお店とかに入って時間を潰して。その間に爆弾などが仕掛けられていないかもう一度確認してくる」
「分かった」
亮平が頷くと、悠衣は先に坂を上っていく。彼女はそれを見つめながら言った。
「何かやっぱり変な感じだね」
「悠衣が二人いるのが?」
「うん。もしさ、その私の命を狙っている人たちが捕まって私が助かったら左、別の私はどうなるの?」
「どうなるって、喜ぶんじゃない?」
しかし彼女は浮かない顔をしている。
「時間って巻き戻しは出来ても、前に進むのを早めることは出来ないんでしょ?っていうことは、今もだけど、私が二人いることになる。別の私は未来に帰ることはできない。そうなれば、亮平の取り合いになるかもしれないね」
彼女は割と真剣な顔でそう言った。冗談で言ったつもりではないらしい。
それは亮平も少し思っていたところだった。しかし、いざ本人の前からそれを聞くと、亮平の二人の悠衣の天秤が動き始めてしまった。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。とにかく、今は彼女を救うことだけに専念しなければならないのだ。
亮平たちはそこから店に寄ったりして一時間ほどを参道に費やした。
二人は常に周囲の警戒を怠らなかった。だが、怪しい人物は見当たらない。
と言っても、平日であるにもかかわらず観光客が押し寄せている清水で、彼女を狙っている人物を見つけ出すことはほぼ不可能に近かった。
二人は離れないようにお互いの手を固く握りあった。
坂本龍馬が足しげく通っていたと言われる明保野亭という料亭が向かって左にある産寧坂を上り、しばらく歩くと、遂に赤く光り輝く三重塔が視界に現れた。
亮平は唾をごくりと飲み込む。
すると、悠衣から電話がかかってきた。
「もしもし」
「爆弾は見つからなかった。今どこにいるの?」
亮平は人混みの中にいたのでうまく悠衣の声を聞き取れなかった。
もう一度聞いて、何とか聞き取ると、「仁王門の前!」と答えた。
すると悠衣は思い出したように訊いてきた。
「塩見さんのカバンは確かめた?」
亮平は、はっとしたような顔を浮かべる。完全に忘れていたのだ。
悠衣にそう伝えると、軽いため息が電話から聞こえた。
すると、タイミングよく仁王門の前で塩見を発見した。塩見は階段の前に座って友達とアイスを食べている。
亮平は彼女と急いで塩見に駆け寄った。
「どうしたの?」
塩見が走り寄ってくる二人に訊くと、亮平は「バッグを見せてくれ」と頼んだ。
「バッグって、昨日盗まれた?」
亮平は頷く。すると塩見は「イヤよ」と薄ら笑いを浮かべて言った。
亮平は思わず眉を顰める。
「なんで?」
「だってリア充たちに見せるのって気が引けるじゃない」
まさかの態度に亮平は驚いた。どうやら彼女は塩見の本性を知っていたようで、予想していたように塩見を軽く睨みつけていた。
今まで太ってはいるものの優しい友達と思っていた女が、悪女に変わった瞬間である。
しかし、これは遊びではないのだ。亮平も引くわけにはいかない。
「ごめん」と一言謝って強引に塩見がそばに置いていたバッグをひったくった。
塩見は目を大きく見開いて「何すんの!」と罵ってくる。
亮平は気にせずバッグに入っていたペットボトルやしおりなどを全部外に出した。
流石にポテトチップスが出て来ると、亮平は苦笑したが。
すると亮平はあることに気付いた。バッグに手を入れ、そこを確かめると、何か、固い感触があった。明らかにそこが底ではない。
しかし、布が縫い付けられていて、その布の下に何があるか分からない。
亮平は自分のナップサックからナイフを取り出し、布の下にある何かに触れないように気を付けながら、布を破いていった。
塩見は悲鳴を上げる。
彼女が何とかそれを押さえていた。
布を取り外し、ナップサックの底を見ると、亮平は驚愕した。
そしてゆっくりと彼女の方に首を回し「爆弾だ」と告げた。
彼女は青ざめた顔をする。亮平はすぐに電話をかけようとすると、悠衣が階段を駆け下って亮平たちのもとに来た。そして、すぐに悠衣は状況を察した。
「起動してる?」
「あと十五分もない。ごめん、俺が忘れていたばっかりに」
悠衣は「過ぎたことよ。今は爆弾を解除するのに専念して」と励ましにもならない励ましをした。
塩見とその友達は戸惑いながらその光景を見ている。
「どうする?近くに川もないし、投げ捨てる場所がない」
すると、悠衣はバッグを亮平のナイフで切って広げると、また塩見が悲鳴を上げ、泣き叫び始めた。周囲にいた人々が訝しみ始める。
悠衣は固定されている爆弾を手で触りながらどこかへ電話を掛けた。
その最中に泣き叫んでいる塩見に向かって悠衣は鋭い声で言った。
「塩見さん。あなたみたいな泣き虫は私大嫌い。いつも自分の思うように進まなくなると、そうやって泣き叫んで同情を求める。あなたの将来を教えてあげましょうか?あなたは将来、もっと太っていって仕事も見つからずに独身でちっぽけなアパートに住むの。でも同情はしないわ。自業自得だから」
塩見は突然現れた見知らぬ女に手厳しいことを言われ、何が起こっているのかを理解できずに呆然としていた。
その後、時間差で塩見は怒り狂って反論しようと口を開きかけると、悠衣の電話がつながった。
「もしもし」
悠衣は英語で言った。
その瞬間、亮平は誰にかけているのか分かった。そして、軽く笑みを浮かべた。
ウィルだ。
事情を話した悠衣はビデオ通話に切り替えてスマホに爆弾を映し出す。
すると悠衣はスピーカーに切り替え、ウィルの声が亮平たちに聞こえた。
「爆弾の形状からして半径数百メートルほどは確実に吹っ飛ぶぞ。どこか誰もいないひらけた場所で爆発させられるところはないのか」
しかし悠衣は考えあぐねている様子だった。すると、亮平が「あ!」と大きな声を上げ思いついたように大声を出した。
「ある」
悠衣は亮平の方を振り返る。
「どこに?」
「言うより早い。あと五分もない。早く行こう」
亮平は爆弾のタイマーを見て、塩見のナップサックごと持って走った。
彼女と悠衣もそれに続く。
訳も分からず、ナップサックを堂々と盗まれて、塩見たちは呆気にとられ、言葉を失っていた。
亮平は緩やかな坂を上り、人がまばらになるとそこから木々に囲まれた狭い階段を駆け下っていった。
その先には、大谷墓地がある。
悠衣はようやく察した。しかし、一応、清水寺に初めてきたことになる彼女には分からない。
亮平は墓地に入り、下を見た。そこには、数えきれないほどの墓が並んでいた。もはや美とも言える壮大さであった。
しかし亮平は下を向いて舌打ちした。何人かの参拝者がお参りをしていたのだった。
亮平は大声で叫んだ。
「早くそこから逃げてください!」
しかし参拝者たちは何を言っているのかという顔をして亮平を見つめた後、やがて視線を離して何事もなかったかのように参拝を続けた。立ち去ろうという気配はない。
爆弾のタイマーは既に三分を切っていた。
すると亮平は意を決して持っていたナイフを参拝者の方目掛けて投げた。
亮平のナイフは、丁度参拝者たちの真横をかすめて、隣の墓に当たった。
「早く上ってこい!」
もう一度亮平が叫んだ。
参拝者たちは訳が分からないまま慌てて階段を上り始める。
そして爆弾のタイマーが十秒を切ろうとしたとき、亮平は腕の力を最大限に振り絞って爆弾を放り投げた。
そしてその直後、墓地に一瞬静けさが漂い、大きな爆発音とともに一面に広がっていた墓は炎によって見えなくなった。
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