彼女

亮平は帰宅して、夕食を食べずに自分の部屋にこもって物思いにふけっていた。

母や兄は彼女を失った亮平に遠慮して部屋には来なかった。

しかし、亮平の意識は別の方に向いていた。

色々なことがありすぎて脳内の整理が追い付かないでいる。

亮平は再び佐々木、いや、悠衣の言葉を反芻していた。

順を追って話すと、なぜ、悠衣が亮平に嘘をついていたのかは言わずもがな亮平に心配をかけさせないためだった。

そして悠衣がこの世に二人存在していた事実。

しかし、悠衣が最初に話した時間逆行では記憶だけが残り、肉体は当時のものになる。

つまり逆再生と言える。

が、肉体も精神も戻る方法があるらしい。それは時間の巻き戻しなどではない。完全なタイムスリップだと言う。

未来では、記憶だけの巻き戻しから、肉体も伴う巻き戻しが可能になり、それからついには完全なタイムマシンが開発されたのだ。

悠衣が男の協力によって、清水寺の事件前の過去に戻ったのはタイムマシンを使ったからである。

タイムスリップは自分一人が過去へと飛ぶことになるので別の時間軸が発生したり、自分と同じ人間がもう一人いるということになるのだ。

もう一つ疑問があった。悠衣がなぜ生きているかということだ。悠衣は殺されているのである。それなのになぜ未来に悠衣が存在しているのだろうか。

それについて悠衣は明確な答えを示さなかったが、一部はぐらかしながらも曖昧に答えた。悠衣は自分が助かった未来からタイムスリップして、この時代に来た。

無論亮平はなぜ自分が助かったのにまた時間を戻したのかと訊いた。

悠衣はしばらく考え込むように無言で押し黙っていた。

しかし、亮平も段々と察し始めてきた。

悠衣の大切な人は自分。その悠衣が大切な人を失ったということは、悠衣が助かった未来に自分はいないということか。

悠衣にそう訊くと、悠衣は悲しげな顔をして答えを暗に示した。

そして、どちらかが助かるにはどちらかが死ななければならない、と悠衣は言った。

なぜかは亮平は訊かなかった。過去の逆行の結末がそれらを物語っているのだろう。

だが裏を返せば、悠衣がその未来で殺されていないということは、悠衣を狙っている者たちは死んだか、少なくとも捕まったと考えていいのだろう。

それは亮平にとって嬉しいことであったが、受け入れがたいことでもあった。

悠衣にとってもそうであろう。

だから悠衣はあの時、亮平が死なないようにカウンセリング医師として亮平が自殺しない道を選ばせようとしたのだ。それは結局失敗に終わってしまったが。

次に亮平はふと思い出し、医師免許は本物なのかと訊いた。

すると、海外に協力者がいることを言い、基本的にどんな証明書でも偽造できると言った。

なぜ未来でカウンセリングの仕事についていたのかと訊くと、どうやら、悠衣はアメリカの医大に入学して、首席で卒業し、医者になったらしい。初耳だった。悠衣が医者になりたかったなど聞いたことがなかったのだ。

 また、亮平と悠衣が病院の屋上から逆行をした時の時間で、今までの巻き戻しの中、彼女の祖父が殺されていなかったのは初めてだと悠衣は語った。

 そして、そのせいで想像よりも早く、亮平に犯人の正体や未来の事について説明しなければいけなかったのだ。

とにもかくにも、どちらかが死ななければいけないという悠衣の言葉が頭から離れなかった。

しかし、五、六年後の大人になった悠衣は確かにここに存在している。

自分は本当に悠衣を失ったのだろうか。

答えようのない疑問が、亮平の心を惑わせた。

このまま時間を逆行して彼女を救わなくとも、今ここに悠衣がいるではないか。

だがそれではダメだという頭の中の別の自分がそう叫んでいた。なぜダメなのかは説明しようがない。ただ、自分はどうすれば良いのかが分からなかった。

悠衣は、時間をまた逆行するかはよく考えてから決めて、と最後に念を押すように言った。しかし、誰にもそれを相談できないというもどかしさ。

この最後の時間の巻き戻しが最も重要な選択であることを亮平は分かっていた。

だからこそ、どうするべきかが分からない。

この時間軸に生きていた悠衣を助ける道を選ぶか、未来の悠衣との道を選ぶか。

もしかしたら、もう本能的に心の中で答えが決まっているかもしれない。

だが、それが本当に悠衣の為になるのか。亮平は椅子に座り、頭を掻きむしって考えていた。しかし、どんな時間が経とうともどうにも決断することが出来なかった。


気づいたら、亮平は地べたに寝そべっていた。

布団が亮平の体に被せられていた。母がやったのだろう。

また亮平は、何か長い夢を見ていたような気がしたがどうにも思い出せなかった。

起き上がり、ドアに手をかけると、洗面所に行って歯を磨く。

リビングに行くと、母が何事もなかったかのようにいつも通り朝ご飯を作っていた。

そして、特に何かが起こるわけでもなく、一日が過ぎていった。



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