前哨戦
亮平はいつもより早く起きて部屋の壁にもたれかかってぼーっとしていた。
彼女の身には何も起こっていなかった。ということは、この研修旅行を奴らが狙っているのは確定的ではないか。飛んだことに巻き込まれてしまったと今更思う。
だが、亮平の中に後悔というのはなかった。そのおかげで、たくさんの事を学び、たくさんの者と巡り合うことが出来たのだ。そして、自分という人間と向き合うことが出来た。自分自身が成長することが出来た。
亮平の意思は既に決まってある。
その為には、命を失っても構わない覚悟だ。だが、これまでと亮平は違う。確かに命を捨てる覚悟はあるが、亮平はまだ死にたくはなかった。なぜなら、自分が死んで悲しんでくれる人間がこの世に少なからずいるからだ。
今まで、自分が死んでも悲しんでくれる人間はいないと思っていた。しかしそれは大いなる誤解であったのだ。
この世に、死んでいい人間などはいない。誰もが誰かを愛し、愛されている。
それは松木にも言えることである。誰かを愛していたが故に、その愛情が裏返しとなって憎しみへと変わってしまったのだ。彼女が未来でどんな発明をして、どんなことをしたのかは詳しくは分からない。しかしそのせいで松木のような怪物が生み出されたのは間違いないことである。だが、松木は、その愛情や憎しみを利用してあたかもそれを正義と称して人を殺す。到底許せるものではない。
そして、悠衣は自分と悠衣のどちらかしか生き残れないと言った。
しかし、亮平はそうは思わない。未来はいくらでも変更が可能なのだ。
たとえ人類に未曽有の危機が迫ろうとも、乗り越えられる。それが今の時代に生きているすべての人間の使命なのだ。新たな未来に想いを託すために。
そこに松木や未来の人間が出る幕はない。
亮平は勢いよく立ち上がり、覚悟を胸に家を出た。ナップサックを担ぎながら自転車に乗ると、上手くバランスが取れずに蛇行運転をしだし、何度も転びそうになった。
その度に、足を地面につけてバランスを取るため、想像以上に時間がかかってしまった。
やっとのことで駅前の駐輪場に自転車を停めると、管理員の老人が元気よく挨拶をしてきた。普段は、朝は機嫌が悪いので軽く頭を下げるだけに留まるが、テストや試合の日などの大事な日にはご利益を込めて丁寧にお辞儀をする。今回は、にっこりと笑って挨拶した。
そして、ボストンバッグが突っかからないように改札をくぐると、ホームにそれを下した。ようやく楽になれたが、想いバッグを背負ったせいで肩が痛かった。
また、休む間もなく電車がやってきた。ドアが開き、亮平はまたバッグを持つと、会社員で混雑している電車に乗った。
彼女はいない。前日に親に送ってもらうとメールがあったのだ。
席や駅に着くと、亮平はようやく解放された。バッグを下して、大きくため息をつく。
すると、一歩手前の駅から乗ってきた前山が呆れたように言った。
「お前何でそんなに荷物あるんだよ。たかが一泊二日だぞ」
亮平は半笑いした。実際、前山のバッグは亮平の半分ほどのサイズであった。
しかし亮平のカバンに余計なものが入っているというわけではない。先日、悠衣に貰った悠衣から貰った分厚い資料や、護身用にポケットナイフやらを入れてある。先生に見つか
ったら確実に没収される代物ばかりである。没収で済んだらまだ軽い方だが。
親切にも、前山は駅に迎えに来ているスクールバスまでそれを担いでいってくれた。
代わりに亮平は前山のカバンを持つ。想像以上に軽く、重いのろしが取れたような気がした。
バスに乗り、そこから五分ほどで校門前に着く。長い坂を上り終えると、ピロティーに生徒たちがクラスごとに集まっていた。
亮平は左端のクラスの列に入り、自分の出席番号通りに並んだ。カバンを地面に置くと、亮平は肩を回しながら体育館のトイレに行った。
すると、丁度彼女が体育館から出て来るところで鉢合わせた。亮平と彼女は何も言わず、二人にしか分からないように軽く頷きあった。
トイレを終え、ピロティーに戻ると、丁度点呼が始まったところだった。誰も休んでいる者はいない。
山原からの旅行前の諸注意が入り、最後に全員で旅行会社の添乗員に挨拶をすると、クラスごとに坂を下って観光バスに乗っていった。
亮平は出席番号が二番だったので、一番後ろの席に座る。後ろの席だけは四人席で、男女二人ずつがそこに座り、残りは男女で左右に分かれて番号順に座っていく並びである。
自分の二列前の席に竹下が座った。あの後、彼女に盛大に振られた竹下は、自分が彼女を振ったんだと皆に流布し始めた。
だが、その努力もむなしく、竹下のしつこさに引いた女子たちは竹下の事を避け始めた。
亮平は内心ほくそ笑んだが、表には出さない。竹下は態度を改めて今現在は反省中である。そのせいか竹下の顔は暗く、大人しかった。
そして、バスが出発すると隣に座っていた木下が「人狼ゲームしようぜ」と言ってきた。
亮平もそれに乗り、女子も入って後ろ三列でゲームが始まる。
やはり研修旅行などの学校行事での醍醐味は、バスでの友達との会話であった。
しかし今回、亮平はそれを心底楽しめないことを残念に思った。そして亮平は顔を上げると、彼女も友達と話しながら、同じような顔をしているのに気付いた。
バスは高速道路に乗り、一時間ほど経ってトイレ休憩のためサービスエリアにバスは止まった。
亮平はバスから降り、辺りを見回す。やがて何かに気付くと、トイレに行く振りをしてお土産店の中に入った。
「異常は?」
すると、入るなりサングラスをかけた悠衣が亮平に目線を合わさずに訊いてきた。
「何もない」
亮平は答えると「そっちは?」と悠衣に訊き返す。悠衣は自分の車で亮平たちのバスの後ろを走っていたのだ。
「怪しい車が一台あった。ずっとバスの速度に合わせて横側を走り続けていたの。そして、バスがこのSAに入ると、その車も入っていった」
「でもそれだけで怪しいとは限らないんじゃないの?」
「遠くからスマホで彼女を撮っていたとしても?」
亮平は驚いて悠衣に視線を向ける。
「三十代くらいの男だった。松木ではないわ。痩せていて、頬に小さな痣があった」
悠衣がそう言った時、ガラス張りの窓からトントンとノックするような音が鳴った。
二人は、怪訝な目で目の前を見る。二人はその瞬間、あっと、驚いた。亮平は寒気が走る。
そこには、悠衣が言っていた頬に小さな痣がある、痩せた男が気味悪い顔で満面の笑みを作って、亮平と悠衣に手を振っていたのだ。
そして男は二人がそれを見たのを確認すると、背を向けて、まるで喜劇のように蛇行しながら走り出した。亮平は眉間に皺を寄せて伊土井で自動ドアを開けて店を出る。
後ろから悠衣が止める声が聞こえたが、無視した。
亮平は腕を大きく振って男を追いかける。
その光景をトイレから出てきた生徒たちが怪訝な目で見ていた。
亮平は必死に走った。
徐々に男との距離も縮まっていった。
しかし、男は振り向き、亮平に不敵な笑みを浮かべると、車に乗って走っていった。
亮平は大きく舌打ちをする、追おうとしたが、亮平も息が上がっていた。すると、山原が顔を赤らめて走ってきた。
「佐藤!危ないだろう!何やってるんだ!」
亮平は山原にこっぴどく説教されながら、走り去っていく車の陰を追った。
説教が終わり、バスに戻ると、木下に何があったのかと訊かれたが、亮平は気のない返事をしたのでそれ以上は訊いてこなかった。
その後、三十分もかからずにバスは校則を抜け、十時十分、二条城の駐車場で亮平たちは降りた。クラスごとに整列し、再び点呼を取る。
亮平はその間も先ほどの男がいないか注意深く辺りを見回していた。しかし、外国人観光客のツアーが行わているだけで、男の姿は見当たらない。悠衣の姿もなかった。亮平は少し嫌な予感がしたが、この場を離れるわけにもいかない。
結局あの男は何だったのだろうか。もしあの男が犯人の仲間なら、今まで全く姿を見せなかったのに突如として亮平をからかうように姿を見せた真意はどこにあるというのだろう。
とにもかくにも、少なくともこの研修旅行でまた何かを仕掛けてくるというのを亮平は確信した。
やがて学級委員の森が点呼を取り終えると、東大手門の前で記念写真を撮った。
観光客にとっては迷惑な話である。百人にも上る生徒たちが門の前に立ちふさがって写真を撮るのだ。迷惑極まりないことである。
それは教師たちも承知なのだろうが、なぜか頑固に門の前で撮ることにこだわった。ホームページにアップでもするためなのだろう。
写真を撮り終えた後、門をくぐって番号順に並んで城内を散策した。男女に列で進んだが亮平と彼女の出席番号は離れているため、話すことが出来なかった。悠衣も現れない。
亮平は不安が隠せなかった。清水寺が本命であるとはいえ、ここで何かを仕掛けてくる可能性もあるのだ。
亮平は大政奉還で有名な、人形が置かれている部屋を見たが、何も感じることはなかった。そのまま素通りして、二条城障壁画展示収蔵館に入り、興味がわかない展示を見た後、トイレ休憩が行われて、東大手門を出た。
そこで一旦、亮平たちはバスで弁当を食べた。亮平は外で食べたかったが、このバスの中にいれば狙われる心配はない。ひとまず安心できた。
弁当を平らげると、彼女の肩を叩き、バスの外に出るように促した。そして二人はトイレに出るふりをして見つからないところに隠れて話し合った。彼女はいきなり訊いた。
「亮平が追いかけてた人って私を狙ってる奴なの?」
亮平は曖昧な返事をした。
「多分そうだと思う。でも、何で俺たちの前であんなふざけたことしたのかが分からない。何が狙いだったのか・・・・・・」
「ふざけたことって?」
すると亮平はサービスエリアでの出来事を洗いざらい話した。彼女の顔はみるみる青白くなっていった。
「未来の悠衣がどこにいるかもわからない。本当はここで三人で会う手はずだったのに」
「もしかしたらその男に捕まったのかも」
「いやいや、それはないでしょ。だって悠衣だぞ?」
亮平はわざとらしく笑ったが、彼女は真剣な顔をしている。
「私だからよ。私なら、その男を追うと思う」
亮平の笑顔は瞬く間に消えた。
「電話かけてみる?」
亮平が言うと、彼女は「そうしよ」と頷いた。亮平は胸ポケットから隠していたスマホを取り出し、悠衣に電話を掛けた。しかし、電話は繋がらない。もう一度かけたが、繋がることはなかった。
亮平は小さく舌打ちを鳴らし、もう一度かけようとしたが、余計な不安を煽るだけにとどまりそうだったので、諦めてスマホをポケットに戻した。
「とりあえず、悠衣がただ単に今手が離せない状況にいるだけかもしれないし、ここは様子を見よう。顔に痣がいる男がいれば、すぐに俺に知らせろよ」
彼女は頷き、二人はバスに戻っていった。
生徒たちは昼食を終え、そのまま歩いて京都御所へ向かった。
そして中へと入り、庭園を見学していく。生徒たちは並んではいるもの、番号はバラバラになってそれぞれの友達と固まっていた。
亮平はすかさず彼女のもとへ行った。
すると、彼女と話をしていた友達は亮平を見て遠慮したのかどこかへ行ってしまった。亮平は何も言わずに彼女の傍に寄って歩く。
友達がまたはやし立てて聞いているが、二人とも気に留めない。亮平は緊張感を漂わせていた。
途中、簡単な手荷物検査があったが、いかに御所であろうとも、奴らなら何をしてくるか分からない。そうこうしつつも、亮平は砂利道を歩きながら御所の壮大さに圧倒され始めた。
何か亮平にとって感慨深いものがある。
そう感じていた時、背後から悲鳴が上がった。亮平の顔は一瞬でひきつった。
後ろを振り向くと、同級生の、小太りの女子が倒れている。名前は忘れた。
亮平の周囲もどうしたどうした、とざわざわし始めた。すると、前山がその女子に駆け寄って「どうした?」と訊くと、その女子は泣きながら「ひったくり!」と叫んだ。
亮平たちは辺りを見回した。だが、それらしき者はいない。
すると、B組の担任の吉田も騒ぎを聞いてやって来た。
「塩見!どうした?」
その女子、塩見は泣きじゃくりながら話し始める。
「さ、さっき、歩いてたら、と、突然、持ってたカバンをと、取られて、慌てて取り返そうとしたら、押されて、こ、転んじゃったんです」
そして、吉田は警備員を呼んで、割と大きな騒ぎに発展した。
「どんな奴だったんだい?」
中年の警備員が優しく尋ねると、ようやく落ち着きを取り戻し始めた塩見は「男です」と答えた。亮平もそばでそれを聞いていた。
「もしかして背が低くて顔に痣がなかった?」
思わず亮平は口を挟んだ。吉田が訝しみながら亮平を見たが、特に起こる理由もなく塩見に視線を戻す。すると塩見は首をひねった。
「分からない。でも背は高かったと思う」
亮平は少しほっとしたが、亮平の考えている男ではなかったとしても、仲間という可能性もある。でも、もしそうならば、奴らは何を企んでいるのだろう。彼女もそれを聞いて不安視していた。
結局、ツイていなかったということでこの話は終わりになり、予定より大幅に遅れて京都御所を回り終えた。その後塩見は吉田と一緒に警察署に行って被害届を出した。
御所の警備は、ひったくりに会ってすぐに強化されたが、犯人が見つかることはなかった。
亮平たちは先にホテルにチェックインをして洋室の部屋に入った。部屋割りはランダムで決められ、亮平は学級委員の森と一緒になった。
亮平は森の事を友達として好きではあるが、少し森のナルシストな感じが苦手だった。とはいっても、根は優しい人間なので亮平も部屋割りで、はずれを引いたという気持ちはなかった。
亮平はホテルのスリッパに履き替え、ボストンバッグ地面に置くと、フカフカのベッドに飛び込んだ。森は洗面所で髪を整えている。亮平は苦笑しながら仰向けになって天井を見上げた。
するとあることを思い出し、急いでポケットからスマホを取り出し、悠衣に電話を掛けた。何コールか鳴っても悠衣には繋がらない。亮平は諦めてスマホを耳から話した時、画面に通話中の文字が表示された。亮平は慌ててスマホに戻した。
「もしもし」
「ごめん、連絡できなくて」と悠衣の声が聞こえる。亮平はひとまず安心した。
「どうしたん?」
「私はあの男の車に発信機を付けておいたの。そしてあの男が逃げた後、私は一キロくらい距離を取りながら追いかけて行った。すると小さなホテルに入っていった」
悠衣は亮平の反応を窺うように間を空け、続けた。
「その後、男はもう一人の背の高い男と一緒に出てきて、車に乗って京都御所に向かった」
亮平は合点がいった。
「塩見がひったくりにあったのはその男か」
「ひったくり?」
悠衣が訊く。
「塩見がひったくりに襲われたんだよ。カバンを盗られたらしい。塩見に訊いたけど、俺がサービスエリアで追いかけた男の特徴とは当てはまらなかった。だからたぶん、その男と一緒にいた別の男がやったんだと思う」
「何で奴らはそんなことをしたの?」
「何か理由があるんだろ。でも、奴らとは関係ないただのひったくり犯とは考えにくいし」
「とりあえず今日はしっかり休んで。明日が多分本番になるだろうから」
亮平は唾を飲み込んだ。
「そだな。ありがと」
そう言って電話を切ると、洗面所から出てきた森が訊いてくる。
「誰と話してたん?」
「ガールフレンド」
短くそう答えると、亮平は枕を抱きかかえてしばらく眠った。
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