花咲菜乃花


「お前何組だったの?」


 実のところ、あまりにもギリギリだったので直接始業式に参加した俺は貼りだされたクラス発表を確認する間もなかったのである。我が学校のクラス発表は昇降口にある大きな掲示板にデカデカと掲示されるのだ。しかし、今日はあまりにも時間がなかった、というよりそんなことを確認している余裕がなかったのだ。


「俺は三組だよ。ちなみに、お前もな。また一年よろしくだ」


 にかっと爽やかに笑う千尋は男の俺でも認めざるを得ないレベルでイケメンだった。何なんだよコイツ、俺にそういうの向けてくんなよ敗北感しかねえんだよ。


「他にはどんなやつが?」


「去年一緒だったやつもちらほらいるけど、半分以上は知らない人だな。まあ、七組もあるんだからバラけて当然といえば当然だけど。どんなやつがいるかは、教室に入ってからのお楽しみだ」


 そんなことを話しながら、俺達は教室へと向かう。去年だってそこまで仲の良い友達がいたわけでもないので、別に離れて困る奴はいない。千尋が同じでホッとはしているけれど。


 それでも、ドキドキしながら俺は教室のドアを開く。先に入っていた生徒が誰だろうかと確認するためにこちらを向く。この注目が嫌いなんだよなー。


 そして、知らない奴だと分かった奴らはほぼほぼが興味をなくす。さっきまで喋っていた奴らとの会話を再開する。あれは去年からの友達だろうか、それともこの短時間で仲良くなったのか。そのコミュ力分けてくれ。


「またお前が注目を浴びているな」


 大半の生徒は興味をなくす。それは男子生徒がほとんどだ。女子生徒はこちらの方

を見て顔を赤らめているのが何人かいる。こちら、というか俺の横の千尋を見て、だ。


「まあ、そうだけど……天助も注目されてるみたいだよ?」


「そんなバカな」


 そう思いながら、注目している生徒を順に見ていく。確かに千尋を見ている中に、少しだけだが俺の方に視線を向けているやつもいる。なにこれついにモテ期? と思ったが、男子生徒も中にはいた。


「……なんだ? モテ期じゃないっぽいぞ?」


「二九連敗記録が広まったんじゃないか? 男子はともかく、女子は噂広まるの早いしさ。そこから男子にも漏れたんだろ」


「いや、それ俺の一年間終わりじゃないの?」


 くすくすと笑っているが、全然笑い事じゃねえぞ。まあ、今年度から生まれ変わった俺はそうそう簡単に告白とかしねえけど。惚れたりなんかしない! 絶対とは、言わないけど。


「ま、あんまり気にすんなよ。気づけばそんな噂も忘れられてるさ」


 そう言って、千尋は指定された自分の席へと向かう。俺と離れて席についた瞬間に数人の女子に囲まれやがった。なんか俺が邪魔者だったみたいじゃないか。いや、実際にそうなんだろうなぁ。悲しい現実だ。不幸だ、不平等だ!


 出席番号順に指定された席なので、特に周りに知り合いもおらず、俺は座った瞬間から読書を始めた。


「よぉ、お前が噂の葉月天助だろ?」


「ああ?」


 読書中に話しかけられたことと、何となく軽いノリが気に食わなかったので、俺は低い声で返事をする。


 机にもたれ掛かるように話しかけてきたのは、茶髪の男子生徒だ。俺と同じくらいの背丈だろうか、ちょっとこいつの方が上か? 人懐っこいその顔は、にっと笑うと猫のようだ。学ランの前を全部開けており、中に橙色のパーカーを着ている。


 もちろん、名前なんて知らない。


「なんだよ、話しかけてんだからもうちょい愛想よく振る舞えよなー」


 そいつは唇を尖らせて不満そうにそう言った。別に愛想振りまいてまで仲良くなりたいなんて思ってないからな。


「ま、いいや。俺は鳴子巧ってんだよ。よろしくな」


「……?」


「なんだよ、んな驚いた顔するか? このタイミングで」


「いや、どっか行かないのか?」


 だいたいのやつは、ああいつ無愛想な態度とったら呆れて行ってしまうのだが、こいつは何事もなかったように話を続けた。


「なんだよ、どっか行って欲しいのか? まあそれでも行かねえけどな」


 そう言って、鳴子は大きな声で笑う。今の笑うとこあったか?


「それより聞いたぜ二九連敗説。あれってマジなのか?」


 やはりそれか。


「……別にどっちでもいいだろ」


「マジなんか! お前すごい度胸だよな、メンタルも強いじゃねえか。告白なんて、

怖くてそうそう出来るもんじゃねえぞ」


「褒めてんのかそれ?」


「ベタ褒めだ」


 そして、ニッと笑った。


「まあこの学校可愛い子多いもんな。じゃあさじゃあさ、あいつは行ったのか? 去年のミスコンの覇者、月島彩夜。有名だし知ってるだろ?」


「そりゃ知ってるけど、俺だって別に誰彼構わず告白してるわけじゃないっての。可愛いからって告白するわけじゃないんだよ。月島彩夜とか、あんなん高嶺の花すぎるだろ」


「へぇ、じゃあなんで告白すんの?」


「……好きに、なるから?」


 何だか言っていて恥ずかしいな、これ。


「惚れやすいのかー。でもさ、好きな人ってそんなホイホイ変わんないと思うんだよな。どんなに可愛い子がいても、そんなんに目が行かないくらいに気になる子っているじゃん? それが好きなんじゃねえかな? もしかしたら、お前はまだ本当の意味で人を好きになったことがないだけかもしれないぜ?」


 ポケットに手を入れて、机にもたれ掛かっていた鳴子は、そんなこっ恥ずかしいセリフを恥ずかしがること無く言ってみせた。


「そういう鳴子は、」


「巧でいいぜ。俺も名前で呼ぶから」


 距離の詰め方すごいな。こういうのが普通なのかな? あんまり人と関わってこなかったし、自分からはいかなかったから分かんないや。


「巧は、好きになったことはあんのか?」


「そりゃあないことはないよ。つっても、現在彼女募集中だけどな」


 ハッハッハっと、おかしそうに笑う。周りのことを気にしない、自由なやつだな。


「その点、お前の友達君はそういうの困んねえんじゃないのか?」


「どういう意味だ?」


「惚けんなよ、大河内だ。あんだけ女子に囲まれてたら彼女なんて選びたい放題だろ?」


 少し離れたところで、女子と談笑する千尋を見ながら、巧は言う。


「俺もそう思っていたが、彼女はいないらしいぞ」


「マジか……あ、あれか? 逆に俺に見合う女子がいねえ! みたいな?」


「さあ、それは俺にも分からん」


「何であんなモテ男君とお前みたいな非モテ男君が友達なわけ?」


「何の悪気もなく人の心にドリルぶち込んでんじゃねえよ事実なだけに反論出来ないし傷つくだけだろうが。俺と千尋はあれだ、幼なじみだ。小学校からの縁なんだよ」


「……ふぅん。それでも高校まで上手くやってるって凄いと思うけどな。腐れ縁でもウマが合わなかったら自然と疎遠になるだろ? 例え同じ学校でも」


「別にウマが合わないこともないんだろ」


 巧は本当に珍しいものを見る目で俺と千尋を順に見比べる。


「ま、別にいいけどよ。あ、そうだ」


 何かを思い出したように、というよりは何かを思いついたように声を漏らす。


「どっちが先に彼女ゲットできるか勝負しようぜ? 負けた方はまあ……飯でも奢りで」


「そういうモチベーションで彼女作りたくないんだけど」


 返事をした時、ガラガラと教室のドアが開かれた。担任の教師が入ってくる。


「まあ、頭の隅にでも入れとけよ。せっかく同じクラスになったんだ、仲良くしようぜ同志よ!」


 ビシっと親指を立てて俺に突き出しながら、巧は自分の机へと戻っていった。


 担任の教師は成瀬英里先生だった。男子からは人気の高い先生だ。何でかって? そんなもの言うまでもなく可愛いからだ。薄い茶色の髪は毛先にカールがかかっていて毎日髪の結び方を変えたりして女子力の高さを感じる。それにあまり化粧をしていないのに可愛いし、歳の割に童顔で年上感を覚えない。まあ、だから生徒からは気さくに話しかけることが出来るんだけど。


 俺の中の大幕高校ギャルゲーでは、先生枠の攻略キャラにしてもいいレベル。


 去年は担任ではなかったものの、英語の担当が成瀬先生だったので知っているのだ。


「えー、みなさん。ホームルームを始める前に転校生の紹介があります」


 先生がそう言った瞬間、クラスがざわつく。


 転校生が来るなんて噂は俺は聞いていない。しかし、考えてみれば俺の前の席が不自然に空席だったので、予想は出来た展開ではある。


「先生、女ですかー?」「英里ちゃん、イケメンー?」


 教室のいたるところから、そんな言葉が先生に飛んで行く。正直どっちでもいいので、さっさと話を進めてほしいものだ。そんなの聞かなくても見れば分かることだろう? まあウキウキする気持ちは分かるけどさ。


「こら、英里ちゃんって呼ばない! ちゃんと先生をつけなさい。ちなみに、転校生は女の子です。それじゃあ花咲さん、入ってきて」


 ハナサキ? ハナサキって花咲?


 ちらと千尋の方を確認すると、なんか知らんがにこりと笑っていた。同じことを考えているのだろうか? いやでも、花咲とか別に珍しい苗字でもないしな。


 そんなことを考えていると、教室のドアがガラッと開かれる。


 入ってきたのは、一人の女子生徒だ。茶色い髪は肩辺りまで伸びていて、毛先にはウェーブがかかっている。ぱちりと開いた目、すっと伸びた鼻にさくら色の唇。女子として出ているとこは出ていて、きちんと凹んでいる部分もある。申し分ないスタイルを持ったその女生徒は、先生に言われて黒板に名前を書く。


 俺の嫌な予感は、黒板に書かれたフルネームを見て確信へと変わった。


 嘘だろ、そんなバカな。


「初めまして、花咲菜乃花です。昔はこっちの方に住んでたんだけど、親の都合で転校してしまって、またこっちに戻ってきました。仲良くして下さい」


 ぺこりと頭を下げた花咲を見て、くすりと笑う声が聞こえた。誰かと確認すると、それは千尋の方からしたものだった。もちろん、そっちにみんなの意識が飛ぶ。


 それはつまり。


「あれー、千尋くんー? ええー、だいぶイケメンになっちゃってるじゃん!」


「やあ花咲さん、久しぶり」


 苦笑いをしながら、千尋は手をひらひらと振る。あいつがこっちに視線を送ってこないのは、せめてもの気遣いだろうか。そうすれば、確実に俺がバレる。


「なになに、大河内くん知り合いですか?」


「ええ、小学校の時の」


 成瀬先生に言われて、千尋は肩をすくめて答えた。


「心細くなくてよかったね。男の子達、可愛い子で良かったねー? 女の子も仲良くしてあげてねー! じゃあ、花咲さんもそこの席に座って」


「はーい」


 成瀬先生が指を指したのは、当然不自然な空席である俺の前の席だ。このままじゃバレると思い、俺は咄嗟に顔を伏せる。必殺、寝たフリだ。


 だが、その考えに至るまでが少しだけ遅かった。


 伏せようとした瞬間に、目が合ってしまう。


「あれ、天助……?」


 その呼びかけに、俺は返事をしなかった。


 いや、返事が出来なかった。どう接していいのか分からなかったのだ。


 花咲菜乃花。


 そいつは、俺の告白連敗記録に初めてバツ印をつけた女の名前だ。


 つまり、俺の初恋の相手である。

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