あの日と同じ陽の下で


 帰り道、最寄りの駅まで帰ってきた俺は、夜も遅くなったので家まで菜乃花を送ることにした。昔の家のままならば、俺の家からそこまで離れてもいないだろうけど。


「そういう紳士的なことも覚えたんだ」


「ゲームでな。女の子を送るのは、男のマナーなんだと」


「ふぅん。ゲームもたまにはいい仕事するんだね」


 自転車を押しながら進む。遅い時間なので、車も人もだいぶ少ない。カラカラと自転車のタイヤが回る音だけが耳に入ってくる。


 何か喋った方がいいのだろうか? 気まずいとかそういうのは思わないけど、菜乃花の方は感じてるかもしれんし。こういう時の対処法は、ゲームでは教えてくれていない。


 すると、菜乃花の方が口を開く。


「ねえ、もし天助が勝ってたら何を言ってきてたの?」


「なんだいきなり」


「いや、えらく真剣だったから。なんかえっちなお願い要求されるんじゃないかってヒヤヒヤしてたよ。胸触らせてとかさ」


「……もし、そう言っていたら?」


「拒否権はないから仕方なく触らせてたかな」


「え、嘘マジで!?」


 まじかよ、もっと頑張ってればよかった? くそう、そういうことはもっと早く言ってくれよ、何なら先に願いを言っておくスタイルにすればよかったか。そうして許可を得ていれば堂々と頑張れたというのに!


「ま、触った後どうなるかは分かんないけどねー」


 にっこり笑顔で、そういうこと言うなよ。怖いよ。


 俺ががっくりと肩を落とすと、菜乃花はおかしそうに笑った。


「なによ、そんなに触りたかった?」


「そんなことはない。ただこれだけは言っておく、女の体に興味のない男なんていない。男はみんなおっぱい大好きなんだ。これもゲームで言ってた」


「やっぱゲームって最悪だね。でも、そうか、二次元に犯された天助も普通の男の子なのか」


「……俺を何だと思っているんだお前は」


 街灯に照らされた道を歩く。人も車も今は全く通っていない。まるで、二人だけがこの世界に存在しているような錯覚を覚えるほどに静かな夜だった。上を見れば星が浮かんでいて、今日は雲もなくよく見える。都会ともいえないこの場所では、当たり前の景色だった。


「そうだ。で、結局何を言うつもりだったの?」


 ちっ、話逸れたから忘れたかと思ったけど、そう上手くはいかんか。さすがにそこまでバカじゃないですよね。


「別に言う必要なくない?」


「あそこまで真剣だったんだもん、気になるよね」


「俺は勝負事には真剣に取り組むタイプの人間なんだよ」


「ほら、早く言って」


「ちょっとは信じろよ!」


 言えといわれても言いたくないことだってある。


 さすがに、友達の女の子にエロいお願いをしようだなんて考えてはいなかった。


 そんなことよりも気になることがあった。


『何かさ、答えたくないような雰囲気してたからさ。話の切り替えに乗っただけ。だから、気になるなら自分で直接聞くしかないんじゃないか?』


 ふと、千尋の言葉が脳裏に蘇る。


 いやいや別に、菜乃花のこと今も好きとか、そういうのじゃないけども。でも、何というかですね、一応昔好きだった子に彼氏がいるかどうかっていうのはちょっと気になるところなわけで。決して好きとか、そういうのではない! 断言する! そう、これは一種の好奇心なんだよ。やっぱモテるだろうし、どういう男がタイプなのかとか、知りたい気持ちもあるじゃん? あの時、こういう感じだったら告白成功したのかなみたいなね。


 だから、つまりあれだ、いざ言うとなると言いづらいのだ。


「ほらぁ、早く言いなよ」


「……言ったところで、叶うこともないだろ?」


「いやいや、結構ご飯食べちゃったし、そのお礼に叶えてあげるかもしれないよ」


「マジか?」


「マジだよ」


 真剣な顔で問うと、真剣な顔で返事をされた。


 答えが返ってくるのなら、まあ聞いてみてもいいか。別に深い意味はないし!


「この前さ、千尋と三人に食堂行った時の話覚えてる?」


「んー、おぼろげに」


「ほら、そん時にさ、彼氏いるとかの話してたじゃん? そういや、その答え聞いてないなーみたいな?」


 視線をそらして、指をくるくる回しながら俺は言う。緊張してる感が我ながら凄い。


 すると、菜乃花はにんまりと笑って俺の顔を覗き込む。


「なになに、気になるの? あたしのそういう事情気になっちゃうの?」


「べ、別に気になるとかじゃないけど! ただ千尋と喋ってたのをふと思い出しただけだし? 勘違いしてんじゃないよ!」


 ああ、男のツンデレとか需要ねえよ。


 俺が動揺感マックスで答えると、菜乃花はぷぷっと吹き出した。


「そんなに気になるんだぁ……でも、そっか、そういえば昔天助はあたしのこと好きだったもんね?」


「ぶふっ……なにを、今更?」


 イタズラな笑みを浮かべて、おちょくるように俺を見る菜乃花から、俺は必死に視線を逸らす。


 なんだよ、こいつ覚えてたのかよ?


 なんでこのタイミングで言ったの? ほんとイミワカンナイ。


「だって告白してきたもんねー。あなたのことが好きです、僕と付き合ってくだしゃい! ってさ」


「噛んだところまで正確に記憶してんじゃねえよ!」


「何の変哲もない普通の告白だったね。それで噛むんだもんね、きっとよっぽど緊張してたんだなって今でも思うよ? 可愛いねえ」


「やめろ! これ以上イジってくるな! しかも、今それ関係なくない!?」


 静かな夜の道に、俺の声だけが響く。


 我慢していたのか、ついに菜乃花が笑い始めた。


「なんで笑うんだ! 言っとくけどな、振ったお前に俺を笑う権利とかないからな!?」


 告白が成功していたならば、笑われても仕方ない。今幸せならば許せる。


 でも、あの時俺を振ったこいつに、俺を笑う権利などあるはずがない。こんなことが許されるはずがない!


「え、あたし振ってないよ?」


 すると、そんなことを突然真顔になって言うのである。


 一瞬、時間が止まった。


 今、この人なんて言った? 聞き間違いでなければ、振ってないと、そう言ったように聞こえたのですけど。


 え、マジで?


「いや、え、なんて?」


「だから、振ってないよあたし。そもそも返事してないもん」


「えー、俺確かに聞いた……気がするんだけど」


「自信なくなってるじゃない。返事しようとしたら、天助がすごいあたしのこと避けるから、もう返事できなかったんだよ。そのままお別れだったし。なんかしたかなーってずっと考えてたんだから」


 記憶では、完全に振られていた。


 いや、避けていたのも事実だし、答えはきちんと返ってきたはずだ。でも、直接言われたのかと改めて思い出すと、そうとも言い切れない。


「そうだ、靴箱に手紙入ってて」


「入れてないよ。誰かがイタズラでやったんじゃないの?」


「マジで!?」


 俺の初恋、誰かのイタズラで幕を閉じたの? なにそれ悲しすぎない?


 俺がそこそこのショックを受けていると、菜乃花の家の近くまで到着したらしい。数歩前に出た菜乃花が「ここまででいいよ、もうそこだから」と言う。


 このまま帰っちゃダメだろ。


 俺の初恋の幕引きが、そんな形だったとするのなら、俺はきちんと答えを聞かないと。でないと、また夜も眠れない毎日が続く。


「ちょっと待って」


「ん?」


 なんて言おうか。


 そもそも、その答えを聞いてどうする?


 それは子供の時のことであって、今の菜乃花の気持ちではない。そんなことを聞いたところで、何の意味もない。そんなことは分かってる。


 これはただ、俺の自己満足なんだ。


「だったら、お前はあの時、なんて返事をするつもりだったんだ?」


 心臓が高鳴る。


 何度も告白し、振られ続けた俺だけれど、こんなにも緊張するのはいつ以来だろうか?


 いや、もしかしたら初めてかもしれない。今までとは比にならない何かが、俺の体を支配する。


「んー」


 考えるようにしているが、答えはもう分かっているはずなんだ。


 焦らすように、俺の様子を伺っている。そして、くすっと笑って、


「さて、どうだったかな。どうだったと思う?」


 誤魔化すのだった。


 違うんだ。俺が求めているのは、そんな答えじゃないんだ。そう思って一歩前に出ると、菜乃花が「でも」と言葉を続けた。


「今告白されても、きっとあたしはあの時と同じ答えを出すと思うよ?」


 それだけ言って、菜乃花は小走りで行ってしまった。


 俺はそれを追うことはせずに、姿が見えなくなるまで見つめていることしか出来なかった。


 暗くてはっきりは見えなかったけれど、はにかむように顔を赤くしてあんなことを言った花咲菜乃花は、やはり反則だった。


 俺は今も、あの時と同じように彼女のことが好きなのだろうか?


 その疑問に、答えはすぐに出てこなかった。

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