彼女との遭遇


 心に傷を負い、菜乃花に弱みを握られたという結果だけを残して、俺の買い出し(パシリ)は終了した。


 そして、学校に戻ってきた俺は、菜乃花を降ろして自転車を置きに行く。駐輪場に着いたところで、見知った顔と遭遇した。


「あれ、、月島か?」


「あ、葉月くん。こんばんわー」


「こんばん……ん? そうか、確かにこんばんはの時間帯か。何か学校内でその挨拶は新鮮というか、珍しいよな」


 一瞬こんにちはだろとツッコもうとしてしまったが、正しいのは月島の方だった。そうか、こんな時間まで仕事しちゃうとか俺ってばマジで社畜の鑑だな。ああー、帰りたい。


「そうだね、こういう機会じゃないと夜に会うこともないもんね。ところで、葉月くんはどこかの帰り? それとも今から出掛けるのかな? この時間にこんなとこにいるってことはきっとそうなんだろうけれど」


「まあそんなとこかな、クラスの奴らにパシ……買い出しを頼まれてさ」


「もうほぼほぼ言っちゃってるよねそれ」


「そういう月島は? そもそも自転車通学だったっけ?」


「ううん、違うよ。わたしは電車」


 そう言いながらも、ポケットから取り出したのは自転車の鍵だ。見せびらかすようにクルクルと指に引っ掛けて回している。


「いや、そう言いながらその鍵はなんなんだ?」


「借りたの。ちょっとコンビニまで用事があるって言ったら貸してくれた。でも、なんだ、葉月くんは帰りかぁ……行くところだったら一緒に行けたのにな」


 月島彩夜は何気なく、こういうことを言ってのける。いくら女の子に振られ続けたと言っても、いや振られ続けているからこそ、俺はその様子にドキッとする。


「ごめんな。クラスの奴らが待ってなかったら一緒に行ってもよかったけど」


「ううん、こっちこそごめん。無理なこと言ってるし」


 気さくで明るく、誰にでも優しい月島彩夜は、文句なしの学園のアイドルに相応しい。


 俺の勝手な妄想だけれど、男の人気者は千尋で女の人気者は月島なのだ。もし仮に、演劇をするとすれば、この二人が主人公とヒロインをすればさぞかし舞台が映えるだろう。


「あ、そうだ。そんなことより葉月くん」


「え、なに?」


 ぼーっと考え事をしていたので、突然切り替えるように声を出した月島に、驚きながらも俺は返事をする。


「明日の創立者祭当日のことなんだけどね、この前言ったじゃない? わたしステージで歌うことにしたって」


 そう話し始めた月島は、何というか、俺の様子を伺うように、それでもそんな様子を感じさせないように、無理に明るく話しているように見えた。いつもより、早口なのだ。


「ああ」


「あれね、わたし昼の部一番初めに決まったんだ。一二時くらいかな? 多分なんだけどね。だから、絶対見に来て欲しいなって、思って……」


 俯いたせいか、最後の方はごにょごにょと曇ったような声になっていた。それでも、その言葉はきちんと俺に届いた。俺の返事はもちろん、決まっている。


「もちろん、聴きにいくよ。月島の歌、すっげえ好きだしさ。みんなも絶対いいって言うと思うぞ?」


「そう、かな……だったらいいな」


 彼女は、男にとって実に理想的な女の子であるように思える。


 誰にでも気さくで優しい彼女だからこそ、俺は迷うところもある。今まで、何度も勘違いを繰り返し玉砕してきたからこそ、いい方向に考えれば考えるほど過去の過ちを思い出す。


 だから、出来るだけ意識せずに、自然なやり取りを心がける。そう思っている時点で、意識はしてしまっているのだろうけれど。


「おっと、そろそろ行かないと。葉月くんも呼び止めちゃってごめんね」


「あ、いや、だいじょうぶだよ。夜遅いし気をつけたほうがいいぞ? 変質者とか最近多いらしいし」


「うん、忠告ありがとう。じゃあ行くね」


 ばいばいと手を振って、月島は行ってしまう。


 自転車に鍵をかけて行こうとした時、背筋にぞっと悪寒が走った。幽霊とかそういう類のものではなく、純粋に何かに睨まれているような、そんな感覚。


 俺は慌てて振り返る。


「……なんだ、菜乃花か」


 よかった、変質者じゃなくて……。


 俺がそう言うと、菜乃花は不満気な表情を見せて唇を尖らせる。


「なんだとは何よ。あまりにも遅いから心配してきてあげたんですけど? じゃあ何よ、女の子と喋っちゃって。待ってるあたしの身にもなってほしいわ」


「女の子って、月島じゃないか」


「彩夜ちゃんは女の子でしょ何言ってんの? 彩夜ちゃんならいいや的なこと?」


「そんなこと言ってないじゃん……」


「もういいよ、行こ。委員長に天助が経費使って甘いもの買ってたってチクってやる」


「チクるとか言うな買ってないじゃないか俺は。嘘を言うなよ確実に俺が怒られるじゃん!」


 つかつかと歩き始めた菜乃花の後を駆け足で追う。


「ふんだ。じゃあ、後輩の女の子にお兄ちゃんと呼ばせて喜んでたってクラス中に言いふらしてやる」


「ちょっと真実混ぜるのもやめろ! 否定しづらくなるだろうが!」


 何で突然そんなことを言い出すんだ?


 弱みを握られたことが今日一番の失態である。このことは確実にこれからもイジられる。


 機嫌が悪くなった菜乃花の後ろについて行き、俺は教室まで戻った。機嫌を損ねた菜乃花は荷物を持たず、俺は両手にいっぱいの荷物を持って戻ることとなった。


「……天助の、ばかやろう」


「ああ、今なんか言ったか?」


「言ってないわよこの女ったらし!」


「それは千尋だろうが!」


「あーっ、そんなこと言うんだ! 千尋くんに言いつけてやる!」


 そう吐き捨てて、菜乃花は走って行ってしまった。


 もちろん、荷物を持った俺が、走った菜乃花に追いつけるはずもなく、俺は諦めて歩いていくことにした。そもそも、荷物がなくても全力の菜乃花にはきっと追いつけない。


 ……教室に入るのが、なんか怖いなあ。

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