飛鳥の思い


「……はぁ、はぁ……っは」


 気がつけば、俺は逃げ出していた。


 今まで、何度も何度も告白し、そして振られてきた。もちろん、誰かから告白されたことなんて過去に一度もありはしない。経験がないということは、そのことについて何も知らないということだ。


 告白する側の気持ちは痛いほど分かる。俺が今まで感じていたものが、本物の気持ちではなかったとしても、それでも気持ちを伝える側の気持ちは理解できる。


 だけど、告白される側の気持ちは、俺には全く分からない。


 今初めて、その気持ちを少しだけ理解した。


 息苦しいのは、走って逃げたからだけではないだろう。荒くなる息を抑えて、俺は天を仰ぐ。


「…………はぁ」


 俺が過去に告白してきた相手は皆、こんな思いをしたのだろうか? そこまで真剣に考えてくれてはいなかった気もする。その場で振られることがほとんどだったからだ。彼女らにとって、俺は教室の中の景色、モブの一人でしかなかったのだから。そんな奴の気持ちを考えようなど思いもしないだろう。


 月島彩夜の気持ちは伝わった。彼女の真剣さも、緊張も、不安も、込めた感情も、全てがあの言葉に詰まっていた。


 改めて知り合ったのは最近だった。それでも彼女は、俺にとって近い存在であることに変わりはない。だからこそ、その気持に嘘がないことも分かる。


 なのに。


 そんな彼女の勇気ある一歩に対して俺は、逃げたのだ。


 自分が弱虫であることなんて、とうの昔に自覚している。嫌なことには背を向けて、辛いことからは目を逸らし、厳しい現実から何度も逃げ出していた。そう、今のように、だ。


 それでも、いざというときは自分はやる奴なんだと思い込んでもいた。そうでもしないと、真っ直ぐ前を向けない気がしていたからだ。


 しかし、今改めて痛感する。自分がどれだけ弱いのかを。


 屋上には、春の少し冷たい風が吹いていた。


 昼間は温かいのに、太陽が雲に隠れると空気は一気に冷たくなる。


 屋上の入口の裏手に小さなハシゴがある。それを登ると、更に上へ行ける。そこはどこからも見えない、この学校の中で一番高い場所だ。そこにごろんと寝転がり、ゆっくりと流れる雲をぼーっと眺める。


 何かを考えることを止めたかった。


 いや、何かなんて言い方をすると、失礼だ。


 ほんとうは自分でも分かっているくせに。


 あの場所では今どうなっているだろうか? 騒動になっているか? 突然飛び出して、千尋には心配をかけただろうか? いや、あいつはきっと何でもない顔をして周りを収めて、教室に戻り自分の仕事をこなすのだろう。あいつはそういうことが、当たり前のように出来る人間だ。


 自分がいない場所のことを知ることは、誰かに聞く以外では出来ない。だから、あの教室で何が起こったのかは俺には分からない。


 月島はどんな思いをしただろう? 司会者の女生徒には迷惑をかけたか? 菜乃花は何を感じただろう? 残された人はどう思っただろうか? 他人の気持ちを知ることは出来ない。自分の気持ちも分からないのに、相手の気持ちなど分かるはずもない。


 いったいどれだけの間、そうしていたかは分からない。


「なにしてんの、あんた?」


 飛び起きたのは、視界の中に突然人が現れたからだ。呆れたように言ってくるその声に、俺は聞き覚えがあった。


「あ、赤坂……? どうして、こんなとこに?」


 眉をへの字に曲げて、俺を訝しむように睨む。


「こっちのセリフよ。ここは私の秘密の場所なのよ? 誰に断ってこの場所で寝そべっているのかしら」


「別にお前のものではないだろ」


「そもそもなに? 朝のうちに仕事を済ましたのは、ここでぼーっとしたかったからなの? それなら帰った方が有意義なんじゃない?」


「そういうわけじゃ、ないよ」


 言葉を濁して、俺は視線を背けた。その様子を見た赤坂は、じぃっと俺の顔を覗き込んできて首を傾げる。


「なんかあった? いや、なんかあったわね」


「決めつけんのかよ」


「前にも言ったでしょ。あんたと私はちょっと似てるとこがあるのよ。今のあんたは、悩んでた時の私と同じ顔をしている」


 こいつは何でも見透かすな。なんて、そんなことを言うつもりはない。きっと、ほんとうに似ているのだろう。だから分かるのだと思う。


 赤坂ならば、どういう答えを出すのだろうか?


「お前はさ、付き合ったことあんの?」


「は、はぁっ? な、なに言ってんのよそんなの関係な……な、ないわよ」


 顔を赤らめて、関係ないと豪語しようとした赤坂だったが、素直にそう答えた。さすが、空気を読むことには長けている委員長である。


「それが、なにか?」


「お前前にさ、恋愛の経験はあるとか言ってたじゃないか?」


「そうね、そんなことを言った記憶がないといえば嘘になるわ」


「素直にあると言ってくれ混乱する。でも今までに彼氏はいないということは、お前は恋をする側だったんだな」


「……ええ、そうよ。中学の時に、一度だけね」


「告白された奴の気持ちって、分かるか?」


「分からないわ」


「即答なのね……」


「ええ、即答よ。だって本当に分からないもの。勝手に想像して補完することは簡単だけれど、それが正解でないことは分かるわ。その人の気持ちなんて結局、その人にしか分からないもの。それが、どうかしたの?」


 ……どう話したものか。


 そう思ったけれど、あまり誤魔化したりしながら話を進めるのは得意ではないので、正直に言ってみようと思う。


 月島のクラスの催しに行ったこと、そこで告白されたこと、そしてそこから思わず逃げ出したこと。俺は全てを吐き出した。その間、赤坂は茶化すでもなく、適当に聞き流すでもなく、真剣に話を聞いてくれた。


 そして、話し終えると赤坂は一度小さくふぅと息を吐いた。


「なに青春っぽい悩みに直面してんのよあんたは。んで、何を言って欲しいのかしら?」


「……分からない」


 ほんと、何を言ってほしいんだろうな。


「答えが欲しいなら諦めなさい。それはあんたの問題であって、誰かに答えを貰うことなんて出来ないし、どこかに落ちていることもない。どこに答えがあるのかは、さすがに私でも分かるけれど」


 そういう赤坂に、俺は首を傾げた。すると、いつもの呆れたような溜め息をこぼした赤坂が、微かに笑う。


「あんたの、中よ。自分に尋ねて、自分で答えるしかない」


 やっぱり、そうなるんだよな。


 でも、心の中はぐちゃぐちゃになっていて、その中に埋まっている答えを見つけ出せない。


「そもそも、何であんたは逃げ出したのよ?」


「俺がチキンだから?」


「いや知らないわよ。よくよく考えてみなさいよ、あの有名な月島彩夜さんから告白されたのよ? 男子にとってそれ以上に嬉しいことってあるの?」


「そうだよな、普通は、あそこで喜んで返事をするよな。人前で話すのが嫌だったのかな?」


「バカなこと言わないの。本当に何から何まで言わないと分かんないの? それだけ嬉しいような出来事があったのに、そこから逃げ出した理由なんて、あんたの中にそれ以上の何かがあるからでしょ? それが何かは分からないけど」


 月島彩夜から告白されること以上に、俺にとって大事なこと?


 どうすれば、青春を謳歌出来るのか。その答えが分からずに、俺は足掻いた。彼女を作ろうと必死だった。


 だったら、それは嬉しい事じゃないのか?


 彼女が出来る、それもミスコン優勝のあの月島だ。きっと誰もが羨ましがるに違いない。不釣り合いだと僻まれるに違いない。そしてそれは正しくて、それでも彼女は俺のことを好きになってくれた。


 そんなことよりも、俺にとって大事なこと……。


「頑張りなさい、ホントは分かってるのよあんたも。その理由が何なのか。でもそれを認めるのが怖いだけ……それを認めることで、知ることで何かが変わってしまうかもしれないから。何かが終わってしまうかもしれないから。恐れていても前には進めないわ、怖くて足を前に出せない時、出来ることは頑張ることだけ。頑張って、前に進むしかないのよ」


 ほんとうは分かってる?


 俺がか……?


 月島のことは好きだ。人としても、女の子としても。告白されて嬉しい、それは嘘じゃない。でも、俺はあの場所から逃げ出した。


 逃げ出す直前、何を見た? 思い出せよ、分かってんだろ? 俺が見たくないものを、嫌いなものを、見てしまったじゃないか。


 もう、分かったろ。


 分かったさ。


 どうしてあの場所から逃げ出したのかを。


 俺にとって、それ以上に大事なことが何なのかも。


 俺が月島に返すべき言葉も。


 そして、俺がこれから何をするべきかも。


 全部、分かった。


「すっきりした?」


「ああ、自分でも驚くくらいにな。答えは、すげえシンプルだった」


「そ。なら良かったわ。私に出来るのはここまでみたいね。ここから先は、自分で考えて動くしかない。あんたに先越されるのは少し気に喰わないけれど、そもそも成功するのかも分からないけど、でも応援はしてあげるわ」


 そう言って、赤坂は立ち上がる。スカートをパンパンと叩いて、ハシゴのとこまで歩いて行く。降り始めて、俺から見えるのが顔の上部分だけになったところで、赤坂は動きを止めた。


「その道が正しいかなんて、それは過ぎてみないと分からないもんよね。先が見えないから怖いのよね。でもね、正しいかどうかなんて関係ないのよ、自分がそう思ったのなら、それを信じて前に進むしかないの。大事なのは、自分の心よ」


 そう言い残して、姿が見えなくなってしまう。


 最後の最後まで、赤坂は俺の背中を押してくれた。


 ありがとう、言いそびれたその言葉を飲み込んで、俺はもう一度空を見る。


 いい天気だ。太陽は雲に隠れていたが、徐々にその姿が見え始める。完全に姿を表した太陽は、まるで俺の心の中のようだった。


 もやもやした雲もなく、すっきりしている。


 いろんな人に迷惑をかけた。いろんな人に心配させた。いろんな人に背中を押して貰った。


 ならば、俺がするべきことは一つだ。俺に出来ることはたった一つだ。


 さあ、行こう。俺は最後に空を見上げて、どこかで見ているのかもしれない見えない相手に、思いを飛ばす。


「これが俺の答えだ、ラブコメの神様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る