君が笑む夕暮れ
日は沈み始め、朱い夕暮れの光が俺を照らしていた。
ここはまだ屋上である。一度校内を走り回り、そして俺はまたここに戻ってきた。誰かに見られる心配もなく、静かで、そして何よりも校内では一番天に近いからだ。俺の声を、俺の気持ちを届けるために、俺は今ここにいる。
祭りの終わりは、いつだって寂しいものだと聞く。
俺は学校行事に対しても、そこまで前のめりに楽しむことはなかったので、あまりそんな気持ちになったことはない。
でも今は何となくだけれど、その気持も分かる。それは恐らく、俺がこの創立者祭を楽しんでいたからだ。だから、終わることを惜しみ、寂しいと感じるのだろう。
校内はまだざわつきが残っている。祭りは終わり、来客は帰っていったが、俺達にはまだ後片付けという最後の仕事が残っている。しかし、誰ひとりとして、その作業を嫌がることなく自ら引き受けるかの如く働いている。余韻に浸るというやつだろうか? ちなみに俺はサボりである。許してくれ、赤坂。
「……大変そうだな」
校庭の方でも、小さな屋台を出していたクラスが友達とはしゃぎながら片付けをしていた。あれでさえも、彼らはいい思い出として記憶に刻むのだろう。最後に笑えていれば、それはきっといい思い出なのだ。
俺は、笑えているだろうか?
彼女がほしいという願望は、赤坂曰く学校生活を楽しみたいという悩みの果てに出した俺の答えなんだとか。そう言われた時、俺はそれを否定出来なかった。何故なら、それは恐らく正しいからだ。
その気持ちに嘘はなかった。でも、最近になって、その気持ちは少しだけ薄れていた。
彼女がいれば楽しい毎日になると思っていたけれど、彼女なんていなくても、俺の毎日は楽しいものになったからだ。だから、焦ることもなく日々を愉しめばいいと思っていた。
でも、そうはいかなかった。
チャンスというのは、常にリスクと共にある。まさしくその通りだ。
月島彩夜の告白で、俺は目が覚めた。このままでもいいなんていうのは言い訳なんだって。今までだってそうやって、理由をつけては背を向けていた。でもそれじゃダメなんだよな。
自分の気持ちに気づいていながらも、でも楽しい毎日が壊れるのが怖くて、だからこのままでいいんだって言い聞かせてきた。今まで何度も告白してきたけれど、こんなことを考えたのは初めてだ。
昨日千尋が言っていた言葉をふと思い出す。
『好きな人、できたんじゃないか? 少なくとも、今までの好きが本物では無かったことくらいは理解したかな?』
あの時はまだよく分かっていなかった。いや、分からないふりをしていた。でも、今ならお前の言っていたこと分かるよ。
多分、きっと、俺は初めて、本当の意味で人を好きになった。
それに気づいてしまったから、だからもう前に進むしかない。
もう逃げるわけにはいかないんだ。リスクを追ってでも、前に進むチャンスを掴め。
「……後片付けサボるとか、委員長に怒られるよ?」
いつも通りにしているようで、その言葉の節々からは不安と緊張を感じる。
だから、俺は自分の感じているそんな感情を出さないように、慎重に向かう。とりあえず手始めに、俺は声の聞こえた方を振り返る。
だれが来たのかは確認するまでもない。俺が呼び出したんだから、そいつ以外が来るはずがないのだ。もし来たらそいつ多分俺のファン。
「で、なんの用? ここにいると、あたしまでサボり魔扱いされるんだけど?」
いつもより少し素っ気ないと感じるのは、俺の気のせいだろうか?
花咲菜乃花は、毛先を指で弄りながら居心地悪そうに地面を見つめていた。
「いや、ちょっと話があってさ」
「あたしは別に、話すことなんてないよ……」
「俺があるんだよ、聞いてくれ」
ふざけた調子ではなく、真剣な声色で言葉をぶつけると、菜乃花は弄っていた指をぴたりと止めて、ちらとこちらを一瞥する。その後、再び別の場所に視線を移した。
「ていうかさ、あんた彩夜ちゃんに告白されてたじゃん。今さらあたしに話すことなんてないんじゃないの? そもそも、あそこから逃げ出して、あたしよりも先に会う人いると思うんですけど?」
「月島には、さっき会ってきた。きちんと自分の気持ちを伝えてきたよ」
実は、ここに来る前に、月島と一度会ってきた。もちろん、あの告白の返事をするためだ。あの告白を蔑ろにした俺に、前に進む資格なんてないだろうから。
「そう、なんだ……じゃあ、なに?」
不安そうに見上げた濡れた瞳は、少し揺れていた。
いつもとは違う調子の菜乃花に、俺は少し動揺しながらも、自分もいつもとは違うんだということを思い出す。じゃあ、似たようなものだ。
「あの場所から逃げ出したことは、月島には悪いことをしてしまったと思ってる。怖かったんだ、何かが壊れるのが」
「でも、会ってきたんだよね?」
「ああ。逃げた先で、ある人が俺にアドバイスしてくれた。俺と似たような場所にいて、同じように悩んでいる人だ。そいつが教えてくれたんだ、大事なことを。だから、もう逃げるのは止めた。いろんなことと、ちゃんと向き合うようにした」
あの時の俺は恐れていたんだ。
月島に告白されたことで、何かが壊れることを。いや、もっと正確に言えば、あの告白に返事をすることで、だな。
「考えてみれば簡単なことだった。告白されて、それに返事をすることで壊れるもの……それが何なのか。それが分かれば、自分の気持ちもはっきりしたんだ」
「彩夜ちゃんに、なんて返事……したの?」
菜乃花の言葉の節々に、緊張が伴っている。俺はその言葉に、きちんと向き合わなければいけない。それが、俺の第一歩なのだから。
「あの告白は嬉しかった。俺は今までしてきてばっかで、されたことなんてなかったから。だから戸惑ったし、悩んだ。でも、それを伝えた上で、ちゃんと断ってきた。俺は月島とは付き合えない」
そう言うと、菜乃花は目を見開く。
そりゃそうだ、月島彩夜といえば学園のアイドルだ。そんな最強無敵のヒロインに告白されて振るような男がこの世界の存在するだろうか?
いたのだ、ここに。無謀な主人公気取りのバカが。
「彩夜ちゃん、あんなに可愛くていい子で、あんな子取り合いでしょ? それを振るって、あんたバカなの?」
「ああ、バカだよ。ただのギャルゲーバカだ。でもな、周りは無駄だって思うかもしれないそんなゲームにだって、俺に与えてくれたものはあったんだ。あいつらはさ、好きになった人以外とはエンディングを迎えない。スペックとかキャラとか、立場とか関係とか、そんなものでは敵わない大事なものを持ってたんだよ。どれだけの誘惑があっても、アピールがあっても、衝撃的な告白をされても、それでもあいつらは、好きな人としか付き合わない。だから、俺も自分の気持ちに正直になったまでだ」
好きになってしまえば、もうそいつ以外とのエンディングはないのだ。
ずっとなりたかった、憧れていた主人公に、俺は一歩だけでも近づけたかな? 足元にも及ばなくても、少しだけでも認めてくれればいいな。
「じゃ、じゃあ……彩夜ちゃん以外に、好きな人いるって、こと?」
「そうだ」
短く答えて、俺は真っ直ぐに菜乃花の目を見つめる。まるで磁石が引き付け合うように、菜乃花も俺の瞳の中を覗く。二人とも目を逸らさない。逸らせない。
「言われたんだ、運命の相手を見つけるのに、データとか相手の好感度とかそんなのは関係ないって。大事なのは、ただ自分の気持ちだって。その通りだ、何かで、恋愛は惚れたら負けだって言っていたけど、その通りだな。俺は今まで負けっぱなしだったよ」
唇が乾く。
声が震える。
手足がしびれる。
頭が急に真っ白になる。
自分がもう、何を言っているのかも、分からなくなる。
「リアルはクソゲーだ。セーブもロードもない、やり直しも出来ない。他の奴らとはスペックも不平等だ。でも言われた、それが人生なんだって。限られた時間の中で人は前に進むしかないんだって。だから俺は、精一杯足掻いて苦しんで、悩んで、やっと見つけたんだ。その先にある答えに」
きゅっと、菜乃花は胸の前に手を持ってきて結ぶ。その手が、少しだけ震えているのが分かった。
待っているのだろうか? その一言を。それは俺の驕りだろうか? 今まで何度も繰り返してきた勘違い。最後くらい、俺の背中を押してくれよ。
「俺が好きなのは、菜乃花、お前なんだ」
その言葉を発するのに、その気持ちに気づくのに、いったいどれだけの苦労と時間を費やしただろうか。それでも、俺は今、ようやくスタートラインから前に進んだのだ。
これが俺の答えだ。
本物のヒロイン、運命の相手、それが菜乃花かどうか、そんなもの分からない。
でも、菜乃花がそうであったらいいと、俺は心の底から思っている。だから、このエンディングを選んだのだ。たとえこの先にあるのが、絶望だとしても後悔はない。
「……ぇ」
小さく呟いた菜乃花の声は、言葉にはなっていなかった。
驚きだけが、その表情からは汲み取れる。
「昔俺が告白をした。その返事を聞こうとしたけど、考えてみればそんなのはもうどうだっていいんだ。俺が聞きたいのは、今のお前の答えだ。菜乃花、お前は、俺の初めてのヒロインで、そして最後のヒロインだ」
これが記念すべき三〇連敗目になったとしても、後悔はない……こともないな、やっぱ。それは一生独り身決定を意味するもんなー。そうなったら、俺一生引きこもってギャルゲー三昧の日々を送ってやる。
驚きの表情は、徐々に不安げな表情へと切り替わっていく。悩んでいるのだろうか、だとしたら嬉しいものだ。
今までの相手は、悩むこともせずに即答で振ってきたからだ。あんなことされたらもう俺のメンタル保たねえよ。
「天助、」
名前を呼ばれて、俺は菜乃花の方を向く。
真っ直ぐに。あいつはこれから、答えを出す。
それがどんなものであったとしても、俺にはそれを受け止める義務がある。
心の準備は出来た。さあ、来い。
「……あたしは、あたしの気持ちは――」
その時、ごうっと強い風が吹いた。
いい思い出になるかどうか? それは最後に笑っているかどうかだと言った。でも俺は今自信を持って言える。菜乃花の答えがどうであろうと、最後に泣いていようと、それでも俺は今日という一日をいい思い出として記憶に残すだろう。
俺が最後に見たのは、夕日に照らされた朱色の笑顔だった。
ラブコメの神様よ、これが俺のラブコメ譚のエンディングだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます