風波ななみ
つまり、そういうことで俺は今駆け足で学校に向かっていた。
電車で最寄りの駅まで向かい、そこから学校に向かう。電車に乗って来たのでそこまでギリギリの時間というわけでもないので、早まっていた足は徐々に通常のスピードに戻っていく。
「……ふう、これなら間に合いそうだな……ん?」
一息ついたその時だった。くるっとはねた脳天の髪がぴょこぴょこと揺れているのが視界に入ってきた。右を左をきょろきょろと見渡している。迷子になった子供が親を探しているような、そんな様子であった。
うん、というか。あれ迷子だな。何よりもその不安げな表情がそれを物語っている。このシチュエーション、あの行動に加えてあの表情で迷子でないのならば、俺はもう人というものが分からない。
「……んー、どうしたものか」
問題は、俺は声をかけるべきか否かという話。その上で俺が一番気になっているのは、その子が着ている服が、俺の通う大幕高校の女子用制服であるブレザーなところ。キャメルカラーに水色のチェックスカート、襟のところにあるリボンの色が青色なところを見ると、どうやら一年生……つまり、新入生のようだ。
薄いくるみ色の長い髪をおおげさに揺らしながら、手に持った紙と道を交互に見ている。あれは恐らく地図か何かだろう。学校行くのに地図いんの?
ただ一つ言えること、それは彼女が確実に困っているということだ。高校生には見えないくらいちっさいので、話しかけたら勘違いされそうだが熱心に説明すれば理解してくれるだろう。
よし、ここで悩んでても時間の無駄だ、いけ天助。
「大丈夫? 何か困っているように見えたけど」
極力爽やかに、警戒されないように笑顔で、俺はその少女に声をかける。
だが。
「ひゃう!? ななななななに、なん、なんですか?」
スススと、凄い勢いで俺から距離を取ったその少女は、動揺を全く隠すこと無くさらけ出しながら声を出す。
「あ、ごめん……そんなに驚くとは思わなかった」
「……なんで、声を……?」
怪訝な表情を向けられて、俺はこめかみに手を置く。ばっちり警戒心向けられてね?
「いや、だから、困っていたように見えたから」
俺はそれでも、出来るだけ警戒されないように優しい声色を崩さないようにする。
すると、その少女はカバンの中から手帳を取り出してペラペラとページを捲る。そこに何が書いてあるというのだろうか?
しかしあれだな、改めて見ても高校生には見えないな。自分と同じ高校の制服でなければ確実に中学生だと思っていた。社会の黒い部分なんて何も知らないような純粋無垢な瞳は、今も手帳に向けられている。
「困っているから、声をかけてきた……えーっと」
何をぶつぶつ言っているのか、俺にはさっぱり分からないな。まるで辞書でも引いているようだ。
「あ、あの!」
俺がその様子をぼーっと見ていると、その少女が不意に声を上げる。
「なに?」
一瞬ビクッとしたが、それでも俺は平然を装って返事をする。
「困っているようだからという理由で声をかけてきた人は、ろりこんという危険な生き物だと聞いています。あなたはろりこんですか?」
「ロリコンじゃねえよ。そもそもそんな歳離れてないだろ」
「違うんですか!? え、えとじゃあ、なんで声を……?」
「だから困っているように見えたからだけど!?」
「えっ、てことは……ろり」
「ロリコンじゃねえ!」
「お、大きな声で、怒らないでください……ごめん、なさい」
思わず大きな声を出すと、その少女は体を縮こませて涙目で俺に謝ってくる。ここだけ見たら俺が泣かせたみたいじゃないか。まあ、俺が泣かせたんだけど。
「一年生だろ? 俺はキミと同じ学校の二年生だ。後輩が困ってるなら声をかけるのは当然だろう?」
「分かんないですけど。そういうものですか?」
「そういうものなんだよ。で、何か困ってたのか?」
俺がそう言うと、その少女はじーっと俺を睨む。危険がないか確認でもしているのだろうか、犬かこいつは。
「実はですね、学校への行き方が分からないのです。地図を書いてもらったのですけど」
そう言って俺に手に持っていた地図を渡してくる。うん、これは分かんねえわ。小学生に渡す地図か、近くの八百屋までの道のりかよ。適当すぎる地図に俺は溜め息を
漏らす。
「俺も今から学校行くし、一緒に行くか?」
「え、いいんですか?」
「まあ、声かけたし、それくらいで解決するならいいだろ」
「天使のようです! お名前を聞いてもいいですか?」
さっきまでの警戒心はどこへ行ったのかわからないが、打って変わってキラキラと敬愛にも似た眼差しを向けられる。やっぱ犬みたいだ。
「葉月天助だ、二年だからキミの一つ上の学年だな」
「ということは、先輩ですね! ななみは風波ななみと申します。よろしくです先輩!」
しっぽが生えていれば、ブンブンと振っていそうなくらいにご機嫌な様子。なかなか可愛い子じゃないか。
「先輩かぁ。ななみ、誰かを先輩って呼んだことないんです。先輩って呼んで大丈夫ですか?」
くりっとした目が、俺に向けられる。さっきと同じ目のはずなのに、受ける印象はこうも違うのか。しかし、先輩か……いいな!
「ああ、俺も後輩と関わることとかなかったから先輩とか呼ばれたことないし、先輩と呼んでくれるといいよ。それはともかく、とりあえず歩き始めようか、喋ってたから時間がまた危ないや」
「はい!」
少し早足で歩き始めると、その数歩後ろをてこてこと必死についてくる。歩幅が違うからスピードも変わってくるのか。
「でも風波さん」
俺が後ろを振り向いて声をかけると、風波さんはびくっとしてから体の動きを止める。
「ななみでいいです。先輩にさん付けされるとか何か変な感じしますし」
「いや、でも女の子呼び捨てとかハードル高くない? 俺そういうの妹にしかしてないんだけど」
「年下だし、そんなに気にしなくていいんじゃないんですか? ななみのことを妹と思ってくれても何の問題もありませんけど」
問題ありまくりだろ。警戒心なくなるとぐいぐいくるなこの子。懐いた人にはとことん甘えるわんこの姿を重ねてしまう。
「んじゃあ、ななみと呼ぶようにする」
「妹にしてくれるんですか?」
「それは無理だろ」
言い切ると、ななみはむうっと膨れたがそれは仕方ないだろう。年上に何か憧れでも持っているのだろうか? さっきの先輩といい、反応がそんな感じだ。
「それで、なにかななみにあったのでは?」
「え、ああそうだ。学校の場所は覚えてないのか? 受験の時とか説明会の時に行ってるはずだろ?」
「その時は車で送ってもらったんです。実際に一人で歩いて行くのは今日が初めてです。まあ先輩に連れて行ってもらっているので、一人で行くのはまた先になりました
けど」
えへへ、と笑うが全然笑えた話ではないように思える。しかし、車で送り迎えとは、まるでお嬢様だな。いや、受験とかくらいならそういうこともあるのか。俺もそうだったような気もするし。
「下見というか、練習で何度か行っとくべきだったな。ぶっつけ本番でたどり着けるとは限らないし。というか、現にたどり着けてなかったしさ。春休みとかに行ってなかったのか?」
「当然です! 春休みは大忙しだったので!」
自信満々にそう言ったななみは、ぎゅっと拳に力を込めた。いったい何をしていたのだろうか?
「かく言う先輩は春休みはなにをしていたんですか? やっぱり高校生の春休みというのは遊びまくりなんですか?」
「いや、そうでもないぞ。そういう幻想を抱いているならば今のうちに消しておくことだ。何なら俺がぶち殺してもいい。宿題とかあるし、実際そんなに時間はない」
「宿題といえば! 友達の家で一緒にしたり?」
「いいや、そんなこともないんだ。皆自分のことでいっぱいいっぱいだからな。誰か
と一緒に宿題をしている余裕なんてない」
「でも毎日宿題ということはないですよね? 遊びに行ったりしてないんですか?」
「行かないな、俺は出掛けていない。ずっと家にいたんだ」
「ずっと家にいてつまらなくないんですか?」
「それはキミの偏見だよ。家の中が必ずしもつまらないとは限らない。そりゃそう思う人だっているだろうけど、逆に言えばそう思わない人だって中には存在する。俺はその中の一人なんだ」
「ななみも家にいることが多いですけど、あまり楽しくないです。先輩は何をして楽しく過ごしているんですか?」
「聞きたいか?」
前を向いて歩きながらの会話だったが、その質問に対して俺は、隣を歩くななみの方に視線を移す。それにななみはこくりと頷く。
「ほんっとうに、聞きたいんだな?」
「は、はい!」
そこまでの覚悟があるのならば、言ってやろう。どういう反応をするのか楽しみだぜ。
「主に、アニメとゲームだ」
「アニメと、ゲームですか?」
「そうだ、この世には数多くのアニメゲーム漫画、いわゆるオタクカルチャーが存在する。その上その数は増える一方とどまるところを知らない。つまりだ、こうして普通に生活している間にもその数は増え続けているんだ。その全てを確認することは難しいだろう。数を絞って見ても時間はいくらあっても足りない。ぶっちゃけ春休み全てを費やしてもまだ足りなかったくらいだ」
……。
しまった。ちょっと熱くなってしまって自分を見失っていた。冷静になった俺は、片目を恐る恐る開いてななみの様子を確認する。
「……なんでそんな顔?」
俺は思わずそんな言葉を漏らす。
普通なら引くだろう。現に、今までこういうことを言った結果、ほぼほぼの奴らが引いていた。そして俺と距離を置く。それでも別に構わないと過ごしていた結果、友達はごく僅かしか出来なかった。
そんなことはどうでもいい。普通ならドン引きしてもいいところ、ななみはさっきまでと同じようにキラキラと俺に向けて星を飛ばしていたのだ。
「いえ、自分の好きなことをそこまで語れるなんてすごいなと思ったんです!」
「普通引くとこじゃないここ?」
「そんなことないです! ななみもアニメ好きですし!」
「何観るの?」
「『ふたりはキュアキュア』です!」
わーお、女の子だなー。俺が観てるアニメ観せたらどんな反応するんだろうか、それはそれで気になるな。
「女の子が変身して戦うのカッコいいんですよねー。ななみもあんなのしてみたいですー」
「そっか。他にも面白いのいっぱいあるんだよ」
「また教えてください! 戦うのが好きなんです!」
ぐっと身を乗り出して、ななみは俺に顔を近づける。
「珍しいね、女の子は恋愛ものとかが好きなんじゃないの?」
「好きですよ? でも、悪と戦うやつも好きなんです! こうやって、こうやって!」
ぶん! ぶん! と拳を突き出してシャドーボクシングもどきを始めだしたので、俺はななみの背中を押して歩き始める。
「さっ、遅刻してしまうから急ごうかー」
「もうそんな時間ですか?」
首だけをこちらに向けて、ななみはそんな間抜けな質問をぶつけてくる。
「そうだ、何なら出会った辺りからもうそんな時間だった」
「それは急がないといけませんね!」
「じゃあちょっとは急ぐ感じ見せたら!?」
この会話の間も、俺はずっと背中を押している。そろそろ自分で歩いて欲しいものだ。
そうこうしながら、何とか時間までに学校に到着した。靴箱も別々なので、昇降口に入るところで別れることになる。
「先輩、ありがとうございました! おかげで何とか学校まで辿りつけました!」
「ああ、うん。遅れるから急いだほうがいいぞ」
ぺこりと頭を下げるななみの肩をぽんと叩く。俺がそう言うと、下げていた頭を勢い良く上げる。おかげで反応出来なかった俺の顎と思い切りぶつかった。
「……ったい」
「わわわわわ、ご、ごめんなさい!」
顎を抑えてしゃがみ込んだ俺の横に同じようにしゃがんだななみが、おろおろしながら俺の顎を触る。
「大丈夫ですか? 痛かったですよね……」
「い、いやまあ、びっくりしたけど……大丈夫だって。女の子の頭って柔らかいっぽいし」
適当なことを言っているなというのは自分でも分かった。涙目で言う俺を見れば、それが嘘であることは分かるのだが、誤魔化せただろうか?
「わたし石頭なんで、痛かったと思います!」
そっかー、どうりで痛かったわけだ。もう一瞬何が起こったか分かんなかったもん。気づいたら顎に痛みがあったのだ。
申し訳無さそうに俺の顎を触るななみを離して、俺は立ち上がる。
「大丈夫だから、教室に行きな。本当に遅刻しちまうよ」
「でも……」
何かを言おうとしたが、時間がないことも分かっているのだろう、それを飲み込んでもう一度だけ俺に向き直る。
「このお礼は絶対にしますので!」
それだけ言うと、ななみは走って行ってしまう。廊下は走ってはいけないと習わなかったのかな? あれだけの全力ダッシュ生徒指導の先生に見つかったら怒られるぞ。
「……俺も行かないと」
疲労のせいで重たくなった体を引きずって、俺は教室に向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます