月島彩夜


 俺達が通う大幕高校から少し歩いたところに大きな公園がある。青葉池公園といって、そこそこの大きさを持つここら辺では有名な場所だ。


「こんな公園あるんだねー。ていうか、この歳で公園に来るとは思わなんだよ」


「まあ、公園って言うほど公園感はないけどな」


 公園と聞いてイメージするのは、小さくてブランコや滑り台などの遊具が少し置いてあるような場所である。それはあくまで俺個人の意見だけど。でもここはまず大きいし、遊具はもちろんアスレチック並みの規模のものまである。池もあるので釣りに来る人だっているし、ジョギングなんかにも持って来いだ。


「で、なんでここに?」


「お腹空いたんだろ?」


「うん」


「でも帰ったら昼ごはん作ってくれてるし、そもそもそこまでお金がないんだろ?」


「いえす」


「だからここに来たんだ」


 俺の言葉に短く答えていた花咲は、ここで首を傾げる。自分で言ってて何だけど、首を傾げられてもおかしくない言い方はしたけどさ。


「もしかして、草食べるみたいな?」


「いくらお金がなかろうと、華の女子高生に雑草は食わせられねえよ」


「野菜を栽培してるとか?」


「そんなこともない」


「じゃあ、どうして公園に?」


「ここは大幕生の寄り道スポットランキング上位にランクインする場所なんだけどな」


「なにそのランキング」


「それに、いろんな目的の人も集まるわけだ。そんな人達をターゲットにした屋台があることが多いんだ」


 しかも、そこら辺の店に入るよりも安く手軽に食べれる上に、味もしっかりしているから好んで食べに来る人が多いんだとか。でも何故か、屋台は一日に一台だけなんだよな、そういうルールでもあるのだろうか? その日になんの屋台があるのかは行くまで分からないので、あまり食べたいものを固定していくと痛い目を見ることは大幕生の中では有名な話だ。


「へぇ、そんなのあるんだ。前の学校ではそういうの無かったから新鮮だな」


 そう呟いて関心する花咲を見ていると、一瞬の沈黙が起こった。


 その時、微かに声が聞こえた。


 誰かが助けを求めているとか、俺の名前を呼んでいるとか、誰かが激闘を繰り広げているとか、そういうものではなく、もっと優しくて温かいもの。そういうのとは無縁のような、日常的な温もりの声だ。


「どしたの?」


「いや、ちょっと声が……」


 俺がそういうと、花咲は少し呆れたように目を細める。そういう反応されるようなこと言ったかな俺?


「そういうのって、中二病って言うんだよね? 昔からそういうの好きだったのはしってるけど、高校生にもなってまだそれってどうなの?」


「そんなんじゃねえよ。誰も妖精の声が聞こえるとか言ってねえだろ。違うよ、誰かの声が聞こえた、今も耳澄ましたら……これ、歌か?」


「んん?」


 怪訝な声を漏らしながら、花咲も耳を澄ませる。手を耳のところまで持っていき、集中するように目を閉じた。そこまで真剣に対応されても何だか申し訳ないんだけど

な。


「あ、ほんとだ。ちょっとだけど聞こえた」


 少し気になったので、二人で向かうことにする。頼りなのは、その微かに聞こえる歌声だけだ。


 花咲は俺よりも耳が良いのか、いつの間にか先導されていた。それについていくと、茂みの方に入っていく。ここはもう完全に人が通る道ではない、それだけは確か

だ。


「なあ、こっちであってんのか? 明らかに人が通る道じゃないぞ?」


「んー、分かんないけど、でも声はこっちから聞こえるし」


 カサカサと草を掻き分けて前に進む。すると、少しだけど光が見えた。どうやらこの茂みもどこかに抜けることが出来るらしい。


「やったー、抜けたー」


「おい、急に止まん……」


 勢い良く茂みから出た反動で、目の前で突然止まった花咲にぶつかる。そのまま、二人して前に倒れ込んだ。


「ちょ、っと」


「ご、ごめん……」


 急に止まるそっちが悪いのに、何故かこっちが謝ってしまった。


 でも、状況的に俺が花咲を押し倒しているようになっているので、何だか俺の方が悪いみたいだ。このシチュエーション、ギャルゲーなら胸に手がいってるんだろうな。良かったような悲しいような。


「は、早くどいてよ……」


「え、あ、おう」


 言われて、我に返る。そんなことを考えてる場合ではなかった。頬を朱色に染めて、目を逸らす花咲の顔が至近距離にある。ダメだこれ十分ギャルゲシチュだ。


 俺は慌てて身を起こして体を離す。ようやく立ち上がった花咲も、体についた草なんかを手で払う。俺も同じように払いながら、何を言おうかと考える。


 少しの間、気まずい沈黙が訪れた。それを破ったのが、俺でも花咲でもない第三者だったのだ。


「あ、あのぅ、そういう展開は人のいないところでやったほうがいいのでは?」


 困ったように、その女の子は精一杯冗談めかしてそう言った。


 黒髪を右の上の部分で纏めて垂らすサイドテール。柔らかそうな白い肌のせいか、ピンク色の唇が目立つ、少し細めのボディラインを花咲が着ているのと同じ制服が隠す。


 俺は、この人を知っている。


 というか、大幕生なら大体の人は知っているだろう。去年、一年生にしてミス大幕の優勝を勝ち取った学園のアイドル。


「月島、彩夜……?」






 月島彩夜と言えば、何度も何度も繰り返して言うように、大幕高校ではある種の有名人である。その可愛さでミスコンの栄光を勝ち取り、その名を校内に轟かせた。当然、男子はそんな月島彩夜を放ってはおかない。


 男子に人気の可愛い女の子となれば、漫画なんかでは女子からのイジメの標的となるのがパターンだが、そういうことも起こらないのは彼女の人間性のおかげなのだろうか。


 まあ、俺は全然関わったことないんだけどさ。ほんと、風の噂で知ってる程度。


 そんな月島彩夜が、どうして一人でこんなところにいるのでしょうか?


「あ、ごめんね、見ちゃいけない場面だったかな?」


 落ち着いた俺達に、月島は軽口にそう言った。


「いや、全然そんなことないけど」


「さっきの歌声はあなたのよね?」


 実際有名人を前にすると、人間何を話していいか分からなくなるように、俺も思ってたより可愛いこの子に言葉を詰まらせていた。すると、横にいた花咲が唐突にそんなことを言う。


「……歌声?」


「うん、すごい綺麗な声だった。間違いないよ」


「あはは、そんな遠くまで聴こえてたのかな? もしかして、二人は声を辿ってき

た……みたいな?」


 最初誤魔化そうとトボけた月島だったが、花咲の真っ直ぐな目に負けたのか、潔く自分だと認めた。


「そうだよ、何か気になっちゃって。あ、ごめん、あたし今日から転校して花咲菜乃花っていうんだ。よろしくね」


「あ、どうもご丁寧に。わたしは月島彩夜です、こちらこそよろしく」


 二人共が、丁寧に頭を下げて自己紹介を済ます。俺は一応知ってるし別にいいかなと思ったけれど、よくよく考えたらあっちは俺のこと知らないか。


「あ、俺は」


「知ってるよ、しがないギャルゲープレイヤーさんでしょ?」


「はえ?」


 予想の斜め上の言葉に、俺は間抜けな声を漏らす。その横で、花咲がぷっと笑う。


「なんて、冗談。確か、葉月天助くん」


「……なんで」


 知ってるの? もしかして、俺って有名人なのかな? だとしたら喜ぶべきだな、あの月島彩夜に覚えてもらってるなんて自慢しまくれる! でもそういや、名前だけなら他の奴らも知ってたな、嫌な噂のおかげで……まあ、事実なんだけど。


「さあ、なんででしょうね」


 ぎゅるるるるるるる。


 おかしそうに笑う月島の声は、鳴り響くお腹の音と重なった。


「おい花咲、お前また」


「ちょっと、なんで第一にあたしを疑うわけ?」


「前科ありだろ?」


「いや、確かにさっきは弁解のしようがないくらいにあたしで間違いなかったけど、

今回はそうとは限らないでしょ!? ていうか、あたしじゃないし!」


「じゃあ何か、お前じゃないってことは……」


 そう言いながら、俺は月島の方を見る。


 学園のアイドルと言っても過言ではないあの月島がお腹を鳴らすとかそんなことあるはずが――


「……ごめんなさい」


「マジで!?」


「あんたはとりあえずあたしに謝れよう」


 見てはいけない一面を目撃してしまったような気もしたが、考えてみれば学園のアイドルなんて周りが勝手につけたんだから、本人には関係ないことだよな。なのに、その勝手なイメージを押し付けるなんてことはするもんじゃないよな。


「えっと、俺達今から屋台で軽く何か食べようとしてたんだけど、一緒にどう?」


 なんつって。


「そうだよ、行こうよ!」


「でもわたし、お金が……」


「大丈夫、今日は天助の奢りだから」


「いつ俺の奢りって話になった!?」


 俺のも含めてきっちり三人分支払った俺達は、ベンチに座ってクレープを咀嚼する。


 今日の屋台はクレープだった。寄り道の買い食いには持って来いの間食だった。


「なんで俺が奢らにゃならんのだ?」


 改めて、俺はもう何度目になるか分からない自問自答を口にする。


「あ、あのやっぱりご迷惑だったんじゃ……」


「いや、月島はいいよ別に。ただ、花咲の方は納得いかん」


「はな……いいじゃない、同じ女の子なんだから、差別しない! それにあれよ、転

校祝いよ。クレープ一つで満足してもらえるんだから、安いものでしょ」


「上からなのがやっぱり納得出来ない……美味い」


 しかし、クレープは美味かった。


 奢りに関してのやり取りはもう興味がなくなったのか、花咲と月島は二人でクレープの食べさせ合いを始めていた。「そっちのクレープも美味そうだな」「じゃ、じゃ

あ……一口どうぞ。はい、あーん」はギャルゲーでも鉄板のシチュエーションだが、それは男子と女子でだろ? 女子同士とかどこの百合アニメだよ。なにゆりだよ? さすがに俺はその輪の中には入れないので、一人で黙々と自分のクレープを食べる。


「天助も混ざりたい?」


「いやいいよ、さすがに俺にはハードルが高いわそのシチュ」


「ハードル? シチュ? ……別にいいのに。何遠慮してんだか」


 そんな調子で穏やかな昼の時間は過ぎていく。クレープを食べ終わる頃には、時計もずいぶんと進んでいた。そろそろ帰ろうかと、俺は立ち上がる。


「そろそろ行きましょうか」


「そうね、わたしもバイトあるし」


「彩夜ちゃん、バイトしてるの?」


 いつの間に名前で呼ぶ仲になったんだ? その距離の詰め方に便乗して俺も名前で呼んでもいいかな? やっぱり殺されるよね、でもこんな可愛い子に殺されるのなら男の本望じゃね?


「うん、まあ……あんまりお金がないから」


「そっか。お金入ったらまた何か食べに行こうね」


 そんな調子で、公園を出るために歩き始める。


「歌、好きなのか?」


「え?」


 俺が唐突ではあるものの、話しかけると月島はそんな反応をした。


「いや、こんな公園で歌うってさ、やっぱ好きなのかなって」


「んー、好きだよ。歌うと気持ちいいし、嫌なこととかあっても忘れられるっていうか、すっきりするし。でも、人に聴かれるのはあまり好きじゃないかも。だから、遠

くにいる二人に聞こえるくらい大きな声で歌ってたのはちょっと反省かな」


「綺麗な歌声だし、上手かったし、気にしないでいいと思うけどなー。あたしあんまり歌得意じゃないから羨ましい」


「そういや、花咲は音痴だったな」


「あんま言うなっ! 子供の頃に比べたらマシになったわよ! なんなら今度聴かせてあげるわ、あたしの成長した美声をね」


「カラオケの機械が潰れるような音痴だけは改善されてることを期待するよ」

むうっと怒る花咲に、俺は分かりやすく大笑いを見せる。だから、その時微かに聞こえた月島の呟きは上手く聞き取れなかった。なんて言ったんだ、カラオケ……?


「あ、わたしこっちだから、ここで」


 公園を出ると、月島がそう言った。


 月島の指差す方向は駅のある方だ。通学は電車なのだろうか、だとしたら俺達とは真逆の方角になる。


「そっか、あたし達はこっちだから」


「うん、じゃあ、また学校でね。ばいばい」


「ばいばーい」


 ぶんぶんと大げさに手を……というより腕ごと振る花咲の横で、俺も軽く手を振る。月島は小さく手を振りながら歩いて行く。ある程度見送ってから、俺達も歩き始める。


「やっぱお前、人と仲良くなるの上手いな」


「別に普通だよ、女の子なんてこんなもん。グループを作らないといけないっていう女の子の本能的な何かがそうさせるのよ」


 照れ隠しのように、花咲は早口に言った。褒めたんだから、素直に喜べばいいのに。


「ほんと変わらないな、花咲は」


「そう、それ」


「ああ? どれ?」


 俺が感慨深く、昔を懐かしむように呟くと、思い出したように花咲が声を上げる。


「その花咲っていうの」


「いや、お前花咲だろ? 花咲菜乃花なんだから間違ってないだろ」


「なんでいきなり苗字で呼ぶわけ? あたしはちゃんと名前で呼んでるじゃん、昔みたいにさ。天助もちゃんと呼んでよ、なんかあんたから花咲って呼ばれると違和感あるの」


「昔みたいにって……」


 俺なんて呼んでたっけ? 思い出せ、えーっと、確か……菜乃花ちゃん?


「ムリムリムリムリ! 高校生にもなって同級生の女の子ちゃん付けで呼ぶとか恥ずかしすぎる!」


「ばっ、誰もちゃん付けで呼べなんて言ってないでしょ!?」


「昔みたいにって言ったのそっちじゃん!」


 顔を赤くして講義する花咲に、俺は正論をぶつける。小学生だから、女の子をちゃん付けで呼ぶことに抵抗とか無かったけど、今はそんなことはないのだ。


「じゃ、じゃあちゃんはいいよ。名前で呼んで」


「それも照れるだろ。女の子呼び捨てとか俺にはハードルが高い」


「さっきも言ってたけど、そのハードルがどうとかやめてよ。そんな気を遣われるよ

うな間柄だと思ってないんだから。あたしだけ? 久しぶりに会えて喜んでたのっ

て」


「いや、それは……」


 あんな最後だったから、正直最初は動揺したし、神様を呪おうともしたけど。でも、あの時と何も変わらない花咲菜乃花を見て、喜んでいたのは事実だろう。見た目は変わったけど。


「もういいよ……あんたにはハードル高かったんだよね」


「違うって。何ていうか、俺今まで女子と仲良くなることとかなくて、そういうのあんまり慣れてなくて……恥ずかしいっていうか」


「じゃあ慣れてよ、あたしで。それでいいでしょ?」


「……まあ、頑張る」


 何というか、上手く乗せられたような気がする。これだから、フレンドリーな人間は苦手なのだ。そういう奴らと違って、俺は相手との距離の測り方を熟知していない

のだから。


「とりあえず、呼んでみてよ」


「ああ? なんで?」


「練習だよ、いきなりだとハードルが高いでしょ?」


 そう言って、イタズラに笑う。昔も、こんな顔をよく見せられた。それは何故か鮮明に覚えている。


「……菜乃、花」


 視線を逸らして、ぼそっと呟く。こんな展開誰得なんだよ、男の照れるシーンとか欲しくねえだろ。よくよく考えたら逆でしょこれ、女の子が照れながら男の子を呼び捨てにするみたいなシーンの方がよくない?


「うん、よく出来ました。これからはあたし名前で呼ばれないと反応しないから、よろしくね」


「……勘弁してくれよ」


 がっくりと肩を落として溜め息を吐く俺とは裏腹に、菜乃花はご機嫌に鼻歌混じりに歩く。


「やっぱり天助は、変わってないね……」


 弾む声で、小さく呟いた菜乃花。嬉しそうなその横顔を見て、俺はもう一度深い溜め息をついた。

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