逃亡者二人
昼休みに一人になることはよくある。それは意図的であったり、偶然であったりするわけだけれど、今日は前者で俺は今空き教室に一人でいる。
使わなくなった机やイスなどが置かれる物置き教室なのだ。何故かは分からないけど、鍵が締まっていない。いざという時に開いていないという状況が嫌だとか聞いたけど、実はこの情報はあまり知られていない。
なので、誰にも見られたくないことをしたい時など、そういう時に有効に使えるのだ。
「……ここは千尋でさえも知らないのだ」
誰に言うでもなく、俺は呟きながらポケットからゲームを取り出す。
昨日すごいいいとこまで進めたので、家に帰るまで待てない俺は、ここで昼休みにプレイすることを決意したのだ。まあ、こういうことをするのも初めてじゃないんだけどさ。
もうちょっとで、エンディングなんだよ。感動するというよりは、ハラハラするタイプのルートである。何の話かって? もちろんギャルゲー。そりゃたまには他のゲームもするけど、基本的にはこれだよね。
静かな時間が過ぎていく。イヤホンをさして、ゲームの音だけを聞いているので、何だかこの世界にいるのが自分一人だけなのではないかと錯覚してしまう。
まあ、そんなことはないんだけど。
それを俺に思い出させるように、ドアが勢い良く開かれた。
「――っ!?」
何故だ、誰だ……バレたのか? いや、電気だって消しているし音も出していない。ただでさえ薄い存在感も消しきっているというのに、どうしてバレた……?
「……ぁ」
「……うぇ?」
実はこの教室、人が入れるスペースはとても狭い。ほぼほぼが机やイスなどで占められているので、入口付近で人が一人二人座れる程度しかないのだ。よくよく考えれば、これ出すとき超面倒じゃね? と思うが、そんなん片付ける時にいちいち気にしていられなかったのだろう。この数だし。
つまり、何が言いたいかというとですね。
入ってきた人影は隠れるようにすぐにドアを閉めて外の様子を伺っていたのだけど、ふと真後ろで座ってゲームをしている俺と目が合ったのだ。
俺は先生じゃなかったことに安堵しているけれど。同時に、知った顔であることに少しばかり焦りもした。それは相手も同じなようで、お互いに小さく声を漏らしたのだ。
「あ、どうも」
「……どうも」
困ったような、それでいて少し照れたようにその人影は笑った。
黒い髪のサイドテールにブレザーではなく、カッターシャツの上からはピンク色のカーディガンに袖を通しているその女生徒は、この学校の有名人である月島彩夜である。
「なんでお前、ここに?」
ようやく状況を整理し終えた俺は、耳のイヤホンを取って月島に尋ねる。
「しっ……ちょっと待ってて」
人差し指を口元まで持っていき、外からは視線を逸らさずに短く俺に指示をする。
さすがの俺でも、だいたいの予想はつく。何からかは分からないが、逃げているな。悪いことをするようなタイプではなかったように思えるけれど、何から逃げているんだ? 現実?
とりあえず、あちらが許可するまで黙っておくことにする。今のうちに、ゲームをスリープモードに切り替える。
「……ふぅ。もう大丈夫かな、ごめんね突然」
肩の力を抜いて、息を吐いた月島はようやくこちらを向いた。やっぱり二人は狭いな、入れないことはないが、その……近い。
「何から逃げてたの? 先生? それとも現実?」
「……ちょっとよく分かんないけど、違うよ。同じクラスの人達」
「おいおい何したんだよ、学園一のアイドルはまさかクラスメイトの体操着を盗む変態さんだったのか?」
「葉月くんは、面白いことを言うね」
おお、軽く流された。こういう対応をされることもないから、何かに目覚めてしまいそうだ。冗談だけど。
「で、冗談はこのくらいにして、何なんだ?」
「冗談言ってたのは葉月くんだけだけど……。ほら、今度創立者祭があるじゃない?」
「ああ、うちでも面倒なことに準備が始まっている」
「でね、うちは軽い喫茶店をするみたいな話になってたんだけど」
「普通じゃないのか? あれか、メイド喫茶とかそんなんか?」
「ううん、そういうのじゃないよ。ただ、ステージがあって定期的にそこで何か披露するっていうコンセプトのものなの。そこで、わたしに歌ってくれっていうから、逃
げてきたの」
「歌えばいいじゃん。歌上手いんだし」
この前ちょっと聴いただけだけど、逆に言えばそれだけで上手いといえるほどの実力ではあったのではないだろうか? あまり歌には詳しくないし、ゲーソンとかアニソンしか聴かないけど、そんな俺でも聴いていたいと思えたということは、そうとうだろう?
「嫌だよ、あんまり人前で歌うの好きじゃないし……なんなら苦手だし」
「でもこの前は公園で……」
「あそこは普段は人は来ないんだよ?」
確かに、人が集まるところからは少し離れていたし、あそこならば一人になることも出来るだろう。
「あんまり知られていない穴場なのに、見つけられちゃったよ」
「それは菜乃花に言って欲しいけどな」
「……なの?」
「なに、どうかした?」
突然おかしそうに首を傾げた月島に、俺は居心地の悪さを感じて聞く。じーっと見られれば、誰だって感じるだろう。
「……ううん、なんでもない。気にしないで」
気になるっつーの。何かを考えるように少し黙った月島は、何事もなかったようにニコリと笑う。可愛いから許そう。
「それより葉月くんは、何かを思い出したりしませんか? このシチュエーションで。例えば去年の文化祭の頃のこととか」
「去年の文化祭……? そういえば、あの時も準備をサボってよくここでゲームをしていたな。それが何か?」
「それだけ?」
「それだけ」
即答すると、月島は「はああああああああ」と盛大な溜め息をついた。傷ついた様子を主張するような大きなものであった。天恋に頼みごとをされて面倒だと感じた時に俺がするのとよく似てる。
「去年、わたし達ここで会ってるんだよ?」
「え、マジで!? ……うーん」
言われて、俺は何とか思い出そうと唸る。
俺が、この学園のアイドルと言っても過言ではない存在の月島彩夜と会ってる? それなら忘れないだろ。何で記憶にないんだろう。誰かに操作されたのかな? それとも、何かのために記憶を封印したのかも。
まあきっと、普通に忘れたんだろうな。
「でも確かに、言われてみれば会ってたような気がする」
「でしょ?」
でも、たった一回。それもものの数分程度のことじゃなかっただろうか?
「……行ったか」
男子生徒二人に追われていた俺は、たまたま空いていた教室に飛び込んだ。
そこで二人が遠ざかっていくのを確認してから、俺は体の力を抜くように座り込んだ。
「しかし、なんだここ」
改めて中を見渡してみると、どうやら使わなくなった机なんかを詰め込んだ物置き的な教室らしい。どうして鍵が開いていたのかは置いといて、しかしそのおかげで逃げ切ることが出来た。
「俺は今、文化祭の準備なんかしている暇なんてないんだよ」
後に文化祭が迫る今日も、校内は文化祭の準備で盛り上がっていた。というか、浮き足立っていた。それに伴い、午後の授業はカットされて準備に当てられる。
だがしかし、俺のように別に文化祭を楽しみになどしていない人間からすれば、この時間ほど無駄なものはない。準備している時間が一番楽しい? はんっ、そんなものは虚言だ。興味もないことのために強制労働させられることの何が楽しいというのか。
「……ゲームでもするか」
ポケットに入れてあったゲーム機を取り出して起動する。こうしてサボれば明日確実に怒られることは明白である。しかし、それでも人間というのは目の前に広がる桃源郷を見逃すことは出来ないのだ。後の祭りよりも目先の幸せなんだよ。
そして、少しの間、静かな時間の中でゲームをプレイしていると――。
ガラガラ!
「――ぅえ!?」
勢い良く開かれたドアの音に驚いて、俺は小さく悲鳴を上げる。
やばい、バレたか?
そう思って確認すると、全く知らない生徒だった。その女生徒は急いで扉を閉めて外の様子を伺うように窓から覗きこむ。
髪は肩辺りまで伸ばされていて、サイドテールを垂らしている。実際はもうちょっと長いのだろうか? カッターシャツの上からピンクのカーディガンを着たその女生徒は、ふうと息を吐いてこちらを向く。
「あ、ごめんなさい。邪魔しちゃいましたか?」
「え、あ、いや、別に……」
正面から見ると、えげつない可愛さだった。なにこれ二次元? 驚きのあまりうまく言葉を返せなかった。それに対しての彼女の反応が、きょとん顔で首を傾げる、だったのでもう三次元もアリだなと思いました。
「同じ一年生なんだね。あなたはどうしてここに?」
うちは学年ごとに色が決められており、上靴だったりがそれに従ったカラーになっ
ている。なので、目の前の生徒が同じ学年なのか年上か年下かは見てすぐに分かる。
「クラスの、連中から逃げてきて」
おお、喋れたぞ俺。だんだん慣れてきたのか。そうだよな、数多くの女子に告白してきた俺に、その程度のこと出来ないことはない。
「そうなんだ、わたしと同じだね。わたしもね、人から逃げてきたの」
人から逃げてきたの。
なにそれ、どこのゲームのセリフ? 普通に生きててそんなセリフを聞くことになるとは思わなんだ。
「なんで逃げてんの? 俺みたいにサボりたいから?」
「え、いや、そういうのじゃないけどね」
やっぱりね。そういうことしなさそうだもん。
「文化祭って、ミスコンっていうのがあるらしいの。知ってる?」
「まあ、一応」
ミスコン。正式名称、ミス大幕コンテスト。つまり、現在の大幕生の中で一番可愛い女の子を決めましょうという企画である。どうやら毎年文化祭で行われるらしいが、ギャルゲーの中だけかと思ってたけど、リアルでもあるんだなー。
「ミスコンで着る衣装って被服研の人が作ってるらしいんだけど、そこの人がわたしに出てくれって頼んでくるの。で、追いかけられていたから逃げてただけ」
「可愛いんだから出ればいいじゃん」
「へ……?」
「……なんでもない」
あっぶねー、危うくキャラに合わないセリフを言ってしまうところだった。大丈夫、相手に聞かれてなければただの独り言。それはセリフにはカウントされない。俺は目を逸らして誤魔化す。
「わたし、あんまり目立つの好きじゃないから」
「好きじゃないなら別に無理して出る必要もないだろうけど。女って可愛い可愛い言われるのが好きな生き物じゃないのか?」
「いやいや、なにそれ初耳だよ」
そうなのか、女子の本性なんて正直よく分からないので知ったことではないけど、全員が全員そうでもないということか?
「そりゃね、可愛いって言われると嬉しいのは本当だけど、言われすぎるのも何か違うし、それとミスコンに出ることとはまた別物なんだよ」
「いいと思うけどな、優勝してちやほやされるとか。俺が可愛い女の子ならば大歓迎だし絶対やるけど。あれか、何だかんだ言って負けるのが怖いのか? おーほっほ、本当に可愛いのはわたしなのよひれ伏せ愚民ども! とか心の中では思っているタイプのやつか。負けたらそうでないことが証明されるわけだからな。そりゃ出ないか」
「分かりやすい煽りだなー。それで出てやるよ! って言ったらその煽りを肯定することになるし、ますます出場出来ないな」
適当なことを言うと、そいつはあははと笑いながら頬を掻く。
しかし、何だ。少し気になることもある。初めてこの女子を見た時、可能性を感じた。至高だと謳われる二次元に匹敵する可愛さを、この女子は持っている。その可愛さが、果たしてこの学校では認められているのか、それは気になる。わたし、気になります!
「よし、じゃあこうしよう。ミスコンで優勝することが出来たら、何でも一つ言うことを聞いてやる。もちろん、俺に出来ることの範囲でだ」
「どうして突然そういう話になったの!?」
「ただし、死ねとか消えろとか、学校来んなとかそういう心に来るのはナシだ。あくまで常識の範囲内で」
「そのネガティブな候補は何か嫌な記憶でもあるのっ!?」
「どうだ?」
「なんで急にわたしをミスコンに出す方向にシフトしたの? もしかしてあなたも被服研の回し者ってパターン?」
疑うような眼差しが俺に向けられる。生憎、被服研に知り合いなんて一人もいない。
「いや、そんなんじゃない。ただ、俺が感じた可能性が本物だったのかを確認したいんだ」
「……よく分かんないんだけど」
だろうな。
「つまり、お前を可愛いと思った俺の感覚が正しかったのかを確かめたいんだよ」
言ってから。
やってしまったことに気づいた。いつもこうだよ、気づくのはいつだってやらかした後だ。だから後悔って言葉があるんだろうな。
ドン引きしてるだろうなと女子の顔をちらと伺う。
「……」
きょとん顔だ!
つまり「なにキモいこと言ってやがんだ正気かこいつ?」って顔だ! ああ、恥ずかしい死にたい帰りたい!
「いや、今のは別に、そういう変な意味ではなく……」
じゃあどういう意味なんだよ、と心の中でツッコむ。さっきのは、もうそれ以外の意味意外には捉えられないだろ。
告白しては振られるを繰り返してきた俺だけど、だからといって女子から浴びせられる罵声に余裕で耐えているわけではない。普通に傷ついて、立ち直ってるだけなん
だ。
「まだ、名前を聞いてなかったね」
突然、そんなことを言う。
まるでさっきまでの流れ全てを無かったことにしたように、唐突に自己紹介を求められた。なんだこれ、なんだこの展開。考えろ、この女子の思考を読み取れ。
「あ、わたしは月島彩夜。二組だよ」
そうか!
キモいことを言われたことを広めるためには、俺の名前がいる。名前を知らなければ広められないからだ。適当にクラスの奴の名前でも言うか? いやそれだとすぐにバレる。適当な名前も危ないな。
「で、あなたのお名前は?」
可愛い顔して、やることえげつねえぜ。だが、思い通りにはさせん!
「俺は、どこにでもいるしがないギャルゲープレイヤーさ!」
それだけ言って、俺は逃げるようにその場を走って離れた。教室に戻り、めちゃくちゃ怒られた。
それからは、月島彩夜には会っていない。
そして、その年の文化祭でのミスコン、月島彩夜は見事優勝の座を勝ち取ったのだった。
「そういや、結局ミスコン出たのはどういう風の吹き回しだったんだ?」
「え、なんで?」
思い出して、ふと疑問に思ったことを口にする。あれだけ嫌がっていたのに、突然出場したわけだ、何かあったことくらいは俺でも分かる。
「いや、何となく気になって」
「まあ、いろいろとね。強いて言えば、葉月くんに願い事叶えてもらおうと思って」
「……覚えてたんだ?」
「わたしはそもそもあの時のこと忘れてなかったしね。思い出してくれた? まだあの約束って有効だよね?」
にっこりと笑われると、断ることは出来ない。すっかり忘れていたけど、言われて思い出した。確かにそれっぽいことを言っていたな俺。テンションだけで物事を進めるものではないな、勢いだけで喋ってるとろくな事にならない。
「まあ、出来る範囲であれば。もちろん、消えろとか死ねとか、そういう心に来るのはナシで」
「わかってますよ」
びしっと敬礼をしてウインクを見せられた。その瞬間に、心臓がどきりと跳ね上がる。なんだろうか、きゅっと締め付けられたような……。
その時、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
「あ、昼休み終わっちゃうね。お願いごとはまた今度聞いてもらおうかな」
「ああ、そうね……俺も心の準備だけしておくよ」
「そんなヘビーなお願いしないって……」
しかし。
俺があの時感じた感覚は、やはり間違ってはいなかったのだ。
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